第123話 夜会 ─ 謀略
『ほう。僕が夜会に招待されてはいけませんか?』
『とっ、とんでもこざいません』
──ロマン•シリック•ペトラキス前内務宰相閣下。
現宰相の父君であり、長年王宮の実務を影から支えた実力者。その数々の実績もさることながら、先代王から今代王の変換期に大きな争いも混乱も起きなかったのは、単に宰相閣下の手腕によるものとされている。
そんな稀代の宰相閣下に話を聞かれてしまった。
終わった……。
『あの前宰相閣下。ご挨拶させて頂きます。
わ、私はトーマス•オレステスと申します。末席ながら王宮文官に席を置かせてもらっています』
『……あぁ、管理総省の文官ですね』
宰相が促すように庭園に向かって歩きはじめる。
バルコニーに出ると、室内の明かりが漏れてはいてもうす暗く、互いの表情や細かい所作までは伺うことかできない。それを逆手に社交を交わす紳士や腹を探り合う淑女達。それはいつも通りの光景だった。
階段を降りて横道を進むと、生い茂る木々で人の気配は感じられない。
……落ち着け。全てを聞かれたわけじゃない。今ならまだ誤魔化せる。
『……あの。僕、いえ私をご存じなのですか?』
『……情報というものは常に新しいものでなくては意味がありませんから。
それよりも子供といえど、成人男子で尚且つ嫡男ならば、少しは耳を傾けても良さそうなものですが』
『たしかにそうかもしれませんが、うちのはどうしようもない愚息でして……』
へらりと、その場しのぎの笑みを浮かべる。
……大丈夫だ。決定的な話は何もしていない。なんとかこの場を切り抜ければ……。
そう思っていた矢先
『父さま! あの、僕は……できれば後ろ暗いことはしたくありません』
意を決したように話を始める息子に、オレステスはカーッと血が昇るのを感じた。
『お前は何を言ってるのだ! 後ろ暗いことなど何もしてないだろう? 閣下、愚息は何か勘違いをしているようで、大変申し訳ございません』
慌てて息子の頭を掴んで、勢いよく頭を下げる。
『ほう。勘違い……ねぇ』
その一言で『すでに知っているぞ』と言われた気がした。
これが宰相……。
逃れられる……いや、逃がしてもらえる気がしない。
『と、父さま。無理ですよ。我々が閣下を欺くなど……到底』
バルコニーとはさほど離れていないのに、声が遠くに感じるほどの静けさと威圧感に、先に白旗を上げたのは、臆病な息子だった。
その一言で弁解は最早、困難なことを悟る。
オレステスは膝をガクリとついて項垂れると頭を掻き毟った。
『どうしてお前はそうなんだ! 足掻くことも踏ん張ることもしないで、いつも甘いことばかり言って。そんなことで家門の復興などできるわけが無いだろう!』
『…………すみません』
『ふむ。僕も長年、国の中枢にいたのでご子息が世間知らずで甘いことには同意見です。ですが、そんな御子息を憎からず思っているのも事実ではないでしょうか?
家門の復興は、ご子息の人生や貴方の両親、全てを犠牲にしてでも成し得たい事なのですか?』
『犠牲などと、なにを大袈裟な……』
暗がりでもわかるほど、オレステスの声は引き攣っていた。その声に嘲笑が零れる。
『なるほど……。甘いのは貴方も同じか。むしろ年嵩があるだけにたちが悪い。
──こんな短慮でずさんな計画が成功するとでも? それとも王の側近は無能揃いだろうと、揶揄してるのか?』
声音が一段低くなり、その笑みは冷笑へ変わった。
『とんでもごさいません!』
恐怖でその場に平服すると、息子もそれに倣った。
『そんなつもりはありません! 私はただ、息子には私みたいな日陰の道を歩かせたくないと思っただけで……。このままでは我が家は没落してしまう』
『父さま……』
怯えてうつむき、思わず本音を吐露したオレステスと初めて胸の内を聞いた息子。その声には感動の色が籠められていた。
『あ〜。お涙頂戴は結構です。現実的な話をしましょう。
貴方方は王家に叛意ありの姿勢を見せています。このまま遂行すれば貴族位の剥奪は免れません。それを理解していますか?』
シリックは無視をして話を続ける。
『叛意ありなど、そんな! 少し協力をしただけで、貴族位の……はくだつ、など……そんな馬鹿な』
呆然とこちらを見る親子に、溜め息が出る。
『当たり前でしょう。そんなことも想像できないとは、呆れたものだ。よく今まで社交界を渡ってこれましたね。
──まぁ。今留まれば、貴族位の剥奪までは免れるかもしれません。しかし計画に加担したのだから、降格は確実でしょう。更に他の貴族からは「裏切り者」と、そしりを受けることは明白です。
さて、貴方方はどちらを選びますか』
シリックは容赦せずに言葉を向ける。
『そんなの……どちらも選べません。
だっておかしいです。協力したら取り立ててくれると……輝かしい未来があると言われて……』
『はっ。人を貶めて輝かしい未来があるとお思いか? 甘すぎて話にならないし、それを息子に押し付ける性根も腐りきっている。
──覚えておきなさい。ここから先は魑魅魍魎ばかりの世界。可愛らしい化け狸では、骨の髄までしゃぶられて、打ち捨てられるだけだ。……覚悟もない者が踏み込んでいい世界ではない』
冷たい響きを帯びた声に、オレステス達は思わず身を震わせた。見上げたその目は、現役そのままの凍てついた双眸をしている。
『も……申しわけございません』
『父さま。ぼ、ぼくは裏切り者と言われようと、お祖父様のような恥じない生き方をしたいです。……頑張りますから。万年四位でも、やれることはあるはずです!』
茫然自失のオレステスはトーマス……と、呟く事しかできなかった。
『だから、感動劇場がしたかったらご自宅でどうぞ。とりあえず今日はもう帰りなさい』
『……わ、わかりました。ではマクマード卿にご挨拶を……』
いつものクセで口した一言に、死ぬ程後悔した。
比喩ではなく、空気がビシリッと凍った気がした。
『はぁ……? 救いようがない馬鹿とは、貴方のような存在のことを言うのですね。本当によくそんなデキで当主が勤まりますね』
むしろ領地返還をした方が領民のため、か……。
『!?』
最後の一言は、独り言のように零されたがはっきり聞こえていた。
たしかに地位も身分も遥かに上であっても、初対面の相手にここまで悪辣に言われる覚えはない……はずだ。しかも息子の前で……。でも反論などできるわけもない。
『貴方が裏切る相手が誰なのか、今一度考えなさい。
僕は別に貴方や貴方の家門が、没落しようと取り潰されようと興味はありません。
……ですが立ち上がろうとする子供を潰すほど、冷酷非道でもないのですよ』
『……』
『父さま。宰相様の仰る通りにしよう。……今はそれが一番だと思う』
トーマスは父親を立たせて土を払い、シリックに向かって丁寧に頭を下げ『失礼します』と辞そうした。
『……これは僕の独り言だが、万年四位と言うが、毎年上位を取り続けることの方が大変だと、気付かない馬鹿者もいるらしい。
国が求める者は、一時の優秀さではなく常に優秀な人材だ。ただどんなに成績が良くても頭でっかちで人の意見を聞かない者、自分の意思が無い者はクズ以下の扱いになる。見てる者はきちんと見てる』
……腐るなよ。
最後にとても小さな声で添えられた一言に、トーマスは涙が溢れた。
『………はい! ありがとうございます』
トーマスは涙を拭いながら、父親と共にそのまま庭園を横切って帰路に向かう。
その背を見送りながらシリックは一人、無造作に髪をかき上げた。
『──まったく。あんなのも潰せないとか、うちの愚息も何をしてるのか。早々に突きつけて息の根を止めてやれば、まだ良かったものを……』
……まぁ、加担だけならそこまでの厳罰とはならないだろう。それに、あの息子なら這い上がれるかもしれない。
それよりも今は水姫か……。
やれやれといった気持ちで会場に戻ると、水姫の姿は見当たらない。
仕方なくサバス夫妻のもとに出向き、挨拶を交わすと、周りに人が群がってきた。
『前宰相閣下!』
『シリック様、お久しぶりでございます』
前職と身分を考えれば仕方がないが、煩わしいことだ。
『水姫様はどちらに?』
にこやかに問いかけるも、帰ってきた答えは平和な時代を象徴するようなものだった。
『それが先程、騎士団の方が呼びに来られて会場を出て行かれました』
『……お一人で?』
『はい。でも騎士の方が付いておりますから大丈夫だと思います』
その者が本物の騎士か確かめたのか?
……そう言葉にしたい気持ちを理性で抑える。
『わかりました。ありがとうございます』
疑うこともしない、頭の目でたい夫妻に礼を言って水姫の後を追う。
私はもう宰相ではないのだから、余計な波風を立てるわけにかいかない。
しかし副団長は預ける相手を選ぶ余裕もなかったのか? 脳みそ、お花畑に預けて何の意味があるんだ。
会場から控室に抜ける道を足早に行く。
さて『水姫』とやらも、僕が動く価値のある者だといいが……。
シリック前宰相が庭園で慈善活動をしてる頃、ミレイのところに騎士団員が訪れ、そっと耳打ちをした。
ミレイはすぐさまサボス夫妻に離席の挨拶をして廊下に出た。
サンボウが呼んでるなんて、何があったの?
誰か怪我をしたの?
脳裏に水龍さまの苦しむ姿が目に浮かぶ。
まさか……。
『こちらでお待ちください』
そう示されたのは数ある控室のなかでも、一番奥の部屋だった。
おかしくない……?
何かあったのなら、王宮につれていくよね。そもそも入場もしてないのに、なんで控室なの?
「水姫様?」
『本当にここにバートン様がいるんですか?
あなたは騎士団員ですよね? 所属と名前を教えて下さい』
扉の前で冷静に問いかける。
所属なんて聞いてもまったくわからないけど、勝手に口から出てた。
本能がキケンだと言っている。
『……』
黙り込む団員をよくみると、制服と体格が合っていない。……細すぎるのだ。
無意識に一歩、後ろに下がる。
それを察した男がいきなり手首をつかみ『早く入って下さい』と告げた。
帽子越しに見た目は淀んでいて光を宿していない。
背中にゾワリと悪寒が走った。
大声を上げようと息を吸ったところで、急に背後の扉が開く。
なに!?
口を塞がれて、あっと言う間に室内に引きずり込まれた。
しまった!
『早く扉を閉めろ! 手首を拘束しろ!』
別の男の声が聞こえる。
「やめっっ──!」
バタン!!
『なんでもいいから口に布を突っ込みなさい!』
柔らかいはずの絨毯が頬を強く擦り、私は後ろ手に拘束されて、目隠しをされた。
やっぱり罠だった!
のこのこついてきた自分が馬鹿すぎる!
『やったわ、水姫を捕えたわ!!』
暗闇の中、聞こえてくるのは興奮気味に話す女の声と、甘くてきっつい香水のにおい。
『お前は女をそのまま抑えてろ。
ユロー、酒だ早くしろ! 』
酒? どういうこと!?
いっった!
体を縄で縛るつもりらしい。
そうはいくかと体を捻ったり、足をバタバタして抵抗をすると、ガンッ! と、頭を床に叩きつけられた。
頭の芯がクラクラする。
今までの人生の中で本気で殴られたことなんて一度もないし、こんな風に縛られた経験もない。
恐怖がじわりと足下から忍び寄る。
「あなた達は誰!? 目的は!?」
怒鳴りつけるように言葉にする。
そうしないと、恐怖で悲鳴を上げたくなるから……
『めでたい女だこと。質問されてハイハイと答えるわけないでしょ〜?』
クスクス笑う口振りとクッサイ香水を考えると、この女は招待された貴族だろうか? ……年は中年くらい? だとしたらこっちの加齢臭の男は旦那でしょうね。
ひるむな……
おびえるな……
恐怖なんて、感じてやるものか!!
控室での水龍さまを思い出す。
「あなた達はもしかして、招待された貴族の方ですか? いや、まさかね〜?
貴族とは爵位にふさわしい知性と品位を兼ね備えた方々らしいですし……。こんな低俗な真似をするわけないですよね〜?」
『なんですって!?』
「王宮に招待された者が、王宮の控室に監禁なんて知能が足りないと言ってるんです」
『誰が監禁するなんて言ったの?』
女のあざ笑う声が聞こえる。
『社交に飽きたお前は、男を引っ掛けて空部屋で酒を交わし酒宴に浸るのよ。男好きの噂もあるし、皆が信じるでしょう。乱れたお前を見れば、陛下も興が醒めるというもの……。どう? 素敵な筋書きでしょ?』
「なにそれ、低俗すぎじゃない……?
淑女の成れの果てはこんな腐った生き物になるのね。あ〜、だからこんなに熟れたような、くっさい臭いがするのね」
パンっ!
暗闇の中、頬を何かで打たれた。
恐らく扇だろう。
『おい、顔に傷をつけるな!』
中年男が叱りつけるが、牽制にもなっていない。
『はん。構わないわ! そういう趣味の女だとお前達が言えばいいのよ。縄もそうよ! わかったわね!』
私がいつM女になったのよ!
呆れと怒りで恐怖もどっかに行った。
……っていうか、こんな奴等に恐怖を感じる方が恥ずかしい。
すると騎士団の制服を着てた男が笑いながらこう言った。
『酒宴に浸るだけか? 淑女らしからぬ淫らな振る舞いをしてる方がドン引きだと思うけどなぁ〜』
『…………任せるわ』
『おい。そんな事をしてる時間はない。泥酔させるだけで十分だ』
『ユロー、お前が指図することじゃないわ。主人はわたくしよ! 使用人は黙ってなさい!』
『……』
『おい、さっさとしろ。時間がない』
加齢臭男が先を促すが、なんとしても時間かせぎをしないと……。
キュポンッ。
酒瓶が次々と開けられていく。
色んなお酒の匂いがする。何本開けてるのよ。
コレを無理やり飲ませて泥酔させるつもりなのね。
恐怖は感じないが、焦りはある。
ゴクリと飲みこんだツバに血の味が混ざる。
なんとかしてこの部屋から出ないと!
でも、四対一なんてどうしたらいいの……。