第117話 夜会 ─ 暗雲
太陽は静かに昇り、国の隅々まで眩い光を放つ。
今日は『救国の姫君』である、水姫お披露目の為の夜会が催される。
王宮の裏門には商人の馬車が並び、その列は裏門にかかる橋の上まで続いていた。
『混んでんなぁ〜』
『まぁ仕方ないさ。当日搬入の品も多いんだろう』
『でも菓子を配る時間には帰りてえよ』
『そりゃぁ、そうだ!』
午前には王宮より祝い菓子が振る舞われることになっており、王宮近くの広場では、申請すれば屋台を開くことも許可されている。今日は街中がお祭りムードで、市井の者達はみんな楽しみにしていた。
人が集まるところにはお金が動き、活気が生まれる。
王宮の近くで市を開くことで、市井の活気を王宮を訪れる貴族達にもわかりやすく示すことができるのだ。また『水姫』の存在が市井に歓迎されていると、人間嫌いの貴族に示し、牽制することにもなる。
そんな活気は喧騒となり、王宮の一室にも届いていた。
外がにぎやかだなぁ……。
控えめなノックの音が、少し冷えた室内にこだまする。
『おはようございます、水姫様』
「……おはよぉぅ゙……」
布団を被ったままのせいか、その声は少しくもぐっている。
『今日は良いお天気ですよ。お支度をしますので、そろそろ起きて下さい』
「……あと十分……」
『無理です』
「……じゃぁ、五分」
『水姫様?』
頭まで被った布団から、ヌッと顔だけ出して粘ってみるも、ソニアの表情で無理なことを悟った。
「おきるよ〜……」
昨夜遅く、オジサン達を相手に柄にもなく頑張ったせいか、アドレナリンが分泌されすぎて、なかなか寝つけなかったのだ。
ねむい……。
顔を洗い、支度を手伝って貰ってから給仕された朝食を食べる。お嬢様のような扱いもようやく慣れた。
『本日のご予定ですが、これからお衣装の最終調整があります。その後、軽めの昼食を取って頂いたあと、夜会に向けてお支度を初めさせて頂きます』
「待って。夜会は夕方からだよね。どうして昼食後から支度をするの?」
ノックの音がしたと思ったら、侍女長を先頭に数人の侍女が入室してきた。
『本日は夜会になりますので、入浴、マッサージ、エステ等、フルコースでお世話をさせて頂きます』
『ピカピカに磨かせて頂きます!』
目を爛々と輝かせているのは、赤茶色の髪をしたまだ若い侍女。何度か伝達事項や手紙を届けにきてくれてる顔馴染みの子だ。
「……マリィ気合い入ってるね」
『もちろんです。今日は水姫様のお披露目の夜会ですから!』
満面の笑顔に苦笑いが出たけど、綺麗にして貰えるのは純粋に嬉しい。
「それなら二割増になるようにお願いするね」
『三割増を目指しますよ』
ハハッと笑い声が重なったところで、侍女長に
『マリィ』と少し低めな声で名前を呼ばれ、慌てて先輩達の手伝いに向かった。
それからフィッティングを済ませ、諸々の最終調整が終わった頃にノックの音が響いた。
にわかにざわついた室内に、扉の方を向くと、その場にいたのはアンドレウ先生だった。
「おはようございます、アンドレウ先生。
講義は昨日で終了と思っておりましたが、私の勘違いでしたでしょうか?」
『いいえ、講義もありませんし訪問のアポも取っておりません。ですから貴女が恐縮する必要はありませんよ』
良かった〜と、胸を撫で下ろした自分は甘かったと知る。
『……昨夜、当家の主人が帰宅の折、いつになく上機嫌だったので、お話を伺いましたの。
それでどうしてもわたくしの教え子に会いたくなってしまい、無作法だと思いましたが、こうして訪ねた次第です』
「……無作法などと、とんでもありません。ご足労いただき嬉しく思います。 ところでお話って……」
まさか私の直談判ならぬ、殴り込みまがいのこと?
これは……ヤバい。淑女らしくない、って怒られる案件でしょ!?
『ふふっ。随分、楽しそうな事をしたのね〜。わたくしもその場に居たかったわ』
「……えっ? 怒っていらっしゃらないのですか?」
アンドレウ先生は何故? とばかりに小首を傾げた。
「だって淑女らしくないから……」
『そうねえ。たしかに貞淑とはかけ離れた行動だけど……』
アンドレウ先生がチラリと同行している侍女を見遣ると、またたく間に室内には私と先生、先生の侍女に侍女長とソニアの五人のみとなった。
視線一つで察するとか、さすが先生の侍女!
『社交の場だけでなく、女だって時には戦わないといけないのよ。家門や主人を護る為、国の為。貴女がしたことはそういうことでしょ?』
「……いえ、そんな崇高なものではなくて、むしろ『私も喧嘩売られたんですけど?』ってノリで、無理矢理押しかけたんです。
街にいそうなゴロツキのようなマネをして、本当にすみません……」
声が尻すぼみに小さくなっていく。
今更ながら『The 淑女』である先生に、こんな話をするのが恥ずかしい。
『まぁ、行動そのものは褒められたものではありませんが、その気概はおおいに結構です』
「えっ!?」
『時と場合によっては、売られた喧嘩を買うのも淑女の嗜みです』
「えぇーー!?」
『……その仕草と表情は淑女らしくないので減点です』
すみません……と、とりあえず謝ってみたけど『淑女』ってなに? 今更だけどわかんない。
『誰しも守りたいものはあるでしょう? それを脅かそうとする者とは闘わないと守れないのですよ。
あとはやるからには徹底的に。従属させるか、二度と歯向かう気がおきないようにするか、どちらかですね』
「…………はぁ」
こっっわ! そんな良い笑顔で朗らかに笑いながら言われても、内容が怖すぎるからーー!
『ふふっ。淑女の在り方というのは人それぞれ違うのですから、貴女なりの在り方をお探しなさい。
むしろ基本の形しかできない令嬢は人に従うだけが関の山。
……貴女は従うだけの女ではないでしょう?』
「……はい」
『よろしい』
怖いけど、やっぱり先生はかっこいい。
個性を認めて伸ばしてくれる感じとか、すごく共感できる。
ミレイが嬉しそうに顔を綻ばせていると、アンドレウ先生は目を細めて、トルソーに掛けられたドレスをじっと見た。
『──素敵なドレスね』
「はい! 私には勿体ないくらい素敵です」
薄手の生地が幾重にも重ねられ、ドレープを描く裾は、花のつぼみのように膨らんで、重なり合う生地はまるで花びらのように作られている。
胸元も開き過ぎでは?……と思ったけど、実際に着てみたら、細い切れ込みに合わせて銀色のキラキラしたフリルが重なって、胸の谷間を絶妙に隠してくれた。正に計算された妙技だ!
『……白地の艷やかな生地に、重なり合う薄手の緑の濃淡と淡いピンクの差し色が絶妙ですね。
上半身の銀糸の刺繍と繊細なフリルが、全体の雰囲気をしっかりまとめていて、良い品だと思います』
「はい。その通りだと思います」
先生すごい!
まるで食リポならぬ服リポだ!
『可憐でありながらも凛としていて、まるで花の妖精のようですね〜』
先生の侍女さんもうっとりした顔で褒めてくれた。
『えぇ。銀糸の刺繍に合わせてヘアアクセサリーも銀色のリボンとは……。
普通は差し色のピンクにするのが妥当ですが、よほど銀色を纏わせたかったのでしょうね〜』
先生の言葉に侍女さんやソニアが微かに微笑んだが、ミレイには何を意味するのか分からず、とりあえず相槌をうった。
このドレスの要は胸元のサファイアのブローチだろうなぁ〜。このブローチがドレスの格を何倍にも上げてる気がする。
……この宝石いくらなんだろう。
ドレス込みの金額など、怖くて聞けないよぉ。
汚さないようにしないと……ね。
先生が椅子を勧めて下さり、侍女長が淹れた紅茶をソニアが給仕をしてくれた。
『──ところでミレイ。貴女、ヒルダー様をおじいちゃんとお呼びしたそうですね?』
ビキッ。私の顔がセメント攻めにされたように固まった。
……いきなりの爆弾投下。
『えっ!?』
片付けをしていた侍女長から驚きの声が漏れた。
すぐに『失礼しました』と謝罪をしたけど、侍女長クラスの人が思わず声を洩らしてしまうような問題事って話だよね〜。
「あの。おじい……までは言いましたが、おじいちゃんと、最後までお呼びしておりません!」
苦し紛れに弁解をしてみたけど、周りの目は『同じことでしょ?』と言っていた。
どうしよう、今度こそ怒られるーー!
ラスボスが降臨しちゃう!
『ヒルダー様は、会議に乗り込んできただけでなく、この私をおじいちゃんなどと、まったく何を考えているのか!……と、仰っておりましたわ』
「……そうですよねぇぇ〜」
──オワッタ。
ヒルダー様はこの国では敵にまわしてはいけない人だって聞いてたし、水龍さまだって頭が上がらないんだよね。
あ〜。コレ完全に詰みだ。
『あんなに楽しそうなのは久方ぶりに見ましたよ』
「……えっ? 楽しい……ですか?」
『ええ。ところで貴女のヒルダー様の認識はどういったものかしら?』
「えっと……。敵にまわしてはいけない人?」
『そうね。それがこの王宮の常識。貴女の認識は?』
ミレイはキョトンとしたあと、思ったことをそのまま伝えた。
「厳しそうだけど、情のある人。この国を大切に思ってる人。……あとは少し怖いなぁ、と思ってます」
『ふふっ素直ね』
「……すみません。でも!言い訳をさせてもらえませんか?」
手遅れかもしれないけど、意を決して願い出る。
「あの、ヒルダー様をおじいちゃんと呼んだのは決して軽んじている訳ではなく、その……わたしの亡くなった祖父がヒルダー様に少し似ているんです」
『あらっ? 貴女のお祖父様に?』
「はい。祖父も厳しい人でした。
抱っこしたり甘やかされた記憶はないけど、ぶっきらぼうにいろんな事を教えてくれました。虐められて泣いて帰った時は、泣き寝入りするな! と、逆に私が怒られたくらいなんです。……でも優しいおじいちゃんでした」
口角を綻ばせて笑うミレイに、周りも笑みが溢れた。
「だから……その。佇まいとか優しい感じや、背が低いところまで、祖父を彷彿とさせて……。それで、ついおじいちゃんと呼んでしまいました。本当にすみませんでした」
『……いいのよ。子供が発した事をいつまでも気にするような人ではないから』
「そうなんですか? 良かった〜」
ほっと安堵したミレイに、アンドレウは重要な一言を付け加えた。
『でも、背が低いは余計ね。それは口にしない方が良いでしょう。これからも楽しく過ごしたければ、ね』
「……わかりました」
おじいちゃん呼びは流せるけど、身長は気にするんだね。なんだか親近感湧くかも。
『さて、わたくしはそろそろ失礼するわ。長居をしてしまって──』
コンコンコン!!
大きめのノックの音に先生と侍女長の眉根が寄った。
『なんですか、想像しい』
侍女長の怒りを含んだ詰問にも、侍女は気に止める余裕もないようだ。
『……はぁはぁ。すみません侍女長様。至急お出で下さいませ! レミス様がお呼びでございます』
そのただならぬ雰囲気は、室内にいる全員に伝わった。
『わかりました、直ぐに参ります。
水姫様、アンドレウ様。わたくしは退席させて頂きますが、何かありましたら──』
『お待ちなさい。何があったのですか?』
先生の一言に、侍女長は呼びにきた侍女を促した。
『そっそれが、一部の侍女が食後に倒れました。
みんな一様に苦しいと言ってて、顔も真っ青で……』
「そんな」
そう告げた侍女も真っ青な顔をして震えていた。
『侍医には?』
『連絡済みです!』
『一部というのは、どの回かしら』
『三番手です』
『……わかりました。すぐに行きましょう。皆様、失礼します』
侍女と侍女長が慌ただしく退室した。
「ソニア、三番手ってどういうこと?」
『近侍、侍女、厨房は食事を三交代制にしております。おそらく最後の回である三番手に、何かあったのではないかと推察します』
「なるほど。三番手なら食中毒の線は薄いよね」
『そうですね。何か入れられたと思うのが普通でしょう』
先生も冷静に分析した。
「!? そうだ水龍さまは? 水龍さまの食事は平気なの?」
『使用人の為の厨房と、陛下や高官の皆様に提供される厨房は別れておりますので、多分……大丈夫だと……』
「そうなんだ」
服の裾をギュッと掴む。
安心していいのか、焦っていいのかわからない。
私にも何かできるかもしれない。
行きたいけど……
『現場に行きたいのですか?』
先生の言葉に顔を上げて、力強く頷いた。
「何か手伝えるかもしれないから、行きたいです。
でも邪魔をしたら、と思うと……」
葛藤し、俯く私に先生はそっと肩に手を置いた。
『見物など論外ですが、苦しむ者を助けようと思う気持ちが邪魔になると思いますか?』
「先生……」
『わたくしも行きます。ソニア、食堂に案内なさい』
『はい』
ミレイが靴を歩きやすい物に履き替えて、食堂に向かった。
もしかしたら、これもあいつらの陰謀なの?
関係ない人達を巻き込むなんて、絶対許せない!
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