第115話 夜会前日④
──龍王
全ての水を支配し、使役することができる龍族最強の王。
そのチートすぎる能力だけでなく、容姿も異次元級の美しさ。
夜の帳もおりて、締め切った部屋のはずなのに、どうしてこの人の髪はキラッキラしてるの?
陽の光が差し込む昼間ならわかるけど……髪にテカテカ成分でもぬってるのかしら?
『どうした?』
何度も聞いたことがある、低音だけど良く響くバリトンボイス。相変わらず悩殺級のイケボだ。
「なんでもありませんわ」
執務室で見る顔とも、プライベートの顔とも違う。王の顔。
纏う空気も、視線も声質も全然違うのね。
……なんだか。ゾクゾクしてくる
眉ひとつ動かずに交わる、二人の視線。
ゴクリ。
生唾を飲む、自身が発する音で我に変える。
髪テカテカとか、なに現実逃避してるのよ。
出し抜いたなんて思わない。
ここにいるのは国政を担う、百戦錬磨の重鎮なんだから。下手したら、私なんて頭からパクリよ。
『聞きたいことはいろいろあるな』
そうよ。水龍さまの『許可』を勝ち取らないと。
その時、右側から観察するような、値踏みするような強い視線を感じた。
視線の先には、ワイルド系オヤジを代表するような容貌の、ヒゲを生やした鋭い眼の中年男。
「まずは突然の乱入、陳謝いたします。
初対面の方もいらっしゃるのでご挨拶させて頂きます。
私は水原美澪、水姫としてこの国に滞在を許されております。よろしくお願いします」
『ご丁寧にありがとうございます。
私は警務省の長官を拝命していますラウザです。よろしくするつもりはありませんので、お気遣いなく』
立ち上がって一礼をするも、その口上はお世辞にも好意的とは言えないものだった。
でもミレイは気にも止めず
「わかりました。ではお互い適度な距離で相対しましょう」と、にこやかに言ってのけた。
『…………へぇ〜』
ほくそ笑んではいるが、目は一切笑っていない。
──値踏みされている?
突然の珍入者がおもしろくないのだろう。
蛇に睨まれた雛鳥ってこんな気分かしら。
いや龍族だからトカゲかな……?
脳内でコブラのような毒蛇から、街中のトカゲにチェンジしてみたら、少し肩の力が抜けた。
「フッ……」
『何かおかしいことでも?』
「べつになにも?」
緊張感のある空気が、カリアスの一言でより鋭さを増した。
『なぜ水姫がここにいるのかな。
その様子から察するに、ここで何の会議が開かれているのか承知の上で、乗り込んできたのだろう?』
「……素人の予測の範囲内です。ですが誤解なきよう。私は誰からも今日この場所、この時刻に会議が開かれると聞いておりません」
大丈夫。冷静に……
『何を言ってるんだ。実際あんたはここにいる』
テーブルを挟んだ視線の先。
ラウザと名乗った男の、虚ろう視線が喉元に絡まってくる気がした。
──? ……これは、この感覚は……。
たしかに感じる……。
人間の世界にいた時からずっと一緒だった。
あれはここにある。
「情報を集めました。ひとつひとつは点でも、集めれば線になるし、推察することもできます。今更こんな小娘に言われるまでもなく、情報収集の基本ですよね?」
頬に手を当てて、小首を傾げて優雅に微笑む。
こっわーー! オジサンこわすぎ!
足ガクガクだよ〜。
やっぱり踏み込まなきゃよかったーー!
『そうだな。基本だな。……俺等はその点を話せと言っているんだがな』
「話すのは構いませんが、そんな時間あるんですか? 夜会は明日ですよね? それとも明日の昼間もこんな風に着座して会議をなさるんですか?」
ねえ……水龍さま? と問いかけると、その呼び方に一部の者の眉が動いた。
『水龍』の呼び方は、今は近しい者にしか許されていない呼び方。
暗に私は龍王陛下の庇護下にあると伝えると、フッと嘲笑したような笑い声が漏れた。
所詮は他人の権力に縋る者と思われたでしょうね。……それでも構わない。
使えるものは全部使う。
私に使える手札は限られてるんだから。
『まさか。そんなに暇じゃないし、この時間も惜しいくらいだ』
『『陛下!』』
サンボウとクウの声が重なる。
今まで私に向けられたことがない硬質な声。
自分が招かざる客であることがビシバシと伝わってくる。
この場で水龍に拒絶されることは、強制退去を命じられたも同然だ。
──でも気づいていないフリはできる。
『そういうことだ。お嬢さんは明日の主役なんだから、後ろの侍女にキレイキレイにしてもらって、さっさと寝た方がいい』
ビシッとペン先が私に向けられる。
「そうですね〜。たしかに私もさっさと寝たいです。でも懸案事項があったら安眠もできないでしょう?」
『懸案事項? 姫、何かあったの?』
レミスでなく、クウがそこにいた。
私は詰まった息をそっと吐いた。
「うん。だからここに来たの。
そもそもこの会議の発端は宝珠の腕輪ですよね? それなら情報提供者である私も参加する権利はあるでしょう?」
『ははっ! バカを言うなお嬢さん。
それなら一兵卒も市井の情報提供者も、み〜んな会議に参加できることになっちまう』
「あら。そうですね〜」
『お遊びはもういいだろう。さっさと帰ってくれ』
言葉が鋭利な刃物となる。
さっきの水龍の一言で方向性が決まってしまった。
「……お断りします」
『……はあ?』
『姫、話ならあとで聞く。だから今は部屋に戻ってくれないか』
サンボウが私の前に立ち、全員の視界から私を消した。これ以上攻撃される前に退出を促す。
苦しそうな顔。
掴まれた肩も痛い。
ごめんね。でも今はその優しさは邪魔でしかないわ。
サンボウの手を降ろすとミレイは左腕に力を籠めた。
──あの日からずっと一緒だった。
サンボウは私の力は宝珠に巡り、満たすことができると言っていた。
異界を渡る『媒体』となるほどに……。
水龍さまは宝珠は私の意思に応えると言った。
ならば……私の願うことは……
「宝珠の腕輪よ、私の声に応えて。
私の元にきて……」
小さく呟いた言葉とともに強く念じると、隣室の執務室の机が光った。
『なんだ!?』
全員が立ち上がり、ラウザとカリアスは咄嗟に水龍の前の壁となる。
──感じる。やっぱりそこにいるのね。
「お願い。私のところにきて!」
水龍の執務机が開き、大切に保管されていた腕輪が、光と共に飛び出すと、伸ばしたミレイの左腕にスッと収まった。
水を纏った白い光がミレイを包みこむ。
『……これは……一体』
『マジかよ……』
驚きと静寂のなか、光と水は収束する。
『ミレイ……なんだその力は』
水龍までも呆然とするなか、ミレイは腕輪が納まった左手をじっと見て、ほくそ笑んだ。
「これ、証拠の品ですよね?
これだけでも国王を侮辱した不敬罪に問えるし、捜査の発端になる資料です。無いと困るんじゃないですか〜?」
ニヤリと笑うミレイに、一番焦ったのは警務省のラウザだ。
『ちょっと待て、どうするつもりだ!』
「このまま私を追い返すって言うなら、腕輪の記憶を封じます! ……この子とても優秀で、私の意を正しく汲んでくれるんです」
『『……なっ!!』』
『姫、それは!』
「どうしますか〜?」
……あの食わせ者のラウザ卿が言葉に詰まってる?
ダニエルは眼の前の光景が信じられなかった。
コレが救国の姫君? 保護対象?
勝ち誇ったように笑う様は、まるで悪役じゃないか。
『クックック……。お前は本当におもしろいなぁ〜
ミレイ』
水龍が肩を震わせて、声に出して笑った。
それは超レアな光景であり、なんなら初めて見た者もいただろう。
そしてそれが全てだった。
『お前の同席を認めよう』
水龍の言葉に重鎮も深い溜め息をついて項垂れた。
「ありがとうございます!!」
ミレイは喜びを爆発させたような満面の笑みで答えた。
「でも、考えてやるって言ってたのに、早々に追い返そうとするなんて、水龍さまひどいです」
水龍の隣に移動し、いたずらっ子のように問いかける。
『そんなこと言ったか?』
「えぇ、腕輪の映像を見せた時に言いました」
『でも、お前は拒否したはずだ』
「拒否してませんよ。遠慮しますと、言っただけです。それに、遠慮してもいられない状況になったので、こちらに伺いました」
ミレイが振り返るとソニアが一枚の手紙をテーブルに置いた。
『これは?』
「熱烈ラブレターです。今日届きました」
『らぶれたー?』
失礼しますとバートンが手紙を開封した。
眉が寄り、表情が消え、読み終わる頃には少し部屋の温度が下がった気がした。
あれ? もしかして……妖力漏れてる?
『おいバートン』
『……すみません』
ヒルダーに呼ばれて自覚したのか、手紙を水龍さまに渡すと自身は目を閉じた。
あっ。戻った? よかった〜。
『……なんだこれは』
水龍も手紙を読み、他の方々も次々に目を通す。
『ほう。脅迫状ですね』
『……というか水姫。この手紙を先に提示してくれたら、針の筵のような事態にならなかったと思いますけど』
エリオールの言葉は至極、真っ当だった。
「そうですね。でも、その手段を取れば『手紙だけおいて、後は任せて』と、言われて終わりです。
腕輪の時と何も変わりはありません」
『……たしかに。でもどうして会議に参加することにこだわるんですか?』
「どうしてって……私に売られた喧嘩だからですよ」
当然とばかりに言ってみたが、一呼吸おいて何故か室内に笑い声が響きわたった。
「えっ、なに? 何か変なこと言った?」
レミスとバートンは頭を抑えて呆れたように笑い、ラウザは文字通り爆笑。寡黙なキャラのはずのヒルダーおじいちゃんまで口元を隠して笑ってる。
『なんで笑ってるの? ヒルダーおじいちゃんまで!』
『……だれがおじいちゃんだ』
一瞬で空気がピリついた。
「ごっ、ごめんなさい! 私、心の中ではヒルダーおじいちゃんって読んでたから、つい!」
『……それは何の弁解にもなってないね』
カリアス宰相が苦笑いをして、エリオールは『ツワモノすぎる』と零した。
『たしかに売られた喧嘩は買うもんだよな!
権力に媚売るタイプかと思いきや、真逆じゃねえか。お嬢ちゃん気に入ったよ』
バンとラウザに背中を叩かれた。
いったーーい!
筋肉まみれと一緒にしないで〜!
『……水龍さま、と呼んだのは時間稼ぎか?』
「はい。どんなに気に食わない存在でも『水龍さま』と呼ぶことを許されてる私を、王の判断を待たずに、問答無用で叩き出すことはしないだろうと思いました」
『正しい判断だ』
ラウザがニヤリと笑った。
『オレはクレオン・ラウザ・サマラスだ。
先程は失礼した。改めてよろしくな!』
「はい。よろしくお願いします!」
がっちりと握手を交わした二人をエリオールは信じられない思いで見ていた。
『ラウザ様に気に入られるとはすごいですね』
─そんななか、バートンは気を取り直して手紙をじっと見つめていた。
ミレイがそれに気づき、目の前まで歩みよる。
「さっきは庇ってくれてありがとうございます。でも、あなたはいつまで腑抜けた顔をしているんですか?」
『……えっ?』
シーン……
本日、何度目になるかわからない静寂。
先程までの笑い声が嘘のような静けさだった。
『水姫様、なにを……』
『ちょっと、何を言ってるかわかってるんですか?』
エリオールとダニエルの焦った声が耳に届く。
──それは当然だろう。
サンボウ、いやバートン内務宰相はカリアス宰相と並んで、この国の序列第一位の臣下であり、王の腹心中の腹心でもある。
でもミレイにはそんなの関係ない
「私が今回の事態に気づいた一番の理由はあなたよ。バートン宰相閣下」
『……ひめ?』
「この前も思いつめた顔をして、今日は余裕のない腑抜け顔? ……妖精のサンボウの方がよっぽど男前だったわ」
『姫! 姫の言いたいこともわかるけど、バートンにも考えがあって……』
「クウは黙ってて」
『!?』
「私のこと『護るから』って言ってたよね?」
『ああ、ちゃんと護るから姫は安心していい』
私の問いにサンボウは力強く頷き、私は眉をギュッと寄せて、失望の溜め息を吐いた。
その様子を水龍は黙って見ていた。
「……私はたしかにひ弱な人間だし、龍族相手なら軽く殴られたくらいで死ぬかもしれない。でも安穏と笑っていることが幸せ、だなんて思われたくないわ」
『……姫?』
俯くミレイを不審に思い、バートンが覗き込むような仕草を見せる。
「……何も知らないで、ただ護られることを諾と受け入れて、周りの思惑に沿った行動をする。
……そんな人形のような扱いを、箱庭で囲われるような扱いを、私が望んでると思ってるの? 私の認識ってそんなものなの?」
ギッと睨みつける
『ちがう。そんなことは思ってない!
……姫はいつも共にいた。むしろ一人で突っ走って困らせて……』
言葉を詰まらせたサンボウを見て気付いた。
私は……悔しかったのかもしれない。
ここに来る前は一緒にいたのに、横にいたのに、いつの間にか私は『庇護の対象』になっていた。
仕方ないとわかってるけど、それが一番悔しかった。
「ロスが討伐に向かう前日、私の所にきたわ。
……少し、二人で話したの。
自分はエスコートを任されてるけど、討伐に行くって。騎士団長の自分は兵を、国を守る為に存在するから。ごめんって言ってたわ」
『あいつがそんなことを……』
「当然だよね。それが仕事なんだから。あなたはどう?」
『……』
「異界に住む私を無理矢理召喚して、利用して、命張らせて……。目的の為なら嘲笑も苦手な相手も受け入れて、手段を選ばなかった。
妖精だった頃のあなたの方がよっぽど『サンボウ』だったわ」
『……』
「ねえ。サンボウの一番に大切なものはなに?
思い出してよ。あいつらは誰を侮辱したの?」
ドン!
サンボウの胸を、腕輪のついた左手で強く打つ。
「私でさえ、腹わた煮えくり返る思いがしたのよ。
大切な者を見誤るような真似はやめて。
──がんじがらめになる位なら、小娘の一人くらい……切り捨てなさいよ」
『『姫!!』』
信じられないと見返す二人の視線。
──わかってる。
みんながどれくらい大切に思ってくれてるか。
切り捨てられたら本当は悲しい。死にたくない。
でもあいつらは許せない。
悲しそうに笑う、あの日の水龍さまが脳裏に浮かぶ。
傷を抉ったのは私。……なら、私にも責任はある。
『あーー……。嬢ちゃん自分が何を言ってるかわかってるのか?』
ラウザが引き気味に聞いてきた。
「わかってます。でもこんな中途半端ヤローに私の人生を預けたのかと思うと、イライラするのよ」
──あの日。
真実を知った時と同じ怒りの瞳。
諦めないと言った強い瞳。
……そうだ。姫はいつだって自分よりも周りを見るような人だった。
今だって、頭の中で奴らを潰す策はできてるんだ。
でも姫を晒すことが怖くて……もし傷付られたら、失ったら……そう思うと、喉に声が張り付いて出てこなかった。
情けない……
自分は護ってるつもりで、いつも姫に護られている。
動けないでいる自分の、後押しをしてくれる。
──私は数多の戦場を知っている。
戦争も謀略も、社交界の蹴落とし合いだって日常茶飯事だ。
姫は戦いなんて知らないのに。
平和な世界の、普通の娘なのに。
この人は誰よりも……。
『これではどっちが軍師かわからないな……』
軍師とは策を練り、味方を鼓舞し、戦が始まる前に勝利の道を指し示す者。
「なあに? なんか文句あるの?」
『……いや。やっぱり姫は姫じゃな!
最高じゃ!』
ニッコリと笑ったサンボウの顔は、それまでとは変わり、とても晴れ晴れしたものだった。
「サンボウーー!!」
それを見てミレイが抱きつき、笑顔で抱き合う傍らで、周りは見守るように静観していた。
……………………じゃ??
『……じゃ』ってなんだ?
クウって誰だ??
水龍を除く全員の胸に去来したが、感動で抱き合い、レミスは目頭を抑えてるこの状況では、ツッコミを入れられる者は誰もいなかった。