第140話 推測
今回はおじさん二人の会話になります。
ここはアンドレウ家の中でも特に結界の強い部屋。先程の応接室に隣接する小部屋で、置かれているのは最低限の家具のみ。
銀色の水盤に水を張り、涙の結晶石を入れる。ヒルダーが手を翳して詠唱を唱え始めると陣が浮かび上がり、結晶石から泡が出て、水盤いっぱいに淡い光を放つ。
これは……美しい
シリックはその様をジッと見つめていると不意に声を掛けられた。
『それでお前の見立てはどうなんだ?』
『わかっているでしょうに』
片頬を僅かに上げると、グラスを手にとった。琥珀色の酒が揺らぎ、氷がカラリと音を立てる。
『昼間わしのところにニコラスがきた』
『ほお……要件はなんでしたか?』
『人間の世界の龍湖を浄化をしたいそうだ。その為には儀式を執り行う必要があるから、根回しにきた』
『龍湖の浄化?』
『……世話になった精霊や人間の為だそうだ』
水盤の中の結晶石は少し小さくなってはいるが、変わらず小さな気泡をだすだけに留まる。次の段階に進むには、結晶石が完全水に溶けてからではないと行使できない。
『なるほど。含みももたせずに馬鹿正直に話をしたのですね』
『一応身内だからな。警戒心も緩むのだろう』
『時と場合によっては身内が一番の政敵になりますけどね。……まぁ兄さんに裏切られるとは梅雨ほどにも疑っていないのでしょう』
『それは嬉しい限りだな』
カラカラと氷を揺らし、濃いめ注いだ酒をゆっくりと薄める。時間の経過と共に変化する味がヒルダーの好む飲み方だった。
『とりあえず明後日、湖に調査隊を派遣して次の議会に提示することで話を合わせた』
『理由はなんと?』
『理由? 儀式の要である陛下が了承しておるのに、反対できる者などおらんよ。調査はあくまでも湖の現状を把握する為のもの。可否を問うためではない。──それよりもアレに何を言った?』
何のことかと、うそぶいてみたものの、兄には検討はついているはずだ。
『要らぬ波風をたてるものではない』
『陛下がのんびりと事を構えていらっしゃるので、焚き付けようかと思いまして』
糸目を更に細くしてニンマリと笑う。
『自分の息子を当て馬に使うやつがあるか』
言葉尻に非難の音が混じるのは、相手が甥っ子でもあるニコラスだからだろう。
『当て馬で終わるか、本命となれるかは愚息次第ですよ』
『夜会の様子を見ていただろう?
陛下があそこまで執心してる者に名乗りを上げるなど、それなりの強い想いがなければ無謀と言わざるを得ない。それに王と側近が一人の女を取り合うなど──』
『想いを燻らせて、何も告げずに失恋するならきっちり玉砕した方が次にいけるというものです。──私が振った御婦人方はさっさと次にいってましたよ?』
ヒルダーは呆れたように肺に溜まった重い空気を吐いた。
この弟はいい性格をしている。
本人が恨まれる分には自業自得だが、息子にとばっちりがいくのは、些か可哀想に思えてくる。
『ペトラキス家は兄のノートンが継ぐから問題ないだろう? ならば無理矢理婚姻を結ばすとも良いのではないか』
バートンには兄がいる。
ペトラキス家の嫡男として生を受けたが、妖力量もそれを操る能力も弟のニコラスの方が圧倒的に上だった。本人も争い事を好まない大人しい性格だった故に、当主として家を支え、病弱な母の側にいることを望んだ。それにより当主をノートン。次期宰相候補をニコラス……今のバートンに据えたのだ。齢十歳の事だった。
ノートンは成人後、シリックの側で学んだ後、今は王都の屋敷や財政の管理を任されている。
『アレの婚姻が目的ではありません。
水姫の所有権を主張できるのであれば、嫁ぎ先が王家だろうと我が家であろうと些末な問題です』
『つまり神殿には渡したくないと。それも己のカンによるものか?』
『いいえ。情報を収集した結果の推測です』
ほお……。とヒルダーの口元が僅かに緩む。では──と、言いかけたところで、水盤の水が一層の強い光を放ったあと、水面は静かな水面となった。結晶石は完全に溶けて水と一体化している。
ヒルダーは立ち上がり、古い書物を開いて更に詠唱を重ねると、水盤の中の水が徐々に青味掛かってくる。
『……これはどういうことだ?』
ヒルダーが理由がわからないとばかりに弟を見遣ると、シリックはクックック、と声をたてて笑っていた。
『やはり思った通りだ』
『シリック?』
『兄さんの見立てはいかがですか?』
愉しそうな弟を真顔で眺めると、たっぷりの間を開けてヒルダーはボソりと言った。
『鑑定の結果からすると、この結晶石は、遥か昔、癒しの聖女と呼ばれた水姫が持ち得たものと同じ代物だろう。しかし彼の方でさえ、儀式を受けて龍族に帰化し、更に修練を受けてたどり着いたものだ。それを儀式すら受けていないニンゲンが……』
『……ただのニンゲンではないとすれば?』
『シリック?』
詳しく説明しようとしない弟に痺れをきらしたヒルダーは、困惑の表情を浮かべたまま、半分以上残っている酒を煽った。
『蒼は王家の色だ。それが水姫の結晶石から反応が出たと言うことは……』
『……はい』
『……いや、なんでもない』
長年、宰相として式部長官として王宮勤めをしているから知っている。
不確かな情報は口に出すものではない。まして王族に関わることは慎重に判断しないと、いつ何時、己に帰ってくるかわからないのだ。
水盤を間に挟んで、束の間の静寂がおとずれた。
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