第五十三話 なんと美しい方でしょう
私たちは被害の比較的少なかった寄宿舎へ連れられ、応急手当を受けた。手当をされながら、お父様たちが島へやってきた経緯の説明を受ける。多数の生徒が犠牲になったことを知り、バイオレットが無事だったことを聞かされる。
異界へ行ったアダム王子、テオの怪我はどうしてか跡形もなく回復していた。
私も怪我は治っていたのだが、介助がないと歩けないほど痩せ細っていた。私たちの中で一番深刻な怪我を負っていたのは、ミハイル王子に腹を蹴り飛ばされたイヴだった。
調査のためにベルナール大公は島に残り、私たちは他の生徒たちと共に本土へ戻ることになった。
船に乗る直前、私はベルナール大公と寄宿舎の一室で話す。
「下らん権謀術数から守るためにお前たちをわざわざ本土から遠ざけたのに、かえって危機に晒してしまうとはな。
アーサーはマシだのなんだの言っていたが、これのどこがマシだというのか。後悔ばかりが湧いて出る。暗殺の危険がある本土に、お前たちを置きとどめればよかったのか? 学園の腐敗に気づけば止められた悲劇だったのではないか? もっと早く輩の陰謀に気付けておけば……。
……アーサーの死はしばらく伏せる。オールドマン家の現当主が急死したとなればどんな政治的混乱が起こるか知れたもんじゃない」
私は頷く。太陽が程よく登り始めていた。ベルナール大公は目を細めた。
「……アーサーから言葉を預かっている。
『贖罪の旅は終わったかい?』」
心臓が跳ねる。変な汗が体中から噴き出る。
「『君もいい歳なんだから、自己犠牲は自己満足でしかないことを知りなさい。
今回の悲劇の責、背負いたきゃ背負うといい。誰もそんなこと君に求めてないけど』だと。全くもって意味がわからん」
「……お父様はどこまで知っていたんですか?」
ネグリジェの裾を握りしめながら声を絞り出す。
「さぁな。あの性悪クソ野郎は思わせぶりなことばかり宣って、人心を惑わす天才だ。
数分先の未来を視ていた、という話も嘘だったかもしれん。未来なんて視えていなかったかもしれんし、もっと遥か先の未来を視ていたのかもしれん。もはや確かめようもないがな」
ベルナール大公はくたびれたように瞼を指で押し、髪をかき上げた。
「あぁ、大切なことを伝え忘れていた。
『幸せにおなり。愚かで愛しい、たったひとりの私の愛娘』」
その一言で私の頬は涙に濡れた。私の頬に手を伸ばし、ベルナール大公は不器用に微笑んだ。
「……ひとつだけ確かなことがある。リリア。お前さんはしっかりとアーサーに愛されていたよ」
その後アダム王子とテオに介助され船に乗る。これから私たちは数日間船に揺られることとなる。
ベルナール大公に見送られながら『恋と邪悪な学園モノ。』の舞台たる、恋の嵐が吹き荒れ、邪悪な陰謀渦巻いた学園を後にした。
*
ベルナール大公の私兵によって客室に案内される。私兵が去ると、吐き気を伴う激しい眠気に襲われる。着替えもせず、毛布も被らないまま気絶するようにベッドへ倒れる。そのまま泥のように眠る。
目が覚める。毛布がかけられており、着替えも用意されていた。木製のサイドテーブルには軽食が置かれてある。
妙に頭がはっきりしていた。体を起こし、着替えとして準備されていた赤いワンピースに手を伸ばす。力が入らず上手く着替えることができない。
四苦八苦していると扉をノックして人が入ってくる。テオだった。テオは着替えるのを手伝ってくれる。寝ている間に起こった、細々としたことを聞かされる。どうやら私は丸一日眠り続けていたようだった。
テオが出て行く。私は準備されていた軽食をぺろりと平らげてしまう。
テオが戻ってくる。手には二人分の食事があった。大きいテーブルへ移動し、私たちは二人で食事を食べる。
「テオ、あなたは本当にイチジクジャムのサンドイッチが好きね」
「リリアお嬢様と初めて一緒に食べたお食事が、イチジクジャムのサンドイッチでしたから」
「そうだっけ?」
「そうですよ」
「そっか」
沈黙がちの、穏やかな時間を過ごす。
外の風を浴びたくて、テオの助けを借りながら甲板に出る。太陽が海を橙色に染めていた。
甲板には人がいた。アダム王子だった。
私は遠慮がちにアダム王子へ声をかけた。アダム王子は相合を崩し、喜んで私に応じてくれた。テオはそっと場を辞した。
私とアダム王子は手すりに寄りかかり、様々なことを語り合う。今まで話せなかった時間を埋めるかのように。
私は前世を視る目を持っていることや、前世は二十三年生きて自殺したことを話す。アダム王子が私を殺す未来の可能性があったことも話したら、彼は目を白黒させていた。
アダム王子も自分が『鉄膚』という皮膚の持ち主で、彼の肌はどんな刃物も傷つけることができないことを話される。
「もう、どうしてアダム王子そのすごい能力を持っていることを話してくれなかったんですか? そしたら星辰教の人達の中に突っ込むなんて無謀は犯さなかったのに」
私は少し頬を膨らませながら抗議すると、アダム王子は少し考えてから言った。
「君だって前世のことを話してくれなかったろう。……それに君はたとい僕が傷付かないと知っていても、僕を助けようと無謀を起こすよ。君はそういう人だ」
「そうですか?」
「そうだよ」
「そっか」
太陽は沈み、海は月に照らされ妙なる輝きを放っていた。
勇気を出して、今回の学園の悲劇が起こった原因は私であると正直に話す。するとアダム王子は笑い出した。
「どうして笑うんですか」
「だって、テオがイヴを嫌ったからこの悲劇が起こったって言ってるんだろう? あんまりにも突拍子がないから、つい」
「……信じてくださらなくても結構です。私が余計なことをテオに吹き込んだから、ふたりの関係が拗れてしまった。それは間違いないんですから」
アダム王子はひとしきり笑ったあと、無表情になる。
「今回の悲劇、入学前に王族のゴタゴタを解決していたら起こり得なかった事件だ。この事件が起こったのは、やるべきことを怠り王族としての役目を果たせなかった僕のせいだ」
私は何と言えばいいのかわからなくなる。
「そもそも、僕が腕を振り回すだけで敵を薙ぎ倒せるほど強かったら誰も死ななかった」
「……いや、それはちょっと難しいのでは?」
「君が言ってることはこういうことだよ」
アダム王子は微笑んだ。私たちは語り続ける。星々が空を泳ぎ、月が巡る。太陽が水平線から顔を出し、海とアダム王子を一層魅惑的に照らし出す。
言葉を交わしてアダム王子がどれほど素敵な男性だったか、どのほど彼を愛していたか思い出す。
「なんと美しい方でしょう」
アダム王子は言った。
「私は貴方以上に美しい方を生まれてこのかた見たことがない。貴方の美しさを何に喩えようか。四大公爵家が地下に隠し持つという伝説の秘宝も、外なる神々の所有物たる異界の花々も、隣人が信奉する美の精霊でさえ貴方の前では霞んでしまう」
『ベルナール物語』の主人公ヤン・ベルナール公爵がヒロインのベルに向けた愛の言葉だ。初めてアダム王子と出会った時、私が暗唱した一説。
あの時は主人公ヤン・ベルナールの愛の言葉を私が囁くという、物語と現実で男女が逆転したヘンテコな状態だった。今は物語通りに男性が、アダム王子が女性の私に向けて愛の言葉を囁いている。
「貴方の美しさはいくら賛美してもし足りない。神懸かり的存在、なんと貴い存在なのか」
私の瞳を覗き込みながら、彼は噛み締めるように語る。
「私の汚らわしき耳朶に貴方の麗しき名前を響かせてはもらえないものか」
私は息を呑む。目を閉じる。目を開くと、美しい人がいた。
私は笑う。
「私はリリア・オールドマン。『私』は、リリア・オールドマン!」
私につられて、アダム王子も寂しそうに笑った。
そして、私たちは別れた。




