第三十三話 至高の星は輝きに満ちて
四人目の攻略対象ムスチフラフ・ペシュコフ先生は、四大貴族ペシュコフ家の直系でありながら教職についた変わり者だ。
彼はイヴの担任であり、『恋と邪悪な学園モノ。』ではお色気枠として扱われていた。
腰まで伸びた美しい白髪を一本にまとめており、有事の際はいつもはめている黒手袋を口ではむはむしながら外す。たまに顎がすごい伸びているスチルがある。
学生時代こそアダム王子に次ぐ二番手の推しだった。しかし、社会人になってからムスチフラフ先生ルートをプレイして「生徒に平然と手を出すやべぇ成人男性」という認識に変わった。なんなら一番嫌いな攻略対象である。
ムスチフラフ先生はクズ野郎だ。クズ野郎であろうとも。
私の脳裏に首だけになってしまったムスチフラフ先生の姿がよぎる。彼の表情は驚きと困惑に満ち、血涙を流していた。
彼がこんな無残な死に方をして言い訳がない。
*
「現実問題そうするしか方法がないよ」
私は夢うつつだった。テオの匂いがする。テオが自身の制服を毛布がわりにかけてくれているようだ。足が冷えて寒く、私は丸まった。こんこんと眠り続けていたかった。目を覚した途端、直視し難い現実が私に迫ってくるから。
誰かが私の頭を撫でてくれる。
「教師どもが全員死んだことを馬鹿正直に発表するのですか? 混乱した生徒が暴動を起こしますよ」
頭の上のほうから、テオの声がした。話がいまいち理解できない。
「僕ら三人で隠しきれると思う? 先生達の死が暴露されてみて。僕らが犯人扱いだ。最悪私刑に合って、『君たち』が死ぬ。
……この学園は、僕らの思い出の場所だ。できるだけ綺麗なままで終わらせたい」
「その思い出を汚した張本人が、何を今更」
「僕にできる唯一の贖罪だ。……そう、信じてる」
甘いテノールの声。この声は誰だっけ?
「僕は第六王子アダム・フォン・シャルロワ。王族としての責務、果たしてみせるよ」
なんだ、アダム王子の声か。懐かしい心地がして、小さい頃三人で日向ぼっこをしながらお昼寝したことを思い出す。
あの頃は楽しかったな。テオがいて、アダム王子がいて。破滅なんか乗り越えられる気がした。
私は甘い甘い思い出に浸りながら、意識を手放す。
*
目を覚ますと知らない天井があった。体を起こすとはらりと毛布が落ちる。部屋を見渡す。テオの部屋だ。奥で水が跳ねる音がする。
昨日の出来事を思い出し、視界がぼやけ、涙が溢れた。忘れがたい血の香りが鼻に残っていた。皆、あのようになってしまう。ゲームのテオが芝生で八つ裂きにされ、絶命している絵を思い出してしまう。
私は重い体を引きずりながら音のする方へ歩いていく。テオはちょうど、カミソリで髭を剃っていた。鏡に映った私に気づいたようで、彼は慌てて振り返る。
「リリアお嬢様」
彼の顔はまだ泡だらけで、剃り残しもあった。髪の毛も下ろしていて、幼い頃の彼を思い出す。彼の目は記憶とは異なり、生命の輝きに満ちていた。私は泣き声を上げながら彼に抱きついた。
テオの匂いがした。テオの心臓は脈打っていた。生きていた。私の涙はテオの寝巻きを濡らす。
「リリアお嬢様。お待ち下さい。髭剃りの途中です」
テオに時間をかけて宥められた。私はさらに時間をかけて、すべて話してしまった。
私たちが皆死んでしまう運命にあること。こうなってしまったのも、何もかも私の責任であること。何度も何度も謝った。吃りながら、しゃくり上げながらことごとく話した。私は口癖の様にごめんなさいと喚き立てる。
「みんながどうして死んでしまうのか、最後どうなってしまうかまではわからないの。覚えていないの。視えないの。ごめんなさい。みんな死んじゃうってことだけは確かなの。ごめんなさい。ごめんなさい。みんな、みんな私のせいよ」
私が謝るたびに言葉の重みが消えていく。謝罪をすればするだけテオと私の間にぎこちない空気が溢れていく。
「リリアお嬢様。はっきり言いましょう。リリアお嬢様は過去視をお持ちです。しかしながら、あなた様の話は荒唐無稽が過ぎます。ぼくがあの小娘を嫌っただけで事が起きる? 支離滅裂です。因果関係が成り立ちません。
この事件は起こるべくして起きた。そこに個人的な好悪などさし挟まれる余地はありません。リリアお嬢様は今回の件に関係ない。
一度冷静におなりください」
私は頭を振りかぶる。テオは憤りを隠せない様子でため息をついた。
「……今のあなた様に、ぼくの声は届かないでしょうね。
リリアお嬢様、アダム王子から伝言を預かっています。今日東館の講堂で全校生徒に向けてお話があるそうです。リリアお嬢様にも聞いて欲しいと」
私の心臓が跳ねる。
「いかがなさいますか?」
私は生唾を飲み込んだ。答えはもう決まっていた。
*
「『なんと美しい方でしょう。私は貴方以上に美しい方を生まれてこのかた見たことがない』……」
「アダム王子?」
「……勇敢な僕になるための合言葉。
『ベルナール物語』の一説なんだけど……。ううん、ごめん。なんでもない」
「君はもういないのか、リリア」
*
教室のみでなく食堂や廊下にまで東館の講堂へ向かうようビラが貼られていた。そのおかげで全員とまではいかないものの、数多くの生徒が講堂へ集まっていた。
ビラには重大な発表があるので講堂へ、という旨しか書かれておらず、そこかしこから困惑の声が聞こえた。
私は壁にもたれながらテオの腕にしがみつき、テオも私を庇うよう傍らに控えてくれていた。
「リリアお嬢様、お顔が真っ青です。やはり戻りましょう」
「平気。私が来るって言ったんだもの」
立っているだけでめまいがする。人混みのにおいが、騒音が私の五感を不快に刺激する。
そんな中、アダム王子は壇上に現れた。
軽い、重力を感じさせないほど軽い、まるで背中に翼が生えているかのような足取りで。
彼が現れただけで生徒たちの声が止む。誰もが磨き抜かれ研ぎ澄まされた彼の麗しい横顔に、均整の取れた美しい肉体に魅了された。アダム王子は生徒たちに目もくれず、講堂の窓に広がる曇天を眺めている。
先触れもなく、彼の瑠璃色の瞳が生徒たちに向けられる。
私は、アダム王子と目が合った。
壇上から私のところまでは距離があった。それにも関わらずアダム王子と私の距離が取り払われ、差向かい合っているような錯覚すら覚えた。
私だけではない。証拠にそこかしこでざわめきが起こる。他の生徒も自分と目が合ったと、自分が第六王子に認識されたと思い込んだようだ。
アダム王子は口を閉ざしたまま、生徒たちに慈愛の眼差しを向ける。
人間離れした美貌に心奪われる。誰もが、その瑞々しい唇から言葉が出てくるのを今か今かと待ちわびた。
「異変にお気付きの方もいらっしゃるかと思います。昨日、用務員を含む先生方全員が殺害されました。何者かに虐殺されたのです」
アダム王子は整った笑顔のまま先生がどのように殺されたのか、先生館がどのような有様になっているのか、淡泊な調子で生徒たちに報告する。
彼の柔らかな雰囲気とおぞましい発言の落差に生徒たちはついていけず、彼らは戸惑い始める。あまりに生々しいアダム王子の報告に、気分を悪くして座り込む生徒が出てくる。
「ねぇ、どうしてアダム王子はあのこと知ってるの……?」
私はテオに耳打ちする。
「リリアお嬢様が気絶された後、アダム王子に相談したのです」
小さなどよめきは周囲へ波紋を呼び、やがて大きな波となる。アダム王子はそれすら意に介さない。
「僕の話を信じられない方は先生館に行ってみるといいでしょう。オススメはしませんが。
船は沈められ、伝書鳩も全て殺されていました。外部との連絡手段は全て断たれた状態です。
今の報告で不安になった方もいらっしゃると思います。ですが、どうかご安心ください。
一週間。一週間耐え忍べばいいのです。
来週の今日は終業式。私たちを乗せる船がやってくる。それまで皆さんはいつも通り勉強に励み、友人との語らいを楽しんでください」
大人が大勢死んだこの状況で、普段と同じ行動をしろと? まだほとんどの生徒が現状を受け入れられていないのに? 果たして一週間後、本当に船はくるのか?
アダム王子に肩入れしている私でも彼の発言に首を傾げてしまう。猜疑心すら沸いてくる。
「……なるほど。博打に出ましたか。期限付き目標を設ければとりあえずの希望が持てる。そこに向かって皆で団結することも叶いましょう。
アダム王子は『今』、暴動を起こさないことのみに注力されている。期限後のことはとりあえず置いておく。当座凌ぎ、されど効果的な手法です。しかしながら……」
テオは周囲を見回す。
生徒たちは集中力が切れ始め、アダム王子の話を聞かず会話を始める。不平不満の声を上げ、アダム王子を糾弾する声が聞こえた。アダム王子は超然と目を細め、ただ生徒たちの姿を眺めている。
「この発言が効果的に作用するのは、発信する側の信用があってこそ。この演説は失敗です。行きましょう」
テオは返事を聞かず、私を抱え上げようとした。私達の他にも講堂を辞そうとしている生徒が出てくる。
鉄槌が振り下ろされたような重々しい音が壇上で鳴り響く。耳をつんざく轟音に身を竦め、誰もが再び正面に目を向ける。
アダム王子が演台を壇上から蹴り落としたのだ。
「もういいかな?」
彼は重々しい演台を落とした直後であるのに悠然と、あいも変わらず息を呑んでしまうような魅惑的な表情で語り出す。
「先生方を皆殺した悪徒共よ。さて悪徒共、次は何を望む? 生徒間の秩序とモラルの崩壊、内部分裂、そこからの自滅だ。そう、まさに今の状況さ。
大人さえ殺してしまえば、僕らの正義と道徳観念はぐずぐずに壊れると考えている。だから直接手を下さない。手を下すまでもないから。舐められてるんだ。悔しいと思わないかい?
いつまで侮られることを当然だと思い込んでいるんだ?」
堂々と滔々と朗々と、身振り手振りを加え彼は言葉を続ける。一挙一動から目が離せない。目が、心が、美しい彼を見続けていたいと願ってしまう。
「論点をすり替えにかかりましたか……。デマゴーグのような真似を」
眉根を寄せながらテオは独り言ちる。
「ここを死ぬ物狂いで生き延びても、本土に戻れば王宮勤めの役人に小突かれ、数少ない実りを奪われる。武勲を上げて成り上がることもままならない。狡猾に居座り、既得権益を豚のように貪る老人たちから全てを強奪される。
君たちはこの箱庭を逃げ延びても侮蔑され軽んじられ続ける。
結果小作人より小作人らしく、家畜よりも家畜らしく搾取され続けるんだ。それが死ぬまで続くんだ。許せるのか? 敬愛すべき学友たちよ、愛すべき我が友がらよ! もう一度問おう! 許せるのか?
僕たちは人だ! 人だ! 人だったはずだ! 家畜なんかじゃない!」
彼の語り口に熱がこもる。感化された生徒たちの目の色が変わる。
彼は誰だ? 私は記憶の中にあるアダム王子を引っ張り出す。彼はいつもしわくちゃな笑顔を浮かべ、話好きで、甘えん坊で、儚げに微笑んでいた。
目の前で熱弁を振るう男は誰だ? 攻撃的な言葉で他人を煽動する男は誰だ?
こんなアダム王子を見たことがなかった。
「選ぶんだ。ここを生き抜いて家畜として死ぬか! ここを生き抜いて人として死ぬか!」
暴力的なまでの美貌は人々を隷属させる。鳥肌が立つ。熱気と活気に講堂が包まれる。
「示せ! 誇示しろ! 勇敢なる者に信賞を! 能力ある者に正当な評価を! 相応の働きを見せた者に、本土での安泰と安寧を約束しよう! 人間としてあるべき生を取り戻せ!
僕は第六王子アダム・フォン・シャルロワ。この国の王に成る男だ!」
彼は右手で天を指す。
雲に隠れていた太陽が現れ、彼のプラチナブロンドを御光の如く照らす。
彼は太陽に愛されていた。
私はアダム王子が最初に語り出さなかった理由をようやく理解する。彼は待っていたのだ。決定的な場面で太陽が現れるように。
誰もが手を振り上げた。誰もが快哉を上げた。私も熱に浮かされ手を振り上げる。
私の知らないアダム王子がいた。私は私の知らないアダム王子から目が離せなかった。
彼の望みのためならこの身を投げ打ってもいいと心から思えた。彼は救いの船がくるまで生徒たちが平穏に過ごすことを望んでいる。そのために私は何ができる?
私は自問自答する。
「あなたの心を動かし、あなたを勇気付けるのはいつだってぼく以外の誰かだ」
テオのつぶやきも生徒の歓声に飲まれ、私の耳へ届かない。




