第114話 夜会前日③
外の衛兵達が寒さに身を震わせてる頃、一人の侍女がある執務室を訪れていた。
文官は半数ほどだが、軽快に指示や確認が飛び交い、各々仕事に没頭していた。
「すみません、宰相閣下はいらっしゃいますか?」
おどおどした様子の侍女に、出入り口に一番近い若い文官は、微笑ましいものを見るように優しく答えた。
『ただ今席を外されていますが、お約束はしていますか?』
『いいえ。でも、ご不在なんてどうしましょう。
明日の夜会に関することなのですが……』
『では私がお伺いしましょう』
『直接お渡しするように申し付けられておりまして、このまま帰るわけには……』
目尻を下げて困り顔のまま、上着のなかに手をいれて、そっと手紙の存在をアピールする。
手紙の存在を確認した文官は、左胸にある王宮侍女専用バッジに目をやった。そのバッジは近侍頭から直接与えられる物であり、王族又はそれに準ずる高位貴族に仕えることが許される証である。それにより侍女の身分と信用度を示すものにもなるのだ。
『……本当は内密なのですが、閣下はただ今の時間は陛下の執務室にいらっしゃいますよ』
コソッと文官が教えてくれた。
おそらく階級が上がったばかりの新人侍女と思っているのだろう。
『ありがとうございます! あっ、でも会議じゃないんですか?』
『会議ですが、衛兵に要件を伝えれば、秘書官見習いが取次ぎをしますから大丈夫ですよ』
『そうなんですね。良かった〜これで怒られずにすみそうです。ご親切にいろいろとありがとうございました』
柔らかい微笑みと共に一礼をすると、文官は頬を赤らめて『頑張ってくださいね』と、扉を開けてエスコートまでしてくれた。
侍女は忙しそうに行き交う人々の間をすり抜けて、廊下の角を曲がる。すると途端に歩調が速まり、表情もなくなった。
部署の確認も名前も聞かないなんて。それでよく上官の居場所を教えるものね。まぁ、こちらは助かったけど……。
侍女は自身のお仕えしている部屋に着くと、棚の上に先程の手紙を置いた。
「どうだった?」
部屋の主が体を反転させて、まるで夕食のメニューでも聞くような、のんびりした口調で聞いてきた。しかしその表情は、確信の色が浮かんでおり、聞くまでもないことは明白だった。
『読み通りでございます。今のお時間は陛下の執務室にいらっしゃるそうです』
「やっぱりね。わたし名探偵かも!」
『……そうですね』
嬉しそうに身を乗り出し「ミステリー系、結構好きだったのよ〜」と、独り言のようにつぶやいた。
──ほんの数刻前に不快極まりない脅迫状をもらい、明日は陰謀渦巻く夜会だと言うのに、この余裕はなに? ある意味、落ち着いているのかしら?
『……いや、ただ肝が座ってるだけかも』
ソニアは溜め息混じりに、半ば諦めのようこぼした。
少しこの人に慣れてきた気がする。
深く関わるつもりはなかったけど、これはこれで……。
「なあに?」
キョトンと小首を傾げる姿はこんなにも愛らしいのに、その性格はどこか残念であり、それが魅力的なのだろう。
『いえ、何でもございません。これから伺いますか?』
「なんか意味有りげな笑い方〜。まぁいいけどね」
そう言う彼女も「さぁ行きましょ」と、不敵な笑みを浮かべて立ち上がる。
「陛下にお会いできる服のなかで、極力動きやすい服がいいわ」
『承知しました。水姫様……その前に』
ソニアは主寝室に向かうと、備え付けられている貴重品箱に何か唱え、扉を開く。上着の内ポケットから鍵を取り出すと丁寧に貴重品箱にしまった。
「それはどこの鍵?」
鍵そのものに装飾がされてるのを見ると、その辺の倉庫の鍵ではないとわかる。
『衣装部屋の貴重品箱ものでこざいます』
「なんでそれを私の部屋に隠すの?
あっ。さっきレミスのところに行ったから?」
『はい。今夜はレミス様の執務室でおもてなしをするかもしれない、とのお話で、問答無用で押しつけられました。
……それはそれは、楽しそうに腹黒く笑っておいででしたよ』
そう言うソニアも目が笑ってないよ〜。
おまけに押し付けられたって……。実はなかなかいい性格してるのかもしれない。
ミレイが若干引き気味に、ハハッと乾いた笑いをしていると、ソニアに『早くお支度にとりかかりましょう』と促された。
そうだった。のんびりしてる暇はない。
人間の小娘の意地、見せてやりましょう!
◇ ◇ ◇
その頃、水龍の応接室では明日の夜会にそなえ、敵の謀略を潰すための策が熱く語られている……はずだった。
不穏な情報も続々と入ってくるし、動きも活発化している。しかしどうしてこの人達は、こうもいつも通りなのか。
のらりくらりとは言わないが、はかりごとに慣れすぎている面々にとっては、この程度は日常茶飯事であり、いまさら動揺もしない。それが頼もしくもあり、物申したい気にもなる。
『まず、パウロス卿がマクマード卿の動きに気づいて、近しい者を集めて会合を開きました。確認できた参加者は紙面の通りですが、水姫を引きずり下ろそうと一番息巻いてるのは、パウロス卿だそうです』
ダニエルの言葉にラウザが苦笑いを浮かべる。
『水姫を引き摺りおろせば、自分の娘が王妃になれるとでも思ってんのかねぇ~』
『思ってるからこその愚考だろう』
ラウザの言葉にヒルダーがボソリと呟いた。
『意外と集まらなかったなうえに、顔色伺いの傍観者ばかりだな』
『人材不足はどこも深刻ってか?』
『……ラウザ卿』
カリアスの言葉を茶化すラウザを窘める。
『明日の夜会はパウロス卿も何か仕掛けてくると思って良いのでしょうか?』
エリオールが険しい顔で年長の重役達に指示を仰ぐ。警備は騎士団の領分。第三騎士団の不在により、通常より手薄とはいえ、何かあってはならないのだ。
『いや、もう潜り込んでるみたいだ。
そうだろ近侍頭?』
ラウザが斜め前に座るレミスに話を振る。
『はい。一昨日には不審な侍女を捕らえて警務に引き渡しました。それ以外だと今朝、細工を見つけまして今は鑑定依頼中です』
『その細工もあの女だろう。パウロス卿の屋敷で以前使用人をしていたが、横領が見つかってクビ、今は職なしらしい。カマかけたらあっさりゲロったよ。
……ただ、あの感じだとまだ仲間がいそうだな』
『コホン。ラウザ卿……御前ですので、言葉に気をつけて頂けますか』
ダニエルが再び嗜めると、ラウザは詫びれる様子もなくニヤリと笑った。
『細工とは穏やかじゃないですね。いったいどこに?』
エリオールの言葉にラウザは『四階衣装部屋』と、飄々と答えた。
その言葉にそれまで黙っていたバートンの眉がピクリと上がる。
四階衣装部屋は主に貴賓の女性の衣装を保管する部屋であり、今、この王宮で過ごす貴賓女性は一人だけだ。
『でもそっちは対策済みなんだろう?』
レミスはコクリと頷き
『水姫様が当日着用する物は、昨日までは私が管理していましたが、今は信用のおける者に命じて移動しました。
……今夜辺り、大きなネズミが掛かる予感がしまして』
少年のような綺麗な顔に微笑が浮かぶ。
『そうそれだ! ウチの密偵が言ってたぞ。朝礼後にポケットから鍵を落とす〜なんて、笑える芝居をしたらしいな』
眼の前で楽しそうに指差してくるラウザに、レミスは眉を潜めて反論した。
『笑える芝居などした覚えはありませんが?』
『そうか〜? ウチの連中は、笑いを堪えるのが大変だったらしいぞ』
『あぁ……アイツらですか』
その言葉に冷めた表情で答える。
『まあまあ、これでも褒めてんだぜ?
その洞察力と行動力は警務向きだ。ウチも人材不足でなぁ〜。どうだい、転職してこないか?』
『……私などとんでもございません』
年下らしく神妙な面持ちで断りをいれる。
レミスにとってもラウザは読めない者であり、気を抜いていけない相手なのだ。
『はぁ〜。いい加減そこまでにして下さい。
女の仲間については、引き続き自白を待つとして……』
『ハハッ。アレを自白と言うなんて秘書官殿も性格悪いなぁ〜』
いつものことながら、ラウザが止まらない。
ダニエルはそんな警務省のトップを無言でスルーすると、エリオールに目を向けた
『衛兵からは巡回中に不審物は見つかっていません。
一応……不審者も無しと報告がきています』
不審者が捕まった報告の後だけに、歯切れが悪い。
まあ仕方ないだろう。
この近侍頭は記憶力だけで不審者の選別をしてしまうのだから、騎士団は立つ瀬がないってやつだ。
『さすがに王宮に何か仕掛けるような度胸は無いと思いますが、夜会が終わるまで警戒をお願いします。
次にマクマード卿の方ですが──』
コンコン。
応接室の扉がノックされ、ダニエルは『またか』と言わんばかりに溜め息をついた。
……ったく、どいつもこいつも!
話がまったく進まないじゃないか!
『ユーリ。少しは状況を察しなさい!』
バン! と、彼にしては荒々しく開けた扉の先にいたのは、ユーリではなかった。
『………………は?』
ユーリより更に小柄な黒髪の女の子。
クリッとした瞳は黒曜石の輝きを放ち、見るものを引きつける。
「お取り込み中、失礼します。お邪魔してもよろしいですか?」
そこに立っていたのは、保護すべき対象である水姫、その人だった。
『………………えっ?』
『ひめ……?』
バートンとレミスはガタンと音を立てて立ち上がるとその場で立ち尽くし、先程まで飄々としていた、ラウザは持っていたペンをポトリと落とした。
全員の視線が扉の前の人物に注がれ、しばし沈黙が場を支配する。
『……えっ、水姫? ……何で?』
隣に立つダニエルの初めて聞く砕けた口調と、重鎮達の面喰らったような表情に、ミレイは心の中で懇親のガッツポーズをした。
それくらい予想外ってことだよね。
出し抜いたみたいで楽しい〜!
クックック……。
忍び笑いが沈黙を破る。
『お前はやはり予想がつかないな』
「……褒め言葉と取っておきます」
水龍とミレイ、二人の視線がまるで挑み合うように、空中でじっと交錯していた。
その様子を見てダニエルは一人遠い目をした。
……俺、今日の仕事まだ終わってないんだけど。
今夜は寝れないかもなぁ。
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