第137話 閑話
散策の時に買ったお土産の話です。
夕食も終わり、後片付けを終えたソニアに声をかけ、小さな箱を手渡した。
「いつもありがとう。良かったら貰ってくれる?」
『私に……ですか?』
不思議そうな顔をするソニアに、いつものお礼だよ。と、少しぶっきらぼうに伝えてみる。
『ありがとう……ございます?』
「なんで疑問形」
『すみません。日々の仕事でお礼の品を頂けるとは思っていませんでしたので』
「そうなの? でも私は専属侍女がソニアで良かったと思ってるし、実際すごく助かってるの。だからありがとうの気持ちを形にしたいな、って思ったんだ。
──私がいた国では割と普通だったから、気負わずに貰ってくれたら嬉しいかな。実際、そんなたいした物じゃないし」
サラリと流すように言ってはいるが、内心はかなりドキドキしてる。実際、いくつもの店をハシゴしてピアス、小物入れ等いろいろ見たけど、どれもピンとこなくて、やっと見つけた品だった。
『これはクリーム……ですか?』
箱の中には薄紫色のケースにワンポイントでリボンがついた、可愛らしいデザインの缶が入っていた。
「ハンドクリームなの。微かに香りが付いてるから仕事終わりに使えるかな、と思って。……どうかな?」
『……』
どうしよう。箱を持ったまま立ち尽くしてる。
失敗した? やっぱりピアスにすればよかったかな〜。
「あっ……気に入らなかったら私が使うから大丈夫だよ」
あえて明るく笑って見せると、ソニアは箱をギュッと抱きしめて『ありがとうございます』と、少し声をつまらせてお礼を言ってくれた。
喜んでくれた……みたい?
「クリームの香料の種類が多くて迷ってたら、バートンが選んでくれたの」
『えっ。ニコラス様が?』
「……うん」
驚きと共に嬉しそうに頬を緩ませるソニアを見ながら、ミレイは「ニコラス呼び馴れないなぁ」と、思っていた。
一瞬、誰?って思ったよ。
たしか……ニコラス・バートン・ペトラキス……だったよね? フルネームで覚えてた私、すごいな。
これがクウだと無理だなぁーー。
『とても良い香りです』
「うん。私もそう思う。だからほら、私も香り違いで買ってきたの」
箱の中から黄色のケースを取り出す。
『お揃いですね』
「うん。お揃いだね」
二人でクスクスと笑い合う。
『そしてこれはバートンとレミスから。日頃の無理難題のお礼らしいよ』
パチリとウインクして、焼き菓子のセットを渡した。
『……嬉しいです』
クールビューティなソニアが頬を赤らめてる。これは是非サンボウ達にも見せたかった!
『良かった〜。お店をまわってて思ったけど、バートン達にもプレゼントあげたいなぁ、って思ったのよね。でも本人達の前で買うわけにもいかないし、次に街に行けるのはいつだろう」
うーーんと、腕組みをして眉を寄せると、ソニアは
『時期はわかりませんが、もし外出されても護衛はやっぱり皆様方だと思いますよ』とクスリと笑いながら言った。
「やっぱりね〜」
ミレイがソファに腰をかけると、上質な座面に体が沈んでいく。
『そしたら何か手作りの品はどうでしょうか?』
「手作り?」
『はい、時間もありますから刺繍やお裁縫などが一般的ですね』
「それいいね。そうしよう!」
パァーッとミレイの顔が明るくなり、ソニアも口元を緩ませた。
『こちらにもう一つ袋がございますが、どなたかのお土産ですか?』
台の上には一つの紙袋。
ソニアに渡したような綺麗に包装された箱ではなく、実用的な簡素な紙袋。
「それは水龍さまのお土産だよ」
『……陛下への御進物……ですか?』
まじまじと紙袋を見た後、ソニアは難しい顔で思案して、意を決したようにミレイに質問した。
『失礼ですが、中身をお聞きしても宜しいでしょうか?』
「いいよ。ただの栄養剤だし」
『えいよう……ざい?』
体を起こしてテーブルに置かれたカットフルーツをぱくりと頬張ると、みずみずしい甘酸っぱさが口いっぱいに広がる。
「わあーー美味しい。これなんてフルーツ?」
『水姫様!』
「……はい?」
ソファの後ろから回り込み、私の足元で膝をつくソニアの顔は、何故か真面目なものだった。
『なぜ……栄養剤なのですか?』
「えーーっと。一番の理由は、帰り際に買い忘れたの思い出して、慌てて買ったから?」
『なっっ!?』
おぉーー。美女は絶句しても美しい。
それにしても龍王陛下を崇拝する、龍族からみたら『忘れた』はアウトなんだろうなぁ〜。
視線を逸らして二個目をフォークをさそうとしたところ、右手をガシッと掴まれた。
「なっ、なに?」
『……でも、陛下の御身体を気遣う意味はあるんですよね?』
俯くソニアの顔は見えないが、何故か声音はいつもより低い。
「……もちろんだよ」
『それならば、まだ良しでしょう。
……手紙。せめて手紙を添えましょう』
「えっ。なんで?」
『なんで、じゃないでしょう? コレをそのまま渡したら、ただの下女のお遣いになってしまいます!』
グワッと立ち上がったソニアは、いつもの楚々とした雰囲気は微塵も感じられない。
「なるほど!」
『なるほど、じゃありません。
まったくなぜ……栄養剤。色気の欠片も無いじゃありませんか』
「……? 龍族のみんなはお土産を選ぶのに色気が必要なの?」
『……そうではなくて。
いえ、まずは水姫様はお手紙をしたためて下さい。私はすぐに陛下への面会依頼の手紙を書きます』
「わざわざ届けるの? 別に大した物じゃないし、今度会った時で大丈夫だよ」
キビキビと動き出したソニアを横目で見ながら、果実水を口に含む。
『……私はすぐに頂きましたよね?』
「うん。ここにいるからね」
『陛下も同じ建物にいらっしゃいます』
「いや、建物は同じでも遠いよ。着替えをしないといけないし、お化粧も必要だよね。
……うん、明日にしよう。水龍さまも忙しい方だから、急に訪れたら悪いしね」
『そういうものではありません!
──それに今、別の理由で明日とおっしゃいましたよね?』
さっきの慎ましやかな微笑みと可愛らしいソニアはどこに行ったのか。怒ったと思ったら、今は頭を抑えてるし。
「どうしたの? 頭いたいの?」
『…………大丈夫です』
「たいした物じゃないから、そんな気負わなくても平気だよ」
同じことを繰り返し言うミレイを、ソニアは残念そう見つめた。
『水姫様のなかでの陛下の認識って……』
「なあに?」
『なんでもありません。とにかくお手紙をしたためて、お届けに……。そうだ。紙袋ぐらい変えましょう。たしか美しい袋が……』
ブツブツと呟くソニアを尻目に、コンコンと控えめなノックの音が室内に響き渡った。
それは水龍さまの来訪を告げるものだった。
「ちょうど良かったね」
あっけらかんと笑うミレイとは対照的に、ソニアは衛兵に『少々お待ち頂いてください』と伝えると、マッハの勢いで夜着の上から薄手のガウンを着せて、髪を軽く束ねながら、『買い忘れていた話は絶対にしないで下さい』と、念を押した。
『お待たせいたしました』
『すまなかったな。すぐ戻るつもりだったから遣いをやらなかったのだ』
『とんでもございません』
ソニアは壁際まで下がると、水龍さまとダニエルが入ってくる。
『ミレイ。街で人攫いにあったと報告を受けた。
……大丈夫か?』
心配そうに頬に触れる手に自分の手を重ねてニコりと笑う。
心配してわざわざ来てくれたんだ。
……うれしいな。
「大丈夫ですよ。護衛をしてくれたみんなが強すぎて、不安を感じる間もありませんでした」
『……そうか』
間違ったことは言っていない。
ミレイは反転して台の上の簡素な紙袋を取りにいく。
「お土産を買ってきました。よかったら貰って頂けますか?」
手紙もなければ、美しい袋に取り替えたわけでもない。ただの簡素な紙袋。
水龍さまは『私にか?』と、意外そうに問いかけると紙袋をギュッと握りしめた。
──この国ではお土産渡す習慣ないのかな?
あまり期待されると困るんだけどなぁ。
『開けても良いか?』
「えっ……えぇ」
妙に歯切れの悪いミレイに、頬を少し高潮させる水龍。
喜ぶ水龍さまの様子に、今更ながら適当に選んだことを少し後悔した。
『…………これは』
『これは栄養剤……ですね。あと一本は……』
後ろから覗きこんだダニエルが淡々と告げる。
『……栄養剤』
あちゃーー。やっぱり微妙だったか。
クウにやめろって言われたけど、時間無かったし、また市場まで戻るのは正直面倒だったのよね。
「お疲れだと思ったので!
そこのお店の薬はよく効くとロス、いえヤン団長のお墨付です!」
うん。勢いで押し通そう!
固まったままの水龍さまを見て、今度は本当に『失敗した』と思った。視界の端に映るソニアは、壁際でこめかみを抑えている。
『……そうか。ありがとう』
「……いえ」
数秒の沈黙。
たった数秒のはずなのに、ミレイはひ弱な心臓がキューッと締め付けられるように感じた。
『あの。失礼ながら口を挟む無礼をお赦し下さい』
ソニアが頭を垂れながら一歩前に出る。
『許そう』
『ありがとうございます。実は水姫様は日頃から陛下の御体を気にしてらしたので、その気持ちが全面に出てしまった故の贈り物だと思われます』
『私の体調を……?』
『はい』
『……そうか』
水龍の口元がわずかに緩み、紙袋の中の一本を取り出して感慨深く見つめている。
そこまで意味ないから!
なんなら『ファイト一発!』くらいの気持ちしかないよ〜。
ソニアのフォローをありがたく思うも、ミレイの脳裏には細マッチョのムキムキの筋肉が奮闘する、ある企業のCMが流れていた。
あれは良いCMだった……。
そんな現実逃避をしていると、ダニエルが爆弾を投下した。
『……失礼ながらこちらの一本は栄養剤ではありませんが……』
ダニエルに言われて良く見ると、三本あるうちの一本はたしかに色が違う。
「えっ。違うんですか? そう言えば店主さんがお試し下さいって、オマケで入れてくれたから、それかも」
『そうですか。店主が……』
「これはなんの栄養剤なんですか?」
首を傾げるミレイに、ダニエルは
『……瓶の蓋が黒色の物は最上位の栄養剤になりますが、こちらの赤褐色の色味の蓋は……』
そこで言葉が途切れた。
しかしハテナマークを頭上に張り巡らせてるミレイを見て、ダニエルはフウと溜め息をつくと
『……精力剤になります』と、事務的に答えた。
「・・・」
『……せいりょく……ざい?』
水龍さまも蓋の意味の違いを知らなかったのか、微妙な間と居た堪れない空気が室内に漂う。
『私はてっきり、おとないのお誘いなのか……と、思いましたが違うようですね』
にっこり笑うダニエルに、ミレイはようやく諸々の意味を理解し、一気に茹でタコのように真っ赤になった。
「そんなわけないじゃないですか!」
『ですよね〜。袋の中を拝見した時は、我々臣下の前で精力剤をチラつかせてお誘いするなど、見掛けによらず大胆なのかな、と思ってしまいました』
「ダニエルさん!!」
爽やかに笑う笑顔が憎たらしい!
ぜっったい分かって、からかってる!
『コホン。……ダニエル』
『失礼しました』
水龍さまが窘めて、憎たらしいダニエルは一歩下がった。
『……とりあえず無事で良かった』
「……ご心配お掛けしました」
『・・・』
『あーー。それでは、そろそろ……』
「……はい。おやすみなさいませ」
パタン……。
終始、変な間が生まれたが、とりあえず渡せたから良しとしよう。
『水姫様。精力剤ってどういう事ですか?』
ソニアが疲れた顔で詰め寄ってくる。
「えっ!? いや。その……体の疲れや精神的に疲れてる時に飲むもの……かな? あとはその……」
『精力剤の解説を求めてるわけではありません!』
しどろもどろに答えたら、即座に会話を遮られた。
ソニアが怖いよぉ〜。
聞いてきたから答えただけで、私だって説明なんてしたくないよ〜。なんなら入ってた理由もわからないし。
『なんで店主が余計なことをしたのか、思い当たることはありますか?』
「えっ……と。栄養剤はロスがたまに飲んでるらしくて勧めてくれたの。会計して包んで貰ってる時におじさんが『プレゼントするのかい?』って聞いてきたから『はい』って答えて……。そしたら『オマケに一つ入れといてやるから』って……」
そう。あの時は気前の良い店だとしか思わなかった。
『はぁ……。このロゴを見る限り、橋渡ってすぐのお店ですよね?』
コクコクと頷くと、その店は騎士達が愛用してる店だと教えてくれた。そしておそらく騎士団長であるロスを認識したうえで、私がロスの恋人だと誤解したのではないだろうか、と……。
「なるほど、ね」
『店主は日頃、お世話になってる騎士団長に粋なプレゼントをした、と思っているでしょうね』
ミレイはもう一度「なるほどね」と呟いた。
これが元の世界なら確実にセクハラで捕まる案件だろう。でも騎士団愛用の店なのだから、そんな商品があっても不思議はないのかもしれない。
げんなりした私を見て、ソニアは躊躇いながらも核心をついてきた。
『そもそも私にはあんなに素敵なクリームで、なんで陛下へのプレゼントが実用品なんですか?』
「だからさっき言ったように、水龍さまへのお土産は忘れてたのよ。もちろんソニアのは市場の店を見比べて、吟味したものだよ」
『それは……ありがとうございます。
でも他の皆様方はお止めにならなかったのでしょうか』
「クウ、いやレミスには止められたよ。
ヤン団長はむしろお勧め品を教えてくれたくらいだし、バートンに至っては『まだそれくらいの認識なのだな……』なんて言われちゃったから、あれは呆れられたのかもね〜」
『!? ……バートン様はなんて仰いましたか?』
「えっ? まだそれくらいの認識なのだな……って言ってたけど」
『……そうですか』
そう言ったソニアは、先程までの詰問口調から様変わりしたように、黙りこんでしまった。
どうしたんだろう。
「それにしてもタイミングは今で良かったのかもね。
結果的に笑い話で済んだし、これが執務室や二人かりだったら、気まずいことになってたよ」
『それはまぁ、そうですね』
「でしょ!? 物事は良い方に考えようよ」
そう言ってミレイは窓を開けた。
気持ちの良い風が頬を撫でて全身を包んでくれる。
執務室も絶対嫌だけど、二人きりの時じゃなくて本当に良かったよ。
またこの前みたいなことになったら……。
ミレイの脳裏にあの日の夜が思い起こされる。
──月明かりのなか、美しくも妖しい空気を纏った水龍さま。顔の優美さとは裏腹に、手は骨張っていて大きかった。私をみつめる蒼い眼はどこか熱っぽくて……
『水姫様』
「なっ、なに!?」
ドキリと心臓が跳ね、思わず声が上擦ってしまう。
外を見てて良かったと、心底思った。
……きっと、今自分は変な顔をしてる。
『寒くはありませんか? 肩がけをお持ちしましょうか?』
「ありがとう大丈夫だよ。今は……熱いくらいだから」
『? そうですか? それでは私は少し外しますが、すぐ戻りますので』
「わかった」
ソニアと肩越しに会話をする。
パタン……
無音の室内。
限られた一人の時間。
「あーー、今度お土産買う時はちゃんと選ぼう。
もっとちゃんと喜んでもらえるもの!
……あとは水龍さまの笑顔が見られるものがいいな」
独り言が室内に響き渡る。
火照った頰を冷ますには、もう少し風に当たる必要がありそうだ。
いつも読んで下さりありがとうございます!