第三十五話 それは労働
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黒々とした大海が瞬き始める彼は誰時。血生臭い孤島で語らう褐色肌の男とフードの男。闇に紛れて木の葉に紛れ、見咎める者は誰もなし。
「……生徒の殺害も、教師どもの暗殺も伺っておりません」
「はあ? あの貴族は自殺したんだろバカなの?」
「どうして死んだ生徒が貴族だと? あれほど禍ツ力の残り香を滴らせておいて、知らぬ存ぜぬは通りません」
「……お伽話のバカ共だよ。計画外だが計画通りだ。元々計画なんて無え。計画なんざ立てると想定外やら予想外に弱ええ。だがな、無計画にはその弱味が無え。無計画こそ最強なんだよ知つとけインポ!
安心しろよ。てめえの大切なリリアサマは守つてやる。バダブの邪神に誓うぜえ」
「我々は神を信奉しません。わたくしどもが奉ずるのは火の大精霊と、かの大精霊に連なる眷属のみです」
「知るかハゲ。つうかさあ、今頃計画を降りるだとかほざかねえよなあ? 無理だよなあ! 愛しのリリアサマの命がかかつてるんだもんなあ! お伽話のバカ共の力はまだ残つてる。この島の地下にや俺様の兵が潜伏してる。大事なリリアサマの命は俺様の気紛れで消し飛ぶんだもんよお!」
「……わたくしの命はどうなっても構いません。どうか、リリア様のお命だけは」
「見上げたヤツだよオメエは! バダブ畜生のクセして騎士然と振舞う! 胸糞わりいつたらありやしねえ! 地に這いつくばつて俺様の靴を舐めろ、そんならおめえのリリアサマの命は保障してやるぜ?」
褐色肌の男は躊躇なく地に伏し、フード男の靴を舌で舐めようとする。舌先が靴に触れようとした時、フード男は褐色肌の男の顔面を強かに蹴り上げた。褐色肌の男はもんどり打って倒れる。男の鼻からは赤々とした血が流れ、地面を汚していく。
「てめえなんかの汚え舌で俺様の高貴なる靴を舐めさせるかぶあか! さすが土の民、そうやつて泥みてえに転がつてるのがお似合いだ!」
褐色肌の男は自分の鼻をおさえるが、血は止まることなく手から溢れ出る。フード男の嗤笑が森に響いていた。
*
アダム王子による大演説の翌日。太陽の眩しさに目を細めながら紅をさす。鏡で身嗜みをチェックする。
気合を入れるために黒髪を一本に括り、編み込みの部分にメアリアンと揃いの髪飾りをつけた。薔薇を模した金の髪飾りは日の光に反射しえもいえぬ輝きを放つ。
ドレスを着てやろうかとも考えたが、衛生面を鑑みて制服を着ることにした。
普段は化粧をサボるが今日から毎日戦争だ。化粧は女にとっての武装である。私はチークをグリグリに塗り直す。我流も相当入っているが、化粧が下手でも悪役令嬢リリアは可愛いのだから問題ない。
私は頬を叩いて自身を鼓舞する。
私は最高にかわいい。かわいいんだからなんだってできる。がんばれ私かわいい!
ふんと鼻を鳴らし洗面台を立ち去り、奥の部屋にいるテオに声をかける。
言わずもがな今は非常事態だ。話し合いの末、私はテオの部屋に寝泊まりすることにした。先生方の件があるのだ、安全のためになにふりかまっていられない。
机やらベッドが置かれている奥の部屋に入るなり私は小さい悲鳴を上げてしまう。
床にはおびただしい数の短剣や柄のついていない刃やらが積まれていた。制服ではなく執事服を着込んだテオは、ベッドに腰掛けながらそれらひとつひとつを光に当て点検している。
「おはようございます、リリアお嬢様」
「おはようございます。……テオさん、その山盛りの凶器は何?」
「ばっとえんど? 次第でリリアお嬢様が殺害されると伺っておりましたので、その対策に。一年がかりで準備しました。まさかこのような形で役立つとは……」
「テオさん、あの、この学園って出入りする時手荷物検査ありましたよね?」
テオは何も言わずに本棚を指差す。適当な本を開くと、本の中身が短剣の形にえぐり取られていた。
「他にも茶葉に紛れ込ませたり、分解して持ち込んだり、袖の下を握らせたり……。やりようはいくらでもあります。
リリアお嬢様もルビィの短剣をお持ちですね? 念のためお持ちください」
「なんで知ってるの?」
「誰があなた様の荷造りをしていると?」
『タガー本来の役割にも耐えうる逸品さ。これを肌身離さず持ち歩くんだよ、いいね?』
幼少の頃、お父様が私の機嫌取りに買ってよこした短剣を今も携帯していた。研磨も行っていたので、短剣の輝きは当時のままだ。
ここまで話していてふと気づく。テオの鼻に白い詰め物がされていた。
「テオ、鼻。何かあったの?」
「……寝ている最中、うっかり壁に顔をぶつけてしまいまして。鼻血を」
「大変じゃない!」
私はテオの顔をペタペタ触り、他に外傷がないか確かめる。
「リリアお嬢様、鼻血を出しただけです。ご安心ください」
「本当? やせ我慢してない?」
「はい」
私は小さくため息をつく。テオの形の良い頭を撫でながら、少し笑ってしまう。
「ごめんなさい。ホッとしたらなんだか笑えてきちゃって。テオも案外ドジね。……少しでも体調が変だと思ったら言って。何かあってからじゃ遅いから」
テオは穏やかな無表情を浮かべ、ぽつりと言った。
「……我らバダブが土の民と呼ばれていることをご存知ですか」
「そうなの? 初めて聞いた」
「バダブは大地と同じ色の肌を持ちます。
とあるバダブの者が力尽き倒れた時、土くれとその者の見分けがつかなかったという故事からバダブは土の民と呼ばれるようになりました。
今では蔑称として使われています」
「……誰かにそう言われたの?」
「いえ」
核心を語ろうとしないテオの真意を掴むのはむつかしい。私はテオをそっと抱きしめる。
「もし辛かったら言ってちょうだい。口に出せないほど悲しいことがあったんなら何も言わなくていいわ。テオが私にしてくれたように、私もテオのそばにいるから」
「リリアお嬢様は心配性ですね」
やんわりと私の手を退かし、テオは立ち上がる。
「参りましょう、ぼくたちの戦場へ」
懐から銀の懐中時計を取り出し、テオは微笑んだ。
*
腕が痺れる。足が震える。汗が滂沱として止まらない。
「リリア様! 第二波来ます!」
テオの声。生徒たちの雑談。吹き出す鍋と溢れ出る水の音。私は雑に笑顔を貼り付ける。
「おはよう! オールドマン亭の朝ごはん、いっぱい食べていっぱい肥えてってね! 名簿の記入忘れずに!」
アダム王子の役に立ちたくて、船がくるまでの間どうやったらみんなが心地よく生活できるか考えた。真っ先に考えついたのはみんなの食事のことだ。
食事を作ってくれる大人も殺された。みんな腹を空かすだろうし、場合によっては食料の奪い合いが起こるかもしれない。
私が食事を提供し、ついでに食糧を管理してしまえば未然に混乱を防げるのでは?
腐っても私は四大貴族の公爵令嬢。反感は買ってしまうだろうが、権力をぶんぶんすれば多少の無理は押し通せる気がする。
在籍している生徒は五十人弱。私ひとりで料理を提供することは不可能だ。だがテオがいれば話は変わってくる。
テオはオールドマン家の次期執事長であり、仕事の手際の良さ、指示の的確さはピカイチ。
なによりお父様が三十人ほど愛人を連れ込み、テオがほぼひとりで彼女らのディナーを用意したという過去がある。お父様は一度刺されればいいと思う。
そんなこんなでテオと食事を作っているわけだが、正直ナメていた。私の無謀とも言える提案を快諾してくれたテオには、感謝の念に堪えない。
私の仕事は単純だ。テオが切った食材をでかい鍋に突っ込んでひたすら混ぜるだけ。最初の一分は良い。それを過ぎると二の腕が悲鳴を上げ、肩が痺れ、手首がおかしくなっていく。具材が嫌がらせのように重い。とろみのついたスープに殺意を覚えるとは思わなんだ。基本立ちっぱなしなので足の裏が痛くなってくる。火が熱く、腕をひたすら回し続けているので汗が止まらない。
並行して生徒に声がけと案内をしながら思う。
久々に『労働』をしている気がする。労働とは体を蝕み神経を磨耗させるものだった。幼少期からずっと働いていたテオはすごい。
すみません、と声をかけられる。
「へいオールドマン亭の賢く可愛い看板娘のリリアです! 御用は……」
それきり言葉が出てこなくなる。
予想はできていたはずなのに、いざとなると思考が停止してしまう。
カウンター前にはアダム王子とイヴがいた。彼らの背後には多数の取り巻きたちもいる。私は息を飲み、自分が作り得る最高の笑顔を浮かべる。
「アダム王子、イヴ! お久しぶりです! ご飯ですね! これ食べてぶよぶよにお太りあそばせてください!」
有無を言わせぬ勢いでふたりの前に食事をよそう。
「そうだ! アダム王子、演説すごく良かったですよ! 私、感動しちゃって。何かできることないか考えて、それで……。あの、勝手にやっちゃいましたけど不味かったですかね……?」
生徒に食事を提供していると言えば聞こえがいいが、ある意味食糧を独占しているのだ。混乱を起こさぬよう行動したのに、かえって暴動のタネを撒いてしまったかもしれない。私は上目遣いでアダム王子の顔色を伺う。
アダム王子はそんな私を見てくしゃりと笑った。今までと変わらぬ美しい笑顔で。
「演説のこと褒めてくれてありがとう。自分でもよくできたか分からなくって、リリアにそう言ってもらえて嬉しいよ。
炊き出しもやってくれてありがとう。すごく助かるよ。そのまま続けてもらえるとありがたいな」
どうしてアダム王子のとなりにいるのはイヴなんだろう?
イヴは半歩背後に下がり口を閉ざしていた。アダム王子は表情を無くし、私を見据えながら言う。
「ねぇ、リリア。このあと……」
「リリア様! お手伝い願います!」
テオは厨房の奥から叫ぶ。
「アダム王子」
「……うん。リリア、邪魔してごめんね。ご飯いただくよ」
「申し訳ございません。失礼します」
私は会釈して厨房の奥へ引っ込む。テオは見ているだけでくらくらするくらい大量の調味料を器に投入していた。見るに、急の仕事はなさそうだ。
「気を使ってくれたの、テオ?」
「……リリアお嬢様、どうかお休みください。朝から働きづめでお疲れでしょう」
「それはテオだって一緒じゃない」
そうは言いつつ、私はその場にへたり込んでしまう。両手で顔を覆い、深くため息をついた。
「ねぇテオ、私ちゃんと『リリア・オールドマン』だった?」
「……気丈に振る舞っていらっしゃったと思います」
私は気が抜けて、しばらく言葉を発することができなかった。
「ありがとう、テオ」
朝の慌ただしい時間は、そうして過ぎ去っていく。
*
「ご飯食べてない生徒がいる……」
私は名簿をにらみつつうめく。お昼の仕込みも落ち着き、私とテオはお茶を飲みながら休憩していた。
「何名ですか?」
「女の子がひとり。あんなおっかないことがあったんだから、自分の部屋に閉じこもっちゃっても仕方ないわよね。
うーん、配膳の数はむしろ実際いる生徒の数より多いはずなんだけどね。何回も並んで食べてる子とかいるのかなぁ」
ふむ、とテオは顎に手を当てる。私はテオの表情を伺いながら提案してみる。
「テオ、あのね。一生懸命働くから。仕事に支障がないようにするから。だからお願い。この子の部屋に行って、ちょっとしたの渡してきてもいい? その食事は私が作るから。テオの手は煩わせないから」
テオは返事をせず、厨房へと消えて行った。恐らくは遠回しのオーケーである。確認を取っていないからわからないが。
テオはすぐ戻ってきた。手にはバスケットを持っている。
「テオ、まさか……」
テオがバスケットのレース覆いを外す。中には様々な種類のサンドイッチが入っていた。
「条件があります。わたくしを同行させること。それができないのであれば……」
「テオ、あなたは最高の使用人だわ!」
私はあんまり嬉しくてテオの腕にしがみつく。
「当然です、わたくしはリリアお嬢様の使用人ですから」
私のことなど意に介さず、平然とテオは言い放った。そこまではよかったのだが。
女子生徒の部屋の前に立つ。
「一年生のバイオレット・ホイストンさんかぁ……。聞いたことある名前ね」
「気のせいではないでしょうか」
妙にテオが白々しい。彼は扉をノックする。足音も何も聞こえないので諦めて帰ろうとすると、部屋から床の軋む音が聞こえてきた。
テオはどうしてか露骨に嫌そうな顔をした。どきまぎしながら私は彼女を待つ。扉が開いた瞬間、思わずあっ、と声を上げてしまった。
『上級生だとはいえ、無作法者にはこのバイオレット・ホイストン、容赦しませんことよ!』
イヴと出会うきっかけとなった女子生徒がいた。彼女は肩をぶつけたイヴに詰め寄り、会話に乱入した私を怒鳴り散らした。
その時は彼女の丹念に手入れされていた金髪は今や乱れ放題で、目は落ち窪み、頬がこけていた。雰囲気も以前よりピリピリしている。
女子生徒は予期しない来訪者に鼻白んだ様子だったが、強い口調で話し始めた。
「……お久しぶりですわね、リリア・オールドマン様。わたくし体調が優れませんので自室療養しておりましたの。急な用事でなければまた日を改めていただけるかしら?」
彼女の語気に飲まれて私は何も言えなくなってしまう。
「リリア様。ホイストン様もこうおっしゃっておりますし、お暇しましょう」
彼女は弱り果てていた。それでもなお虚勢をはり続ける。気怠げで暗い瞳がいつかの自分と、アダム王子と初めて喧嘩した時の私と重なる。彼女はそのままドアノブに手をかけ閉じようとする。
このまま彼女を放置していいのか?
考えるより先に体が動いた。
「リリアお嬢様!?」
テオを押しのけ閉まる扉に半身を滑り込ませる。思いっきり扉に挟まれ顔面を強打するが構わない。女子生徒は短い悲鳴を上げながら後退る。テオは青い顔をしながら扉をこじ開け、私の無事を確認すると女子生徒を凄まじい眼差しで睨め付けた。
「お願い、話だけでもしましょう? ね? 私オールドマン家だしほらいいじゃないほら」
テオは金と権力には使いどころがあると言った。それが今である。私は権力をぶんぶんしながら矢継ぎ早に訴える。
「お願い! あなたの部屋に私を入れて! そしてご飯食べて! おいしいから! サンドイッチだから! お願い!」




