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第四十六話 貴族の中の貴族


  ↓


 時は遡る。

 本校舎前、大地を濡らす血溜まり。転がる生徒たちの死体。


 アダム王子と他数名が西塔へ連行された後、ごく一部の星辰教徒たちが突如として武装蜂起した。他の星辰教徒たちもこの行動を知らされていなかったようで、その場にいた者の殆どが恐慌状態に陥った。

 無抵抗のまま屠られる生徒、死んだ生徒を盾に逃げ惑う星辰教生徒、本校舎へ走る者、東館に身を隠す者、友を守るため棒切れを手に取り返り討ちに合う者。失望と自棄と義憤と怒号の坩堝と化した本校舎前。

 徐々に生徒たちの声は止み、かわりに死体が積み上げられていく。

 酸鼻極まる屍山血河の中、男たちへ木刀を向ける女生徒がひとり。


 バイオレット・ホイストンである。


 彼女は本館を背に立ち、男たちを校舎へ入らせまいと戦い続ける。

 彼女は片腕を負傷し、頭から止めどなく血を滴らせている。


「諦めたらどうだ? お嬢ちゃんがいかに足掻こうと、誰も守れずに死ぬ。そういう運命だ」


 手を出しもしないが、さりとて逃がさぬよう彼女を取り囲んでいた痩躯の男が言う。


 痩躯の男は落ち窪んだ目で女生徒を観察していた。

 この生徒は女だてらになかなかやる。

 剣術の鍛錬をしっかり積んできた者の身のこなし。勘も良い。致命傷となる攻撃だけは確実に躱す。学友が惨殺されても剣を握り続ける胆力がある。攻めあぐねているのはそのためだ。


 東の建物に逃げた生徒と、本校舎に残った生徒がまだ十余名いる。この件に関わった者は皆殺しせよとの命令だ。さっさとこの生徒の心をへし折ってやった方が早い。そう痩躯の男は判断した。


「貴族が、平民に称揚される理由はご存知?」


 彼女は額から流れる血を意に介さず、艶然と微笑んだ。


「有事に際し、国王の財たる人民を守るからですわ。私はバイオレット・ホイストンである前に、女である前に、男である前に、誇り高き貴族ですの。

 ……ボクが男として育てられてきたことは無駄ではなかった。全ては今、この時のために。

 偉大なる祖先よ。戦犯ホイストンの汚名を雪ぐための力をボクにお与えください」


 そして誰にも聞こえないような小さな声で祈るように言った。


「リリア様。イヴさん。テオ先輩。愛してくださりありがとう。大好きです」


 彼女の孕む空気が変わる。思わず男どもは身構える。


「我が名はバイオレット・ホイストン! この場を死地と定めたり!」


 決死の宣誓に皮膚がひりつく。覚悟を決めた者の気迫に身震いする。彼女が二回りも三回りも大きく見える。ただの棒に過ぎない木刀がどんな刃物よりも鋭利に映る。男たちは初めて身に迫る危機に直面した。


 化けやがった。


 痩躯の男は己の判断ミスを悔いながらも、東館二階に待機している仲間へ合図する。命を賭ける馬鹿と正面切ってやり合っている時間はない。


 矢が飛んでこない。

 痩躯の男は苛立ち再度合図を送る。


 男はコンスタンティーノ家に仕える兵士だった。隠居されているコンスタンティーノ前当主から密命を受けこの任に就いた。

 男と同程度に腕が立つ者たちも同様の命を受けたらしいが、男以外は全員辞退もしくは国外逃亡を企てたそうだ。


 そのような経緯で編成された間に合わせの部隊だ。練度が足りない。男以外は若手ばかりで実戦経験も浅い。

 トップは第五王子ということになっているが、禍ツ力使いとイニシアチブの奪い合いばかりに明け暮れ指揮系統は壊滅的。男が現場の指揮を取る羽目になった。

 痩躯の男は目の前で膨れ上がる脅威に怯えつつ、己が不遇に腹を立てていた。

 

 ガラスが猛々しく割れる音と、何かが潰れた鈍い音が背後から響く。


 反射的に皆が目を向けた。


 悲鳴すら上げられなかった。

 見知った顔があった。男の仲間だ。弓矢は彼の手になく、表情は驚愕と恐怖で彩られている。彼は他の生徒たちと同様自身の臓物を惜しげもなくぶち撒け、温かな血液を砂利に染み込ませていた。


「よくぞ……! よくぞ耐えた!」


 獅子の吼えるような声だった。


 音もせずバイオレットの傍らに立つ壮年の男。予期しない乱入者。東館からやってきたその者を見とめた途端、誰もが言葉を失った。


 目に入る全てを睨み殺さんとするかのような眼光。きっちり生真面目に整えられた黒髪。彼の体から滲み出る威圧的なオーラが、この場にいる全ての者の足を竦ませる。


「『血塗れの嫉妬卿』レオン・ベルナール大公……? どうして、いったいどこからどうやって……!」


 痩躯の男が声を震わせる。

 学園での異変は反ベルナール勢力によって情報操作されているはずだ。情報が入ったとてこの学園に上陸するのは困難である。

 最も学園に近い港はペシュコフ公によって封鎖されている。おまけにこの孤島の周辺にはコンスタンティーノ公と裏取引した海賊がいたはずだ。それを突破してきたのか?

 なぜ東館から現れた? 船が停泊できる場所なんて南にある港と西塔地下にしかない。


 ベルナール大公は男の心中を読んだかのようにせせら笑う。


「我々が伊達や酔狂で四大貴族を名乗っているとでも? 貴様らの(はかりごと)は白日の下に晒された。もはやこの世に貴様らの安住の地などないものと思え!

 ……私が東館から現れたのがよほど不思議だったと見える。

 貴様らは忘れているようだが、この東館を建てたのは奸計謀略の寵児、邪智暴虐を体現した一族オールドマン家だ。隠し港が貴様らの専売特許と思うなよ」


 ベルナール大公はバイオレットの肩を叩く。


「あなたは貴族の中の貴族だ」


 実父に生まれ持った性別を否定され、男であろうとした故に実母に拒絶されたバイオレット。誰からも認められなかった彼女が、影の王とも呼ばれる偉人から最大級の賞賛を受けたのだ。彼女は感極まって涙する。


「セバスチャン! この誉高きレディを安全な場所にお連れしろ。私兵は校舎に残る生徒たちの保護に回せ」


 ベルナール大公は後ろに控えた老執事を呼ぶ。バイオレットの涙をその手で拭いながら、彼は大地に転がる生徒たちに目を向けた。

 瑞々しい生命が失われた風景。絶望に染まる幾多の死顔。失われるには早過ぎた命。


「……私も歳だ。前線に出るつもりなぞなかったが……。

 我が魔性を持って貴様らに引導をくれてやる。逝ね。疾く疾く逝ね。獣の野グソより無為に、酔っ払いのゲロよりも無様に逝ね」


 ベルナール大公が上着とシャツを脱ぎ捨て上半身を晒す。胸に刻まれた巨大な刀傷。脇腹を走る火傷。その他胴に生々しく刻まれた創痕たち。それにひきかえ、彼の両腕には不自然なまでに傷ひとつない。

 老執事が彼の手に黒い瓶を差し出す。


「羊でございます」

「……いいだろう。離脱せよ。我が私兵を決して外に出すな」


 老執事は一礼すると、バイオレットの手を取って東館へ足早に去っていく。男たちは後を追うこともできない。ベルナール大公の圧力により、身じろぐこともままならないのだ。

 ベルナール大公は瓶を乱雑に開け、中身を己が頭にぶちまける。

 ベルナール大公の顔は、体は、赤黒いもので染め上げられていく。遅れて、男たちは瓶に入っていたものが血であることに気づく。

 血塗れのベルナール大公は抜刀する。


「若芽を轢き潰すのはさぞ、さぞ楽しかったことであろう。これより先は枯れ木と語らおうではないか」

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