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第四十九話 私を離さないで

 私の体から生え続ける薔薇の異常性に気がついたアダム王子は、乱暴に薔薇を引きちぎり始める。しかしどう足掻いても薔薇の自生速度に追いつかない。


「アダム王子、もう手遅れなんです! 私のことはもういいから!」

「惚れた女のために命張らない男がどこにいるんだ!」


 私の体は花に吸われもはや骨と皮ばかり。動かすこともままならない。アダム王子は棘も厭わず素手のまま薔薇に抗い続けるも、彼まで薔薇に呑まれ始めた。

 視界の端に光が走る。


「『火の大精霊よ! 天高く輝ける右眼、真夜中の帳を払う我らが太陽よ! 漆黒を喰らい尽くし邪を禊ぎ給え! 貴方の伴侶たる光の精霊、貴方の血を分けた妹、月の加護で我らを闇に潜む怪物から隠し給え!』」


 目眩がするほど毒々しかった薔薇たちが枯れ落ちてぐずぐずと崩れていく。今まで薔薇で覆われていた視界が開ける。

 

 目が覚めるような白光と、見ているだけで心沸き立つ優しいオレンジの光が私とアダム王子を包む。


 光源はブリキのカンテラ。火のかわりに、緋色の鉱石が光を漲らせる。カンテラが揺れるたび、ブリキが軋み硝子と鉱石がぶつかり合って、からんころんと軽妙な音が鳴り響く。


 眩いばかりの光の傍にはテオ。精悍な顔つきでカンテラを高らかに掲げる彼は、夜明けを告げる使者のよう。

 テオは私に駆け寄り、枯れた薔薇の残骸を払いながら口早に言った。


「アダム王子、あなたに感謝を」


 テオと共に私を助け起こそうとしていたアダム王子が目を丸くする。テオは誰とも目を合わせない。


「異界へ抵抗する力を持ったわたくしですら、異界から発せられるどす黒い悪意の前に一歩も動けなかった。旦那様でさえ、恐怖に囚われていた。

 それにも拘らずあなたは異界へ立ち向かった。異界に対抗する術を持たないあなたが、力を持たないあなたがです。誰が怖気付いたままでいられましょうか」


 染み入るような敬意がこもった言葉にアダム王子の瞳が潤む。


「あなたは勇敢なお方だ。あなたは他人に勇気を与えられる方だ。あなたがいなければリリア様をお救いすることが叶わなかった。

 ただひたすら、あなたに感謝申し上げます」


 テオは私を抱え上げようとするが能わない。知らず知らずの間に私の足首から太ももの辺りまで植物の根が生え、地面と密接に結びついていたのだ。

 テオの額から汗が流れる。


「アダム王子、ルビィのカンテラを持って先にお帰りください。あなたまで花に呑まれでもすれば……」

「ひとりで逃げ帰るなんてできるわけないだろう!」


 アダム王子はぶるぶると首を振るわせる。


「祝詞の効果はてきめんです。ルビィの欠片もまだ残っている。わたくしの命に代えてでも、リリア様を必ずやあなたの御前に連れ帰ります」


 アダム王子は口を引き結び、少しの間だけ逡巡する。カンテラを強引に掴み、アダム王子は立ち上がった。


「リリア、テオ! 必ずまた会おう!」


 アダム王子はカンテラの音を響かせながら白と橙色に輝く道を駆けていく。一息つく間も無くテオは私の足に手を当てた。


「『宵闇の怪物たちとの戦争を終え、右眼だけとなった我らが主たる火の大精霊は仰った。


「宵闇の怪物たちがもう二度と地上の王国を穢すことのないやうに、あの忌々しき惨禍が地上の王国を苛むことのないやうに、天上から地上の王国を遍く照らそう。

 私が天に登る時全ての不正は正され、害悪を為す者は罰せられるだろう」


 我らが主の右眼は天へと登り太陽と呼ばるるやうになった』」


 私と地を結びつけていた根が朽ちていく。テオは私と目も合わせようとしない。彼の所作ひとつひとつから怒り狂っていることが伝わってくる。彼の顔を直視することができない。


「ごめんなさい。アダム王子もあなたのことも、みんな巻き込んでしまった」

「……あなた様が御身を持って異界の扉を閉じなければ、島全てが異界へと堕ちていたことでしょう。あなた様の判断は正しかった」


 ぱたぱたと私の足が濡れる。見やるとテオが涙を流していた。私はぎょっとした。

 オールドマン家をクビになりそうになった時も涙を見せなかった彼が、ジョンおじいさんが亡くなった時も気丈に涙を堪えていた彼が、泣いていたのだ。


「どうしてぼくを連れて行ってくださらなかったのですか」



 記憶が甦る。

 幼い頃、決死の直談判後の帰り道。私と幼いテオはふたり、馬車に揺られていた。

 ベルナール大公に喧嘩を売り、さらには軽傷を負った私に対し、テオは腹を立てていた。


『もう二度とこんな無謀な行いをしないでください。心臓がいくつあっても足りません』

『うん、でも似たようなことがあったら無茶すると思う。だめな主人でごめんなさい』


 しばらく黙りこくったのち、テオは深々と頭を下げて言ったのだ。


『ではあなた様が無理なさることを止めはしません。そのかわり、次無理をする時必ずぼくをおそばに置いてください。ぼくにあなたを守らせてください』


 

 私はあっ、と言った。

 あの馬車で私はテオを守ると誓った。誓いばかり頭がいって、テオとの約束をすっかり忘れてしまっていた。テオがずっと大切にしていた約束を踏みにじってしまった。テオの激昂の奥底に、深い悲嘆があったと知る。


 子供の頃からずっとそうだ。勝手にテオの望みや幸せを決めつけ押し付けて。それで返って彼を深く傷つけた。

 多分、私たちはお互いすれ違ったままなんだろう。ボタンを掛け違えたまま、真に理解し合える日なんて来ないだろう。私はきっとこれからもテオを傷つけ続ける。


 私の両足は自由になっていた。衝動のままにテオを抱きしめる。彼のジャケットを握りしめ、背中に爪をたてた。

 

 理解し合えなくとも、幾度となく傷ついても、それでもテオは私に手を伸ばし続けてくれた。そんな彼に数え切れないくらい救われた。


「だめな主人で本当にごめんなさい。ごめんなさい。もう約束を反故にしないから。あなたをとらえて離さないから。

 だからテオも、私を離さないで」


 テオも私を縋るように抱きしめる。呼吸をすることさえ苦しくなるほどの力強い抱擁だった。


「我らが信奉する偉大なる祖先の大精霊に誓います。この命ある限り、リリアお嬢様のおそばを離れません。あなた様が望むなら、どこへでもお供いたします。

 たとえそれが、異界の果てであろうとも」

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