第三十七話 乙女ゲームの主人公
「どうして私は自殺したんだろう」
バイオレットが食堂のお手伝いに来るようになって二日が過ぎた。
彼女が食事の配達へ行っている間、テオにたずねてみる。私は洗い物をしていた。
「思い返せど返せど、酒飲んで、ゲームやってっていう楽しい記憶しか視えないの。前後の記憶がすっぽり抜けてるから、疑問ばかりわいてくるわ」
テオは答えない。ここでようやく、テオに言ってしまった冷たい言葉を思い出す。
『私に死を語らないで! 何を知った風に! 死んだこともないくせに!』
「テオ……。本当に、ごめんなさい。あなたに取り返しのつかない酷いことを言ったわ」
「……気になさらないでください。リリアお嬢様は、深く傷ついていらっしゃったのですから」
「テオの優しさに甘えてばっかりね」
テオは鍋をかき混ぜながら、ゆるゆると首を振る。
「……私見を述べても?」
「うん、お願い」
「死というは、語るまでもなくショッキングな出来事です。リリアお嬢様はその死を無意識的に、過去視で視ないようにされているのでは?」
「視たくないから、視えないってこと?」
テオは首肯する。
「前世の記憶などなくとも生きている者が大半です。無理に過去を視る必要もないのでは」
私はテオの発言をゆっくりと咀嚼していく。テオの発言は一理ある。パンドラの箱をこじ開ける必要はないのだ。だが、もしかしたら失われた記憶の中にこの全滅エンドをなんとかする方法があるかもしれない。私は未だ、全滅エンドの全容を思い出せていないのだ。
煩悶としていると食堂の扉が開いた。バイオレットである。彼女は分かりやすく不機嫌だった。
「もう、信じられませんわあの預言者先輩の信者共! また二、三人信者増えてますし! 自分たちのことを『星辰教』なんて名乗り始めて! あまつさえご飯を届けろと吹っかけておいて届けたら届けたで、遅いだなんだと文句をつけて!」
「そんなことがあったの? つまらない思いをさせちゃったわね」
「空き教室を占拠して本当に何様かしら! みんなでずっと預言者先輩の言ってる預言だかを唱え続けているんですのよ! 赤き罪の果実だなんだって。気味が悪いったらありゃしません! 白檀か沈香か焚いてんのか知りませんが、部屋が妙にくっせぇですし!」
バイオレットの怒りは冷めやらない。カウンターを両手でぺちぺち叩きながら愚痴を垂れる。
「確かに! 確かにアダム王子が戒律をどんどん厳しくしてってるから不満や鬱憤が溜まるのも分かりますわ! だからってカルトに走るのはどうかと思いますの!」
「まぁ、学園内に変な空気が流れてるわよねぇ」
「というか、そういう人を取り締まるのが自警団の仕事ではなくって?」
鼻をぴすぴすするバイオレットは小型犬を思わせ、なんとなく私は彼女の頭を撫でていた。
「お暇なようで。仕事を残しておきましたよ」
テオの言葉にバイオレットは渋い顔になる。先ほどの威勢はどこへやら、よろよろと厨房に戻る。
「あのカルト集団に関しては、自警団の方も下手に刺激したくなくて放置している状態です。そのぐらい察しなさい。
……それと。アダム王子を悪様に言ってはなりません。誰が側耳を立てているかわからないのですから」
私もバイオレットもうなずくことしかできず、しばらく各々集中して晩の支度に勤しんだ。そして、食堂の扉が開かれる。
「あらオールドマン&ホイストン食堂にいらっしゃい。まだ晩ご飯は……」
そこから私は言葉を続けられなかった。
「お久しぶりです、リリア様」
イヴがいた。彼女は束ねた髪をいぢっていたが、意を決したように私へ言った。
「少しだけ……。ふたりっきりでお話ししていただけませんか?」
*
「ねぇ、イヴ。西塔前の林って立ち入り禁止区域になってなかったっけ?」
「アダム王子に許可をもらったので、大丈夫です」
「そっか」
私たちは途切れがちに会話しながら西棟の林道を歩く。
イヴとふたりきりで話に行くことは当然テオに反対された。それでもイヴたっての願いということで諸々の制限付きではあるものの、ふたりで話す機会を得た。
「ねぇ、イヴ」
私は立ち止まり、それに合わせて数歩先を歩く彼女も立ち止まる。
「私から先に話してもいい?」
イヴは何も言わない。私はそれを肯定と受け取り、言葉を続けた。
「イヴ、ごめんなさい。私とアダム王子せいで辛い目に合わせてしまった。変わらず友達でいようって言ったくせに、気まずくて距離を取ってしまった。いっぱい傷つけてしまった。心から謝罪させてちょうだい」
私はそのまま頭を下げた。イヴは振り返るどころか、その場に立ち尽くしたまま微動だにしない。
「なんで」
イヴが言葉を発するまで私は待ち続けた。彼女からこぼれた言葉はか細く震えていた。
「なんであなたとアダム王子はいつもそうなの」
自分のことでいっぱいいっぱいなあまり、イヴがどんな様子でいたか気づくことができなかった。彼女は痩せ細り、危うく病的な雰囲気があった。
「あなたたちは本当によく似ている。
いつだって高潔で、正義漢で。一緒にいるとそのまぶしさに目が眩む。その光で私のどうしようもない本性があぶり出される」
拳を握りしめ、ぶるぶると震えていた。臓腑から言葉を吐き出すようにイヴは語る。
「どうして文句のひとつも言ってくれないんですか? 私は、リリア様の婚約者を奪った許されざる悪女なんです。怒ってくれたっていいじゃないですか。私には怒鳴り飛ばす価値すらないんですか。なんでいつだって正義の側に立つんですか。どうして綺麗で居続けるのですか」
私は聞いていられなくなってイヴの肩を掴む。彼女の肩が跳ねる。
「私はイヴが思うような綺麗な人間じゃない!
私だって、心中じゃ口に出せないような酷いことを思った! 何度もあなたを罵った! でもそれを口にしたら私はいっとう低い人間に堕ちてしまう。
イヴと友達でいたかったから、それを言ったら友達に戻れなくなるから、言わないようにギリギリのところで踏み止まってただけ!」
「だったら!」
イヴは私の手を跳ね除け、その場にしゃがみ込んでしまう。
「一番低いところまで一緒に堕ちてくれれば良かったのに」
イヴは両手で顔を覆い泣き始める。
「アダム王子が私以外の庶民を愛してくれれば良かったのに。そしたら私とリリア様はずっと仲良しでいられたのに。
私、大好きだったんです。四人でのお昼ごはん。私とリリア様は本の妄想し合って、隣じゃアダム王子とテオ先輩がボードゲームして。
ホイストンさんがあなたのとなりにいるのを見て、リリア様のとなりは私のはずなのにって、そんな思いもしないで済んだのに」
私もしゃがみ込んで彼女の涙を手で拭う。
「うんざりします。私は悪辣で、罪深い人間なんです。そんな私を好きだなんて言う人、頭のおかしい、人を見る目がない、人間的に欠陥がある人に決まってる。異性から寄せられる好意が気色悪い。私は、私のことを好きな人が嫌い!」
愛をテーマにした乙女ゲーム『恋と邪悪な学園モノ。』のヒロインが、愛を真っ向から拒絶していた。私は言葉につまってしまう。
「アダム王子が怖いんです。一見優しく見えて、驚いてしまうくらい冷酷で。言っていることはいつも正しいんです。その正しさがどんな刃物よりも鋭くて。底抜けのいい人なのに、腹の中じゃ何を考えているかわからない」
「……イヴ、私はアダム王子が好きなの。今だって嫉妬でどうにかなりそうなくらい、彼が大好きよ」
私はイヴを抱きしめた。
「お願いがあるの。アダム王子とどんなことがあっても彼を愛し抜いて。彼があなたに手を上げても、彼に浮気されても。あなたじゃないとあの人はダメなの。私はあの人に選ばれなかったの。だから、私ではダメ。お願い。あなたにしか頼めないことなの」
「……どうしたってそこまで私とアダム王子をくっつけたいんですか。アダム王子のことが大好きなのに」
「あなたと結ばれた方がアダム王子は幸せになれるからよ」
「……リリア様酷い。アダム王子の幸せしか考えてない。私の幸せはどうなるんですか」
私たちは語り続ける。時折、お互いを罵倒しながら。しゃがむ姿勢もつらくなって、私たちは地面に寝そべった。
「……ねぇ、イヴ」
「なんですか?」
「多分、アダム王子のことってどんなに話し合っても解決しないと思うの。今はまだ」
イヴはうなずく。
「だから、棚上げにしない? とりあえず箱に入れて脇に置いておくの。それで解決できそうな時が来たら、ふたりで勇気を出して箱を開けるの。それまではできるだけアダム王子のことは考えないようにしましょう。そうしたら、きっと私たちは友達に戻れる」
「……できると思いますか?」
「やるしかないわよ」
イヴに目を向けると彼女もこちらを見つめていた。いつかみたいに笑いがこみ上げてきて、私は笑い出す。ほとんど同じタイミングでイヴも笑い出した。
「……どのくらい時間が経ったんでしょう」
「わからない。テオはカンカンよ」
私たちは立ち上がり、お互いの手を取り合って歩き出す。木漏れ日が地面に美しい文様を作り出す、黄金の昼下がりをイヴと歩く。
逡巡し、私は懐に手を伸ばす。
「イヴ。もしもの時はこれを使って」
そう言ってイヴにルビィの短剣を手渡した。彼女は戸惑いながらそっと短剣に触れる。
「これは……」
「お父様からもらったの。護身用に持っていて。最近、あまりにも不穏だから」
鞘に嵌められたルビィに光を当てつつ、イヴは愛おしそうに短剣を眺める。まるで恋人に甘えるかのように、彼女は短剣に頬ずりした。
「大切なものを、いいんですか?」
「うん」
花がほころんだようにイヴが笑った。
「……リリア様。お願いがあります」
*
「……いいでしょう」
テオはイヴが作ったスープを味見して言った。
「さすがイヴ!」
「ううん、テオ先輩の教え方がいいから……」
私とイヴは手を取り合って喜ぶ。
厨房にまたひとり仲間が増えた。誰かは言わずもがなである。
「イヴ、アダム王子についてなくていいの?」
「えぇ。私がやっていたことなんて雑用だけですし、人手は足りてましたから」
「ところでなんでも器用にできると評判のバイオレット・ホイストン、野菜の千切りができたのですけれど!」
「何が千切りだ。百……いや十切りにも満たない雑さですね出直して来い」
「テオ、そろそろ許されないからね」
テオに食ってかかるバイオレットと、彼女を無視するテオ。ふたりを優しくフォローするイヴ。以前よりもずっとかしましくなった厨房。私は三人からそっと距離をとってその様子を眺める。
なにやってんすか、リリア様。ぼんやりしてる暇あったらとっとと手ぇ動かしてくださいよ。
「あなたねぇ! どうしてそういつもいつも、憎まれ口ばかり……!」
私の怒鳴り声は虚空に吸い込まれ、そのまま消えた。当然だ、私のとなりには誰もいないのだから。
私は粛々と作業を続けようとする。それなのに目の前がかすみ、鼻水が垂れ手に熱いしずくが落ちた。
「リリアお嬢様」
異変に気付いたテオが、他の二人から私を隠すようにとなりで野菜を洗い始めた。
「ここにいるべき人がいないの。彼がいてくれたら、私に毒付いて、テオにすごく怒られて、イヴやすみれちゃんをナンパして。
彼、寂しい人だから他の寂しい人にも敏感に気付いて助けてたと思う。彼がいてくれたら、いろんな物事が今よりもずっとうまくいったはずよ。
どうしてここにいるべき人がいないの?」
アレッキーオ様のことですか、とテオがたずねる。
「……我々バダブの慣習で、生まれた日に椅子を贈るというものがあります。毎年毎年、誕生日に新しい椅子を送り、古い椅子は処分する。
そして、その人が亡くなったら、その人の椅子を捨てずに置いておくんです。家族は永遠に埋まることのない空席を眺め、大切な人との別れを受け入れていく。
バダブにとっての一番の供養は、故人の居場所を空けておいてあげることなんです。別の誰かで心の穴を塞ごうとしない。その人の不在を嘆き、いるべき人がいないことを悼み続ける。火の大精霊が瞬き果ててなお、その地位を埋めようとしなかった眷属たちのように。
……リリアお嬢様。あなた様は、一番良い供養をされている」
嗚咽を上げないよう必死になって口を閉じる。手を震わせながら野菜を刻む。
「リリアお嬢様」
「ごめんなさい、すぐに元に戻るから。いつもの私になるから」
ぼろぼろに泣きながら料理を作り続ける。何度も涙を拭い、何度も涙をこぼす。
その日のご飯は、どこか塩っからい気がした。
私たちは生徒たちのご飯を作り続けた。一日が過ぎ、二日が過ぎ、あっという間にアダム王子の言っていた終業式の日になった。
その日になっても、その次の日になっても船はやってこなかった。
そしてさらに次の日。
長い、長い一日が始まる。
次話からクライマックスに入ります。
少しでも面白いな! と思っていただけたらブクマ評価、よろしくお願いします。
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