第138話 シリックの思惑①
あれから三日。
サンボウからは何の連絡もなく、ただいたずらに時間だけが経過していた。
窓からのぞむ空は美しい青が広がっていて、王の庭園の蒼い花々を思い起こさせる。
小鳥の囀りが聞こえてきそうな爽やかな朝だけど、残念ながら軽やかな囀りは聴こえてこない。むしろミレイの背後では忙しない女達の声が、あちらこちらで行き交っている。
『オーナー、装飾品はこちらで宜しいでしょうか? 宝石はどちらに配置しましょうか』
『宝石は最前列に。バッグ類は後方にまとめておきなさい』
『侍女さんテーブルをもう一脚貸して頂けるかしら?』
なんでこんなの事になってるんだろ〜……。
ミレイは眼の前のドレスの海を見て、遠くを眺めた。
夜会のドレスを選ぶ時ですら、こんな混沌とした室内にはならなかったよね。
まあ、あの時はドレスは好きな形を選ぶくらいで、ほぼオーダーメイドだったのもあるけど……。
『水姫様、騒がしくして申し訳ございませんでした。並べ終えましたので、どうぞごゆるりとご覧下さいませ』
『わたくし共も終わりました。お好きなお色や形を伝えていただくだけでも構いませんよ。何か気になるドレスはございますか?』
「えっと……」
その辺の令嬢など息を吹きかければ飛ばされてしまいそうな、Theマダムと呼びたくなるくらいの迫力美人が二人、ミレイの前に立ち並んでいた。
二人ともこの国で一、二を争うドレスショップを経営してるらしく、立ち姿すら美しい。
淡い黄色に鮮やか幾何学模様のデザインが入った個性的なドレスを着こなすのはドレス・ディオネのオーナーであるエレーヌ夫人。
対するカロス・メゾンのオーナーであるポニタ夫人は、紫のマーメイド型のドレスに控えめのレースで、一見地味に見えるが、背中を見ると腰までぱっくり開いていて黒のレースが大人の色気をムンムンに醸し出していた。
どちらも素人には着こなせないような、ハイレベルなドレスである。
『こちらのドレスはいかがでしょうか? 当店のオススメの品であり、デザイナーのイチオシのドレスでこざいますのよ』
『いえいえ。わたくし共の店のドレスの方がお似合いかと存じます。是非ともお手に取ってご覧下さいませ』
「……ありがとうございます」
今の私は、田舎娘の初めての上京って感じだろうなぁ。場違い感がすごい!
『ホホッ。そう遠慮なさらずに。シリック前宰相様より水姫様の望むままに、と言われておりますのよ』
『そうですとも。上限はつけないとも仰っていましたし、実際、それだけの財力のあるお家柄ですから、お気になさらずに!』
──いやいや、気にするよ。
工場で大量生産する服じゃあるまいし、一着一着が手作業とか……。いったいいくらするの?
ミレイはそっと溜め息をついた。
なんでこんな事態になっているのかと言うと、サンボウパパが『息子が世話になった礼がしたい』と、御用達のオーナーを呼びつけて『好きに選びなさい』と言うことらしい。
名店のドレスや宝飾品を選び放題なんて、令嬢達なら悲鳴を上げて喜ぶ事態だろうけど、私はそんなに嬉しくない。
『水姫様、大丈夫ですか?』
そっとソニアが耳元で話かける。
顔に出してるつもりはないが、優秀な侍女はきっとお見通しなのだろう。
『……お気に召しませんか?』
不安そうに問いかける二人のオーナーの顔を見るかぎり、思っていたよりも駄々漏れだったらしい。
うーーん、改めよう。
それにしてもまいったなぁ〜。
「気に入るものが無いと言うわけではなくて。どれも素敵なドレスで選べないんです。
それに私がいた国ではドレスが通常の衣服ではなかったので、基準も良くわからなくて。……その、すみません」
最後は尻すぼみになりながら素直に告げると、何故か二人のマダムはジッとこちらを凝視していた。
『なんて可愛らしい方なの!』
『ほんとに。素直でまっすぐな方ね。わたくしキュンキュンしてしまいましたわ』
「!?」
わかんないって言っただけで何で褒められてるの?
『では、お嬢様。私共にお任せ下さいませ!』
『ええ。そうですわ。わたくし達で国一番の淑女にして差し上げます!』
「えっ!? いや大丈夫です」
さっきまでは『私の店のドレスを!』って自己主張してた人達が、何故か共同戦線をはりだした。
──そこから先は私の声なんて届いていないようで、あっと言う間にドレスの渦の中央に放り込まれて、着せ替え人形のように何着ものドレスを着るはめになった。
つかれたーー。
脱ぎ着も大変だし、お世辞の嵐を受け流すのもツラかった〜。
最終的にはいくつか見繕ってもらい、サンボウパパの顔は立てられたと思う。
怒涛の着せ替えショーは収束し、仮店舗?と思えるようなおびただしい数の品は店の使用人と侍女によって、素早く片付けられていく。
それと平行してテーブルにはティーセットが用意され、ケーキや焼き菓子など多種多様なデザートが並べられ、私は誘導されるようにソファに座った。
これは、このままお茶会に展開する流れですか!?
さすがに帰ってくれオーラを出すわけにもいかず、黙って紅茶を一口飲むと、花の香りが漂う少し甘めのフルーティな紅茶だった。
さすがソニア。癒やしをありがとう!
『しかし水姫様はすごいですね。あれだけのお家柄の方に見初められるなんて』
「…………は?」
ポーッとなった頭では理解できなくて、思わず持ち上げたティーカップを落としそうになってしまう。
『ほんとに。ペトラキス家と言えば上流貴族の中でも上位に位置する、我が国有数の名家ですもの』
『大袈裟ではなく、地位に権力、財力。全て兼ね備えてるうえに、現宰相様の辣腕ぶりも有名です』
『女遊びもなさらない誠実な御方らしいですわね。水姫様は宰相様のどんなところにひかれたんですの?』
二人のマダムの目がランランと輝いている。
「…………はぁ?」
これは、もしや恋バナ?
……えっと。……誰の?
「あの。私と宰相……様は別に何もありませんが」
『あら〜。照れてしまって可愛らしいわ!』
『宰相様はこんな清純なところにも惹かれたんでしょうね〜』
どんどんヒートアップしていく二人に、ミレイは若干引き気味だった。
それもそのはず。
まっったく身覚えのない話題だからだ。
「惹かれたと言われましても、ただの友人ですし。一時期そのような噂はありましたが、あくまで噂ですから」
ははっと、引きつり笑いで場を鎮めようとしたが、叶うわけもなく、二人のマダムは顔を見合わせて溜め息をつく。
『お嬢様。ペトラキス家は資産は十分すぎるほどあるお家ですが、前宰相様は無駄を嫌う方です。ただの御礼でこんな振る舞いは致しませんわ』
『その通りです。わたくしの店も贔屓にして頂いていますが、国の一二を争うを我々を呼びつけて、競わせ、豪遊させるなどあの方の好む手法ではありません』
「じゃあ……なんで?」
『懐柔……かしら』
ポニタ夫人が腕を組み遠い目をしたかと思えば
『未来の嫁に向けてのアプローチですわね!
間違いないですわ。先行投資は必要経費ですから!』と、熱く語るエレーヌ夫人。
必要経費って、会社じゃあるまいし。
……って、あれ?
「…………よめ?」
疑問と驚きを籠めて口に出すと、不思議そうな面持ちで二人のマダムがこちらを見る
『あら、宰相様に心は動きませんの?』
ポニタ夫人の言葉に、正直困惑した。
「いえ。素敵な方だと思いますが、ずっと友人として過ごしてきたので、その……いまさら恋愛対象としてみれないと言うか」
『だったら一度、そのフィルターを取ってごらんなさいませ。立場や役職は服の上から纏うもの。ありのままの相手を見れば自ずと自身の心の声が聞こえてくるものですよ』
「私の……心の声」
『そうですね。失礼ながら水姫様は何か焦ってるようにも思えます。追い立てられてるといいますか……』
ドキリとした。
みんながヤキモキしてるのに、私は悠々とドレス選びなんて、と言う想いが少なからずあったからだ
「すみません。……お世話になった人達に安心してもらいたいのに、全然進まなくて、でも私が勝手にできることでもなくて。……正直、焦ってました」
マダム達は顔を見合わせると私の隣に移動してきて、手を握ったり頭を撫で始めた。
「あっ、あの……?」
『貴方は優しい方ですのね。でも大丈夫だと思いますよ。貴女がお世話になった皆様は、貴女をなじるような人達ですか?』
「それはないです」
ミレイは反射的に答えた。
『なら貴女が沈んだ顔をしていても、気にしないような方々ですか?』
「それは……」
リリスさんにニウさん。精霊のウンディーネにアウローラと瑞獣達。
ミレイはゆっくり首を左右に振った。
『なんとかしようという想いが大切なのだと思いますよ。それに、そんな暗い顔をしていては、せっかくの可愛らしいお顔が台無しですわ!』
……お、お姉様!
そうお呼びしたい!
ストンと肩の力が抜けた気がした。
たしかに急に気負って、やらなきゃ!って思っても無理だよね。サンボウの都合も考えないで、私、嫌なヤツだなぁ〜……。
『水姫様?』
「ありがとうございます。少し気負い過ぎてたかもしれません」
そう言ってフワリと笑うミレイと視線を合わせた王都きっての経営者達は目を見開いた。
──このお嬢さんは自分の持つ人脈の重要性に気づいていないのね。
利用し、利用されるのが社交というもの。人脈と縁故はそのまま自身と家の力となる。 だからこそ年頃の令息、令嬢を持つ親はやっきになるのだ。
「お世話になった人達もそうだし、この国に来てからも私は助けられてばっかりなんです。今日だって、お店のような状態は正直、驚いたけどこんな風にお話できるならこの出会いも良いものですね〜。シリック様に感謝しなくちゃ!」
『貴女はそう思えるのね』
「? 普通じゃないですか?」
『ふふっ。それを普通と言えるのが貴女の美徳なのよ』
「美徳……ですか。うーーん。単に人に恵まれてるだけだと思います。お二人もですけど、親切にしてくださる方が多いんですよ」
親切ね……。
計算と下心まみれの自分が恥ずかしくなるわ。
『何かあればいつでも声をかけてくださいませ。たとえ注文じゃなくても、登上致しますわ』
『フフッ。わたくしも』
「あっ、ありがとうございます! やっぱりみんな親切ですね」
お姉様のような二人にそういってもらえて、ミレイは綻ぶように笑った。
◇ ◇ ◇
陽もそろそろ沈むだろうという頃、階下の庭園では衛兵の交代式の声と、剣をカシャンと鳴らす小気味よい音がミレイの部屋まで微かに届く。
もうこんな時間なんだ。
昼食後、ソニアに言って過去の水姫に関する資料や書物の貸出許可をとって貰ったのだ。
初めて入った書庫室は膨大な書物がおかれていて、探すだけでも骨が折れるだろう〜と思いきや、係の人の誘導ですんなり目的の資料を借りることができたのだ。
まるで歴史書のような本は面白くて、つい没頭していた。
そんな時、ソニアからサンボウパパの来訪が告げられる。
『いかがなさいますか?』
「もちろん会うよ。御礼も言わないとって思ってたから」
軽く身なりを整えてサンボウパパこと、シリック前宰相様を迎えた。
『先触れもなしに急な来訪になり、申し訳ございません』
丁寧に一礼されて、ミレイも淑女の礼で答える。
「とんでもございません。お気になさらないで下さい。それよりも私の方こそ、お衣装の手配をして下さり、ありがとうございました」
『いえいえ。愚息が世話になった御礼ですから。何か気に入る品はございましたか?』
「はい。過分なまでに」
『それは良かった』
にこやかに挨拶を交わしてソファに移動する。ソニアの淹れた紅茶を飲みながら雑談をしてると、借りてきた書物が目に入ったのか、話題は過去の水姫の話になっていた。
『何故、過去の水姫様をお調べになっているんですか?』
「……少し気になりまして。時間もありますし」
──何故か詳細を話そうとは思わなかった。
前宰相様だし、もしかしたら浄化が早くできるように議会に掛け合ってくれるかもしれないけど……。帰れる方法だって見つかるかもしれないけど……。
何故か、やはり怖いと思ってしまう。
『……なるほど。興味を抱き、それを自ら解決しようとするのは良いことです。
僭越ながら僕も気になることがありまして、こちらに伺った次第なのです』
「気になること……ですか?」
質問したくは無いけど、この流れは質問しないとまずいよね。
『はい。水姫様の涙について気になっておりまして……』
「私の……涙?」
前宰相様は口元を真横に引き、微かに微笑んだ。