第六話 これでゲーム通り
アダム王子に愛されるためのイメージトレーニングを繰り返す。あらゆるシーンを想像し、イヴがしそうな行動を予め考えておくのだ。間接的に推しカプの妄想をしていることになるのでこれが存外楽しい。
想像しながらふと思う。
アダム王子から好意を得るために、ずっとイヴの模倣を続けるのか。
そりゃあそうだ。素の私なんて推しが、アダム王子が愛してくれるはずがない。アダム王子が愛するのはイヴだけなのだから。
私は急に虚しくなった。
*
日もほどよく登ってきた頃、アダム王子一行は屋敷にいらした。
「アダム王子、ようこそいらっしゃいました。先日は大変な粗相をしてしまい申し訳ございませんでした。心よりお詫び申し上げます」
「こんにちは、リリア様。またお会いできて嬉しいです。どうか先日のことはお気になさらないでください」
アダム王子の年に不釣り合いな大人びた言葉と、爽やかな笑顔に心が乱れる。自身の服に吐かれたこともあっさり許してくださる。なんと寛大な心をお持ちなのか。やはり推せる。
アダム王子は予定通り私との婚約の申し出た。断りたくて仕方なかったが、前述の通りである。
私は婚約の申し出を受け入れた。
アダム王子は日程に余裕があるそうで、もう少しだけ私の屋敷に滞在されるという。
「アダム様、何かなさりたいことはございますか?」
イヴならこう彼に声をかけるであろう。ゲーム通りであればアダム王子はこの一言で心を許し、私に惚れるはずである。
「……僕がしたいこと、ですか……?」
彼は言い淀み、笑顔は微妙に引きつっていた。
あれ? どうしてゲームみたいに「君は……僕の意志を大切にしてくれるんだね」って言わないの? イヴと同じことをしたのに。
私の頭は疑問符が浮かび、二の句が継げなくなる。
「お嬢様、最近ボール遊びに凝っていらっしゃいますよね? アダム様もいかがでしょうか?」
とっさにメアリアンが助け舟を出してくれる。
有難いことにアダム王子はメアリアンの提案を快諾してくれた。私も彼女のおかげで我に返り、こっそり感謝の視線を送る。メアリアンはお茶目なウィンクを返してくれた。
皆で庭園に移動しながら私は悶々と考える。
イヴのしそうな行動を取ったのに、どうしてゲーム通りにならないの?
*
「……そうして、悪なる力を使う邪悪の権化ブルッフェンを勇者アルフと四人の仲間が正義の力で退治したのでした。めでたしめでたし」
わたしはアダム王子に拍手を送ると、彼は穏やかに微笑む。
「面白いお話でした。アダム王子はもう文字が読めるのですね!」
「はい、ベルナール大公……。僕の後見人が文字を早く読めるようにしておきなさいと」
今日の私たちは客間の二人掛けの椅子に腰掛け、本の世界を揺蕩っていた。
婚約を交わしてから、アダム王子はきっちり一ヶ月ごとに屋敷へいらっしゃるようになった。
「『勇者アルフ』の物語自体は知っていたのですが、本で読んだのは初めてです。勇者アルフは王家の遠い祖先と言われているのですよ」
「あら、そうなんです?」
「はい。この物語の四人の仲間も四大貴族の起源とされていて……。ほら、物を見通す力を持った仲間がいたでしょう? 彼が四大貴族オールドマン家、リリア様の遠い祖先にあたるそうです」
「へぇ〜!」
アダム王子と屋敷で過ごすようになって半年ほどが経つ。
彼はゲーム通りの気遣いができる優しい子だ。言動も成人男性のそれであり、私のイメージする男児とは大きく異としている。
そしてゲーム通りに自分の意志を持たない、というよりは意志を伝えることに恐怖心に近いものを持っている。
こちらからの提案は快く受け入れてくれるのだが、自分から要望を言わない。意見を求められると言葉をどもらせ不安げに周囲の顔色を伺う。
七歳の男の子が取る態度とはとても思えない。私はいつしかアダム王子にもっと伸び伸びと、子どもらしくあって欲しいと願うようになっていた。
「……アダム王子、私が読みたかった本を読んでくださってありがとうございました。次は私がアダム王子の読みたい本を音読してさしあげますわ」
アダム王子は予想通り難色を示す。私はイヴをイメージする。彼女なら彼に食い下がる。きっとそうだ。私は言葉を続ける。
「いつも私のお願いを叶えてくださってるではないですか。アダム王子にもやりたいことがありますよね? あなたは無理をしてきますよね? 私にはわかります。ぜひおっしゃってください。私だけは、私だけはあなたを拒絶しません」
彼が自分の意志を伝えられないのは、私がイヴらしくなかったから。私の想像力が足りなかったから。イヴになりきれてなかったから。
ゲームのイヴならばアダム王子が暮らす王宮とは異なり、この屋敷ではどんな意向も尊重することをしっかりと伝えている。私は不完全だった。
でも今日は違う。この日のためにイヴらしく振る舞えるようイメージし、身振り手振りまで練習してきた。私はもうほとんど、完璧なイヴだ。これなら、彼も本音を吐き出せるはずだ。
さぁ、私に恋をしろ。早く落ちろ。
「僕には、ないです。やりたいことも、なにも」
アダム王子の目は忙しなく動き回る。彼は膝の上に置いた手を強く握りしめている。
どうして彼は私に恋をしないんだ? 私は一瞬苛立ちを覚える。面倒な子供だと、僅かながらに思ってしまう。
だがもう一押しである。ゲームのイヴなら、こう発言する。私には分かる。
だって私は、イヴそのものなのだから。
「そんなこと嘘ですわ! わかります。アダム王子にはやりたいことがあるはずでしょう? あなたは何がしたいのですか?」
これでゲーム通りだ。
ゲーム通り、彼は私に恋をする!
アダム王子のきつく結ばれた口から不規則な呼吸音が聞こえてくる。その音は次第に大きくなり、口は開かれ、呼吸は激しいものになっていく。目は苦しげに見開かれ、アダム王子は肺のあたりを掻きむしり始める。
異常に気付いたメアリアンが悲鳴を上げる。にわかに周囲が慌ただしくなる。
ゲーム画面では見たこともないようなアダム王子の苦悶する表情を見て、ゼイゼイと大袈裟に呼吸するアダム王子が恐ろしくて、迫り来る生々しい現実感に耐えきれなくて、ただ彼を茫然と見ていることしかできなかった。
「ない」
アダム王子は苦しげな呼吸の合間に、かすれかすれの声を上げる。
「ないよ。君とやりたいことなんて、何もない! 何もないのに、あるって決めつけて。君も、王宮の人と一緒だ。僕に、自分の願望を押しつけて。君は、違うかもしれないって、ちょっとでも考えた僕が、馬鹿だった。もう、うんざりだ。君なんて、嫌いだ。君なんて、大嫌いだ!」
使用人たちに囲まれて芋虫のように丸まるアダム王子。目の前にいる少年はゲームに登場する優しい王子の「アダム・フォン・シャルロワ」というキャラクターではなく、追い詰められて苦しんでいる生身の男の子だった。
ねぇ、イヴ。あなたならどうしていた?