第131話 ロスの帰還
『大神官様、お待ち下さい!』
『どうかお話だけでも』
『大神官様はお忙しいので、別の機会にお願いします』
『カステル様、この前もそう仰っていたではありませんか!』
白亜の神殿の廊下で老人を駆け寄るのは、上等な白のローブを着た男達。彼等は上級神官を示す白地に金の刺繍が施されたローブを身に纏っていた。胸の階級章を見ても、上級神官の中でも高位の者達である伺える。
バタン。
扉が閉ざされて、ホッと息をつくと補佐官のラダのが駆け寄り、ソファへと誘導する。
『大神官様、大丈夫ですか?』
『しかし日に日に人が増えますね。そろそろ躱すのも厳しいかと……』
そう話すのは見事な金髪に眼鏡を掛けた、少し神経質そうな男。この神殿の副神官を務める、カステル・マルティーノ。……レミスの父親だ。
『わかってはいるがのぉ……』
ソファに深く腰を掛け、やれやれと呟く。老体には連日の詰問は精神に堪える。
『先日戻った上級神官からすれば、よもや自分達よりも能力が上などと言われて、黙っていられないと言うのが本音でしょう』
『そういうの抑えるのは得意ではないか、カステル』
『限度があります』
『はあ~。……お前の息子も今日、最終部隊で戻ってくるのだったか?』
肩をトントン叩きながら、今日の予定表を見る
『はい。騎士団長の部隊で行動しておりましたので、帰着日は本日となっております。これで全ての神官達が戻ることになります』
『皆、大きな怪我がないようで良かった。
しかしあの子は好奇心旺盛だから、意気揚々と水姫のことも聞いてくるのだろうなぁ〜』
『アレについては放っておいてかまいません。
ともかく、対外的な意味も含めまして、陛下に謁見を願い出ましょう。よろしいですね』
『……うむ』
水姫か……。こちらに来たばかりの時に会った異国の少女の頼り投げな容姿を想い浮かべる。
できれば、そっとしておいてやりたいものだが……。なかなか上手くいかないようだ。
◇ ◇ ◇
『姫、今日ロスが戻ってくる予定なの』
「ほんとに!」
朝食後、食器を下げながらレミスがそっと耳元で教えてくれた。
『ああ。昼頃には帰着するだろう。執務室に手伝いと称して行ってみたらいいの』
「……平気かな?」
遠慮がちに聞くと、レミスは
『不眠不休で警戒にあたってたらしいし、嫌いな残務処理も文句も言わずに、適切にこなしたと聞くし、まあ当たり前と言えば当たり前だけど、ね。
少しくらいご褒美があってもいいか、と思ってね』
「ご褒美?」
『うん。姫に会えるのは何よりもご褒美なの』
「なにそれ〜。それよりもクウは優しいねえ〜」
『べ、別に違うの! 時には飴を与えたほうが、仕事の効率がいいからなの!』
そっぽを向きながら、言い訳っぽく話すクウが可愛い〜。ロスが強い事は知ってるけど、やっぱり心配だよね〜。
「クウも行くの?」
『陛下に呼ばれてるからね』
なんだかそこだけ強調してくる〜。
「ふふっ。……それにしても残務処理が嫌いなんてロスらしいね」
『細かい作業が嫌なんだろうね。軍の緻密な人員配置なら完璧にこなすのに、意味がわからないの。
……そうそう。一番嫌いなのは書式まみれの書類仕事らしいの』
「なるほど!」
二人でクスクス談笑する様子をソニアは遠目で眺めながら、微笑ましく思っていた。
午後になり水龍さまの執務室を訪ねると、中から少し懐かしい声が聞こえてきた。
「失礼します!」
『姫! 元気だったか? ……いや、体は大丈夫か?』
声だけ聞くと元気そうな騎士団長のロスがいた。
しかし帰着後、服だけ変えてすぐに来たのだろうか。服や靴は綺麗だけど、髪は少し乱れていて疲れた様子が色濃く見える。
「うん、大丈夫だよ」
夜会の一件を聞いたのだろう。心配そうに顔を覗きこむロスを安心させるように、ミレイはニッコリ笑った。するとロスもホッと息を吐き、優しく頬を撫でると『良かった』と抱きしめた。
バシッ。
『いてっ! なにするんだ』
『それはこっちのセリフです。会って早々、なにをしてるんですか。ヤン団長』
同行してきたレミスが小さく、しかし素早くロスの脇腹を小突く。それなり力で……。
『いいじゃないか。疲れた団長に癒やしを与えてくれたって! 自分は結構、頑張ったぞ!』
自己主張と共に、ロスは更にギュッと抱きしめてきて、ミレイは簡単に逃れられない檻に拘束されてしまった。
こっ、これはまるで筋肉でできたドーナツだね。
身動きがとれない〜。胸章もいたいし……。
『姫は見ているだけでも十分癒やされる存在ですよ。ヤン団長』
引きつった笑顔のレミスと不服そうなロス。二人を遮ったのは、ダニエルだった。
「とりあえず、水姫様が苦しそうなのでその手を離されてはいかがですか?
……あと陛下の御前ですので、立ち振舞にはご注意下さい」
ロスは水龍の方を見ると、そっと手を離し、レミスはコホンと咳払いをして静かに頭を垂れた。
「ふふっ。とりあえずロス、お疲れ様。大変だったみたいだね」
『ひめぇ〜』
顔をクシャリと緩ませて、再度抱きつこうとした時、ノック音が室内に響き、ロスの手が止まる。入室してきたのはバートンだった。
『……少し早かったようですね』
『構わん、入れ』
『バートン! わぁ〜。みんな揃ったね。なんだか久しぶりな気がするよ〜』
満面の笑みで喜ぶミレイを見て、三人の元妖精達は、顔を見合わせてはにかむように頬を緩ませた。
『そうだ! 姫、残務整理が終わったら休みを貰えることになったんだ。今度一緒に街に行かないか?』
前振りも何もない、突然の提案。
その一言に執務室がにわかにざわついたが、それに気づかない者が約二名。
「…………いいの?」
『いいと思うぞ? 姫は客扱いだしな!』
『ちょっと待って下さい』
即座にストップを掛けたのはダニエルだった。
自分の主をチラりと見て、とりあえず話の進行を妨げた。
『前と同じ流れだな。 ……まあいい、姫、街は楽しいぞ。市場もあるし屋台もある。自分は詳しいから良いところをいっぱい案内してやれるぞ!』
「市場に屋台?! なにそれ、楽しそう〜!」
街に行ってみたいって思ってたのよね!
ずっと大人しくしてたし、ちょっとくらいなら……。
目を輝かせたミレイを見て、その場にいた全員がデジャヴを感じていた。
『楽しいぞ〜! いろんな物を見て、いっぱい食べよう! どうだ?』
『……待て。姫の外出に異を唱えるつもりは無いが、ヤンと二人きりはダメだ』
『……なぜだ?』
バートンの言葉にロスは明らかに不機嫌になった。そんなのは意に介さず、更に言葉を重ねる。
『姫の身が別の意味で不安だからだ』
『……』
別の意味で不安ってなに?
治安が悪いの?
『たしかに……。よく知らないのを良いことに、宿屋に連れ込みそうなの』
レミスがボソリと呟くと、隣にいたミレイが反応をする。
「えっ宿屋? 街に行くだけで宿はいらないと思うよ。休憩ならベンチで十分だし……」
『…………そういう意味じゃないの』
キョトンとするミレイと真面目な顔で語るレミスに、全員が視線を逸して無言になる。
『信用ないな! そんなことするわけ……ないだろう』
『なんだその間は』
反論するも、言葉尻がどんどん小さくなるロスに、バートンはツッコミを入れずに居られなかった。
『待って下さい! そんな簡単に話を進めないで下さい。水姫様が外出されるなら、まずは陛下の許可が必要ですし、護衛だってそれなりの数が必要になりますから調整も必要なんです』
『…………護衛。そんなに必要ですか?』
レミスの言葉にダニエルの片眉が上がる
『何を言ってるんです? 水姫様に何かあってからでは遅いんですよ?』
『……騎士団最強の男が隣にいて、絡むヤツがいますかね〜。むしろごろつきの方が逃げると思いますよ』
さらりと告げられた一言にロスは『レミスが褒めてくれた』と感慨に浸っている。
『褒めてない。一般的な事実を述べただけです』
『そっかぁ〜事実かぁ』
ツンと言い放つレミスに、ロスはヘラっと笑みをこぼす。
『はあ~。レミスかバートンどちらか同行しろ。お前達しばらく休みを取っていなかっただろう?』
水龍の言葉に二人は驚きと共に視線を合わせると、ロスは『それなら二人共来たらいんじゃないか?』とあっけらかんと言ってのけた。
『あのな。急に休みなどとれるわけが……』
『そうか、内務総省だものな。お前が居なければ廻らないか』
『…………なに?』
バートンの糸目がピクリと動く。
『大丈夫わかっているさ。忙しさは文官イチだもんたな。……それを言うならレミスのところも同じかぁ〜』
『……はあ?』
見上げるレミスの表情も険しくなるが、ロスは変わらず飄々としている。
『何を言ってるんだ。うちの部下は優秀な者揃いだ。私が休みを取ったくらいで仕事が滞ることなどないし、そんなヤワな体制は構築していない!』
『まっったく、同じなの!』
二人の挑戦的な目にも動ぜずに、ロスは『じゃあ行けるな』と笑い、水龍に視線を送る。
なんかのせられてるような?
うーーん。これは計算なのかなぁ?
……あのロスが〜? でも三人で行けるなら嬉しいし、まあいっか!
『たしかにレミス殿も一緒なら不足の事態が起きても転移できますね』
『……別に姫の為なら術を使うことを惜しみはしないが……。先日のことといい、ダニエル殿は私の転移術を勝手の良い移動手段、と勘違いされてないでしょうか?』
『そんなまさか! 近年稀にみる特殊な術だと理解しておりますよ』
『……そう……ですか』
なんだろうこの空気は。
仲良くしようよ〜。
腹の探りあいはやっぱり苦手だなぁ。
五人が話を詰めてる様子なので、ミレイはユーリにこそりと話かける。
「ゴロツキには絡まれないだろうけど、あのメンツだと街中の女の人達が吸い寄せれちゃうんじゃないかなぁ〜」
『僕もそう思います。特にヤン団長は市民の方々からの人気も高いし、知名度も抜群なので、老若男女群がってくると思いますよ』
「そんなに?!」
『はい。レミス様は顔が割れてないと思いますけど、あの麗しい容姿ですから……』
「……だよねぇ。バートンだって普通にイケメンだし」
別の意味での安全面が不安だよ?
時として女の嫉妬は街のゴロツキより恐ろしいからなぁ〜……。
「うーーん。これは変装が必要だね!」
『楽しそうですね。水姫様』
「うん! 王宮もいいけどね。やっぱり外も見たいもの!」
そんな二人が談笑する様子に、執務室は束の間のほっこりした空気が流れた。
ミレイが執務室を退室したあと、ヒルダーが入れ替わりに入室し、先程の和やかな空気とは打って変わって、一通の手紙を前に全員が難しい顔をしていた。
『やはりきたか。でも遅いくらいでしたな』
『大神官が抑えていたのだろう』
ヒルダーの言葉に水龍は手紙を一瞥しながら、面白くないと言った顔をしている。
ユーリが全員に紅茶を給仕し終えたところで、ダニエルが切り出した。
『神殿側の要望は水姫様との面会および、涙の実証実験です。あとは儀式を執り行い、名実ともに龍王国に帰属すること』
『水姫の居住についてはいかがですか?』
『ここでは触れていないが、ミレイを神殿に移すことを希望してくるだろうな』
『名目は鍛錬ですか?』
『……おそらくな』
水龍はひと呼吸おいたあと、全員を見渡して断言した。
『治癒力の鍛錬は朝から晩まで行われる厳しいものだ。恩人であり、客人扱いの水姫にそこまで負わせるつもりはない』
『ほお……客人ですかぁ』
『なんだヒルダー。異論があるのか』
『いえいえ。当面はそれで良いと思います。
しかし事実として、なぜ儀式を受けてもいない人間が、あれだけの力があるのか不思議ではありましたから、検証することについては賛成です』
ヒルダーの言葉に各々頭を悩ませた。
『とにかくミレイがこちらの国に来る前のことも知りたいから、お前達三人共、同席するように。いいな』
『『はい 』』
重苦しい空気のなか、会議は終わった。
ミレイの身柄を神殿にだと?
そしたら今以上に自由などないし、王宮に来るのでさえ許可が必要になる。知り合いが少ないミレイにはキツイだろう。私だって……。
水龍は窓から庭園を眺めながら、対応策を練ることにした。全てはミレイを護るために……。
いつもありがとうございます
リニューアルにまだ慣れなくて悪戦苦闘中ですが、頑張ります。これからもよろしくお願いします!