第127話 沈黙の茶会
『水姫様、こんにちは』
『水姫様、良いお天気ですね』
「えぇ、いいお天気ね」
午後になり、庭園に向かう途中で口々に使用人から声をかけられる。
夜会以降、私を取り巻く環境は少し変化した。
今までは廊下や庭ですれ違っても軽く会釈する程度だったのに、挨拶をしてくれるようになったのだ。これは凄い進歩だと思う。ソニア曰く、夜会当日の私の対応に感謝した人達が密かに周囲に話し、それが噂となって広まったらしい。実際、年老いた庭師から孫がその場にいたらしく、涙ながらに感謝されてしまった。
私よりも医官や神官様の功績だと思うけど……。でも挨拶して貰えるのは純粋に嬉しいな。
一応、緘口令も敷かれたらしいけど、あそこまで大々的に人の移動があれば、なかなか難しいよね〜。
もうすぐ暗い石畳の廊下を抜ける。
ほっと息をついたところで背後から声をかけられた。振り向くとミルクティー色の髪をした、糸目のイケオジがそこにいた。
『夜会以来ですね。水姫様』
たしかサンボウのお父さん……だったはず。
名前は……。
「ご挨拶いたしますシリック様。先日は大変お世話なりました」
互いに作法的な挨拶を交わして、ミレイが一歩近づき小声で話しかける
「先日は助けて頂いたにも関わらず、手紙でお礼を済ませてしまったこと、お詫び申し上げます」
軽くドレスの裾を摘まんで礼を取る。
『気にしないでください。むしろ丁寧な御礼状ありがとうございました。
一階まで歩いてこられたということは、お体の方も快方に向かっておられるのですね』
「えぇ、もう大丈夫です」
『良かった。心配していたんです。
……失礼ですが、水姫様はこれからどちらに向かうご予定ですか?』
「……庭園の方に」
『そうでしたか。ではお約束が無いようでしたら、私とお喋りでもいかがでしょうか?』
淀みない会話と逃げ場を残したスマートな誘い文句は、女性の扱いに長けているようにも思える。見事なものだと、ミレイは素直に感嘆した。
それから場所を移し、今は王宮中階にある高官専用の庭園に来ている。広々としたバルコニーは、細い水路と小さな橋が印象的な緑豊かな庭園だつた。
一階が華やかさをウリにしたものなら、こちらは緑と水の音がメインにした癒やしのエリアといったところかな〜。
水路と樹木を利用して、まるで区画のように小庭園がいくつも分かれていて、見通しの良いエリアもあれば、視界を遮るよう樹木が配置されてる区画もあり、官僚ならではの利用法もあるのだろう。
シリックにエスコートされたのは、庭園の僅か上に位置するに東屋だった。
一階庭園の華奢な猫足のガーデンベンチではなく、どっしりとした造りの蔦模様のテーブルセット。
「こちらも素敵な庭園ですね!
緑が多いから花の彩りも映えるし、何より水の音に癒やされます」
『気に入って頂けたようで安心しました』
ほっとしつつ腰掛けると、蔦でできた緑のカーテンから小花の甘い香りが漂う。その瑞々しい香気に一息ついた時、庭園専属の使用人がティーセットを運んできた。
さすが高官専用だね。至れり尽くせりだ。
『では、改めまして。私はロマン・シリック・ペトラキス。バートンの父親です』
「私はミレイ・ミズハラと申します。よろしくお願いします」
『バートンからの手紙にありましたが、随分貴女には世話になったと聞いています』
「世話なんて特にしておりせん。
バートン……様と私はお友達ですから、困っていたら助け合うのは当然です」
『……当然ですか。私は命をかけて結界を突破して、陛下を目覚めさせてくれたと聞きましたが』
糸目だからよくわからないはずなのに、見据えられてる気がする。
「そう……ですね。でもそれで恩を売ったとは思っていません。先程も言ったように友達なので。
三人が死ぬような事態を回避したかったし、お世話になった大好きな人や精霊達が遠くない未来、死ぬかもしれないって聞いたら知らんぷりもできなくて……。
水龍さまが起きてくれたら、希望があるって聞いて、足掻いただけです」
『……貴方は心の綺麗な女性なのですね』
シリックの眩しいものでも見るような視線に、スンと表情が消えていく。
「いいえ、まったく!」
なんならちょっと食い気味に否定をする。
今朝の私は煩悩まみれだっただけに、『心が綺麗』は、受け入れ難い賛辞だ。
いや、あれは水龍さまが悪いんだけどね。
国宝級のイケメンの半裸なんて、どんなに見たくても見れるワケがない!
『……フフッ。貴女は実に興味深い』
ボソッと告げられた一言にそちらを見ると、妖艶とも冷酷ともとれるような控えめな笑みを浮かべたシリックがいた。
なんか怖いんだけど、この人……。
すぐに帰りたい衝動に駆られたが、そんな失礼はできない。適当に話を合わせていたら、私達がこの国に来た時の話に移っていた。
父親としてみれば我が子の事だから、知りたいのも当然だよね。でも、考えてみたらこの国に来た時の話はまだ誰にもしてないかも……。
『──それで陛下は本来の御姿だったのですよね? 怖くはなかったのですか』
不意に意識が戻される。
「いいえ、むしろかっこ良かったです! 叶うならもう一度、あの御姿を拝見したいものです」
『……かっこいい。同族でさえ恐れおののくのに?』
「あーー。私は陛下の龍族としての尊さみたいなものを存じ上げないので、ただ見た目の格好良さだけで、お話できるのだと思います」
苦笑いしか出てこない。
なんだこの小学生男子みたいな理由は!
『……なるほど。でも眠りから目覚めさせるのは大変だったでしょう?』
「それはもう! 水龍さまといったら──」
何故かとうとうと、あの時の事を話してる自分がいる。あの大変さを誰かに知って欲しかったのだろうか……?
気づいたら全部話していた。
いや、シロの事とか水龍さまを殴りまくった話は怖いから割愛したけど、大まかなところは全部話してしまった……。
まぁ、サンボウのパパだし問題無いでしょう。
そろそろお開きといった空気で席を立ったところに、シリックの従者とソニアはテーブル脇に移動した。
「あっ。ひとつ良いですか。
あの時、一瞬で彼等を倒したのは、やっぱりアンドレウ様……ですよね?」
疑問符付きで確認するような仕草にフフッと笑う仕草は少しサンボウと似てた。
『そうですよ。……ご存知なかったのなら驚いたでしょう。エリザベート様のご実家は有名な武の家門なのです』
「武の家門!? そんなのもあるんですね!
そういえば智の一族って……」
チラリとシリックを見上げると、『あぁ。うちのことですね』と詫びれもない返答が返ってきた。
『ところでその話はどこで?』
「あっ。腕輪の記憶のなかでマクマード卿が話をしていました。『何が智の一族だ』って……。
……そういえば、どうしてあそこまで目の敵にしていたんだろう」
『……』
後半は呟くような独り言で、シリックに対するものではなかった。しかし、ミレイが顔を上げると何故か重い沈黙が流れていて、ソニアと従者に至っては、己の存在を消すかのように、身を縮こまらせていた。
「?」
『どうして……か。たしかにね』
こちらも独り言なのだろうが、ミレイの背筋が一瞬寒くなった。
そうか! マクマードとサンボウパパは同年代。
むしろバートンと言うより父親の方に不満があったんじゃないの!?
重大な事に気がついたミレイは「ははっ」と乾いた笑いで誤魔化そうとしたが、自然に流れるにしては、周りの空気が重すぎた。
だ……だれかきてーー!
ミレイの心の叫びは雲を掴むような、宛のないもので、そんなミレイを見てシリックはクスリと笑った。
『心の声がだだ漏れですね』
「……よく言われます」
『ハハッ。なるほど!』
あっ……笑ってくれた。
『マクマードが我が家門を嫌ってる理由は明らかですよ。同輩である私が優秀すぎるからです』
「…………えっ?」
ホッとしたのも束の間、これは新手のボケなのか、本当の話なのか掴みきれず、ミレイは硬直した。
「……そう、なんですねぇ〜」
辛うじて発した声がコレだ。
『マクマードと私は同じ学園卒業ですが、私は常に首位であり、彼は努力しても十位以内がやっとだったようです。
妖力の扱いも人望も、家の家格や財力に至るまで、私の方が常に上だったので、気に入らなかったのでしょう。私は特段、興味もありませんでしたが』
「…………人望も上だったのですか?」
ふと湧き上がった疑問を、そのまま口にしてしまった。
『…………それはどういう意味でしょうか?』
糸目がニンマリと私を見てくるので、慌てて「深い意味はありません!」と、否定しておく。
『まぁ。いいでしょう。決定的なことと言えば、彼が好ましくおもい、ずっと好意を伝えていた女性の想い人が私だった事でしょうね』
「なっっ!」
予想外だった。
まさか嫉妬からの恋愛話になるなど思ってもいなかった。だって、失脚を企むほどの因縁だよ!?
『稚拙だと思っているでしょう』
「はい」
取り付くろうこともしないで、答えたミレイに従者とソニアが目配せで何か話をしている。
『ハハッ。素直ですね〜。貴女とのお話は本当に楽しい』
「…………そう……ですか? 私は帰りたくなってきました」
『おや、そうですか?
そうそう。彼の想い人の話ですが……』
「えっ……続くんですか?」
帰りたいあまり、本音が止めどなく出てしまう。
コホン コホン。
いきなり従者が咳込み出した。
「大丈夫ですか? こちら手をつけていないのでどうぞ」
そっと差し出したグラスを従者は受取ると、たっぷり間を明けて『ありがとうございます』と、お礼を伝えた。
『私の従者に御心を砕いて下さり、ありがとうございます。
──ふふっ。マクマードですが、想い人が私と言うだけで、あそこまで恨むこともなかったと思います。
問題なのは私が彼女に全く興味がなく、袖にしたのが気に食わなかったようです。それなのに彼女もめげずに何度もアタックするものだから、彼は面白くなかったのでしょう』
「……そんなのは、当人同士の話ですよね」
半ば呆れてしまう。
『その通りです。それで怒りをぶつけられたこともあったので、「君が私くらいになれば良いのでは?」……と返したら、それはそれは怒りを買いまして』
「それは普通に怒りますね」
『……』
「……」
『まぁ、いろいろありましたが、私達が結婚すると彼は人が変わったようになり、ギリギリの悪どい事業もするようになったんです。その後はまあ……貴女も知っていることでしょう』
「そう……ですか。
……もしかしたらですが、マクマード卿はあなたに憧れていたのかもしれませんね」
『……私に? それはないでしょう。私は計算で生きてるような者ですから』
「私にはよくわからない世界ですが、かっこいいと思う気持ちに理由はないと思いますよ」
『……ありがとうございます』
「……いえ」
再びの沈黙に、この話題から離れたいとミレイは思った。あとからおもえば、早々に帰れるように話を触れば良かったのだが、淑女教育の賜物で『先に辞するのは位が上の人から』と言うマナーを、しっかり守っていたのだ。
「あ、あの。アンドレウ様は昔からお強かったのですか?」
私が不自然に話題を変えたことに気づきつつも、のってくれる辺り、やはり紳士だ。
『ええ。並の騎士では相手になりません。
強さと美しさを合わせ持ち、それでいて淑女としての教養もたおやかさも兼ね揃えているような御方です』
「納得できます」
あの判断力と指導の厳しさ、妥協のなさは武の一族ならでは、なのだろう。
『そういえば貴女は兄のことをおじいちゃんと呼んでいるとか……』
指で顎を撫でながら、含み笑いをするシリックにミレイは怪訝な顔を見せる。
「兄?」
『ヒルダーのことですよ』
「なっっ!?」
開いた口が塞がらないとはまさにこんな状況だろう。人間驚くと古来よりの素直な行動をとるらしい。
「匕、ヒルダー……様の弟さん……。」
『そうですよ』
「……それは、なんかすみません」
『いえいえ、ヒルダーに物怖じなく話せる相手は貴重ですから、お気になさらずに』
「……」
『では、ヒルダーと先程の恋愛を絡めてもうひとつ。
ヒルダーが文官最強と言われるゆえんはご存知ですか?』
「……いえ。わかりません」
『正解はエリザベート様に求婚した際、「自分より弱い人に興味をもてません」と言われて、鍛錬したからです』
「そうなんですか!?」
さっきまでの帰りたい気持ちはどこにいったのか、身を乗り出して聞いてしまう。
『えぇ。宰相職が決まっていたヒルダーには、武力はさほど必要ありませんでしたから、父は良い顔をしませんでした。
でもメキメキと力を付けて、全盛期では、騎士団副長を兼任できるのでは?と、騒がれるくらいには強かったですよ』
「えっ。そんなに!?」
『はい。実際、エリザベート夫人との手合わせで無事勝利をして、夫人を勝ち取ったそうですから我が兄ながら、なかなか一途な男なのです。
──まぁ兄だけではなく、我が家門の男は一途な男が多いんですよ。女性のことも尊重しますし』
「そうなんですか。それはとても良いことですね!」
『…………』
またもや沈黙だ。
きっと私とサンボウパパは合わないのだろう。
あれ? 従者さん、なんか胃を抑えてる?
やっぱり体調悪いのかな。ここは早々に切り上げよう。
検討違いな気遣いをするミレイだった。
『まずは男と認識させるところからか……』
ボソリと呟いた一言は、ミレイの耳に届いていなかった。
そのままシリックに部屋まで送ってもらい、帰り際には『またお茶に誘わせて下さい』と、にこやかに笑って別れた。
バタン。
「なんかあの人怖いね……」
部屋に戻ってからソニアにそう零すと、ソニアは手を止めてコクリと頷いた。
そうだ。ソニアはもともとサンボウの家で働いていたんだから、サンボウパパの事も知ってて当然なんだ。だから別れ際に何か話していたのね。
『……こう申しては何ですが、あの方を見ていると宰相とは……国の舵取りをする方とはこういう方なんだと、思い知らされます』
「それは何となくわかる」
柔らかい表情と控えめな笑みに心配そうな顔。
いろんな顔を見せてくれたけと、今から思うと『作られた顔』だと思ってしまう。
でも、会話の中ではその違和感に気が付けなかった。聞き上手であり、誘導がうまいのだろう。
私も最初は何か情報を得られたら、と思っていたけど、終わってみたら何ひとつ有益な情報は得られなかった。
得た情報と言えば、サンボウは昔から泣き虫だとか、剣の腕はからっきしとか。実はキノコが大嫌いとか……はっきり言ってどうでもいい話しばっかりだ。
でも盛り上がったんだよね〜。
「前宰相さまかぁ〜」
変な事は伝えてないし、まあいっか。
いつもは遠方にいるらしいし、そうそう合わないでしょ!
◇ ◇ ◇
ミレイがシリックとお茶会をしていた頃、王宮の廊下で一悶着があった。
上流貴族同士の、激しいののしり合いだ。
その事態に両宰相のみならず、王まで出てきたというのだから、王宮はその話でもちきりだった。
その上流貴族とはゲイリー・マクマード卿とアングレール•パウロス卿だった。