最終話 運命のその先へ
私は壁や手すりを頼り、時折休憩を挟みながら自室へ向かう。体力も落ちていて、息が切れる。自室近くの廊下にたどり着いた頃、テオと出会した。
「リリアお嬢様、アダム王子は? おひとりでここまでいらしたのですか」
「アダム王子はイヴのところに向かったわ」
テオは何か言いたげな表情を作るが、諦めたように首を振った。テオは私に手を貸し、部屋まで連れて行ってくれる。私を椅子に座らせ、額に浮かんでいた汗を拭き取ってくれた。
「ねぇテオ。アダム王子と婚約を解消する予定なの」
茶葉の準備をしていたテオの手が止まる。私に背を向けているため彼がどんな表情をしているかわからない。
私は何度も深呼吸を繰り返す。心臓の音がうるさい。
「それで、なんですけど。あの、テオ。好きです。結婚を前提に、お付き合いしていただけないでしょうか……?」
テオは手に持っていた茶筒を床に落とす。金属製の茶筒が床に転がり茶葉がばら撒かれる。
「どうして……」
テオが呻きに近い声を上げる。血の気が引いていく。やはりテオが言っていた好きだのなんだのは、従者としての奉仕の一環に過ぎなかったのだ。とんだ勘違い。逆プロポーズ作戦失敗である。
「なんちゃって! 嘘よ嘘嘘! 生々しい嘘ついてごめんね! 忘れて! 命令だから忘れて! お願いだから!」
恥ずかしい。顔が熱い。私は全力で恋の退路を作り始める。誤魔化せ、揉み消せ、テオと気まずくなったら今後の生活に支障をきたす。仕事を辞められでもしたら失恋のショックも相まって、年単位で凹む。立ち直れる自信がない。
前世で大学四年の時「結婚を前提にお付き合いしてください」と告白して「重い」とフラれた余計な過去がフラッシュバックする。恥ずかしい。消えてしまいたい。
「どうしてそんな軽はずみなことをおっしゃるのですか!」
「軽はずみでした本当すみませんでした反省します猛省します軽率でしたどうかしてました」
反射的に謝り倒しながら思う。あれ、結婚って重くないか? 緊張と羞恥でいっぱいいっぱいになり、考えることはズレた事ばかり。
テオは握り拳を作り、背中を震わせていた。
「そうやってぼくを誑かして、何になるっていうのですか。あなた様にとっては遊びでも、ぼくにとっては切実な事柄なんです。
やっと、ぼくの中で感情の整理ができたのに。実らない想いでも、あなた様を全霊で愛せて幸せだったと言い聞かせて、嘯いて。やっとの思いで……」
私は席を立ち、ふらつきながらテオのそばに近づく。
「もう私に期待させないでください。希望をお与えになるくらいなら絶望のみをお与えください。もう望みを抱くことに疲れたのです。熱に浮かされて、あなた様の前で醜態を晒すくらいなら、あなた様に疎まれるくらいなら、死んでしまった方がいい!」
「テオ」
私は彼の服の裾を握る。見ていて可哀想になるくらい顔を真っ赤にさせた、涙目のテオがいた。
「嘘だなんて言ってごめんなさい。好きなの。テオのことを愛しているの」
「あなたが愛するのはアダム王子だけだ」
「えぇ、そうよ。私はアダム王子を愛しているわ」
私は言葉を切る。唾を飲み込む。
「彼は私の婚約者で、前世から彼が好き。愛してるの。それなのにテオに愛してるって言われて。思いの丈をぶつけられて。それから私、おかしくなっちゃったの」
テオを直視できず、彼の黒い靴をじっと見つめる。裾を握る力が強くなる。
「テオの行動ひとつひとつ意識するようになっちゃって。今までなんとも思ってなかったテオのちょっとした仕草が気になって。
変なの。テオを見てるだけで心臓が痛いの。テオの存在が私の中でどんどん大きくなっていって、苦しくてたまらない。テオがかっこよく見えて仕方ないの。
テオ、どうしよう。私多分本当にテオが好きになっちゃった」
テオが私に向き直る気配がした。構わず私は続ける。言葉が止まらない。
「今までの言動を思い出して、居ても立っても居られなくなって。恥ずかしくて。
テオが言ってくれた言葉、ジョークとかじゃなくて本心からの言葉だったのかなって思ったら申し訳なくなってきて。それとおんなじくらいときめいて。嬉しくて。心臓がうるさくて。
アダム王子が婚約を解消しようって言った時、ホッとした自分がいたの。信じられる? あんなに好きな人だったのに。
テオ、テオ。テオにふたりの男の人を好きになった淫乱だって思われたらどうしよう。私、テオだけには嫌われたくない!」
テオが何かを言いかけたその時、船が大きく揺らいだ。脚力の弱った私はそれだけでよろめいてしまう。茶筒が転がる。テオは一瞬躊躇ったのち私へ手を伸ばす。また船が揺れる。今度はテオの体が大きく傾ぐ。私は彼を助けようとしがみついたけれど、かえって体勢を崩してしまう。足がもつれる。視界も体も傾いていく。衝撃。鈍痛。茶筒が転がる。
テオは強かに体を床に打ち、私はその彼の体の上に覆い被さっていた。
「ごめんなさい! テオ、大丈夫? 頭打ってない? 余計なことしちゃってごめんなさい!」
「……いえ、大丈夫です」
慌てて体を起こそうとすると、背中に手が伸びる。
「……もうしばらく、このまま。あなたを、抱きしめさせていただけませんか?」
私は変な声を上げてしまう。心臓が早鐘のように打つ。何度も頷いて、体をテオに預けた。大好きな人の匂いがした。テオの腕に力が込もる。私は目を閉じる。テオの胸からも激しい心音が聞こえた。
「本当にぼくで良いのですか」
「……うん、もうあなたじゃないとダメみたい」
私たちは耳元で囁き合う。
「ぼくと結ばれれば謂れのない誹謗中傷を受けます。世間の目だって厳しいものになる」
「あなただって平民の身分であれば味わう必要のない苦難を背負うことになるのよ?」
「ぼくには愛想がありません。冷たい人だと言われます」
「……自覚があるなら直しなさい」
「……ぼくは嫉妬深いですよ」
「あら奇遇ね。私も嫉妬深いの」
お互いの吐息だけが部屋にこだまする。テオが私の髪を梳き始める。
「テオ。あなたは馬鹿みたいに真面目で責任感が強いから、今後私が苦しんだり泣いたりしたら、きっと自分を責め苛むのでしょうね。自分のせいで私が苦難に喘いでるんだって、勝手に思い込んだりするのでしょうね。
そんな悲しい思いさせないから。ふたりでおじいちゃんおばあちゃんになるまで生きて、テオと想いを遂げたから幸せになれたって。そう思えるように、ふたりで幸せになりましょう」
「……信じられない。あなたから、そんな風に……。夢みたいだ」
私たちは頬を寄せ合う。目を閉じ、体温を共有する。
「リリア様、リリアお嬢様。あなたを愛しています」
テオが言った。
「うん、私も。私もテオを愛しているわ」
私も言った。
ふと目線を上げる。テオが琥珀色の瞳をやわらに輝かせながら、こちらをじっと見つめていた。私は微笑んで、彼と唇を重ね合わせた。
おしまい
反吐吐き令嬢と泣き虫王子、これにて完結です。
ここまで読んでいただき誠にありがとうございました。この小説を読んでくださったあなたに、何か良きことが起こりますように。
少しでもいいなぁと思っていただけたらブクマ評価、感想をいただければ幸いです。
本当にありがとうございました。




