第107話 夜会まであと四日①
太陽が天頂を通過し、微睡む空気が漂う午後の時間。数人の男達が昼食をとり、仕事に戻るところだった。
『やっぱり陽差しが入る部屋はいいよなぁ。
眠くなってきたよ』
『まったくだ』
『まぁ、うちみたいなハズレ部署には過ぎた望みだ』
『それを言うなよ〜』
広い王宮では仕方のないことだが、陽射しが入りずらい一角もある。それも相まって男達が所属する農工省は『陰部屋』又は『日陰のこうさん』と揶揄されていた。(農工産業を扱う部署なだけに、工産と降参を掛けて、あの部屋行きは人生に降参した、なんて意味あいを持たせてるらしい)
数人の男達は笑いながら部屋に入り、戻りましたと、上官に声をかける。
男の一人が郵便物の仕分けに取り掛かると、大量の郵便物の中に宛名の無い郵便物を見つけた。
まったく誰宛だよ〜。
他が忙しいのは知ってるけど、名前くらい書いてくれよな〜。
『すみません。これ宛名が無いので開封していいですか〜?』
一応上官に確認をして封を開けてみると、中はたった一行のみ。
『はぁ? なんだよこれ』
『どうした?』
男の声に周りが反応する
『宛名が無いだけでも面倒なのに、中も変なんですよ〜。イタズラか〜?』
『変って何が?』と、同僚達がその封書を覗きこむ。
『 オボエテイルカ? 』
不意に読み上げられた手紙の内容。
周りがざわめくなか、窓際で黙々と仕事をしていたインテリ風の男の手が止まった。指先に力が入り、垂れたインクが書きかけの書類を汚す。
『もしかして夜会に向けた怪文書かも!』
にわかにテンションが上がる若い職員達。
『ばっか。それならウチみたいな陰部屋じゃなくて、花型部署に投げ込まれてるよ』
『先輩、それ自虐が過ぎて辛いです〜』
『先輩の自虐ネタに降参(工産)です!……ってか?』
どっと笑い声が部屋を満たすなか、窓際の男だけが顔を硬直させ、目は一点を見つめていた。
宛名のない手紙……だと?
『まぁ、こんな時期だから一応上に報告しておくか』
『でもイタズラかもしれないじゃないですか。
「こんなのマトモに取り合うなんて相変わらず暇なんですね」……とか、絶対嫌味言われますよ』
わかるわかる、と全員が頷く。
そう。ここはそういう扱いの部署なのだ。
『しかしなぁ、何かあった場合はウチの責任になるからな。厄介事は早めに他にまわすに限るだろう。
誰か届けてくれないか?』
上官の言葉に誰もが口を紡ぐなか、インテリ風の男が席を立ち、静かに申し出た。
『それなら私が行きますよ。他の書類もありますから』
『いいんですか!? オレステス卿』
『オレステス、頼んでもいいのか?』
『はい。では行ってまいります』
面倒事を回避できたと喜ぶ同僚達を後目に、手紙を受取り部屋を出ようとすると、一人の少年に声を掛けられた。
『あの顔色が悪いですが大丈夫ですか? 私が行きましょうか?』
一番若い、まだ少年のような同僚だ。
『いや大丈夫だ。ありがとう』
自身の子供と同じ歳くらいの少年に心配されつつ、オレステスは部屋を出た。
廊下の角を曲ったところで封を開けて中身を確認する。粗末な紙と封筒、封蝋には何の家紋も押されていない。
手紙の中身は先程読み上げた通り『 オボエテイルカ? 』の一行のみ。しかし指を下に滑らしていくと、右手の親指に微かな違和感を感じる。
紙が切れるか切れないかの絶妙な塩梅で傷をつけられたあと
そしてソレこそが自分宛てだと知らしめる証。
『……』
男の手はカタカタと震え、手紙は手の圧によって指の形に歪められていく。
その時、遠くからカツカツと靴の音が近づいてきた。オレステスは慌てて手紙と封筒をポケットに突っ込んだ。
何かしなければ……。
今、行動に移さなかったら私達こそ危ない。
あの方は平気で捨て駒として扱うだろう。
クソ。水姫さえいなければ……。
暗い階段を登ると、まばゆい光に一瞬瞬きをした。
大きな窓には水色の薄手のカーテンが引かれ、廊下の柱には王家の紋章が等間隔で掲げられていた。
誰が見ても国の中枢機関を象徴するフロアだ。
それもそのはず、このフロアには両宰相の執務室や式部、財務等、主要部署の執務室や長官室。会議室も大小存在する。
オレステスが在籍する農工省はいくつか細かな部署に分かれているが、内容は農地の開拓や工事事業と産業をとりまとめる部署だ。
国を支える大切な部署ではあるが、王宮外の仕事が多い為、執務室は二階にあり外階段に便利な王宮の外れに位置している。
効率を重視した場所なのはみんな分かっているし、実際仕事に支障は無いが、この綺羅びやか三階のフロアに来ると嫌でも自分達がハズレ部署だと思い知らされる。
私だって出来るんだ。
私はあいつ等とは違う。
オレステスは顔を上げて、扉の前の衛兵に部署と名前を伝える。
全ての部署の統括部署でもあり、機密文書も取扱う内務総省だ。常に衛兵が常駐している。
大きな扉の奥は更に部屋が分かれていて、ここでも格の違いを見せつけられる。
部屋に通されてから、ドアに一番近い男に書類を渡すと確認作業で待たされた。
オレステスは無表情で待っていると、視界に薄い紫色の髪をした糸目の男が入ってきた。
自ら部下の席に移動して指示を出しながら、両手にはいくつもの書類を持ち、それらを同時進行で進めているようだ。宰相の後ろには指示を黒板に書き留める者、新たに指示書を作成する者、全員が仕事に向かい、そこはやりがいと活気に満ち溢れていた。
『確認しました』
その言葉でオレステスはハッとなると、一礼をして部屋を出た。
バタン
閉ざされた扉をジッと見つめるとポケットの中に手を入れた。
カサリとした紙の感触。
オレステスはそのまま手紙をグシャリと握り潰すとそのまま自身の職場である階下の部屋を目指した。
やらなければ。
そうしないといつまで経っても何も変わらない。
でもどうやって?
水姫の外出する範囲など、たかが知れている。それに常に誰かが付き添っているようだ。
一度、息子が接触を試みたが、侍女によって阻まれたと聞いた。
普段からしかめっ面をしている男の眉がより一層険しくなり、眉間のシワが深く刻まれた
『そう言えば──卿と──卿の御息女は婚約破棄間近らしいぞ』
すれ違う官僚の声が聞こえてきた。
オレステスの歩みが若干遅くなる。
『それ本当かぁ〜? 前に二人でデートしてるところを目撃されてるぞ』
『体裁を取り繕うためならデートのひとつでもするだろうさ。オレは噂は真実だと思うね』
『ハハっ。噂はウワサってな! 振り回されたらおしまいだぞ』
『噂話なんて娯楽の一つだ。楽しめるなら大歓迎だ』
『趣味わりいなぁ〜』
二人の声が届かないところまでくると、オレステスはブツブツと呟きはじめた。
『──下女あたりを使って……。
学校で流すのも良いな。若い貴族ほど下衆な話を好む。
噂はウワサ……か。たしかにその通りだ』
ニヤリと不気味な笑みを浮かべると、オレステスは足早にその場を立ち去った。
夜会まであと四日。
時間は限られている。
あいつの為にも私は失敗できない。
あいつには我が家の再興がかかっているのだ。
絶対に再興するんだ、誰にも馬鹿にされることのない未来を。そのためなら私は……。