第四話 反吐の顛末
気がつくと、私は自室のベッドに寝かせられていた。窓の外は真っ暗である。服装も寝巻きに変わっていた。吐き気はすっかり治り、ちょっとお腹が空いている。
私はペチペチと顔を触る。七連勤明けとは思えないもち肌だ。
私は恐る恐る鏡を見る。見慣れない、ある意味では見慣れた顔がそこにいた。
ちっちゃくなった悪役令嬢リリアになってるじゃない!
私は思わずそっくり返る。
現実世界では十人並みと称されていた私が綺麗な女児になってやがる! こんなに黒髪美人になったらモテまくりで男をちぎっては投げちぎっては投げするぞ?
どうして私が乙女ゲーの世界に?
思い出して私! はっきり覚えているのは現実世界で私は七連勤最終日の前夜、ストロングにゼロなやつを買いだめして、連勤最終日に一杯やろうとしていたことくらい。それ以降となると記憶が曖昧になりわからない。
私の強いストロングで数字がゼロのやつ!
多分飲まずに乙女ゲーの世界に迷い込んでしまった! キンキンに冷やしておいたのに!
キィキィ叫びながら床をもんどりうつ。絨毯の毛が私の頬にチクチク刺さる。
現実世界の記憶もそうだが、乙女ゲーの世界で生きてきた七年間の記憶も確かにある。一体何がどうなっているんだ? 会社どうなった? 無断欠勤扱いでクビか? 冷蔵庫のストロング◯はどうなった?
パニックに陥った私の頭は、次から次へと妙な考えばかりを生み出していく。
「あのぅ、リリアお嬢様……」
ちょうどメイドのメアリアンが私の部屋を覗き込んでいた。私はぎくりと体を震わせる。はたから見たら床に頬擦りしながら奇声を発するやべぇやつである。
「なんでもないわ!」
私は咳払いをして立ち上がる。七年間貴族の女児だったので自然とお嬢様っぽい言葉が出る。
メアリアンのお下げが不安げに揺れる。そばかすの上にあるキュートな瞳は不安げだ。
「お水をお持ちしましたので、よろしければ……」
「あら、気を回してくれてありがとう。ちょうど喉が乾いていたの」
私はメアリアンから水を受け取りぐびりと一口。これにアルコールが入っていたらどれほど良かったか。
ちらりとメアリアンを見るとひどく困惑している。
やっちまったと思う。
記憶が戻る前、私は彼女を激しくいぢめていた。労いの言葉をかけたことは一度もない。
「あなたにしては美味しいお水だったわ! お手すきかしら? 私が倒れた後アダム王子がどうなったのか知りたいのだけれど」
メアリアンに訝しげられぬよう、精一杯高飛車にたずねる。何がなんだかわからないが、アダム王子のことも気がかりだった。
彼女は戸惑いつつも、私に説明してくれた。
彼女曰く、とりあえず気絶した私を部屋へ運んだ後は、お父様も出てきて王子へ平に平に謝り倒したらしい。着替えたアダム王子は気にした様子もなく、再来週にまたこの屋敷に来る旨を伝えて帰ったそうだ。
なんでも本来婚約の申し出に参られたそうなのだが、婚約相手が奇行の末嘔吐し気絶したため仕切り直すことになったらしい。
お父様が私にアダム王子の応対を任せた理由に合点がいった。ただただ恥ずかしかったし、アダム王子への罪悪感が増した。
「メアリアン、話してくれてありがとう。……再来週、アダム王子がいらっしゃった際には改めて謝罪せねばね。アダム王子の心情を察するに余りあるわ……」
「ええ本当に……」
メアリアンは同意しかけた口を自分の手で塞ぐ。彼女はほんの少し粗忽なところがある。記憶が戻る前の私はいつも目くじらを立てていた。
「あらメアリアンったら」
「申し訳ございません! 何卒、お許しを……!」
メアリアンは頭を深く下げる。彼女は小刻みに震えていた。
私は現実世界のことを思い出す。彼女のような女の子が職場にもいた。ひたすらに謝り続ける子。決して反抗しない、サンドバックのような女の子。少し頭の回る上司は気に食わないことがあると、無害なその子へパワハラ紛いの攻撃的な発言を繰り返していた。
私は改めて自分の行ってきた行為を反省する。彼女にしてきた行為は、現実世界の邪悪な人々となんら変わらない。人生経験が浅かったとはいえ、そんなことは言い訳にならない。メアリアンはまだ十六歳そこらの女の子なのだ。
人が変わったと思われても構わない。気が狂ったと思われたっていい。私は彼女に謝罪しなければダメだ。
メアリアンに近づき、彼女の首元へ抱きつく。私は彼女の耳元で「今までごめんなさい」とささやいた。
顔を少しだけ離すとメアリアンは目を大きく見開いて私を見つめていた。
「でもだめよ、メアリアン。あなたとっても失礼だわ。罰を与えなければ」
メアリアンの瞳を真っ直ぐに私は覗き込む。
「アダム王子に次会う時、とっても素敵なドレスを着たいの。時間がある時でいいわ。私と一緒にドレスを選んでくれない?」
彼女の動揺と喜びが伝わってくる。メアリアンは色のセンスが良い。失踪したお母様ですらメアリアンに助言を乞うていた。きっと悪いようにはならないだろう。
「はい、はい! 喜んで! お嬢様!」
「ありがとう、メアリアン」
メアリアンの眩しい笑顔が花開いた。