第116話 前哨戦のあと
今回はダニエルの視点で書いています。
よろしくお願いします。
『以上になります、何かございますか?
……では、皆様よろしくお願いします』
水姫とバートン宰相とのやりとりに触発されたのか、ラウザ卿も大人しくなり、その後は滞りなく進んだ。
やっと終わった……。
明日の方針も決まったし、とりあえずなんとかなりそうだな。しかし、こんなにハラハラした会議は久しぶりだ。
ダニエルは自身の背中が汗で濡れてるのを実感した。
実際、バートン宰相は年若いと言うこともあって敵も多いが、王やヒルダー卿を前にして、場を乱す者などいないからな。それくらい、この御二人を敵にまわすことは、己の立場を危うくすることに直結する。
「それでは失礼いたします」
軽やかな声に反応すると、ハラハラさせた元凶は晴れ晴れとした顔で退出するところだった。
ダニエルは呼吸とも溜め息とも見分けがつかないくらい細い息を、肺から送り出してにこやかに笑う。
『お送りすべきところでしょうが、まだ仕事が残っていまして……』
「大丈夫です。お気遣いなく」
猫の皮を顎下まできっちり被って、水姫を扉まで見送ると、背後からカリアス卿の呼び止める声が聞こえた。
『水姫、少し聞きたいことがあってね。いいかな?』
なんで呼び止めるんですか、カリアス卿!
このままだと俺の心が持ちませんよ〜。
恨みがましい目で訴えるが、ダニエルの心の声は届いていない。
『この会議の時間と場所は、どのような手段で情報を得たのですか?』
!? それは……たしかに気になる。
どこで漏れるかわからないから、最低限の人数で、互いの補佐官さえ付けなかったくらいなのに。まあ、ラウザ卿は当たり前のように連れてきたけど……。
水姫は聞かれたくなかったのだろう、明らかに目が泳いでいる。
「あーー……。いろんな人から得た情報をもとに、聞き込みをして……ですね」
いや、おかしいだろう。
絶対聞かれる質問だと想像できるのに、なぜ問答のシュミレーションもしていないんだ?
『いろんな人とは? 実際、ここにいるメンバーと接触しない限り無理ですよね』
『あっ……』
カリアス卿の言葉にエリオール副団長が反応した。
『貴方ですか? 困りますねぇ』
失望混じりの呆れ声に、エリオール副団長は必死に弁明をしようとするが、二人の間に入ったのは他でもない水姫だった。
「エリオール様は何も話していません。
外でバッタリ会ってご機嫌伺いに少し話をしただけです。これから明日の夜会の会議ですか? ……とか、その程度です」
『そうです!』
『……それだけですか? それは無理がありますよね』
「あー……。少しお話したいので、夕方か夜にでもお時間取れませんかって、お誘いはしました」
『それで、夕方までは騎士団が忙しくて、夜も大事な用があるので無理ですと、お断りして……。
会議のことは何も漏らしておりません!』
自然に会話の内容を聞きだすあたり、カリアス卿はさすがだ。
「そういうわけです。もう失礼しますね」
水姫も面倒くさいと思っているのか、早々に切り上げて、そそくさと扉に向かった。
『……では、他の者は?』
「えっ」
帰る気まんまんで踵を返した水姫を、カリアス卿は肩を掴んで引き止めた。
『わかっていませんね。秘密の会合がこんなに簡単に割り出されたら困るんですよ。洗いざらい話してください』
『ひぃ~! 怖いですよーー』
戦々恐々としてる水姫に、侍女のソニアが淡々と『私が動きました』と言った。
「ソニア!」
『水姫様、さっさとお話して部屋に戻りましょう。寝不足はお肌に大敵です』
『優秀な侍女ですね』
カリアス卿が満足気に微笑んだ。
侍女のソニアはレミスのもとを訪れ、同じ手口で時間を限定したことを伝える。
『水姫様に黒板を注意深く見るように言われまして、日にちも詳細も書いてない八時という時間を見つけました』
『それなら今朝の八時かもしれないでしょう』
突然、やり玉に上げられたレミスが慌てて反論をする。
『近侍頭様は常日頃、終わった業務は消していくよう指示されますし、御本人もそうされています』
『それなら明日の朝八時の可能性だって……』
「……うん。だからソニアに今夜八時にカリアスさまの執務室に行ってもらったの」
申し訳無さそうに若干、小声で伝える。
『えっ!?』
今度はカリアス卿が面喰らう番だった。
それを見てソニアはふわりと微笑んだ。
『部屋の主に似て女性に優しい文官様でした。どうしても今日中に手紙を届けないと怒られてしまう、と涙ながらに訴えたら、今は執務室にいらっしゃると教えて下さいました』
『……そう、ですか』
いつものポーカーフェイスが引きつり、笑い方まで不格好になっている。日頃からスマートなカリアス卿には珍しいことだ。
『ヤブヘビだったのはお前だったなあ〜。カリアス!』
でもそれを見のがさないラウザ卿。
苦虫を噛み潰したようなカリアス卿の表情に、水姫も慌てている。
「すみませんでした! でも、こうでもしないと情報が集まらなくて……」
落ち込む水姫に、なんとヒルダー卿まで声を掛けられた。
『いや、水姫が気にすることではない。揃いも揃って脇が甘すぎだ』
『……すみません』
国の重要な位置にいる彼等が子供のように頭を下げるなんて、絶対に笑ってはいけないけど、笑いたい!
「ヒルダーおじ……いえ、ヒルダー様」
『ぶはっっ!』
『ラウザ』
ギロリとヒルダー卿の目がラウザ卿を捉える。
『でも、明日の夜会の会議の可能性もあったはずだよな。どうして断定できたのか……』
『いや、エリオールがその可能性を潰してる』
自分の独り言を、背後から陛下が否定し『優秀なことだ』とほくそ笑んだ。
「私じゃないですよ。私は頼んだだけなので、優秀なのはソニアです。──サンボウ。優秀な侍女をつけてくれて本当にありがとね」
水姫の素直な笑顔に、バートン宰相は
『……こちら側が情報収集する為につけたんじゃがな』と、小声で呟き、なんとも言えない顔をした。
「そこは本人次第でしょ?」
『その通りだなぁ〜。上手く使った嬢ちゃんの方が宰相より上手だったって話だ』
『私は言われた事をしたまでに過ぎません。エリオール副団長様の行動を把握して、偶然を装い、情報を引き出すなど私には無理でございます』
『……えっ? バレてたの?』
ソニアの言葉に水姫が止まった。
『あーー? 行動を把握して?
なんだ嬢ちゃんはエリオールを付け回してたのか?』
「ちっ、違います! たまたまロス、いえヤン団長にエリオール様が執務室に報告に行く時間を聞いていたので、その時間に合わせただけです」
『そこからすでに……?』
副団長の眉根が寄り、若干表情が強張った。
「エリオール様、違いますよ? 私はストーカーめいたことはしていません」
『……行動パターンを把握して、不安と称して夜の誘いもかけたんだよな? 嬢ちゃんマジモンだな。エリオール、お前大丈夫か?』
「違います! それはあくまでも夜会の会議と今回の会議の区別する為に誘ったのであって、本当にお誘いするつもりはありませんでした!
ラウザ様、その言い方だと私が変態のように思われてしまいます」
『変態かぁ〜。それは悪かったな。変態とは触ったり覗いたりする行為だよな』
「もちろんお触りなんてしませんよ。でも……」
……騎士団の訓練ならまた見たいかも……。
『・・・・』
ビミョーな空気が流れる。
『……姫?』
「……あれ? もしかして……言葉に出てた?」
『おう。バッチリ聞こえたぞ。騎士団なら覗きたいってな』
恐る恐る質問した水姫に、ラウザ卿はここぞとばかりに意地悪く笑った。
「ちっ、違います。私は騎士の鍛錬する様子に見惚れたのであって、決して不埒な気持ちで見てたわけじゃありません! そもそもあの場にエリオール様いなかったし!」
『ムキになるところが余計に怪しいんだよなぁ……』
「そんなぁ〜」
言い訳は重ねるほど怪しさが募る、と言うことを知らないのだろうか。
『水姫様、大丈夫です。私はわかっております』
「ソニア〜」
嬉しそうな顔をする水姫に、ソニアは言葉を続けた。
『男性は常日頃、舐め回すように女性の体を見ております。時に不快になるほど……。ですから女性も視姦するように、男性の筋肉を観察するようになっております。それが今の流行りでございます』
『・・・・』
シーン
思いもよらなかったソニアの言葉に、またまた静寂がながれる。
「えっ……? ん? し……かん?」
明らかに動揺してる水姫の傍らで、我々男達も同じく動揺していた。
聞き間違えただろうか? 視姦とかなんとか……。
いや、意味合いの違いだろう。
視姦など、とても令嬢の口から出る単語ではないよな。
『視姦です。服の上からでも判る隆々たる筋肉は、それだけで女性の目を奪い、愉しませるものです。
水姫様が騎士の筋肉に見惚れ、また見たいと切望されたとしても、それはごく自然な本能の欲求のようなものですから、言葉を繕う必要は無いと存じます』
「……すごい喋るね。しかも優雅だ……」
『これは失礼しました。つい……』
「いや、ちょっと待って! 危うく聞き流すところだったけど、私、切望してないから!」
『……姫は筋肉が好きなの?』
そう言葉を洩らしたのは、到底筋肉とは縁の無さそうな美少年タイプのレミス殿だった。
「そんなことないよ。それに、見惚れたのは事実だけど……視かん……の域ではないはず」
頬を赤らめて、恥ずかしそうにその単語を発する様子は、ある意味クルのでは?
そんなどうでもいい感想が頭にわいた。
『少しでも胸が踊るような気持ちであれば、それは視姦しているのです』
そもそもこの侍女は何故こんなに良い笑顔なんだろう……。まるで大神官様の御説法のような喋りだな。
『いやいや違うし! そもそも美女がしっ、視姦なんて卑猥な言葉を繰り返す状況ってなに? もはやご褒美じゃないの?』
たしかに……。
この状況は日々頑張ってきた自分への『ご褒美』な気がしてきた。しかも『卑猥』って……。
うん……もう、何でもいいかも。
そんなカオスとも言える空気を収束させたのは、我らの王だった。
『ミレイ。お前は何を言ってるんだ?』
「……水龍さま……。すみません。私、疲れてるみたいです」
『そうだな。もう帰って休め』
「そうします。皆様、お騒がせして申し訳ありませんでした」
『いやいや楽しかったぞ〜』
変わらず上機嫌のラウザ卿とみんなに丁寧に挨拶をして、水姫は執務室を出て行った。
パタン。
扉が閉まり、室内の音が消えた。
『……そう言えばレミス。先程の話に出ていた衣装部屋の細工とはなんだ?』
レミス殿が淡々と答え、ガラス片だと知ると、バートン宰相は目に見えて肩の力を抜いた。
まるで『そんなことか』と言いたげに……。
『もしバートンがそんなこと、と思っているなら認識を改めて下さい』
『どういうことだ?』
『細工そのものは大した事なくても、傷ついた足でダンスが踊れますか? 深さによってはヒールで歩くこともままならないでしょう。そうしたら奴等の思惑通りです』
『なるほど……。たしかに認識不足だ』
レミス殿の考察を聞いて、自分もバートン宰相と同じ認識だったことに気がついた。
レミス殿が防いでくれなかったら、水姫は夜会そのものに参加出来ない事態になっていたってことか……。
──それに思いつき、ゾッとした。
『それにしても水姫は愛らしい見た目に反して、優れた洞察力と先見の明を持ってるな〜』
『たしかに。おまけにあの負けず嫌いな性格と突飛なまでの行動力は部下に欲しいくらいです』
ラウザ卿とカリアス卿、この二人が手放しに褒める光景なんて想像していなかった。
『ラウザの挑発するようなセリフにも、怒ることなく冷静に対処していたな。噂に違わぬ 聡明な女性のようだ。
まぁ……この先はわからんがな』と、手放しとは言えないまでも、あのヒルダー卿まで称賛した。
一瞬でラウザ卿に気に入られた頭の回転の良さといい、本当の『食わせ者』なのは、水姫なのかもしれない……。
そんな、どこかやんわりとした空気が漂う室内が一変した。
『お前達、その緩んだ頭のまま明日を迎える気ではないだろうな。──私は奴等を許す気などない』
そのひと言で部屋の空気が凍りついた。
『……失礼しました』
陛下の言葉にその場にいた全員が頭を下げた。
陛下は一瞥すると、無言のまま執務室を後にされ、その後ろをレミス殿が追いかける。
『いつになくご不快のご様子でしたね』
閉ざされた扉を見ながら副団長が誰に向けてと言うわけでもなく、ボソリと呟いた。
『気を引き締めることだ。明日の夜会、何かあれば陛下の蒼い怒りの炎に、我々も飲み込まれるぞ』
ヒルダー卿の言葉が重くのしかかってきた。
明日の夜会、なんとしても無事に終わらせなくては……。
誰も居なくなった執務室で書類の仕分けをする。
これが終わらないことには、明日、陛下の判も貰えず、仕事が溜まってしまう。
『今夜は宵闇か……』
いつも見えている月が見えない。
それだけで、どこか物悲しい気持ちになるものだ。
コンコン。
深夜に響くノックの音に思わず警戒してしまう。
『失礼します。入室してもよろしいでしょうか?』
『どうした?』
現れたのは近侍の者。
『こちらレミス様にお届けするように言われて参りました』
『レミス殿が?』
失礼します。と、男は部屋を出て行った。
ワゴンのうえにはサンドウィッチと果実水。
『この王宮は本当に気の抜けないヤツばっかりだ』
メモ書きもなにもない。
それでも意図は伝わってくる。
ダニエルはチーズたっぷりのサンドウィッチを頬張り、果実水で流し込む。
『あま……』
この果実水は陛下のお気に入り。
近侍頭殿のオリジナルレシピ。
陛下のフォローは任せておけってことか?
まったく……。
『頼もしいことだ』
戻されたワゴンには何もない皿とグラス。
室内には紙の擦れる音が夜遅くまで響いていた。