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第五十話 血塗れの嫉妬卿


  ↓


 痩躯の男はただただ息を殺していた。

 目の前に『血塗れの嫉妬卿』と敵味方問わず畏れられた戦争の英雄がいたからだ。()の者は血を滴らせ、冠の構えのままぴくりとも動かない。

 どこから斬りかかっても返り討ちに会う。逃げようと背を向けた瞬間殺される。理解できる。一挙手一投足が死を予感させる。


 男は剣術大会でベルナール大公の剣術を見ていた。弱くはないが、見所もなく凡庸。お上品でそつのない綺麗な剣術であることは認めよう。しかしそれだけ。この程度が戦争の英雄か、と幻滅したことを覚えている。


 それが今やどうだ? 血塗れの嫉妬卿の常人ならざる気迫に飲まれ、手も足も出ない。

 何が嫉妬卿の逆鱗に触れるか分からない、だが怒らせた途端自分の命が潰えることは理解できる!

 恐怖で男の手は震え、剣先が大袈裟なくらい揺れる。


「何故ワタシに斬りかかって来んのだ?」


 嫉妬卿の雰囲気が変わっていた。声のトーンが不自然に乱高下し、口元を病的に痙攣させている。


「貴様らは剣技によって禄を食むのだろう? どうして一介の貴族如きに負かされることなどあろうか? 騎士としての矜持はどうした仕事人としてのプライドを捨てたのか命を奪う者の覚悟も無しに他者の命を屠り続けていたのか」


 一言一言が臓腑を抉るほどの重さがあった。戦意を喪失している男たちを無視して、一方的に嫉妬卿は捲し立てる。


「それとも、出来損ないの無能レオン・ベルナールには貴様ら自慢の剣技を披露するまでもないと?」



 男の記憶が呼び起こされる。

 新米兵の頃、よく飯に連れて行ってくれた老兵がいた。彼は自身を戦場の英雄だと言って憚らず、酒が入ると自慢話に拍車がかかる。誰からも相手にされないので新米兵にちょっかいをかけるが、若手からも疎まれた。


 痩躯の男は老兵を疎まず、虚言だとすぐに分かる彼の話に付き合い続けた。

 老兵は必ず飯を奢ってくれたからだ。バダブとの戦争終結後入隊した男にとって、老兵の戦場の実話が興味深かったこともある。

 なにより老兵が深酒した時、戦場を思い出して恐怖に涙する姿を見ることが好きだった。『血濡れの嫉妬卿』や『戦場の音楽家』の名前を出すと、不快な自慢話の一切を止め押し黙る。自分より二回りも歳を取った大の大人が、みっともなく打ち震える姿は男の嗜虐心を心地良く刺激した。

 いつも以上に酔いの回った老兵が言った。


『……四大貴族と関わる時の心構えを教えてやる。


 近づくな、関わるな、逃げろ。

 それができないなら自害しろ。


 間違っても敵対してはいけない。あいつらは人間じゃない。化物なんだよ。御伽噺に出てくる、悪の権化ブルッフェンなんかよりもずっと恐ろしい……』


 数日後老兵は退役した。十年以上前の話だ。以来彼との交流はない。

 


 仲間の狂ったような叫び声で我に返る。一番血気盛んな若造だった。嫉妬卿の言葉に煽られ、無謀にも突撃した。

 制止の声を上げようとするも、目を疑うような光景に絶句する。

 若造の肩口に嫉妬卿の剣が突き立てられる。両者の間には二、三十歩分の距離があるにもかかわらず。

 嫉妬卿は投擲したのだ。子供の身長は優にあろうかという大剣を放り、命中させたのだ。


 何という規格外の馬鹿力。


 そのまま嫉妬卿は一足飛びで若造に歩み寄り、肩口に突き立てられた剣を掴んで袈裟斬りに。着込んだ甲冑を割られ、肋骨を無理に折られ、背骨を砕かれ、肺を断たれた若造の魂も凍える悲鳴が耳をつんざく。


「貴様、ワタシを見下しているな! ずるい! ずるいぞ! お前はワタシより身長が高い! ワタシより若く、健康だ! 貴様ほどの身長と時間と体力があればワタシはもっと強くなれた! もっと剣技が冴え渡り、もっとバダブのゴミ共を殺し尽くすことができた! 無能の烙印を押さるることもなかった! 戦争に駆り出されることもなかった! ずるいぞ、ずるいぞ! ワタシに貴様の全てを寄越せ!」


 嫉妬卿は幼稚な言葉で理不尽な理屈を振りかざす。

 臍のあたりで嫉妬卿の馬鹿力に耐えきれず剣の方が折れてしまう。既に若造は血反吐を吐いて絶命していた。

 嫉妬卿は剣を手放し、右手を振り上げ若造の胸を貫く。

 貫通した右手には赤々とした心臓が。若造を貫いたまま、心臓を掴んだまま、右手を高く高く掲げる。


「ワタシに才を譲ってくれないと言うのなら、死んでしまえ!」


 嫉妬卿は心臓を握りつぶした。彼の顔に心臓だった肉塊がへばりつく。血が降り注ぐ。

 嫉妬卿は若造の死骸から粗雑に腕を引き抜く。若造はゴミのように地へ転がり、目から血涙を流していた。

 

「……いいな。羨ましいな、貴様ら」


 嫉妬卿が周囲を見渡しながらぼやく。


「貴様らがずるい。ずるいぞ!

 ……なぁ、取引をせんか? ワタシに腕力を、俊足を、健康を、時間を、その若さを譲ってくれる気はないか? 譲るのであれば、貴様らは殺すが一族郎党までは手出しせん」


 嫉妬卿の目が赤く爛々と輝く。充血によるものなのか返り血によるものなのか、もはや知りようがない。

 誰も何も返事をしないと分かると嫉妬卿は髪を掻きむしり、猿叫を上げながら飛びかかってくる。


「どいつもこいつもワタシにはないものを持っている! ふざけるな、不平等だ、呪われろ! ずるい! ずるいずるい! ワタシに寄越せ、くれ、さもなくば死ね!」


 卿に素手で内臓を抉られながら、痩躯の男はようやく『血塗れの嫉妬卿』という二つ名の意味を理解する。老兵の助言を無視し、四大貴族と敵対したことをただただ悔いる。


「どうせ雑に人生を生きているんだろう? 貴様らはゴミみたいな日々を送っているのだろう? その日々の繰り返しの果て、人生の果てにできるのがうず高く積まれたゴミの山! 貴様らはゴミのような人生しか送れず、事実ゴミを集積するだけ集積して果てるのだ! だがワタシは貴様らとは違う! くれ、くれ、貴様らの出生を、貴様らの人生をくれ! 全てをワタシに譲ってくれ! 妬ましい恨めしい嫉ましいずるいずるいずるいずるい! ワタシだって無能として産まれたくて産まれたんじゃない、子宮に戻れるのなら戻りたい! 産まれ直せるなら産まれ直したい! ワタシはワタシ以外に産まれ直したい、貴様、貴様だ貴様に産まれ直したい! ワタシに人生を譲れ、ワタシならば貴様よりももっとより良く生きることができる! 有益に貴様の人生を使い潰せる! なぜならワタシは貴様より有能だからだ! ワタシは全能だからだ! ワタシに貴様の全てを譲れ! 返事はどうした何故口をきいてくれないのだ! ずるいぞ、自分たちが才を持っているからと言って! ワタシは確かに出来損ないだ、本来ベルナールの『鉄膚』は全身を鉄のように硬くできるはずなのに、ワタシはこの両腕しか硬くできない! それ故に疎まれ蔑まれ当主への道は絶たれ必死の戦場に立たされた! 非才凡夫とはワタシのためにある言葉! どうしてワタシの切実な願いを理解しようとしてくれない! どうしてワタシの苦しみを理解してくれない! どうしてワタシに親身になってくれないのだ! ワタシが無能だからか! 無能だから貴様らが持つ才能を譲ってくれないのか! 貴様らもワタシを無能と看做(みな)すのか! ずるいずるいくれ! くれ! 貴様の全てをくれ! さもなくば死ね!」


 彼の言葉を聞ける者はもういない。それでも嫉妬に狂った男は叫び続けた。


「ずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるい!」


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