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第四十五話 運命という名の宿業


 甘い果実の香りで目が覚める。


 私は草原に横たわっていた。周囲は夜のように薄暗い。天には逆さ吊りになったビル群が立ち並び、星の代わりに煌々と大地を照らしている。

 体を起こす。足首ほどの高さの野草。所々に美しい花が群生しており、そこから甘やかな香りが発せられていた。


 ここはどこだろう。


 ゲームでは呪文を唱え、扉が閉まる音が響きスタッフロールが流れる。その先の描写はなかった。


 立ち上がる。私の着ていた白いネグリジェは新品のようにほつれひとつない。裾が裂け血と泥で汚れ、ボロ切れ寸前であったのにも関わらずだ。

 体中の不愉快な痛みが消えていた。打身擦り傷のみでなく骨折に至るまで、全ての怪我が恢復していた。


 一歩踏み出す。当てはない。心地良い風が吹き、野草が私の足を柔らかにくすぐる。現実離れした快適さだった。

 もう一歩、もう一歩と歩き出す。


 ここは天国だろうか。

 異界は確か、口にするのもおぞましいような神々が住まう暗闇の世界だったはずだ。


 否。


 自分の考えを否定する。私が見聞きした限り、異界から生還した者は誰一人としていなかったはずだ。従来の異界像は、あくまで想像がひとり歩きした結果の産物だと思われる。

 多分、ここは異界なんだと思う。

 そう結論付ける。しばらくぼんやりと立ち尽くしていたが、一番近くの赤い花の群生地まで歩いてみることにした。


 恐らく、恐らくだがこれで異界の扉は閉じられた。私の愛した人たちはゲーム通りの幸せな人生を送るのだろう。

 確かめる方法はない。それでも私は確信していた。彼らは幸せになれる。きっと大丈夫だ。


 体に痛みがないとはこれほどまで快適なのか。足が軽い。試しに走ってみる。息が全く切れず、どこまでも走って行ける。

 あんまり気分が良くて、気がついたらポルノグラフィティを大声で歌っていた。人目を気にせず思い切り歌うことの心地良さよ。


 目標にしていた赤花の群生地にたどり着く。鮮烈なまでの曼珠沙華たちが天に向かって堂々と咲き誇っていた。果実の香りがすること以外は現実世界で咲いていた花と何ら変わりない。

 

 花たちを真似て私も天を仰ぐ。ポルノグラフィティを歌いながら、私は気がつく。


 天に逆さ吊りになったビル群は、私が生活していた街だ。私はあのビルを、あの建物を知っている。


 身を焦がすような郷愁の念が私を掴んで離さない。手を伸ばす。飛び跳ね、飛び跳ね、手を伸ばす。

 身に迫る危機により、追いやられ忘れかけていた想いが止まらない。


「帰りたい! 帰りたい、帰りたい!」


 自分が投げ捨てたものの尊さを思い知る。

 どんなに力強く叫んでもこの世界では喉も痛まない。どんなに手を伸ばそうとも届かない。


 どのほど飛び跳ねただろうか。急に足に力が入らなくなり、曼珠沙華の花畑に顔から突っ伏してしまう。痛みはない。砂利を喰む感覚もない。そのかわり、私の手は何かを掴んだ。

 反射的にそれを持ち上げる。悲鳴を上げれるなら上げたかった。心臓を鷲掴みされたような衝撃があった。


 私が掴み上げたのは人の頭蓋骨だった。


 怖気がした。頭蓋骨を放り投げ、曼珠沙華の花畑から逃げようとした。足が動かなかった。

 私は足を見てしまう。


 足のふくらはぎの部分から赤薔薇の蕾が生え始めていた。赤薔薇が咲くと同時に足の肉が落ちていく。あたりに芳しい甘い香りが広がる。


 曼珠沙華の下に埋もれた人骨。

 私の肉を吸い取り成長し、咲き誇る赤薔薇。


 自分がどんな運命を辿るのか悟る。遠くで誰かの悲鳴が聞こえた気がした。その悲鳴が自分のあげた叫び声だと気がつくのに時間がかかった。


 私は異界の大地に這いつくばりながら涙を流す。


 どうして私なんだろう。


 胸にこみ上げてきたものを私は吐き出す。反吐が曼珠沙華の花を汚し衣服を濡らす。

 考えないようにしていた、蓋をしていた想いが私の中で荒れ狂う。


 私はどうしてこんな貧乏くじを引かなければいけないのか。どうして私なんだ。

 イヴの代わりに死ぬためだけ、それだけのために私が転生したというのか。

 なんてグロテスクな結末なのだろう。


 こんなことならイヴに封じの呪文を教えて、彼女に行ってもらうべきだった。

 アダム王子でもいい。あの人は私を裏切った男だ、浮気者だ。これくらいの最期がふさわしい。

 テオに頼めばよかった。私の命令であれば彼は喜んで異界へ向かい、この運命を受け入れてくれたはずだ。


 私は頭を掻きむしる。髪を引っ張り、ひたすらに叫び続けた。


 前世。前世から何もかも間違っていた。社会人の私はどうしてあの程度で死んだ? 死ぬくらいなら会社なんて辞めてしまえばよかったのだ。

 自死を選ばなければ、今も私は酒をかっ喰らって、ゲームして、趣味に熱中して。こんなイカれた世界に転生なんてしなかった。


 どうしてあんな後輩のために心を砕いた? あんな子無視して心を閉ざして、関わらなければよかったのだ。そうすれば、彼女を見捨てたことへの罪悪感も沸かす、自殺なんてしなかった。

 私はあの子に殺されたも同然だ!


 泣いて泣いて、また泣いて。


 私の人生とはなんだったのか?


 あらゆるものを呪い始めたまさにその時。

 髪を引っ張る手に、何かが当たる。その拍子に私の頭を転がり、地面に落ちた。


 薔薇を模した金の髪飾り。メアリアンと揃えた大切なもの。髪飾りが頭上の光に照らされて鈍く光った。



『その気持ちひとつで何もかも台無しにされてはいけません』



 メアリアンの声が聞こえた気がした。彼女から抱きしめられているような気がした。アダム王子と喧嘩したあの夜と同じみたいに。


 私は金の髪飾りを握りしめながら慟哭を上げる。


 前世と今世の記憶が脳裏に溢れ出す。

 メアリアンの柔らかな表情。

 ジョンおじいさんのチャーミングな仕草。

 ふたりで犬猫のように喧嘩するお父様とベルナール大公。

 アレッキーオの寂しげな人懐っこい笑顔。

 バイオレットの得意げな上から目線。

 イヴの困ったような笑顔。

 テオの無表情。

 アダム王子の美しい笑顔。

 そして後輩の可愛らしいえくぼ。


 私の生は無意味だったかもしれない。

 だが、笑顔が溢れていた。

 それだけは間違いなく確かだ。


 両手で両頬を思い切り叩く。


 前世で自殺してしまったことは擁護のしようがない。心から愚かだったと思う。

 だからってそれまでの二十年間を否定しない。私は死ぬ直前まで精一杯生きてきた。

 それだけは認める。誰がなんと言おうと、私は私を認める。


 私は何度も何度も深呼吸を繰り返す。


 異界へ落ちる運命を辿ってしまった原因は私にある。テオに私の前世の話をしたせいだ。彼がイヴを毛嫌いし、『恋と邪悪な学園モノ。』の全滅エンドに突入した。

 私のせいで今回の惨事が引き起こされたのだ。アレッキーオが死んだことも、先生方が殺されたことも私の責任だ。


 だからこそ、私はこの運命を受け入れなければならない。全ては私の行動の結果に過ぎない。自分の行動の後始末は、自分でつけなければならない。自分が蒔いた種は自分で刈り取るべきなのだ。


 私は仰向けに寝そべる。ふくらはぎから生えた赤薔薇がひしゃげるが知ったことか。


 ビルが降ってきそうな空だった。


 思い返せば、私がこの世界に来て成せたことなど何ひとつない。あらゆることを引っ掻き回し、何もかも台無しにしてきた。


 子供の頃、アダム王子と仲が拗れたのは私の痛々しい思い上がりのせい。許してもらえたのだって、アダム王子が寛大だったから。私が余計なことをしなければ彼は傷つくことなんてなかった。

 アレッキーオのこともだ。アレッキーオを殴り飛ばし、膨大な示談金が渡ったせいで彼の家庭は崩壊した。


 何をやってもからからからから空回り。

 私は馬鹿だ。そして無力で無能だ。

 それが私だ。

 私は馬鹿で無力で無能な自分が引き起こした全ての責を受け入れよう。


 心が凪いでいく。自然と笑みがあふれ、私は大好きなポルノグラフィティの『うたかた』を歌う。


 もう赤薔薇は足全体を覆い尽くさんとしていた。

 不安があった。私は死ぬまでこんな気持ちでいられるだろうか。愛した人を恨まず、納得して最期を迎えられるだろうか。

 私は気分屋だ。恐怖に駆られ、大切な人々を、世界を再び呪い始めてしまうかもしれない。


 ネグリジェの中にこっそり縫いつけたポケットに手を伸ばす。ポケットの中身は無事だった。私は胸を撫で下ろす。

 それは木製の小箱だ。そっと開くと透明な液体の入ったガラスの小瓶が現れる。割れていない。私は小瓶を優しく握りしめる。


『これは?』

『毒薬です』


 アレッキーオが飛び降りる寸前、テオとのやりとりを思い出す。


『テオ。お願い。その毒は私に処分させて』

『……危険極まりない薬物です。早々に海に捨てるか土に埋めてください』

『信頼してくれてありがとう、テオ』


 そう言って受け取った毒瓶だ。あらゆることが起こり過ぎて捨てる機会を失っていた。テオに露見することを恐れ、肌身離さず持ち歩いていたのだ。


 これが役立つ時が来るなんて。


 テオに感謝と謝罪をする。

 約束を守れない、最期までダメな主人でごめんね。


 今なら安らかに死を迎えられる。もう他の人を恨みたくなかった。自分を拒絶し否定したくなかった。毒の小瓶の蓋を外す。


 ふと思う。前世は自殺で終わった。今世も自殺で終わるのか。


 人智を超えた運命のありように私は苦笑する。そういえば「彼の人はかく生き、かく死ぬべし」という圧のあるなし云々を考えていたこともあったっけ。


 赤薔薇がお腹のあたりにまで迫ってきた。毒をあおるならもう今しかないだろう。できるだけ幸せな記憶に浸りながら今世を終わろう。


 私は毒の小瓶に口をつけた。

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