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第四十二話 私が「私」だった頃 前編


 過去へ過去へ。映像を辿る。記憶を視る。


  *


 私はありふれた女だった。それこそ掃いて捨ててもまだ残る、無個性で面白みのない女。

 

 親の見栄とプライドのために進学する学校を決めた。部活だって親の影響で選んだ。人並みに恋し恋され恋に敗れて。親の趣味のポルノグラフィティを偏愛し、友達の影響でオタク文化に浴した。

 自分からハマったものなんてそれこそ『恋と邪悪な学園モノ。』くらいだ。そうか、だから私はこのゲームにのめり込んだのだ。


 親の期待と意向に一切逆らわない代わり、自分の人生について真剣に考えることなく、ぬるま湯に浸かったような日々を過ごした。

 私が親元から離れた時、これまでのツケを全て支払うことになる。



 大学卒業後、関東の中小企業に就職が決まった。配属された課は歳が近い社員でも40歳を超えていた。それゆえに入社当初は歓待され、期待された。


 ミスすると課内全体に響く大きな声で指導される。リカバリー可能な些細な失敗もいつのまにか大事(おおごと)にされる。

 電話応対では「てにをは」レベルから指導を受ける。誰かが私の電話対応をそば耳立てて聞いていると思うと呂律が回らなくなり、よりたどたどしい応対をしてしまう。



「大学で何を勉強してきたの? そんなので本当にあなた大丈夫?」


 苦笑いしかできなかった。


「どうして大卒なのにこんな会社入ったの? もったいない」


 就活で内定がもらえなくて親に泣きついたんです。親のコネで入社したんです。言えなかった。



 歳が近い人がいないせいで共通の話題がない。話が盛り上がらない。職場に馴染めない。課の飲み会で笑い者にされ、帰りの電車で寝るふりしてひとり泣いた。


 初めてのひとり暮らしで慣れない家事。自炊はまともに出来ず、二週間近くゴミ出しを忘れる。部屋がゴミと洗濯物で溢れていく。仕事と家事を両立できず、自分の無能さばかりが証明され続ける。


 家に帰っても誰もいない。人恋しさでどうにかなってしまいそうだった。


 職場の人間に本心を吐露できる相手がいない。仕事の愚痴を友人に語ろうにも、突き詰めれば自分の不手際のせいで叱責されているに過ぎない。悪罵ばかり口にして友人に煙たがられたくなかった。友人といる時は楽しいことだけを考えていたかった。


 大学の頃見向きもしなかった高アルコール酎ハイに手が伸びるようになる。新しい漫画やゲームに手を出す体力すらなかった。ストレス発散のために『恋と邪悪な学園モノ。』を起動する回数が増えた。だから私は何年も前に購入したゲームの詳細を覚えていたのか。


 酒量が増える。何度も作業的にアダム王子ルートをプレイする。

 空き缶の量が増える。何度も機械的に全攻略対象の全てのルートをプレイする。あるエンドだけを無意識的に避けながら。

 酒がないと精神的に落ち着かなくなる。『恋と邪悪な学園モノ。』の公式ファンブックを読み耽る。

 現実から目を逸らすために、ゴミ溜めのような部屋で酒と幻想に逃げて。


 ズタボロになりながら、私は社会人一年目を終えた。

 

  *


 私の心の支えになった存在がいる。次の年入社した後輩だ。

 短大卒の彼女とは歳が少し離れていたが、妙に馬が合った。休み時間が被った時は馬鹿話をし、仕事終わりにご飯へ行った。

 身なりに気を使う可愛らしい子だった。

 同僚の注意が後輩に集まり、以前よりも「監視されている」感じがなくなった。揚げ足取りが減った。彼女のおかげで会社へ出社することが以前よりも気軽になった。最初の数ヶ月は。



「先輩、聞いてくださいよ! 希望の休み出したら会社全体の朝礼あるからって言われたんですよ? てか、この会社休み少な過ぎません? 百日以下って信じられます?」


 彼女は休みにこだわりがある子だった。休暇日数は予め伝えられていたはずだ。

 私は彼女をご飯に誘い、精一杯慰める。


「あの御局様、教え方酷くないですか? 初めて教わる業務なのに『前にも教えたんだけど』とか言ってくるんですよ! 分からないって言うとどうして分からないの? って説教してくるし。知らねえもんは知らねえよ」


 先輩社員はね、どこまであなたが業務を把握してるかまで分からないの。積極的に教えてくださいって言わないとダメだよ。言えなかった。

 私はごめんね、と言いながら彼女に仕事を教える。


「お昼休み先輩社員から先っておかしくないですか? 私たちお昼食べるのいつも十五時過ぎとかじゃないですか」


 お昼でもお客様や他部署から電話がかかってくるから仕方ないよ。それに他の人より仕事ができない私たちが文句言える立場じゃないんだよ。言えなかった。

 彼女の機嫌を直すためにケーキを買っていく。


「また残業! 予定入れてたのに! いつになったら帰れるんだろう」


 この会社月残業時間せいぜい四十時間しかないよ。言えなかった。

 私は後輩の仕事を手伝うために残業する。彼女から終ぞ礼は言われなかった。


「あのクソババアひどいんです、私が泣くまで迫ってきて、怒鳴り散らして。私に、ペンと書類を投げつけて。もうこんな会社辞めたい」


 あの人は気分屋さんだから仕方ないの。私も似たようなことされたからわかるよ。

 一番長く勤めて一番仕事できる人だから。悔しかったらその人より仕事ができるようになるしかないの。言えなかった。

 私は深夜まで彼女の愚痴を電話で聞き続ける。


「この会社おかしくないです? 電話取るのだって女性陣だけだし、男性陣はいつだって喫煙室にこもりきりじゃないですか。クソババアのパワハラだって容認してますし。こんなブラック会社いたら死んじゃいますって」


 仕事をしながら聞いていた私は、苦笑いすることしかできなかった。

 この発言の日から、彼女となんとなく距離を置くようになった。


『先輩、助けてください。仕事辞めたいです。電話したい。死にたい』


 夜の十二時にこんな内容のメッセージが後輩から届く。彼女のミスの尻拭いのため、十時まで残業をしていた日だった。頭が芯からぼうとして、玄関に着いた途端倒れ込んで起き上がれなくなっていた。



 勝手に死んでろ。



 私はそのメッセージを既読スルーした。

 次の日から彼女は出社しなくなった。

 数週間後、彼女は会社を辞めた。


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