第三十九話 めちゃくちゃ
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「おどきなさい! 貴方たち、どれほど愚かしい行為をされているか分かっていらっしゃるの?」
バイオレット・ホイストンは星辰教の信者たちに喰ってかかる。彼女は未明、朝食を作るために食堂へ向かっていると厨房から持ってきたであろう刃物を持った星辰教に取り囲まれた。
彼女は抵抗らしい抵抗もできぬまま縛り上げられ、本校舎一階の教室へ連行された。その後も時間を置いて、ひとり、またひとりと生徒が集められていく。日も落ちてきた頃には二十名弱の生徒が狭い教室に押し込められていた。
ほとんどが自警団に属していた者たちであり、猿ぐつわされた者、暴行を受け気絶している者もいた。アダム王子の姿はない。
「これは立派な犯罪です! 本土へ戻れば間違いなく糾弾されるでしょう。今ならまだ引き返せますわ、冷静になってくださいまし」
非星辰教生徒たちが恐怖と緊張で押し黙る中、バイオレットははっきりと主張し続ける。
脅され、軟禁されている生徒の中にバイオレットの見知った生徒はいない。バイオレットは心配でたまらなかった。
星辰教の女生徒は無感情にバイオレットへ語る。
「人が定めた法など神の前では空文に過ぎません。禍時、地上と異界が交わる聖なる時に我らが導き手、尊き預言者が歩むべき正道を示してくださいます。得難き僥倖にうち震えるがいいでしょう」
話が通じない。
バイオレットは歯噛みする。
星辰教の生徒たちが一斉に外を見やり、跪いて合掌を始める。
本校舎の外では黒いローブを目深に被った生徒たちが集まり始めていた。その中央には手を縛り上げられたアダム王子の姿があった。
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星々が瞬き篝火が爆ぜる。荒々しい焔がフードから僅かにのぞく信者の口元を照らす。
「水が高きから低きに流れ落つるが如く、季節が移ろいゆくが如く、万物の事象は神の御心のままに遂行されねばならぬ。神の御心に背きし時、摂理は歪められ世は混沌へと沈む。今がまさに混沌である。歪みは直されねばならぬ。不正は正されねばならぬ」
預言者と崇め奉られている女がそこで言葉を切る。彼女の傍らには長身の男と、手を縛り上げられ目隠しがなされたアダム王子がいた。それらを囲うように十数名の信者は立つ。ある者はまぶたを閉じ合掌し、ある者は恍惚と、預言者の言葉を待ちわびる。
「神は貴き贄を欲している。彼の者が神の欲する貴き贄である。彼の者の熱き血潮が大地を濡らす時、さかしまの事象はすべからく正され混沌は終わりを迎える。神の試練は正しく遂行され、我らは神の王国へと迎え入れられる!」
預言者の言葉が終わると同時に信者たちは地に転がっていた磔柱にアダム王子の両手をくくりつけ始める。長身の男が両手剣を引き抜く。
「さぁ、大地を血で満たせ!」
「やめなさい!」
東館から女の声がする。女はレースのついた麗々しいネグリジェを血まみれ泥まみれにし、裸足で駆け寄ってくる。
「私はオールドマン家次期当主リリア・オールドマン、我が名においてやめろと言っている!」
女の頭に挿された金の髪飾りがきらめいた。
*
「リリア?」
アダム王子の声だ。
「リリア、ダメだよ。僕は大丈夫だから。お願い、何もしないでくれ、リリア!」
アダム王子の叫びが私の逆鱗に触れる。
「惚れた男の一大事に、命張らない女がどこにいますか!」
部屋から脱出した後、私は延々と建物の中を彷徨い続けた。どうやっても見慣れた場所に出ない。同じ場所を何度も通る。窓を見つけ、そこから外に出る頃には日が暮れていた。外に出て自分が東館に閉じ込められていたことを知る。
篝火に頬が焼かれ熱い。裸足で走ってきたために足の裏が痛くてたまらない。私は早足で星辰教徒どもの黒々とした一団に近づいていく。
何が何だかさっぱりわからない。だが、磔にされそうになってるアダム王子を見て、両手剣を構える大男を見て、とんでもない事態になっていることだけ理解できた。
後先考えるな。考えていたら、立ち止まったら、アダム王子が殺される!
今までキツい香の匂いで鼻がやられて気がつかなかったが、もう誤魔化しようのない腐りかけの果実の香りが信者の間に充満していた。禍ツ力の匂いだ。禍ツ力で生徒たちは操られていたのだ。誰に? 証拠はない、だが確信があった。
自分の愚かしさに嫌気がさす。どうして気がつかなかったのだ? いや、どうして考えようとしなかった? 生徒の中に人殺しがいるなんておぞましいこと考えたくなかった。生徒の中に人殺しがいると知ったところでどうすれば良かったんだ? 私も同じように彼ら彼女らを殺せば良かったのか?
私は自分の信じたいものしか信じることができなかった。不都合な現実を視ようとしなかった。
この結果がこれだ。アレッキーオだけでなく、アダム王子まで命の危機に晒している。
頭のてっぺんがチリチリと焼けるような思いだ。自分の無能さにふつふつとふつふつと腹が立つ腹が立つ。
「どきなさい!」
信者を突き飛ばし、預言者と呼ばれる女生徒の元へ向かう。腐った臭いがキツくなる。フードを被っていても分かる。彼女は私を見てほくそ笑んでいた。たいそう嬉しそうに。
こいつが、先生とアレッキーオ君を。
髪が逆立ち血が昇る。
私は走り出し、勢いをつけたまま預言者の顔を殴り飛ばした。預言者は二、三度地面に跳ねて転がった。
「痛ってぇな!」
私は手を抑えて痛みにもがく。拳がただただ痛い。殴り方が悪かった。小指と薬指を骨折したかもしれない。それとも突き指か?
預言者のとなりに立っていた大男は両手剣を持ったまま唖然としている。周りの信者共は数名を除き、微動だにしない。人形のように虚空を見つめるばかりだ。
これは好機ではないか?
傷だらけの体を引きずりながらアダム王子に駆け寄る。
「アダム王子、逃げますよ! どっかに!」
アダム王子の目隠しを外し、磔柱に括られた腕を解きにかかる。強固に荒縄で固定されているため、想像以上に解きにくい。
「リリア、どうして……」
「どうしてもこうしてもありませんよ! 心底惚れた男のために尽くすことの何がおかしいっていうんですか! ああもうこの縄、なんなんですかこんがらがって間怠っこしい! 癇癪起こしそう!」
「……君は未来視の『魔眼』持ちでも、ましてや『鉄膚』持ちでもないのに……!」
アダム王子は涙目だ。泣き虫でお人好しの、よく見知った彼がいた。
「森を逆さに泳ぐ二匹の鰯。あべこべの寓意!」
冷え冷えとした預言者の声が響く。
「あの女は鰯だ、鰯を捕らえよ!」
悪臭がより強くなる。先ほどまで棒立ちになっていた信者たちが私へ向かって殺到する。視界にいっぱい広がる他人の手、見慣れない手、血色の違う手。輩共の手が私の腕を掴み服を掴み髪を掴み胴を掴み足を掴む。
私はアダム王子から引き剥がされ、両手両足を抑えられた状態で預言者の前に引きずり出される。預言者は私の頬を殴る。何度も何度も。左右の頬を殴打する。視野が狭まり意識が飛びかけ口内が切れる。遠くではアダム王子の絶叫が聞こえた気がした。
預言者は肩で呼吸をしながら、私の前髪を引っ張り顔を上向かせる。私の耳元で彼女は囁く。
「ブルッフェンの名を覚えているか?」
『悪なる力を使う邪悪の権化ブルッフェンを勇者アルフと四人の仲間が正義の力で退治したのでした。めでたしめでたし』
視界が白濁しかける中、脳内で蘇る遠い日の記憶。アダム王子と本を読み聞かせあった、陽だまりの思い出。
「……お伽話の……?」
言葉が口を突いて出ると同時に、預言者に頬を打たれた。
「そうだなその通り! 貴様ら四大貴族によって周縁に追いやられ、お伽話の世界に押し込められた一族の名だ!
我らの祖先はブルッフェンであるというだけで土地を追われ石持て投げられた! 日の当たる場所に存在することすら許されなかった! そこまで我らを追いつめたのは貴様らだ、腐れ四大貴族が!」
再び預言者は私の頬をぶつと呵呵大笑する。
「我らがブルッフェンの宿敵よ! 刮目せよ! お伽話の住人が現実世界に牙を剥くぞ!
迷える祈り人たちよ、この者は鰯である、海へ返してやれ! おい、そこな土! 貴様が鰯の四肢を捥いで真の魚にしてやれ! それが貴様の役割であろ?」
預言者に話しかけられた長身の男から、目が覚めるような怒気が発せられる。預言者はそれすら心底愉快なようで高笑いをやめようとしない。
「根絶やしにしてやる! 四大貴族の血を討ち滅ぼしてやる!」
四方八方から害意のこもった視線を向けられる。そこで私は気がつく。
私の首さえ差し出してしまえば、この混乱は収まるのではないか?
酸欠の頭で考えた、論理的とは口が裂けても言えない思考。しかしそれは説得力を持って私を包む。ぷつりと何かが切れた音がした。
急に体が重くなる。疲労感のあまり肌と外界のあわいが曖昧になる。耳鳴りがする。全身が痛い。何も見えなくなってきた。もう疲れた。全ての感覚が閉じていく。
急に預言者の笑い声が聞こえなくなった。何かあったのだろうか? 力を振り絞って薄く目を開く。
預言者は相変わらず私の正面に立ち、彼女を支えるかのように小柄な信者が背後に立っていて、預言者はぶるぶる小刻みに震えており、彼女の口元からぶくぶくと赤い泡があふれ、そのまま血を吐いて、うつ伏せにどうと倒れた。
預言者の脇腹に、短剣が突き立てられていた。
大地を染めていく血。赤。返り血に濡れた小柄の信者。黒々とした赤。虫の如くびくりびくりと動く預言者。広がる血。赫。預言者の脇腹に深々と刺さる柄。見覚えのある、柄。
『ルビィは持ち主を守護し困難を切り開く石だという。これから先オールドマン家を背負って立つ君にぴったりなアイテムだ。
もちろん、タガー本来の役割にも耐えうる逸品さ』
お父様からもらった短剣だ。どうして私の短剣がそこに?
突風が吹き、返り血を浴びた信者のローブが取り払われる。亜麻色の髪が風に揺れる。私はその人物を知っていた。
あぁ、そうか。その短剣は。
『もしもの時はこれを使って』
私がイヴに預けていたんだった。
預言者に短剣を突き立てたイヴは、顔を真っ青にしながら口を一文字に結んでいる。
私を抑えつけていた信者の一人が、ぬらりと立ち上がる。覚束ない足取りで、預言者に近づいていく。その人が預言者の脇腹に刺さった短剣を引き抜くと、預言者は悲鳴を上げた。
「たっ、助けっ……!」
預言者は声を震わせ、血を吐きながら信者に手を伸ばす。信者はその手に容赦なく短剣を振り下ろした。
骨を震わせるような叫び。
「この御方が真の貴き贄だ!」
信者はそう叫びながら短剣を預言者に振り下ろし続ける。
「色情狂王子は神が求める贄じゃない! 神の声を耳にすることができる、神に愛されしこの方こそが貴き贄だ!」
信者たちの様子が変わる。気色ばみ、誰も彼もが預言者へと歩み寄る。手足を拘束していた信者も私を放る。私は無様に地に伏した。顔を強かに打つ。土しか見えない。
「やめっ、やめてっ……やめてくださ」
預言者の切羽詰まった、哀れみすら感じる声。直後、彼女の絶望の叫びと信者の快哉が雨のように降り注ぐ。
一体何が起こっている? アダム王子は、イヴは助かったのか?
足音が聞こえた。私の真横で立ち止まり、しゃがみ込む。その人物は私を抱え上げる。大男だ。両手剣を持っていた男だ。私はおくらばせて気がつく。私はこの人物をよくよく知っていた。
「どうしてここにいらっしゃったのですか、リリアお嬢様」
気絶する前に見たのは、涙目のテオだった。




