第128話 清算
「ふぁ〜……」
いつもと変わらない朝だけど、昨日よりは寝不足の朝。
別に水龍さまが隣にいたほうが寝れるってわけじゃないのよ! ただ、まぁ……。
ミレイがこっそり一人百面相をしていると、外がいつもより騒がしいことに気づく。
「なんだか騒がしいね。何かあったの?」
『えっ。……何がですか?』
「……ずっと一緒にいるから、少しはソニアのこと分かってきたよ。何か私に隠してるでしょ?」
『……』
「沈黙は肯定なんだよ、ソニア。ほら、話したら楽になるよ〜」
『なんですか、その悪役のような話し方は』
ふふっと笑ってみせると、ソニアは溜め息を一つついて、こう私に告げた。
『昨日、王宮で騒動があったようです。
上流貴族同士の諍いで、両宰相閣下が取りなしたとか。更に龍王陛下までその場にいらっしゃったそうで、両名とも北の棟に連行されたと聞いています』
「北の棟?」
『はい。北の棟は主に尋問部屋や牢があり、警務と騎士団の管轄になっております』
「そこに連行って……それは穏やかじゃないね」
眉を寄せるミレイにソニアは変わらず淡々と話を続ける。
『ええ。……その上流貴族とはゲイリー・マクマード卿とアングレール・パウロス卿です』
「えっっ!!」
ミレイは勢いよく立ち上がり、ソニアを凝視した。
ただの上流貴族の騒動なら世間話程度に流したけど、あの二人の諍いを見過ごせるわけがない。
今すぐ執務室に行って話を聞きたい。
でもそれはあまりにも直情的すぎるよね。
ミレイは腕組みをして考える。
「……ねえ、水龍さまは今夜来られるのかな?」
『……特に連絡は来ておりませんが、もし「おとない」を希望されるのでしたら、お手紙などをしたためてみては、いかがでしょうか?』
「いいね、そうしよう!」
『……では可愛らしい便箋と香水もいくつかお持ちしますね』
ニッコリと楽しそうに笑うソニアに、ミレイは不思議そうに尋ねる。
「なんで香水が必要なの?」
『殿方に送る手紙に香水の香りを移すのです。意味は──私を想い出して下さい。とか、いつも貴方のお側におります、といったものになります』
「だっ、大丈夫。必要ないよ……」
苦笑いで丁寧に断りをいれる。
意味聞いて良かった〜。変な誤解されちゃうよ。
その夜、深夜に近い時間に水龍さまが部屋を訪れた。
「水龍さま疲れてるところごめんなさい」
『いや大丈夫だ。……昨日は来られなかったが、寝られたか?』
ミレイをじっと見て顔色を伺う。
「寝られましたよ。それで聞きたいことがありまして……」
『ああ、あの話だろう?』
少し疲れの色を滲ませて、水龍さまは優しく微笑んでくれた。
「もちろん言える範囲で構わないんだけど……。どうですか?」
『もともと話すつもりではいた。まぁ、話すよりもこちらの方が早いだろう』
そう言って水龍さまが取り出したのは、手の平サイズの水晶のような物だった。
「なんですか、これ?」
『これはクラウザと言ってな、映像と音声を残せる代物だ。昨日の一件は全てここに納めてある』
「そうなんですか! ……すごい」
向こうの世界ならスマホがあるから、映像と音声を残すなんて大した事じゃないけど、こちらの人間の世界も龍王国も文明が違うのだ。
機械に頼らないで、実現させてしまう龍族は本当にすごいと、改めて認識したミレイだった。
クウからの差し入れの果実水と軽食を軽くつまみながら、水龍さまが「クラウザ」と呼ばれた物に手を翳すと、水のスクリーンが現れて投影しだした。
そこに映されたのは、おそらく昨日の出来事……。
・・・・
無人の廊下を一人の老人が歩いてくる。何かを見つけたのか、歩みを止めた。
『マクマード卿、なぜ貴殿がここに?』
男の名はアングレール・パウロス。
先程、警務からの参考人聴取を終えたパウロスは、北の棟から王宮に続く回廊で、接触しようと考えていた男と偶然、遭遇した。
『なぜだと!? 白々しい!』
会って早々に口汚く罵る、品位の欠片もない男。おまけに自分の手は汚さないずるがしこい性格だ。
この者に利用されて破滅した下級貴族がどれほど多いことか。機会があればすぐにでも駆除してやるのに。
でも今はそんなことはどうでもいい。
この男のせいで、由緒あるパウロス家の当主たる私が、警務などに聴取される事態に陥ったのだ。
『それはこちらの台詞ですよ。いくらなんでも、この私を冤罪にかけるなど! 貴男が今まで捨ててきた下級の者達と私を一緒にしないで頂きたい』
『冤罪? 何を言っているのか……。
精力的に働き過ぎて脳みそが疲弊してるのでしょう。前宰相のように早々に田舎に引っ越し、静養することをお勧めしますよ』
年上を敬うことも知らない、無教養でマナーを知らない男。
『……前宰相閣下ですか。
そう言えばその額の傷は、野盗に襲われた時にできた傷でしたね。危ういところを、視察に出ていた閣下が駆けつけて、あっと言う間に一掃されたとか……。
閣下の武勇伝と共に、貴殿が姫のように抱き上げられて介法されていたと、しばらく宮中の話題は貴男でもちきりでしたね〜。
どんな心境でしたか? あれほど周囲を憚ることなく、嫌っていた相手に命を救ってもらうというのは?』
『…………貴様』
マクマードの顔が燃え上がるように真っ赤になり、唸るように言葉を発した。
あの日の事はこの男最大の汚点であり「地雷」であると皆が知っている。
──そんな二人の様子を柱の影から見守るのは両宰相とラウザ、水龍の四人。
四人は更に煮詰まった『不穏な空気』を待っていた。
全ては膿を出すためだ。
『……まぁいいでしょう。ところで私が食堂の異物混入の黒幕だと警務に情報を流したそうですが、一体どういうつもりですか? 濡れ衣もいいところだ!』
『何を言ってるんだ。そんな話は私は知らん!
それよりも……』
マクマードは距離を詰めるとパウロスの上着を掴み、小声で詰問する。
『……アレをどこにやった。すぐに渡せ!』
『アレ? なんのことやら……』
『しらばっくれるな! 夜会の日に私の屋敷に侵入させて、名簿と計画書を持ち出しただろう!』
ギリッと襟元を縛り上げるが、パウロスもその手をバシッと払う。
『名簿と計画書? 知りませんよ』
『お前の雇った男は仕事も満足に出来ない三下だったぞ。痕跡がしっかり残っているんだよ!
窓枠に指示書の紙片が挟まっていたんだ。大方、慌てて逃げる時にポケットに穴を開けたんだろう。おまけに情報を流したうちの侍女は、お前の家の使用人に誑かされたと言っている。
ははっ。……中途半端な仕事ぶりは雇い主に似たんだろうなぁ〜』
至近距離での嘲りに、パウロスはカッとなり、力いっぱい突き飛ばすとマクマードは尻もちをついて倒れ込んだ。
『なんだと!? この穀潰しのエセ貴族が!』
だんだんと大きくなる声に、通行人は足を止めて遠目で様子を伺う。
『マクマード、貴様がどんな悪どいことをしてるのか私は知っているぞ! 不正不当な商品を取扱って暴利を貪っているだろう。
……私はな、目障りなお前を潰すためにいろいろと調べていたんだ。どうだ? 隠せていると思っただろう?』
『…………なんのことやら。証拠はあるのか?』
パウロスが反論をしようとしたところに、背後から声を掛けられた。
『……なんの騒ぎですか?』
廊下に響く明朗な声。
良く知った声であり、マクマードは瞬時に忌々しい表情を浮かべた。パウロスが振り向くと、そこにはバートン、カリアス両宰相がいた。
『……宰相閣下』
パウロスは事態が飲み込めず、その場に立ち尽くした。
なぜこんなところに両宰相が……。
『大きな声が廊下に響いていますが、どうされましたか?』
柔和な声音で相手の警戒心をかい潜り、あっと言う間に懐に入る。交渉術の常套手段だ 。
『なんでもないし、関係のないことだ』
『不機嫌』を体現したかのようなマクマードに、バートンは語気を荒げることもなく、もう一度静かに問う。
『なんの騒ぎかと聞いています。
上流貴族たる貴方方が罵り合うくらいですから、余程の問題でしょう。内務宰相としては見過ごす訳にはいきません』
『……』
二人は視線を反らして何も言わない。
いや、言えないのだ。
『名簿と計画書と言っていたが、窃盗騒ぎとは穏やかじゃないな』
カリアスの言葉で大分前から会話を聞かれていたことを知り、パウロスは心の中で舌打ちをした。
『……なにもありません』
『窃盗騒ぎなら騎士団と警務が動きますよ。
ねえ、ラウザ警務長官』
バートンが振り返り、そちらの方に視線を送ると警務長官であるラウザがこちらに向かって歩いてくる。その後方から悠然と近づいてくるのは、銀髪に黒衣を身に纏った龍王陛下だった。
『『 なっっ!! 』』
二人は想像もしていなかった事態に呆然とするも、すぐに礼の姿勢をとる。そんな二人を水龍は無言で見下ろした。
『りゅ、龍王陛下におかれましては……』
『不要だ』
鋭利な刃物で切り裂くような、取り付く島もない一言だった。
『お二方。窃盗罪は外聞が余りにも悪い。それにこんなところでいい争うくらい大事な書類なんでしょう。
大丈夫。警務はみんなの味方ですよ』
ニカッと笑うラウザの笑みは、この場にそぐわないほど爽やかだった。それを見て冷笑を浮かべるカリアスに、マクマードはようやく嵌められたことに気が付いた。
『ほっ、本当にたいしたことはありません! 私の勘違いでした!』
とりあえず今は誤魔化さなくては……。
マクマードが上ずった声で、収束を試みるも……
『ふーーん。でも聞き捨てならない話題もあったな。「不正不当な商品の取扱い」だったか? ちょうど今、警務で調査している案件だ。むしろ両人とも詳しく話を聞かせてくれ』
『そっ、それは……』
『それ以外にもお聞きしたいことがあります。
マクマード卿の領地は、よそと比べて異常に害獣被害が多いですよね? 支援金を配給していても改善の傾向も見られませんし』
『そんなのは今、関係ないだろう!』
──親の七光りだの、小倅だの、軽んじる発言ばかりしていて忘れていた。
あらゆる情報で翻弄し、相手の思考能力を奪ってから理詰めで追い打ちをかける。
……こうなってはヤツの独壇場になってしまう。
クソ! こんなヤツに!
『……そういえば最近、動物が嗅ぐと異様に興奮する不当薬物が出回ってるらしいですね』
マクマードの肩がピクリと反応を示す。
バートンの追従の手は未だ止まらない。
『それも調査中だが、目星はつけているさ』
警務長官であるラウザの言葉に、周囲がどよめく。相次ぐ不穏な内容に、周りの傍聴人はヒソヒソと小声で言葉を交わす。
『どちらにしても丁度よいので、両家の家宅捜索をしましょう。いかがでしょうかラウザ長官』
バートンの一言に二人は『家宅捜索!』と、声を揃えて反応した。
『ああ、丁度いいな』
『そんなものは必要ない!』
マクマードは王の御前ということも忘れて、語気を荒げて立ち上がると、バートンに指を突きつける。
『でも偽証罪に窃盗罪、どちらも貴族としては不名誉な罪ですから、冤罪であるならば払拭した方が良いでしょう。
──それにパウロス卿には、これから確認しようと思っていた件があります。水姫様に脅迫状を送った件と、靴にガラスを混入させた傷害未遂です』
すると今度はパウロスの顔がみるみる強張っていく。
『マクマード卿はミツタキス夫妻への教唆罪がほぼ確定してます。
冤罪もはらして差し上げますから、両当主ともに家宅捜索……よろしいですね?』
有無を言わせぬ迫力でバートンは二人を屈伏させるど、その場で家宅捜索の書類にサインをさせた。
──当主のサインがある物と無い物では書面の効力が違う。
サインが有れば屋敷のいかなる場所も人も拒否する権利を生じない。反対にサインがなければ、変な話、奥方のクローゼットなど『淑女に対し無礼である』と、騎士の精神を盾にして免れようとする事例も過去にある。
ひとえに上流貴族を守る為の、古き王権制度の悪しき法である。
『よし! 手はず通り騎士団と連携をとりすぐ向かうぞ!』
『はい!』
ラウザと補佐官が意気揚々と書類を片手に走り去る。
『……青二才が。なにが偽証罪だ、何が冤罪だ。はなから俺を捕まえるつもりだっただろうが』
ギロリと睨みつけるマクマードの目は、私怨でギラギラしていた。
『……もちろん捕まえるつもりでしたよ。
先程も言ったようにあなたには教唆罪の容疑がありますから。もちろんそれ以外にも……』
バートンの目がマクマードを捉える。
その目は青二才などと呼べるものではなく、底冷えするような狡猾とした「宰相」のものだった。
『お前達親子はどうして俺の道をふさぐんだ!』
『そんなこと知りません。特段興味もありませんが……』
『!!』
その言葉は、マクマードの忌まわしい記憶を引き起こした。
『──てやる、お前達など潰してやる!』
バートンに勢いよく飛びかかろうとしたマクマードは、その場に突っ伏すことになった。腕と足に水の縄が絡みついていたのだ。
『ぐはっ!』
『……見苦しいな』
不意に零された一言に、傍聴人も含めて全員が居住まいを正した。
『連れていけ』
水龍の言葉で、二人は北の棟の地下に連行されていく。
この話は瞬く間に王宮に広がった。