第八話 鏡合わせの私たち
驚くべきことが起こった。
月に一度しかやってこないアダム王子が翌日再び私の屋敷に訪れたのだ。連絡もない突然の訪問に私を含め屋敷の者は困惑した。メアリアンはアダム王子と会う直前まで私の手を握ってくれた。
アダム王子はいつもの笑顔を浮かべて客間の椅子に座っている。
私はアダム王子に会ってすぐに頭を下げた。
「本日は屋敷にお越しくださりありがとうございます」
私は椅子に座っているアダム王子のそばに近づき、跪く。
「昨日のことを謝罪させてください。申し訳ございませんでした」
私はアダム王子の手を取り、彼の顔を見据えながら言った。
「私は、自分の思った通りに物事が進むことが最良のことだと思っておりました。それは他の人もそうだと。自分が良かれと思うことを、あなたに押しつけてしまった。
そうすればあなたが私を好きになってくれると。あなたのことを考えるフリをして、自分のことしか考えていなかった。
考えを押しつけてしまってごめんなさい。あなたの考えを否定してしまってごめんなさい。あなたを傷つけてごめんなさい。愚かな私をどうかお許しください」
「気になさらないでください、リリア様。何もかも僕が悪かったのです。あなたに暴言を吐いてしまったこと、後見人のベルナール大公からおおいに叱られました。心から反省しております」
アダム王子の、大人びた色のない声。私は顔を上げる。彼の端正な笑みは変わることなく、淡々と心地よく響く声で言葉を紡ぐ。
「ですが、もしあなたの怒りが鎮まらないのであれば行動をもって示しましょう。しばらくはこのお屋敷に寄り付かないようにいたします」
あぁ、やはりゲーム通りだ。アダム王子とリリアはちょっとした仲違いから疎遠になっており、リリアは学園入学をきっかけに関係を修復しようとしていた。そこに主人公イヴが現れてリリアの計画が狂うのだ。
運命は変えられない。
私は目を閉じる。おそらく、これが最後のアダム王子との会話になるだろう。
「アダム王子、ひとつだけ。どうしてあなたは作り笑いをおやめにならないのですか?」
今まで跪く私に朗々と語り続けていたアダム王子の声が止まる。私は初めて、彼の口元がひくついたのを見る。
アダム王子もそれを察したのか口を手で覆い、立ち上がって私に背を向けた。
「……そのままの僕を好きになってくれるひとなんていない」
聞こえるか聞こえないかの小さなつぶやき。私はようやく気がつく。
彼は間違いなく、七歳の男の子なのだ。その男の子は周りから愛されたくて、笑顔を絶やさず手間のかからない大人びた子を演じている。
アダム王子の歓心を買いたくてイヴの真似をする私と、愛されたくて大人のフリをするアダム王子。
まるで鏡合わせのような私たち。
私は立ち上がり、先程までアダム王子が座っていたソファに腰掛ける。
「私、あなたが好きなんです。だから、あなたに愛してもらいたかった。でも私はリリアだから、私は『私』だから、あなたは絶対に愛してくれない」
『私』はとっくに二十歳を越えて、仕事終わりの酒が唯一の楽しみであるくたびれきったOLだ。ゲームの登場人物でもない『私』が、アダム王子に愛されるはずがない。
「愛されたくてあなたが好きそうな女の子のフリを続けていたんです。あなたの存在を丸ごと肯定するような女の子。でも、無理でした。だって私はその子じゃない、その子の偽物なんだから」
メイドのメアリアンだって聞いているだろう。もうどうでもよかった。私はアダム王子に懺悔がしたかった。
私の座っているソファが軋む。目をやるとアダム王子がいた。彼は目を潤ませながら私のとなりに座る。
「……君も、僕と同じなの?」
アダム王子は言葉をつまらせながらぽつぽつと語り始める。
「僕は王宮で、人形になれと。言われるまま。反抗せず、淡々と。指示に従い続けろと。指示通りに動けば、皆怒りはしなかった。可愛がってくれた。好きだって、言ってくれた。
楽だったんだ。指示に従うのは。考えなくて済むから。欲望に晒されて、窮屈で。
人形の僕を、みんな愛してくれた。人形でなきゃ、愛されなかった。
あなたは違かった。僕に意見を求めた。やったことがなくて、どうしていいかわからなかった。どうすればあなたに喜んでもらえるか、どうすればあなたに怒られないか、考えれば考えるだけ、疲れた。
でも、少しだけ心があったかくなって。くたびれるけど、変な心地がして。あなたといるのは大変だけど楽しくて。いい子のふりがうまくできなくとも、あなたは怒らなくて。笑ってくれて。
あなたは、違う人だと思った。
でもあるはずだって、言われて。やりたいことがあるはずって。信じてた。でも、あなたは他の人と同じように、考えを押しつけて、意に添わせようとしてきた。悲しかった。混乱した。混乱して、僕が言いたかった言葉よりもずっと冷たくて、乱暴な言葉が出た。
思っていた言葉よりずっと酷い言葉で、怒鳴り散らしてしまった」
アダム王子の宝石のような瞳から涙がこぼれ出す。
「帰ってから、あなたに言ってしまった言葉を何度も何度も反芻して。改めて、なんて嫌なことを言ってしまったんだろうって。きっとあなたは腹を立てて、僕を嫌いになったと想像したら、もう、悲しくて。
ベルナール大公に相談したら、もう会うなと。人間関係を拗らせる、くらいなら、もう会いにいくなと。今日謝るだけ謝って、もう会うなと。
さっきの言葉を言ってこいと、命令されて。いやだったけど、僕は、逆らえなくて。
ごめんなさい。ごめんなさい。あなたを傷つけてごめんなさい。もう二度としないから、どうか僕を嫌いにならないで」
アダム王子の発言は主語が抜け、目的語も抜け、感情が先走りはちゃめちゃだったが、いつもの大人の発言をなぞっているだけの整えられた言葉よりも、ずっと彼を魅力的に見せた。
彼はしっかりと自分の言葉で謝罪できる勇気ある人だ。他人の痛みを想像できる優しい人だ。
私にはもったいないくらい素敵な男の子だ。アダム王子は彼に釣り合う理想的な伴侶を見つけ幸せになるべき人だ。
その伴侶は私ではない。
「……アダム王子。私、あなたを愛せて心から良かったと思います。あなたのような人に出会えてよかった。愛しています、アダム王子。今までも、これからもずっと」
たとえあなたに愛されずとも、と心の中で密かに付け加える。
視界の端で、メアリアンがアダム王子の召使いを別室に案内している姿が映る。
「……ねぇ。リリア様」
アダム王子がぼそりと言う。
「どうして、僕のことが好きなの?」
「勇敢で、優しいところです」
私も小さな声で答える。
「僕は勇敢でも優しくもない。勇敢な人は泣かない。優しい人は冷たいことを言わない」
「いいえ、あなたは間違いなく勇敢で優しい人です。勇気がなければ、口論した相手に謝るなんてこと、できませんから。
……それに、ほら。私が吐いても許してくださったでしょう? 優しい人じゃないとできっこないですよ」
「それはベルナール大公が許してやれって言うから」
「……やっぱり、とんでもないことをしてしまいましたね。重ねてお詫び申し上げます」
「……そうだ。あの時言った、美しいとかなんとか」
「……『なんと美しい方でしょう。私は貴方以上に美しい方を生まれてこのかた見たことがない』?」
「それです」
アダム王子は顔をくしゃくしゃにしながら笑う。
「どうして、女性のあなたが男である僕を口説いたの」
いつもの抑圧的で上品な笑顔ではない、年相応の笑顔だった。何が面白いのか、彼は顔をくしゃくしゃにして笑い続ける。
「……『貴方の美しさを何に喩えようか。四大公爵家が地下に隠し持つという伝説の秘宝も、外なる神々の所有物たる異界の花々も』……」
「どうしてまた口説くの」
「だって、あなたの笑顔が見れるんですもの。アダム王子のその笑顔、大好きですわ。もっと笑ってくださらない? 『隣人が信奉する美の精霊でさえ貴方の前では霞んでしまう』!」
「リリア様、よしてよ。もう!」
私たちは腹を抱えて笑い合った。
*
その日以来、色々なものが少しずつ変化していった。
アダム王子が会いにくる頻度が減った。おそらく、ベルナール大公の口添えがあったのだろう。そのかわり、屋敷に滞在している時間が長くなった。
アダム王子はボール遊びが好きなようで、お互いがヘトヘトになるまでボール投げをした。
雨が降った時、『ベルナール物語』を読むようアダム王子にせがまれた。私は彼のために何度も何度も絵本を読んだ。
メアリアンがお見合いを始めた。
ジョンおじいさんにサンドイッチのお礼を言うと、昼飯はどうしたと聞かれた。まだだと答えるとジョンおじいさんが、私のために再びサンドイッチをこしらえてくれた。
それから度々、二人でお昼を食べるようになった。
メアリアンが悉くお見合いに失敗した。
ほんの少しだけ、アダム王子が我儘になった。
私の身長がまた伸びた。アダム王子はまだ私よりチビだった。笑顔で隠してはいたが、アダム王子は拗ねていた。
メアリアンが生涯独り身宣言をした。
そうして八歳の誕生日が過ぎた頃に再び輩は訪れた。
「リリア、私の可愛いリリア! 新しい使用人を連れてきたよ!」
お父様は栗色の隻眼を輝かせながら彼を紹介する。
浅黒い肌。烏色の癖っ毛。背はひょろりと高く、栄養が足りていない植物を思わせる。吸い込まれるような琥珀色の瞳は真っ直ぐに私を捉えて離さない。
「彼の名前はテオ。年は君のふたつ上さ! 仲良くするんだよ」
肌が泡立ち、白目を剥く。倒れそうになるところをすんでのところで踏みとどまる。
リリア・オールドマン令嬢の従僕、テオ。
彼は『恋と邪悪な学園モノ。』の攻略対象であり、彼のルートで登場するライバル役は私。
第二の破滅の使者到来である。
ここまで読んでいただきありがとうございます。アダム王子編、ひとまず完結となります。
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