第122話 夜会 ─ 狂宴
『あら。そちらのケーキも素敵な色合いですのね』
ホールの端には、庭が臨める位置にテーブル席を設けており、軽食がとれるようになっている。
いつもなら若い未婚の女性は社交に精をだすのだが、今夜は華やかな装いをした令嬢達がその席を占めていた。
『こちらのスイーツはアンドレウ家の料理人の品らしいですわ。先程、給仕の者に聞きましたの』
『まさか!』
不意に落とされた情報に、付近の令嬢達の会話も止まる。
『今夜はアンドレウ家の他にもペトラキス家、ストラトス家、マルティーノ家から、陛下がお目覚めになられたお祝いとして、スイーツを献上してるそうですわ』
『そうなんですの!?』
ちょっと失礼しますね……と言葉を残して友人が席を立つと、他の席の令嬢も楚々と席を立った。
『失礼します。こちら白ワインでございます』
『面白いくらいに、みんな行っちゃったわ』
残った令嬢は、給仕にきた侍女に気さくに声をかける。
『レミス様より……落とす石は小石で十分と、伝言を言付かっております』
『必要以上のことはするなって、言いたいワケね。
まったく! 貸しひとつよって、伝えておいてね』
『承りました』
侍女はすぐにその場を離れた。
都合の良い時だけ連絡してくるなんてひどい男。
……まぁ上流階級の底辺にいるような私が、あの近侍頭サマと友達だなんて、誰も信じないわよね。
──近侍頭であるレミスはその職種から社交の場はもとより、公の場に出てくることもほとんどない。高い身分に美しい容姿。陛下の覚えもめでたいと、優良物件でありながら、接点を持てる令嬢はほとんどいないのだ。
だからこそ使い勝手が良いと思ってるんだろうけど……。もう、今度わがまま言ってやるんだから!
ベリーのケーキにフォークを入れて、少し大きめな一口を口に運ぶ。
『あら? あの人オレステス家の令息よね? 柱の影で父親とべったりって……なにあれ?』
なんだか目つきも変だし……。
目線を追うと、その先には今日の主役である水姫様がいた。
別におかしな事じゃないけど……。
『ステラ様、お待たせしてすみません。素晴らしいお品ばかりで迷ってしまいましたわ。奥様にお願いしてる殿方もいらっしゃったのよ。フフッ』
『仕方が無いですわ。名家のお味が一同に楽しめるなんて貴重ですもの』
戻ってきた友人は若干、興奮気味に語っていた。
再び柱の方に目を遣ると、もうオレリアン親子はいなくなっている。
今日の夜会はなんだか嫌な感じがするのよね。
何もなければいいけど……。
そんな令嬢の思いとは裏腹に、不穏な輩は後を絶たない。
二階席の男同様に、会場の出入口付近に寄り添うように語らう夫婦は、ミレイがパウロス卿の令嬢に喧嘩をふっかけた辺りから周囲の動向を探っていた。
柱の影からミレイを盗み見るオレリアン親子と、二階席から様子を伺う、同じマクマード派に組みする下級貴族の男。
『オレステス家だけでなく、ラグワーム家も参戦しているようですわ』
『……参戦か。たしかにあの方から見たらこれはゲームなんだろうな』
チラリと会場の奥の人だかりを見ると、その中心には飛ぶ鳥を落とす勢いでのし上がっている、ゲイリー・マクマード卿がいた。
──あの夜、卿は酒を飲みながら楽しそうに言っていたな。
王なら政情にあった妃を選ぶべきだ……と。
『私は更に台頭して、利用価値があると王に思わせる。国を背負う立場なら私情が入る隙などないし、上流の者ほど結婚には政略が絡むものだ。
その為には整地が必要だな〜。若き芽もひょろ長いだけの不要な木も、早めに伐採するに限る。
そこで今度の宴は催し物をしようと思ってな。楽しい宴になるぞぉ〜』
ニタリと笑った薄気味悪い顔には、嫌悪感が湧いたが、それでもあの男の権力と財力は侮れない。
『……そうねぇ。この夜会であの人間の価値を下げた家門に、褒美をやるなんて野蛮だと思いますけど、今後の地位を約束して貰えるならやる価値はありますわ。ゲームの争奪戦と言うより、もはや狩りね。殿方は遊猟がお好きだから……』
呆れたようにそう語る妻は、淑女の笑みを張り付けてはいても、目の奥のギラつきは隠せていない。見つめる視線の先には黒髪の、まだあどけなさが残る人間の女。
殿方は……だと? どの口が。
『……パウロス卿の娘が下がったようだ。少女のような見た目でなかなか──』
『あんなの側近達の入れ知恵に決まってますわ』
鼻で笑って、ひそひそ声で従者と最終確認をする妻からは、かつての淑やかさの欠片も伺えない。
『……お前の策なんだから、上手く誘導するのよ。
あの噂を利用すれば、我がミツタキス家に咎はないわ』
──こいつも普通は主君を諌めるだろうに、策まで出すとは。まぁ世の中、金だな。
無愛想だが、命令通りに動くこの男は使い勝手がいい。もしもの時は全ての罪を被せればいんだから、楽なものだ。
……それよりも、せっかくなら少し愉しむのもアリだなぁ。
男は恰幅のよい腹を揺らしながら、人混みから覗き見る。
細腰からの流れるような曲線に豊かな胸。陶器のような白い肌に小さな唇。黒い瞳もエキゾチックでいいものだ。愉しい妄想に酒がすすむ。
協力者と落ち合う必要があるから、と従者が姿を消した頃、水姫と他の二家も動きだした。
『しかし隣にいるのは副団長のエリオール卿だ。引き離すのはなかなか骨がおれる』
『あなたね。女性というものは化粧直しに席を外すものなのよ。まったく、そんな事も思いつかないなんて。だからうちは借金まみれなのよ』
いつものように一言多い妻の言葉に、苛立ち、グラスを煽る。
妻の目は、まさに獲物を狩る者の目をしていた。
◇ ◇ ◇
ミレイは軽食エリアから離れて、アンドレウ先生に挨拶をしたあと、エリオールのエスコートで紳士の群れに突入した。
「こんばんはお話中失礼します。わたくしミレイ•ミズハラと申します。よろしくお願いします」
ふわりと微笑むと、ドレスの裾を持って礼をする。
優雅に美しく、自信をもって。
男達の会話が止まり、一身に興味を惹かせる。
私の目的はマクマード卿の共謀者と接触して、不敬にあたる行為を引き出すこと。
その後のことはサンボウやワイルドおじさん(ラウザ卿)に任せればいい。
サンボウの見立てだと、向こうも接触を試みるだろうから、それ自体は難しくないと言う。ただ一点。『不敬』が成り立つくらいには、私は心身が削られる思いをしなければならないのだ。
……憂鬱だけど頑張るしかない。
でもそれ以上に、相手を煽ってけしかける方が不安なんだよね。上手くできるかなぁ〜。
ミレイの中では、今までの令嬢達とのバトルはなかったことになっているらしい…。
覚悟をきめて飛び込んだ紳士エリアだったけど、早くも私のHPが危機を迎えていた。
『白い百合の花のような楚楚としてらっしゃるのに、ふとした仕草が艶かで、貴女様から目が離せなくなりそうです』
『水姫様、陛下の次にダンスを踊る栄誉を、私めに頂けないでしょうか?』
『いえ、ぜひ私と……。今宵のあなた様はまさに月夜に咲く一輪華。この私に、儚い夢を魅させて頂けないでしょうか』
「……皆様。ありがとうございます」
エリオールさんの美辞麗句が普通に思えてきたよ。
女性を褒めるのは紳士の嗜みのひとつであると知ってはいても、こうも褒めちぎられると落ち着かないし、むしろ全身掻きむしりたい!
しかもマクマード卿とパウロス卿、両派閥の絶妙な位置取りをしたのに、肝心の子飼い達は話かけてこないし!?
露骨過ぎたかな? それとも派閥に属していても策謀には加担していないとか?
あるいは原因はエリオールさん?
実際、美辞麗句のツワモノ以外、踵を返す人続出してるし……。
このままだと、ラスボス先生に鍛えられた鉄壁の『淑女の笑み』に亀裂が入るかもしれない。早めにアクションおこさないと精神の疲労で戦えなくなるかも!
そんなことを考えていると、背後にゾワリとした気配を感じた。もしかしたら……来た!?
『お嬢さん、噂通りお美しいですな。つややかな黒髪に白いうなじとは、色合いのコントラストが素晴らしい。私も是非あなたとダンスを踊りたいものだ』
そう言って視線は上から下に流れるように移動して、ある一点で目が止まる。
身構えただけに、拍子抜けにも程がある。
恐らくソニアが言ってた類の人だろうけど、ここまで露骨だとたしかに不快だね。
必要以上のおさわりは禁止のはずなのに、触れようとしてくるエセ紳士をエリオールさんが冷笑で一蹴してくれた。
今日イチの活躍だよ。グッジョブ!!
変な気疲れをしてるなか、膠着状態は予期せぬ形で破られた。
『エリオール副団長、少しよろしいでしょうか』
騎士団の制服を着用した者が、少し息を乱しながらエリオールに声をかけた。
『至急、指示を仰ぐべき案件が発生したので、お越し頂きたいのですが……』
エリオールの表情が変わり、二人で足早に人混みを抜けた。
団員の話によると、害獣討伐に向かっている第三騎士団から『警護隊支援要請』が届いたらしい。
それと言うのも、今回の討伐自体が興奮剤による人為的なものであると判明し、奥地に入る為には妖界術に長けた警護隊の同行が必須の為、至急要請を求む……という内容だ。
『わかった。夜会が終了次第、仔細指示をだす。警護隊長官には概要だけ先に話を──』
「待って下さい。それは一刻も早く支援が欲しい状況じゃではないんですか?」
『えぇ。だから陛下が到着されたら私はすぐに抜けます』
「いえ、到着を待たずに今すぐに対処する案件ではありませんか? だって生命にかかわることですよね?」
『そうですが、今はあなたを護ることが私の仕事です』
「……ここは王宮です。私を殺そうとする者は現れますか?」
突然の質問にエリオールと騎士団員が目を見開いた。
『会場内には騎士団も多数常駐していますし、ここでそんな愚かな真似をする輩はいないでしょう』
「それなら大丈夫です。生命に勝るものはないでしょ?」
『しかし……』
「エリオール様。私があの方に『優先順位を間違えないで!』って焚き付けた件は覚えてますよね? それなのに我が身可愛さに、このままエリオール様を引き止めたら、私カッコ悪いじゃないですか。私のメンツの為にも行って下さい。
大丈夫です。何かあったらアンドレウ先生のところに逃げ込みますから!」
にこっと笑顔で余裕を見せる。
『……わかりました。今回の目的は一時忘れて下さい。今はあなたの身が一番大事です。いいですか?』
はい! と頷くミレイに一抹の不安を憶えつつも、エリオールは近くにいたサボス夫妻にミレイを託して会場を離れた。
それは虎視眈々と機会を伺っていた者達にとっては、まさに垂涎の出来事だった。
『エリオール卿が離れた。今がチャンスだ……』
オレステスの父も好機とばかりに、息子のトーマスを促す。
『いいか、計画通り庭園に誘うんだ』
『無理ですよ。パウロス嬢を退かせるほどの女性に何かするなど、僕には……』
トーマスは子供のように顔を歪めると、頭を振って拒絶し、拳を固く握りしめた。
『今更何を言ってるんだ。お前も腹をくくれ!』
『でも……』
『いくら親子と言えど、無理強いはよくないですね』
不意に背後から声が聞こえた。
不穏な話をしているだけに、周囲の気配は常に探っていたのに、全くわからなかった。
ゆっくり振り向いた先にいたのは……
『あ、あなたは……前内務宰相閣下……。
なぜここに……』
ロマン•シリック•ペトラキス。
前内務宰相であり、今は領地に隠居したはずのサンボウの父である。