白き鎌鼬ナックン
山道への入り口に立って、私は逡巡していた。
このまま山に入れば越える頃には夜になってしまう。雪もちらつき始めた。
編み笠も被っている。脚絆の紐もしっかり閉めた。帯刀もしている。しかし明かりがない。
明かりさえあれば、獣が出ようと、野盗が出ようと、ましてや妖が出ようと決して負けないのだが……。
そんなことを考えていると、後ろから一人の老人が話しかけてきた。
「お武家様、悪いことは言わねぇ。この山を越えるのはやめたほうがええだ」
私は振り返り、声は出さずに『なぜか』と、体の動きで聞いた。
「妖怪が出ますだよ。旅人の身体を切り刻んで遊ぶ、始末に負えねぇイタズラ妖怪ですだ」
その妖の名を聞きたかった。
しかし、声は出せない。
「よかったら今晩はウチに泊まって行きなせぇ」
そう言ってくれる、親切な老人だった。顔つきにも善良さが滲み出している。
「見たところお武家様、お召し物もご立派だし、ええところの息子さんのようで……。こんなところを見つけちまっちゃあ、ほっておけませんや」
なるほど。私の身体の線が細いので、相当若い少年だと思われたようだ。
恩を売っておけば後でいい見返りでもあると考えたのだろう。
まぁ、いい。正直に言うと心細かったので、私は言われる通りにすることにした。
老人に案内され、その家に入ると、中は広く、囲炉裏に火が燃え盛っていた。有り難く暖を取らせていただくことにする。
編笠を脱がないわけには行かない。しかし……なかなかそれを取らずにいると、老人がヘコヘコしながら聞いてきた。
「ところでお武家様……。失礼でございますが、お名前はなんと?」
見たところ家の中には老人一人のようだ。
まぁ、相当お歳を召されているようであるし、構わぬだろう。私は声を出し、名乗った。
「雪風……心丸と申す」
「雪風……!」
びっくりしたのか、老人の声が裏返った。
「雪風というと……あの有名な? あやかし退治の雪風一族のお方で……!?」
私は自慢するつもり満々でコクリとうなずいた。
有名なのは兄者たちであり、私はまだまだ駆け出したばかりのペーペーなのだが、家名で凄い人扱いしてもらえるのは気持ちがよかったのだ。
「しかも、そのお声……」
老人が編笠の下から私の顔を覗き込む。
「もしや……おなごのお武家様で?」
そう言われて、私はようやく編笠を脱ぎ、顔を見せた。
「はへぇ!」
老人が正直に、私の顔を見た感想を言った。
「お顔はまるで男の子だが、確かにおなごじゃ!」
少し傷ついたが、気にしていないように装いながら、私は老人に聞いた。
「ところで爺様、あの山に出るという妖の名を教えてはもらえぬだろうか?」
「鎌鼬ですじゃ」
やはりか!
そしてもしや、その鎌鼬の名は……
「白い鎌鼬で、ナックンという名前のイタズラ妖怪ですじゃ」
「ナックン!」
私は嬉しさに身を乗り出した。
「そやつじゃ! 私はその妖怪を退治しに来たのじゃ!」
「それは有り難いですじゃ!」
老人がぽんと手を合わせた。
「アレを退治していただけたら、交通の便がよくなって、コンビニも近くなりますじゃ!」
「退治じゃ、退治じゃ!」
老人の語尾が移ったように、私もうわっ調子になった。
「して、そのナックンという妖怪、どのような悪さをしておるのじゃ?」
「山道を通る者を襲い、衣服を切り刻み、切り刻んだそれを秘密の宝置き場に隠してしまいますのじゃ」
「それは悪いやつじゃ!」
私は激怒した。
「ナックンという悪い妖怪がおるから退治すべきという噂は聞いておったが、まさかそこまで悪いやつだとは思わなんだ……じゃ!」
「無理に語尾に『じゃ』をつける必要はございませんじゃ」
「なんか意地になってつけてしまうのじゃ」
「ゆるゆる戦隊せいしゅんじゃー」
「貧乳戦隊おっぱいないんじゃー」
なんだかご老人と意気投合してしまった。
その夜は二人で酒を飲み明かした。
「お世話になりました」
朝になると語尾から『じゃ』は消えていた。
私はぺこりと一宿一飯の礼を言うと、山道へ向かって歩きはじめた。
「お気をつけて」
老人が後ろで私を見送ってくれた。
「昨晩は狩らないでくれて、ありがとう!」
そうだったのか。気づかなかった。ありがとうと後ろから声を投げられて初めて気がついた。あの老人、妖怪だったのか。
おそらくは私を泊めて身ぐるみ剥いで鍋にして食おうとでも思っていたところを私が妖怪退治の一族だと知り、当然のこと正体を見破られているものと思い込み、一晩中ビクビクしていたのだ。すまないことをした。
しかし、よかった。私も雪風一族とはまだ呼べないほどの未熟者だと気づかれなくて。
山道を歩くのは気分がよかった。
雪も少なく、歩きにくくはない。景色もよく、ルンルン気分で足を進めた。
しかし気は緩めない。どこから鎌鼬のナックンが襲いかかって来るかもわからない。
今日は私の初陣だ。己の実力に見合う妖怪を相手に選んでやって来たのだ。だから大丈夫。兄者たちも『その妖怪ならおまえにまかせられる』と太鼓判を押してくれた。
どこからでも来い。
出てこい、鎌鼬のナックン。
ドキドキしながらそう思っていると、松の木が揺れた。
「出たか!」
素速く腰の斬魔刀『春天才児』を抜き、襲いかかって来たものめがけて振った。しかし、空振りだ。そいつとの距離はまだ刀の届く近さではまったくなかった。
「ククク……」
白い頭巾で顔を隠した忍者みたいな小男だった。
「クックックック……」
笑う男に向かい、名を聞いた。
「貴様が鎌鼬のナックンか?」
「そうよ。我が名はナックン。鎌鼬だ」
甲高いオッサンのような声でそう言うと、手で印を結ぶ。
「その綺麗なおべべ、ズタズタにさせてもらう」
「ああっ!?」
私の背中に衝撃が走った。
なぜだ? ヤツは正面にいるのに、背後から斬りつけられた。まるで二人いるようだ!
いや……二人いるんじゃね? そう思い、振り向くと、何か白いものが松の木の陰に隠れた。
「ううあっ!?」
ズバッ! と、また背中を斬られた。
振り向くとさっきの小男が、イタズラを見つかった猫のように飛び退いた。
「貴様ら……卑怯だぞ! 一人に対し二人がかりとは……」
それがどうしたというように小男が「へへっ」と笑う。馬鹿にするように。
しかし、妙だ。
こやつらからは妖気を感じない。
ほんとうにこやつら、鎌鼬なのか?
そう思っていると、松の陰に隠れていたほうのヤツが姿を現し、土下座した。
「すいません。私たち、鎌鼬などではありません」
「あっ、こらっ! つとむ! 正体をバラすんじゃねえ!」
土下座したのは白い忍者装束の上からでも気弱そうとわかる、若そうな男だった。そいつが言う。
「私たち、霧咲星人の親子でして……。妖怪ではありません。この山道を通る人間を襲って生計を立てております」
「そ……、そうなんだ?」
「はい! 妖怪ではなく、宇宙人でございます」
ど……、どう違うのかな? と思っていると、後ろからまた斬りつけられた。
「うあっ!? 話している最中に……無礼な!」
「ヒヒヒ」
小男が笑う。
「オレたち霧咲星人の生き甲斐はな、誰かの背中を引っ掻いて嫌がってもらうことなのだ」
「引っ掻く? 切り裂くではないのか?」
「同じことさ。自分の背中をよく見てみろ」
体が固いので見れなかった。どうなってる? と、気の弱そうなほうに聞いてみた。
「ああっ……! すいませんすいません! 綺麗なおべべに……断裂が……!」
彼はだんだん興奮しはじめた。
「なんて見事な断裂だ! ふひょひょ……お、おれの爪で、綺麗なおべべを斬ってやった! 綺麗なおねえさんのお肌が見えるまで……も、もっと斬りたい……! 斬らせろおぉぉお!」
ヤバい。こいつサイコパスだった。
後ろからは小男が鋭い爪を振り上げて襲って来る。
「ククク! 斬らせろぉお!」
「ヒヒヒ! 斬る! 切る! Kill!」
切り裂かれる……!
剥かれてしまう!
助けて、お兄ちゃん!
──そう思った時だった。
「ウオッ!?」
「はへっ!?」
二人が奇声をあげ、それぞれに飛び退いた。
何事かと思って顔を覆っていた手を離してみると、私の足元に、一本の白いイタチが立っていた。ちっちゃいイタチだ。
そのイタチは何を考えているかわからない平和そのものの表情で、ぼーっとしていたが、只者ではないオーラを発しているのが私にはわかった。
「ほ……本物だ! 本物が出やがった!」
霧咲星人たちがオロオロしている。
「は……はへっ! か、かまかまかまいたちの……!」
「もしかして……」
私は足元のイタチに聞いた。
「あなたが鎌鼬のナックン?」
イタチは何も聞こえていないように、丸いお目々をして、ぼーっとしている。
「か……、構わねぇ! ただのちっこいイタチだ! やっちまえ!」
二人が再び襲いかかってきた。
「ふひひひひ! おねぇさーん! 斬らせろぉー!」
二人の何年も切ってないような長くて鋭い爪が、私を裸に剥こうとやって来る。
イタチが、あくびをした。
毛づくろいをし、顔を両手で洗うと、ぶるぶるっと身を震わせる。
震えたイタチの体が、膨れ上がる。
いや、膨れ上がったように見えるが、回転しはじめたのだ。
まるでチェーンソーのように高速回転したそれは、速すぎて見えないもののように、あっという間に空気と同化した。
「あきゃっ!?」
霧咲星人たちが、あっという間に素っ裸に剥かれた。
「ひべぼ!」
剥かれた勢いで、山道を踏み外し、谷底へと仲良く落ちていった。
鋭い風のような、ピウという音が止まると、また私の足元にはイタチが立っていて、じーっと私の顔を見上げていた。
「助けてくれたの?」
私が聞くと、なんか不愉快そうにあくびをひとつし、クンクンと私の足元の匂いを嗅ぎはじめた。
「ありがとう」
抱っこしてみた。嫌がらない。
「あなた、私の命の恩人だね」
ペロペロと私の鼻の頭を舐めてくる。
でも、凄い力だった。
鎌鼬のナックンといえば、妖怪の中でも初心者向けとして名が通っているのだが、あれは間違いなのではないかと思えた。
兄様たちの戦闘は何度か見て来たが、正直、本気を出したナックンは、稀代の天才退魔師である彼らよりも強いのではないかとすら思えた。
この子が一緒にいれば……私ももっと強い妖と戦うことが出来、修行になるかもしれない……。
一瞬そう思ってしまったが、ふるふると首を横に振り、その考えを吹き飛ばした。
彼は自由なイタチの妖怪。私が己の欲のために束縛していいものではない。
「この山を下ったところに茶店がある。そこでお礼にミルクをご馳走したいのだが……一緒にそこまで……行く?」
私が聞くと、物凄く重要なことを聞いたように、ナックンが私の目をまっすぐに見た。
ウンウンウンウンと何度も頷く。
そして変身した。白いもっふもふのマフラーに姿を変えると、私の首に柔らかく巻きついた。
「フフ……。あったかい」
思わず顔がにっこりとなってしまった。
「じゃ、行くのじゃー」
山道を下りはじめると、雪が強く降りはじめた。
マフラーになってくれたナックンがあったかくて、私は雪に泣かされることもなく、笑顔で山を下りて行けた。