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第四十四話 神は貴き贄を欲す

 私はイヴを抱きしめる。彼女の体は恐怖と緊張で強張っていた。


『もし次の生があるのなら。次はちゃんと最後まで、後輩を。年下の、自分より力のない子を。最後まで守り抜くんだ』


 前世の後悔を晴らす時が来た。


「イヴ。イヴ。あなたが好きよ。昔からずっとずっと、あなたが大好きだった。あなたと出会えて、触れ合えて、こうやってお話できてよかった」


 イヴは言葉を詰まらせる。彼女も私を強く縋るように抱き返してくる。


「えぇ、私も。私もリリア様に会えて良かったです。大好きです、リリア様」


 イヴの美しい亜麻色の髪を撫でる。イヴの香りを嗅ぎ、鼓動を感じ、体温を感じる。彼女の頬に口付けし、耳元で私はそっと囁く。


「お願い。どんなことがあってもアダム王子を愛し抜いて。あなたじゃないとこの人はダメ。あなたにしか頼めないことなの」


 彼女を両腕から解放する。イヴは私の発言の意図を掴みかねているようで、切羽詰まった顔をしながら首を傾げていた。


「リリアお嬢様。いかがなさいましたか」


 私の不自然な言動と雰囲気にすぐさまテオは反応する。私は振り返り、彼に応える。


「『視た』の。全てを」


 それだけで何もかも察しがついたようだ。普段は仏頂面のテオも、流石に動揺を隠し切れていない。


「大丈夫、心配しないで。子供の頃からの約束を果たすだけ。私、あなたを守るわ。どんな無理と無茶を重ねても」


 テオは絶句し、彫像の如く動かなくなる。イヴのとなりに座るアダム王子の手を取った。


「アダム王子。お慕い申し上げます。あなたを心から愛しています。

 イヴはあなたの運命の人です。何があっても、彼女の手を離してはなりません」


 私はアダム王子の手とイヴの手を繋がせる。二人とも顔を見合わせて、困りきった表情で私を見つめた。


「君が何をしたいのかさっぱり分からないよ。リリア、君は一体何を企んでいるの?」


 涙をはらはらとこぼす彼は名だたる絵画よりも美しい。私は彼の髪を梳いてやり、そのまま額に口づけをした。

 脈絡なく口づけされたアダム王子の顔はあっという間に赤く染まっていく。空いた口が塞がらないみたいだ。私は苦笑し、二人に手を振った。


「さようなら。お元気で」


 私は地下へ繋がる階段に向かって歩き出す。手首を掴まれた。テオだ。


「お供いたします」


 彼の提案は魅力的で、思わず頷きそうになる。彼の心遣いにどのほど心安らいだかわからない。

 テオは本当にいい子だ。唇を噛む。鼻水が垂れそうになる。

 私は前世を足すと齢四十近い。長いとは言わないが、充分生きた。でも彼はたったの十九歳。まだまだ生きるべき人だ。守られるべき人だ。


「離しなさい!」


 私は荒々しく手を振りほどく。ショックを受けている彼の表情をできるだけ見ないようにしながら怒鳴り飛ばす。


「私を監禁したこと、許してはいません! ……頭を垂れて許しを乞いなさい」


 テオの当惑が痛いほどに伝わってくる。真っ直ぐな瞳で彼は私を見つめ続けていたが、静かに膝を折って私の前につくばった。

 私はしゃがみ込んで、服従のポーズをとる彼を抱きしめた。


「テオ。あなたに愛していると言われた時、飛び上がってしまうくらい嬉しかったの。本当よ。愛してくれてありがとう。

 好きよ、好き。大好きよ」


 テオがはい、と返事する。かすれて、涙声だった。彼は決して私を抱きしめ返さない。嗅ぎ慣れた彼の匂いに包まれながら、彼の形の良い頭を撫でる。


「テオ、最期にお願いがあるの。私が全てを終わらせるまで、誰も地下へ降りてこないようにして。もちろんテオ、あなたを含めて」


 テオの体が震えた。彼の息は荒くなり、彼の手が床を掻きむしる音が聞こえる。

 私は何も見えない、聞こえないフリをした。


「テオ。主人の願いを叶えることが、従者の役割なんでしょう?」

「……拝命、いたします」

「ありがとう、テオ」


 テオの頬に口づけし、立ち上がる。彼は跪いたまま、面を上げようとしない。テオは拳を強く握りしめるあまり、手から血を滲ませていた。

 私は見ないふりをして、階段に向かって歩き始める。

 最後に一度だけ振り返る。背後では私に近づこうとするアダム王子と、彼を抑えつけるテオの諍う声がする。

 泣きながら私の名前を呼んでくれるアダム王子を目に焼き付ける。


「墓まで持っていくつもりだったけど……。ごめんなさい、やっぱり無理だった。

 アダム王子、愛しています。ひたすらに、あなたただひとりを愛しています!」


 それだけ宣言すると、私は駆け足で地下へと向かう。何もかも聞こえないフリをしながら。


 石造の階段を下る。素足のため、階段の冷たさに身が縮こまる思いがする。心臓がうるさい。嗅ぎ慣れたと思っていた腐りかけの果実の香りが鼻を刺す。

 階段を下る。手汗と足汗が止まらない。油断すると滑ってしまいそうで、壁に手をつけながら一段ずつ降りていく。

 階段の中腹から既に、ヘドロのような黒より暗い闇が渦巻いていた。


 試しにその場で封じの呪文を唱えてみた。変化はない。

 ゲーム通り、扉の中へ入らないとダメみたいだ。ダメで元々だったが、最後の希望が絶たれた。私は口を引き結ぶ。


 階段を下る。緊張でお腹が痛い。黒い煙のようにも見える何かの中に片足を突っ込む。地面がある。足がつけられる。痛みはない。何度も深呼吸する。


 もし、封じの呪文を唱えても扉が閉まらなかったらどうする?


 私は自問自答する。


 扉が閉まらなかったら、異界の先でみんなを待てばいい。どうせ失敗したらみんな死ぬのだ。

 みんなを待ってる間に、異界の神にビンタのひとつでもかましてやればいい。


 意を決してモヤの中に突っ込む。突っ込んだ瞬間、あっと叫ぶ間もなく宙に投げ出される。足元の地面がなくなっていたのだ。


 底のない闇の中へ。光が遠のいていく。

 洞穴に落ちた少女のように、船から落ちた漕ぎ手のように、私は落ちて墜ちて堕ちていく。


 自分の手すら見えないほどの暗闇の中、私の直感が扉を通ったと告げる。

 私はつぶやくように呪文を唱える。


「エロイ・エロイ・ラマ・サバクタニ」


 建て付けの悪い扉の、軋む音がする。そして最後に、拍子抜けするほど軽い扉の閉じる音がした。あぁ、何もかもゲーム通りだ。


 前世で私は封じの呪文について、インターネットで調べていた。

 曰く「エロイ・エロイ・ラマ・サバクタニ」とはイエス・キリストが処刑される際、天に向かって叫んだとされる。意味は下記の通りである。



 わが神、わが神。

 どうして私をお見棄てになったのか。



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