第12話 どん底へダイブ
その日、私は朝早くから彫刻刀のような小さなナイフで野菜の切り口に模様をつけていた。星や花、ハートマークと、簡単な物ばかりだけど、リリスさんは器用だね〜と褒めてくれた。
昨日取ってきた花や葉の汁を絞り、カットした野菜の面につけて紙に押すと野菜ハンコの出来上がりだ。
リリスさんにこの国の文字を教わり、葉書サイズに切った紙に服のお礼をしたため、ハンコを押した。赤や緑、黄色と色とりどりのハンコは可愛くできたと思う。
本当なら簡単な手土産でも持参したいが、今の私に収入は無いので、全部リリスさんの負担になってしまう。
だから悩んだ末、手紙みたいなカードなら、と思ったのだ。リリスさんに相談したら目を細めて「いいんじゃないか」と言ってくれた。
実際、ハンコというものが無いらしく、珍しそうにハンコを押すリリスさんは少し可愛かった。
日本だと幼児向けのお遊びだけどね。
小さい頃、花模様に切った蓮根やそのままで星型に見えるオクラにテンションが上がり、いろいろな野菜をペタペタ押して遊んでいた。その後は野菜を喜んで食べたと言うのだから、母の作戦勝ちだろう。
村に行くのは村長さんの家に行って以来だよね。手紙、喜んでくれるといいなぁ。
たくさんのカードを風にあてて乾かしながら、のんびりそんな事を考えていた。
◇ ◇ ◇
午後になり村を訪ねた。
仕事で家を空けている人もいるので、在宅の家だけリリスさんとお礼を言って周り、不在の家には郵便受けにカードを入れて置くことにした。
──最初はニウさんも一緒に行く、と言ってくれたのだがリリスさんに「いらないよ。仕事しな」と一蹴されてしまった。まだ子供の扱いだとわかってはいても、ミレイはその優しさが嬉しかった。
各家を周り、自己紹介をして服のお礼を言うと、みんな「リリスさんに声をかけられたから」「ニウに頼まれたから」と口々に言っていた。表情は固く、目を合わせてくれない人もいてミレイは自分が「余所者」だと実感した。
リリスさんやニウさんが優しいから、村の人にも受け入れられてるって勝手に思ってた。村長さんも優しかったし……。そんなに甘くないんだ。
一軒ずつ訪ね、会話を重ねる度に自分の表情が強張っていくのを感じた。
だけど、そんな私にも救いがあった。
手製のカードを渡すと拙い字で書かれたカードを見て「頑張りなさい」と声をかけてくれる人がいた。
ハンコを見て「これは何?」と話しかけてくれる人もいて、一生懸命作り方を説明した。説明を聞いても曖昧な受け答えしか返ってこなかったが、興味を持って貰えるだけ嬉しかった。
子供がいる家では、子供達は私に距離を取りつつもカードに押したハンコには興味津々の様子だった。
人に受け入れてもらうってこんなに大変だったかな。
顔に笑顔を貼り付けながら、ぼんやりと考えていた。
リリスさんに向ける表情と私に向ける声音の違いに心が折れそうになった。
終わりに村長さんの家に寄り挨拶をしたら、ニウさんのお母さんにお茶に誘ってもらった。私は余程、強張った顔をしていたのだろう、初対面にも関わらず頬を両手で包みこんでグリグリされた。
「そういえばニウから聞いたのよ。チーズって言うのかしら。食べてみたいわ。作り方教えてもらえる? 」
「もちろんです」
ニウさんのお母さんは柔和で優しい人だった。
キュー キュー。
鳥達の鳴き声が聞こえてくる。
森に向かう道すがら、空を見上げると鳥達も森に帰るところだった。空はまだ明るいが、薄い煙のような雲がさざめいている。陽は傾きつつあって、あと一刻もすれば夕暮れ時になるだろう。
「頑張ったね」
帰り道、リリスさんが背中を優しく撫でてくれた。
リリスさんは解っていたんだ。私が村の人に受け入れられていないこと。だから村に行こうって言ってくれたんだ。
カードでお礼を伝えようと思ったのはミレイだが、最初に村に行こうと言い出したのはリリスだ。
「あの。ニウさんが一緒に来るって言ったのを断ったのは……私の為ですか?」
「……ニウは良くも悪くも影響力がある。若造でまだまだひよっ子だけどね。でもニウや私の後ろにいたら、お前はいつまでも一人だろ。私の家は森の中だから」
立ち止まって、じっと私を見つめる。
「そうですね」
甘やかさずに立たせようとしてくれる。一見、厳しく見えるが先を考えるとそれが一番本人の為になる。
「ありがとうございます。……頑張りますね」
最後は笑い泣きみたいになってしまった。
リリスさんは「あんたは良く泣くね〜」と言って肩を抱きよせ、頭を撫でてくれた。
──その夜、妖精達との会話もそこそこに私はベットに潜り込んだ。昼間の事が思い出される。
私はすぐに帰るから別に一人でも大丈夫、ってなんで言えなかったんだろう。リリスさんは私がこの村で生きていくのを前提として、村人達との交流をはかれるようにしてくれた。でも、私は……。
外の茂みでガサガサッと音がした。
二つの動物の鳴き声が聞こえると思ったら、一際高く、キィーキィーと聞こえてきた。日本で暮らしていた私には、生々しい音でまだ慣れない。聞きたくないと思っていても、無意識に耳を済ましてしまう。
鳴き声が消え、一つの足音が遠ざかっていく。
私は起き上がり、コップの水を飲み干した。
ふぅ、と一息つくと机の上にあった試作のカードを眺めながら、母の姿を思い浮かべた。
野菜ハンコの作り方を教えてくれたのも母だ。
大学から一人暮らしをして大人になり、社会に出て、一人で何でもできると思っていた。でも、いざと言うときに自分を助けてくれたのは、覚えていたのは「母との何気ない日常」だった。
「そう言えば、花の汁を取り出す方法もお母さんと参加したボランティアでやった内容だ」高校の時の話だ。
私がしてきたことってなんだったんだろ。
大学だって出たのに……。なんの意味もない。
ミレイは「お母さん……」と呟いた。
目頭に熱いものが湧いてきた。
妖精達の不在が嬉しい、と思う自分も嫌だった。
◇ ◇ ◇
『姫、落ち込んでたの〜』
『うむ』
家から離れた森の中。闇が辺りを包み込むなかで、ぼんやり明るい光が三つ、森の葉を照らしていた。
実はミレイが心配で、妖精達は姿を消して村までついて行ったのだ。そして一部始終を見ていた。
『我らの水姫様を泣かすとは、あの村の連中は水責めでもしておくか? 』
『賛成なの〜! 』
『だめじゃ』
『それじゃ畑の水分を全部抜くの〜』
『それもだめじゃ』
『だめだめばかりなの! 』
『我等の基準で推し量ってはだめなのじゃ。それでは昔と同じことじゃ』
『それは……』
クウとロスは黙ってしまった。
『あの様子だと今夜は一人になりたいじゃろう。我等は今夜は別の場所で寝よう』
『賛成じゃ』
『……姫の為に何かしたかったの』
クウの言葉にロスが答えた
『みんな想いは一緒じゃ。それでもあの方は水姫となりうる方。我が王の隣に立てる方じゃ。大丈夫じゃ』
『ずっと見てきたじゃろ?』
サンボウがじっと見つめるとクウは静かに頷いた。
ずっと見てきた。
話したくて、何か力になりたくて……。
やっと会えた。 でも、まだ力になれない。まだ……。
妖精達は己の非力さが悔しかった。
──昔の力があったなら……。