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第125話 夜会 ─ 終幕



 水龍がミレイを抱いたままホールに戻ると、中央や出口付近に避難していた賓客らがざわめいた。


『あの女性は……水姫様?』

『陛下が女性を抱えてるぞ』


『いったいどういう状況なんだ? ヒルダー卿とバートン卿はわかるがシリック卿まで……。三代に渡る宰相が並び立つなんて前代未聞だぞ』

『そう言えば悲鳴も上がっていましたわね』


 口々に囁かれるなか、騎士に連行された四人を見て、概ね全員が現状を理解した。


『なんと愚かなまねを……』

『するとやはりあの雷鳴は……』


 水龍が踊り場に立つと、小さな囁き声も鳴りを潜める。

 この場に招待される臣下ならば、この後の流れは熟知しているのだ。


『龍王陛下にご来臨を賜る。……一同、礼!』


 高らかにヒルダーの声が響き渡り、流れるようにこの国の王に礼をとる。  


 水龍の腕のなかで、その様子を見ていたミレイは息を飲む思いだった。


 壮観だけど……。

 こんな状態でみんなの前に出るなんて思わなかった。本当にヤダ!水龍さまってば意外と無神経なの!?


 ボロボロの髪はアンドレウが軽く纏めたが、頬は腫れて、服はお酒でベトベトなうえに赤いシミ付き。足に至っては裸足なのだから、文句のひとつも言いたくなるだろう。だから借りてきた猫のように、水龍の胸に顔を埋めて、じっとしてるしかなかった。


 ……なんかいい匂いするし。

 香水とかじゃなくて、これは水龍さまの匂いなんだろうなぁ〜。体もがっしりしてるし、この状況は照れるけどなんか……いいかも。



『──以上だが、何か申し開きはあるか』


 ミレイが水龍の筋肉に集中してる間に、バートンが四人を詰問していた。事の次第を公の場で(つま)びらかにするつもりらしい。


 たしかに夜会中のことだもんね。

 私も初対面の人にここまでされて、有耶無耶にされるのは嫌だな〜。


 不意に視線を落とすと、胸元のシミや見事だった銀糸の刺繍にもほつれが見える。


 ……せっかくオシャレしたのに、ボロボロになっちゃった。こんな姿、見られたくなかったなぁ。


 不意に湧き上がった感情が誰に向けてのものなのか、ミレイが深く考える前に、声がかかる。


『気分が悪いのか?』

「大丈夫です。でも、ここは目立つので降ろしてもらえると嬉しいです」

『……わかった』


 柔らかく微笑まれ、すぐに椅子と靴が用意された。


 階下から見る水龍さまは、いつもの『水龍さま』ではなかった


 畏まらずにはいられない存在感に、威厳と品格を併せ持つこの方は、まさしく一国を統べる『王』だった。


 なんか……遠いな……。



 ミレイが一抹の寂しさを感じてる間にも、四人の断罪は進む。


 香水女は『知りません。私は部屋から出てきた水姫様を保護しただけです。そもそも水姫様が何故、そこの男達と密室にいたのでしょうか』

などと、言い逃れをしようとする。


 ……予定通りの口上だね。

 でも私のこの惨状で『優雅に男と酒飲んでた』は、無理があると思うけどなぁ。


 バートンに問われて「そこの騎士服の方にバートン様がお呼びだと言われてついていきました」と返答すると、男は『俺は金で雇われただけだ!』と、反論をする。


『平民の言い分と長きに渡って陛下に仕えてきた我が家門、どちらを信じるかなどわかりきったことですわ』と、香水女が不遜に言うものだから、ミレイの怒りメーターがグ~ンと上がった。


「バートン様。発言よろしいでしょうか」

『もちろんです』

「ありがとうございます。 その女性の持ち物のなかに私がつけていたブローチがあるはずです。

 ……あと、この頬のアザはその女性に扇で打たれました」


 平然と言い放ったミレイの言葉に周りがザワついた。女は『嘘よ!』と喚き散らすが、周囲の視線は冷たい。

 


 カタカタ……

 しっかりとした造りの窓枠が微かに揺れる。外はまるで嵐のように、再び風がごうごうと吹きはじめた。


 側に控えていたアンドレウが女の持ち物を確認すると、見事なサファイアが出てきた。


『これは?』

『そっ、それはわたくしの物でございます!』


 アンドレウの質問に女は慌ててブローチを取返そうとするが、その場で騎士に取り押さえられた。

 私の前を素通りして、水龍さまにブローチが渡される。


『……ほお。これがお前の持ち物だと?』


 暗い湖の底を思わせるような冷え冷えとした声音と微かな嘲笑。しかしその視線は蒼い炎を思わせるほどに、怒りに満ちていた。


『あっ、あの……』


 焼き付くされそうな視線に、女の唇がカタカタと震える。


『……これは私が水姫の為に選んだ宝石だが?』


 決定的な一言は、存外あっさりと告げられた。


『あっ……』


 顔面を蒼白にして、その場に崩れるように座り込んだ女は全ての終わりを悟った。



『…………あの者だけでなく、このなかにも水姫に不当な真似を行う者がいたようだな』


 落ち着いた声で告げられた内容に、覚えのある者は自身の目の前に王がいるような錯覚を覚えた。見下ろされる恐怖に絶望の二文字がよぎる。


 それに拍車をかけるように、吹き始めた暴風は一秒ごとに募るばかり。再び雷鳴が轟き、稲光が閃光となってホール内を照らした。



『水姫は国賓であると伝えたはずだ。

 王である私が礼を取るのに、なぜ臣たるお前達が無礼を働くのだ?

 ──それは我が執政に叛意ありと受け取るが……良いか?』



 ゴロゴロ…… ドンッッ!


 再びの落雷。

 しかし悲鳴は聞こえてこなかった。人々は奥歯を噛み締めて口を手で覆う。

 悲鳴を上げてよい場面では無いことを、全員が理解していたのだ。


 その時、ピリッと張り詰めていた空気に意思が加わったように思えた。

 突如、ホールいた者達の体勢がグラりと崩れていく。


『……なんだ?』

『きゃあ!』


 必死にその場に耐える者、床に座り込む者……様々だった。

 その光景はまるで圧縮された何かに上から押さえつけられているような光景だった。彼らにとって、上から重くのしかかってくるこの圧迫感は最早、空気とは思えなかっただろう。



 ──こんな真似ができるのは……


 人々は縋るような痛いほどの視線を王に送るが、凍ったような表情からは何の感情も伺うことができない。

 これが龍王の力。

 その力の凄まじさをまざまざと見せつけられた。



『姫、大丈夫か?』

「サンボウ なに……これ」


 気づくと寄り添うように隣にサンボウがいた。

 あちらこちらでうめき声が聞こえてくる。


『おそらく、陛下の御力じゃ。かつてない程にお怒りでいらっしゃる』

「そんな……この惨状は水龍さまの力なの?」


 無言のサンボウは悔しそうな顔をする。


「そんな水龍さまはいつだって優しくて。

 臣下の人達を大事にしてて、こんな……こんな真似させちゃ駄目だよ」


 立ち上がろうとするも、謎の圧がかかって思うように立ち上がれない。


『姫、危ないから座れ!』


 でも眼の前には互いを支え合う老夫婦に、床に座り込む女性達。なかには涙を流している子もいる。


 こんなの間違ってる!


「水龍さま!」


 サンボウの言葉を無視して、圧に耐えながらミレイは水龍のところまで行くと、凍えるような視線に一瞬怯みそうになる。


 とにかく一瞬でも気を反らせれば……。


 震えそうな足をつねりあげて気合を入れると体幹を保つ為に唇をギュッ噛み締めた。


 私にできることは限られてる。


 不要なものは全部ドレスの中に隠してしまおう。

 ミレイは水龍の前でフワリと笑うと、淑女の礼をして見せた。



 ──ミレイの脳裏に先生とのレッスンが思い起こされる。


『淑女の礼は、ただ頭を下げれば良いってわけじゃないのよ。一番大切なのは相手を敬う気持ち。その気持ちが抜けたらどんなに綺麗な礼でも意味がないのよ』


 そう、優しく教えてくれた先生。


 腰をまっすぐに下ろして背筋は伸ばしたまま、ゆっくり膝を折り、そっとドレスに手を添える。

 笑顔に敬意を滲ませて……。


 それは今までのなかで一番の出来だと褒めて貰えるような完璧な『淑女の礼』だった。



 水龍から感嘆の息が漏れ、怒りに満ちた圧がフッと緩んだ。


『……あっ。た、たすかった』

『息が……らくに……』


 あちらこちらで小さく呟かれる一言。

 賓客の眼は自然と踊り場上の水姫に注がれる。



『ミレイ……無理をするな。お前は怪我をしてるのだ。すぐに手当を……』


「お待ちください。先程の陛下の(げん)に一言よろしいでしょうか」


 ザワリと空気が揺れた。

 公の場での反論など、そんなのは側近でも躊躇う行為だ。


『許そう』


「ありがとうございます。

 陛下相手に誤魔化せるとは思わないので正直に話しますが、たしかに私にいろいろと助言を下さる方はいらっしゃいました」


 生唾を飲む音まで聞こえそうなくらいホールは静まり返った。助かったと思ったそばから、再び訪れた緊張感。


「ですが、それを上回るくらい私は皆さんに優しくしてもらっています。だから大丈夫です」


『……お前は憎らしく思わないのか? 自らの命を懸けてまで救った国の者にこのような仕打ちをされて……』


 朗らかに微笑んだミレイの頬に触れる水龍は苦しそうな顔をしていた。


『私は龍族の一人として恥ずかしく

思う。

 恩を仇で返すなど……なんと情けないことか』



 ──あぁ、そうか。

 さっきの怒りは同族に対しての失望とそれを治められなかった自分への怒りでもあったのね。


 本当に誠実なひと……。



「それは人間の社会でも同じです。

 みんながみんな同じではありませんし、思想の統一や言論の統制などできるものではありませんし、するべきではないと思います。

 何より、臣下を大切に思ってる貴方様はそれを望まないでしょう?」


 くすりと笑みがこぼれる。

 苦しそうな水龍の頬を今度はミレイが両手で覆うように優しく包み込む。


「礼をつくそうとしてくれる気持ちは、もう十分に伝わってますから大丈夫ですよ」


『そうか……。恨む気持ちがまったくないとは、お前は出来た女だな』


 フッと笑いかけ、ミレイの手に自身の手を重ねる。


 ヒリついた空気は霧散していて、いつの間にか雨は小雨になっていた。

 人々は安堵の溜め息をついた。



「……う〜ん。まったく?」

『ミレイ?』


 水龍の一言にミレイが反応した。


「あーー。すみません全くじゃないです。コレは痛かったし、正直怖い思いもしたので」


 ツンツンと頬を示すと、ミレイは踵を返し、カツンカツンと階段を降りて香水女の前に立った。


『……なっ、なによ』


 震える声でそれだけ言った女の顔をまじまじと見ると、次の瞬間、パーンと小気味よい音がホール中に響いた。


 突然の行為に水龍やヒルダーは目を見開き、カリアスやシリックは『はぁ?』と、()()()()()声を上げた。

 ただ一人。バートンだけは口元に笑みをたたえて、ひたすらそれを噛み殺していた。


「あ〜手がいたい。でもこれでチャラにするわ。

 陛下! 私はこれで満足ですから、あとは皆様にお任せします」


 清々しいほどの満面の笑みを浮かべるミレイを見て、水龍は破顔した。



『おい、陛下が笑っておられるぞ』

『なんてことだ……』

『わたくし、初めて拝見しましたわ』


 ポカンと眺める賓客と、公の場で初めて感情を露わにした王にシリックは時代の流れを感じた。


 威厳をもって治める時代から変わるのも有りでしょう。これで壁を少し取り払ってくれたら良いのですが……。


 幼少時代、即位後そして亡き王と比較される日々。

 力だけと言われ、王としての威厳を保つ為に……劣等感を覆い隠す為に、ひたすら周りと壁を作ってきた若き王。

 長らく見てきた王の成長と転換点に立ち会えたことを、シリックは感慨深く思っていた。


 それもこれもあの子のお陰なのだろう。

 ……あの子なら、女にどうしようもなく奥手な、愚息の嫁もアリかも知れませんね〜。



 そんなシリックの意味有りげな視線には気づかずに、ミレイと水龍の会話は続いていた。



「ですから夜会の中止は反対です!」


『しかしお前は怪我をしてるし、私自身臣下に申し訳ないことをしたからな。今夜はもう──』

「申し訳ないと思って下さるなら、このまま夜会を続けて下さい!

 そもそもこの会場にいらっしゃる皆様は陛下のお顔を見に来たと思いますよ。無事のお目覚めを確認したかったのだと推察します!

 ──皆さま〜! みんなで陛下のご無事を喜びあいたいのですが、如何でしょうか?」


 ミレイの問いかけに拍手と歓声が上がる。

 その声に反対できる者など誰もいなかった。




 ミレイが着替える為に一旦退室し、戻った頃には生演奏が優雅に曲を奏で、ホール中央では賓客達と水龍さまが語らっている姿が見えた。


 きっとコレがあるべき姿よね。

 一時はどうなるかと思ったけど、夜会が続けられて本当に良かった。


 シャーリー達に促されて、水龍さまの所に行くと、すう〜と道が開いた。


『水姫様、レッスンの成果を御披露しましょう!』


 グイッと背中を押されて、あっと言う間に水龍さまの眼の前にいた。


「……えっ、成果?」

『えって……。ファーストダンスはこれからですよ?』

「………………わすれてた〜!」


 全力で項垂れて、頭を抱える私を見て水龍さまは苦笑いを浮かべながら『怪我を理由に断っても大丈夫だぞ』と言ってくれた。


 なんて優しい〜。

 いや、ここで逃げたら女がすたる!


「……大丈夫です。それにようやく、当初の目標を達成できるようになりましたから!」


 力強く宣言した私を水龍さまは、当惑顔で聞き返した。


『………当初の目標とは?』

「陛下のお御足(みあし)を踏まないことです!」


『………………そうか』



 その場にいた全員が『そのレベル?』と思ったことだろう。


 でもミレイはその空気に気づかない。

 輪の外ではアンドレウも額を抑えていた。


「最後のレッスンでは指導の先生の足を踏まずに踊れるようになったんですよ〜!」

『……最後のレッスンは一昨日だったはずだが?  

 ……わりと最近だな』

「はい!」



 満面の笑顔で嬉しそう話すミレイを見て、水龍は呆れた面持ちで楽団に目配せをする。

 それを合図に曲調が変わり、人々も中央を避けるように捌けていった。



『一曲踊って頂けますか?』


 水龍は僅かに腰をおって、手を差し出しエスコートを申し出る。


「喜んでお受けします」


 誰もいないホールの中央に薄紫色のドレスがふわりと舞う。


 水龍の大きな手が包み込むようにそっと添えてくれて、不安な気持ちがどこかに飛んでいくようだった。

 組んだ手先にほのかに熱を帯びる。

 水龍のリードに身を任せて、たおやかに楽しげに踊るミレイの姿に、周囲も自然と笑みがこぼれた。



「……ダンス苦手って、言ってましたよね」


 前に水龍さまはそんなことを言っていた。だからちょっと安心してたのだけど……。どうみても上級者のリードだ。


『夜会で踊ったことがないと言っただけで、苦手とは言っていない』

「そんなの詐欺だ……」


 不貞腐れたように唇を突き出して拗ねる素振りをする。


『フフッ。国王相手に詐欺呼ばわりするのはお前くらいだぞ。それにたとえ踏まれても、お前なら足の上で子猫が昼寝してるようなものだ。気にするな』


 事もなげにフフッと笑う水龍さまが、あまりに格好良くて無意識に顔を背けてしまった。


『お前の百面相は見ていて飽きないな。実に可愛らしいものだ』

「なっっ……」


 ミレイが身をひるがえすたびにドレスの裾がひらりと揺れる。


「なに言ってるんですか! 私はおもちゃじゃありませんよ」


 頬に熱が上がってくる。


『……お前の笑う顔や挑戦的な仕草には頬が緩むし、不安気な表情を見ると心が酷く乱れる。

 ──おもちゃ相手にこの私が翻弄されるとおもうか』


 ふと零された言葉と表情は真剣味を帯びていて、ミレイは反応に困り、かたまってしまった。

 水龍は意地悪くフッと笑うと、腰に添えていた手に力をこめてグッと抱き寄せた。


『本当にお前は愛らしいな……ミレイ。

 このまま絡め取りたいくらいだ』

「っ!……」


 耳元で囁かれた言葉はいつもより低く、かすれた声は艶を含んでいて、ミレイは背筋をゾクリとさせた。



 曲が終わりに差し掛かり、危なげなくフィニッシュを迎えて周りも拍手喝采で讃えてくれた。

 

 しかし当のミレイはいつまでも顔を上げることができなかった。


 

 ──空には月が顔を出し、星が瞬く音も聞こえてきそうなほどの静寂が拡がっていた。


 先程までの嵐が嘘のような穏やかな夜だった。




 



お蔭様で『夜会』が無事におわりました。

ここまでお読み下さったみなさま、ありがとうございます!

次話以降、少し後片付けが入りますが、和やかな話を書いていけたらと思っています。

今後ともよろしくお願いします!

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