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第四十一話 異界への扉

 しばらくするとミハイル王子の声が聞こえなくなる。


「テオ、もうやめてくれ。ミハイルお兄様は死んでる」


 涙声でアダム王子が訴える。肉がぶつかり合う音が止む。


「流石は心清らなアダム王子様。無抵抗の女性に暴力の限りを尽くした悪漢にすら、その心を砕くのですね」

「……ミハイルお兄様は人非人だ。でも、僕のお兄様なんだ!」

「まあなんとお優しいことでしょう」


 アダム王子とテオの口論は続く。


「待って、テオ。やめるんだ。その子ももう死んでいる」

「頭と胴を切り離しておくだけです」

「お願いだ、もう死者を冒涜するようなことはしないでくれ。もう十分に罰は受けたんだ。お願いだ、お願いだから……」


 テオのため息。足音が近づいてきて、やおらに視界が明るくなる。テオが私に被せた上着をのけたのだ。彼は私を労りながら手足の荒縄を断ち切り、声掛けしながら応急措置を始める。


「鼻血、口内出血突き指骨折。その他打身擦り傷切り傷。鎖骨も折れていらっしゃいます。……リリア様が怪我をなさったのは全て、私の責任です。なんとお詫びしていいか。

 本土へお戻りになったら、真っ先に医者へ」


 一通りの処置が終わると、私は子供のようにテオへしがみついていた。血も凍るような暴力をふるっていた彼に対して、不思議と恐怖心を感じなかった。

 私はテオに抱きかかえられながら周囲を見やる。


 子供にはアダム王子の制服のブレザーが、ミハイル王子には星辰教徒のローブがかけられている。ふたりからは濃密な死の匂いがした。

 意識を取り戻したイヴは呆然とその場に座り込んでいる。

 アダム王子はミハイル王子の死を悼み、彼の遺体のそばで泣いていた。アダム王子は誰にでも平等に、いっそ残酷なまでに優しい。


「ここは西塔の地下です。学園設立時ペシュコフ公が極秘で増築し、後ろ暗い目的でここを利用していたそうな。地下には船の発着場があります。輩どもが使っていた船もある。先に本土へ向かい、人を呼んで来てください」

「……他の生徒たちを見捨てるのかい? まだお兄様の兵はいるんだろう?」


 肩を落とし、悄然としながらもアダム王子はテオへ問いかける。


「平民が何人生き残ろうと、アダム王子が生きのびなければこの一件は揉み消されて終わるでしょう。

 あなた様はこの一件を正しく幕引きする義務がある。ここで失われた命のためにも」

「民の命を守るのも王の義務だ。失われた命よりも、今ある命のために力を尽くすべきだ。僕は残って戦う」

「アダム王子、あなた様の体は剣すら弾く。ベルナール家に受け継がれる『鉄膚』の能力持ちだ。素晴らしい体だ。ですが殴られるだけのカカシに何ができます?

 私が残り、他生徒を助けます」


 テオの返答に私だけでなくイヴも驚きの声を上げる。私の背中に嫌な汗が伝う。


「……世間一般ではバダブの民が禍ツ力を使うと広く信じられています。

 考え無しに本土へ戻れば、わたくしは禍ツ力を使って凶行を起こした首謀者と濡れ衣を着せられるでしょう。わたくしの主人たるリリア様まで共謀者とされるかもしれません。そんなこと、あってはなりません。

 なにより、他者を見捨てる行為をリリア様が望まれない。主人の願いを叶えることが従者の役割です」


 私はテオのジャケットを握りしめ、彼の提案を拒絶しようとする。


「びっくりびっくリ! 死ぬかと思いましたヨ!」


 独特のイントネーションが私たちを戦慄させる。誰もが声の主に目を向ける。


 その子は生きていた。


 アダム王子の上着を投げ捨て子供は立ち上がる。アダム王子はイヴの盾になるよう立ちはだかり、テオは服の袖に隠し持っていた暗器を構える。


「意識トんでましタ! トドメ刺されなくて助かりましたヨ。おこちゃまはツメが甘いですネ」


 子供はローブを脱ぎ捨てる。イヴが叫声を上げ、アダム王子から表情が消え、テオの体は強ばり、私は吐き気を催した。

 彼はバダブの女の人皮でできたマスクとチョッキを身につけていた。マスクは乳房と耳でできていた。チョッキの胸の部分は人面で、空っぽの眼球部分からは手の皮が飛び出ていて手袋のようにパタパタ揺れる。腹回りはパッチワークの如く無数のヴァギナが縫われていた。

 ナイフの突き刺さったマスクとチョッキを脱ぎ捨てる。

 私たちは初めて少年の素顔を見る。黒いシャツを着こなした、白髪で赤い瞳の少年だった。


「土の皮が無ければ即死でしタ! 『禍ツ避け』と防刃になるので機能性抜群なんですガ、蒸れるのが玉に傷なんでス。我が同胞も着ておけば鍵に殺されずに済んだのニ、気持ち悪いだなんだト……。おバカですねエ。

 ……おやテオ君、おねーちゃんかママいましたカ? 挨拶すル?」


 テオはすでに暗器を投擲していた。急所を狙い澄ました切先は、物理法則を無視した曲がり方をして彼に届かない。


「不意打ちならまだしもネ? 我とてブルッフェンの末席に連なる者。禍ツ力はこういう風にも使えるんでス。せっかくですシ、典型的なのもお見せしましょうカ」


 腐りかけの果実の香りが鼻を掠める。すると私は私の意思に反し、己の首を絞め始めた。


「リリア様!」

「イヴ?」


 テオとアダム王子の叫び。テオが引き剥がそうと両手で私の手を掴みかかるがびくともしない。苦し紛れに横目を伺うと、イヴも似たような状況に陥っている。


「テオ君が我に暴力を振るうもんだかラ、つい正当防衛しちゃっタ。本当は神々への祝詞が必要なんだけド、それ省略しちゃったからうっかり力加減間違って女の子たちの首へし折っちゃったらごめんネ?」


 両手を合わせながら少年は可愛らしく首を傾げた。テオは奥歯を噛み砕かんばかりの歯軋りをする。

 少年は腰巻きからタガーを引き抜きミハイル王子の遺体に近づいていく。


「我々ブルッフェンは王家と四大貴族によって表舞台から追放されましタ。何故カ? 我々が異界の神々を信奉し国教会と袂を分かチ、禁忌である禍ツ力について研究を続けたかラ。

 追放された我々は再びコンスタンティーノとペシュコフと手を結んダ。何故カ?」


 少年はミハイル王子にかけられたローブを剥ぐ。短剣を振り上げ、そのまま彼の腹を掻っ捌いた。


「妻子ヲ、婚約者ヲ! 奴らに人質に取られたからダ!」


 彼はミハイル王子の腹を、腕を、顔を滅多刺しにする。血肉がこちらまで飛んでくる。少年は狂喜に溺れていた。


「三十年前の話ダ! 我が婚約者までもが拐かさレ! 異界とバダブの相関性について研究するため戦争を起こすから協力しろと命令さレ! 我は力が無かっタ! 従う他なかっタ! 戦争の捕虜として捕らえられたバダブの民を殺して潰して犯して砕いテ! 女子供関係なク! 土の皮もその時作った副産物です素敵でしョ? 扉がどうやったら開くか試した禍ツ力を使っても異界に囚われない方法を模索した異界の真を知ろうとしタ! 実験は幾度となく失敗シ! 扉が開いた閉じること能わず国中に巨大な(うろ)ができタ!」


『バダブの民は禍ツ力を使い、村々を文字通り地図上から消しました』

『輩どもに強襲された村には、今でも異界に通じる巨大な虚があるんだそうです』

『私の故郷はバダブの民に消されたんです。両親共々』


 メアリアンの言葉を思い出す。震えながら言葉を紡いだ彼女の姿が頭をよぎる。


「実験の副作用で予期しない極小の扉が顕在化し勝手に開いた各地で人々が失踪する怪事件が頻発しタ! コンスタンティーノとペシュコフハ! 全ての責をバダブの民へ押しつけ謂れのないデマを流し続けたかわいそうにネ?」


 少年はミハイル王子の内臓を引き摺り出し、その血肉を自分の頬に塗りたくる。


「戦争が終わった後も我々は解放されなかっタ。当然です全てを知っているのですかラ。婚約者は帰って来ましタ。慰安婦として働かされていたそうでス。一年もしないで首括りましタ」


 天を仰ぎ、少年はタガー片手に手を伸ばす。


「憎イ。憎イ。四大貴族共ガ、忌子を孕み続ける王家ガ。異界の神ヨ、狂乱の神々ヨ。どうか我々をお招きくださイ。この世界の全てをお連れ下さイ。我は望みまス。この世の貴き者たちガ、異界におはします神に生きたまま引きちぎらレ、しょんべんを引っかけられる姿ヲ、異形の神々に足蹴にされながら見てみたイ。この理不尽な世界の終わりを見てみたイ。

 禍ツ力ヲ、神の寵愛をお与えくださイ、異界の大淫婦ヨ、我の頭上に太陽の光の如く淫愛を注ぎくださイ」

「……! 耳を塞げ!」


 テオが怒鳴る。少年は天に掲げた腕を下ろし、冷めた赤瞳でテオを見据えた。


「遅イ。あまりにも遅イ。テオ君は我が語り始める前にその指示を出すべきでしタ。我の奇行に惑わされましたネ。どちらにせよ手遅れですガ。おこちゃま共に異界と禍ツ力の知識を語り聞かせていル。異界を知ることはそれすなわち異界に近づくこト。同胞によって異界の噂も学園中に広めてあル」


『異界や禍ツ力について知れば知るほど、異界へ囚われやすくなる』


 テオが言っていた言葉だ。知ることそれそのものが危険なのだ。私は知っていた。ミハイル王子が親切に説明してくれたこと、もっと疑り深くなるべきだった。

 どうして私は彼らの話を遮らなかった? どうして私はここまで無能なんだ?

 私は自分の首を絞め続ける。酸素が足りない。


「この学園は今、最も異界に近い場所となっタ。仕上げでス」


 少年が言うや否や私の手の力が緩み、手が私の意思で動くようになる。肺が新鮮な酸素を求めてむせかえる。テオは何度も私に呼びかけ背中をさする。イヴも禍ツ力から自由になったようでアダム王子の安堵の声が漏れる。


 私たちを傍目に少年の背後では影を煮詰めたような煙が集まり出していた。煙は縦に長く伸びていき、やがて両開き扉をかたどった。

 目が沸騰するかのように熱くなる。うめき声を上げながら両眼を強く、強くおさえつける。


「さてさテ、言い伝えによりますとこの扉を開くには『鍵』が必要でス。ですが今まで『鍵』なる人物が存在しなかっタ。我々は如何にして扉をこじ開けてきたのカ?」


 テオは二、三本短剣を投げ、ことごとく少年の急所に当てた。本来であれば即死しているはずの少年は、平然と生きていた。彼の顔に白々とした手形がひとつつく。

 立っていることも難しくなるほどの頭痛。激痛。


「禍ツ力を馬鹿みたいに使っても扉は壊せませン。ですが扉の蝶番のネジをぶっ壊してあげることはできるんですネ」


 ガリガリと何かを削る音が響く。音が強くなるにつれ、少年の体中に白い白い手形がベタベタとつけられていく。


「問題でス。壊れた扉を鍵で閉めることはできるでしょうカ? 答えは否! 否々否! 制御不能! 抑止不可! 歴史上最も大きな虚が誕生する瞬間に立ち会えましたねおめでとウ! これで我の理想郷にまた一歩近ク! 世界が異界と同化すル! ダメ押しで禍ツ力使いが異界に囚われる瞬間をお見せしましょう呪いの知識を抱いて死ネ!」


 少年は老獪に笑う。白い手形は少年を覆い尽くし、そのまま地へと引きずり込まれて行く。


「この不条理な世界に神々の祝福あらんことヲ!」


 少年が完全に地に沈むと共に彼の哄笑が途切れる。何かを削るような音も止まる。

 誰もが息を潜め、固唾を飲んで扉を見つめていた。

 目を掻き出してやりたいほどに痛かった。それでも扉から目を離せなかった。


 静かに始まる。

 ゆっくりと時間をかけて、右側の扉が正面に倒れ始めた。木が軋む。扉の崩壊音。隙間から空間に広がる腐った背信的な香りと、砂塵にも似た黒より黒いおぞましい煙。

 テオが私を背負って走り出した。アダム王子もイヴの手を取り後に続く。私はテオにおぶさりながら、扉から目を離さなかった。

 扉の右側が完全に倒れた。周囲に重々しいヘドロめいた暗闇が広がっていく。地面の底が抜け落ちていき、根源的な恐怖が呼び起こされる。



『信じられない!』


 そう言って私は人生で初めてコントローラーを壁にぶん投げたのだ。


 私はこの光景を知っている。この光景を目にしている。ゲームの映像で視ていた。


『攻略対象全部死んだ! 好きな人いない世界のためにヒロイン犠牲になるエンドとかクソじゃん! しかもオープニングの「えろいえろいラマサバクタニ」が悪しきものを封印する呪文なのふざけてるでしょ! 封じの呪文は〜とか言ってたけどさぁ!

 ていうかこの壊れた扉の中に入らないと呪文唱えられないのなんなの? 扉の外で唱えればいいじゃん!』


 そうだ、私は怒ったのだ。

 そもそもオープニングはゲーム本編ではあり得ないこと(例えばアダム王子がホストやったりテオとリリアが漫才やったり)が繰り広げられていた。呪文をキャラ全員で叫ぶシーンもクランクアップ風の映像だったのだ。明らかにゲーム本編ではなかった。


 つまり封じの呪文は、謎時空オープニングを見たプレーヤーしか知り得ない情報だったのだ。


 プレーヤーしか知らない呪文をゲームのヒロインに言わせる。中途半端にプレーヤーとゲームヒロインをリンクさせる演出を受け入れられなかった。

 私はヒロインのイヴと自分を切り離してプレイしていた。私ではなく、イヴが愛されるストーリーが好きだった。


 推しの死、自分の解釈にそぐわないゲーム演出。私はこのルートを黒歴史として忘れることにした。



 視える。思い出した。視える視える。


 過去の記憶が視える。過去の記憶すべてが。

 私の眼は過去の海に沈んでいく。

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