第三十一話 ぼくたちの居場所
その後の出来事はあまりにも現実味が薄かった。まるでテレビを眺めているかのように、様々な事柄が目の前を過ぎ去っていった。
テオが顔を真っ青にしながらやってきて、私の視界を覆うように抱きしめ続けた。他の生徒や先生が駆けつけ、騒然となる。
医務室へ担ぎ込まれ、着替えののち先生による事情聴取が行われた。ぼんやりと医務室の壁を見つめ続けるばかりの私に代わり、テオが全ての質問に答えてくれた。
テオは私を医務室のベッドに寝かせた。私は目を閉じた。アレッキーオの肉片が顔や体にこびりついて取れない悪夢で目が覚めた。
日はすっかり傾いていたが、テオはずっと私を見守ってくれていた。
「テオ」
「はい」
「どうなった?」
「教師は事件性はないとの判断を下しました。自殺として処理されるそうです」
「……そんなわけないじゃない」
私はゆるゆると体を起こす。テオの顔を見、自分が酷い顔をしていることを知る。
「彼は殺されたのよ。テオも嗅いだでしょう、あの腐りかけの香りを。あれは異界の香りよ。禍ツ力の残り香よ。彼は誰かに、異界の力に、禍ツ力によって殺されたんだわ」
「……アレッキーオ様は学費の滞納が続いていて、さらに滞納が続けば今学期中に退学させられていたそうです。アレッキーオ様のお父様が借金のために爵位を売り渡したとの噂もあって……」
どうしてアレッキーオが自分の過去を語ったか、真意を悟る。彼はもう限界だったのだ。
「……仮にそんなことがあったとしても、アレッキーオ君はそんなことで自殺しないわ。あれは、陰謀で、異界が、禍ツ力が」
「リリアお嬢様、どうか冷静におなりください。
……私の同胞にパンひとかけのために自殺した者がいました。人は存外、驚くほど呆気ない理由で自死を選択します」
「私に死を語らないで! 何を知った風に、死んだこともないくせに!」
私は布団を握りしめながら怒鳴り散らす。
「アレッキーオ君は強い人だった! いつも笑って、優しくて……。そんな人が自殺なんて選ぶはずがない! 私と違って!」
鼻の脇を熱い塊が通る。それを涙と自覚した時、いよいよそれは止まらなくなる。
「そうよ、私は元の世界で自殺したのよ! 自殺の理由は分からない。思い出せない。自分が自殺した前後の記憶も、何もかも覚えていない。
でも快適な生活を捨て、親を捨て親友を捨て、何もかも放り出して自殺を選んだ! それだけは確か!」
テオは沈痛な面持ちをしていた。その反応で私は確信する。
「テオ、知っていたわね?」
テオは黙ったままで何も答えない。
『『魔眼』のオールドマン家ですから。師の家の書庫にもそれらしき文献がありました。ある者は茫洋たる未来を見通し、ある者は……記憶を、過去を見るという』
オールドマン家の魔眼について、特に過去を見る目に関してテオは不自然に言い淀んでいた。
『リリアお嬢様、今も元の世界に戻りたいとお考えですか?』
私が死んでいたことを知っていたならば、この言葉の意味合いが大きく異なってくる。
「さぞかし滑稽だったでしょうね! 死してなお元の世界に戻ろうと足掻く私の姿は!」
私は笑う。笑うしかなかった。
「……申し訳ございませんでした」
テオを詰りながらも、彼の心情は理解できていた。
テオは何度も真実を伝えようとしていたのだと思う。その度に私が元の世界へ帰るための提案を楽しげに語って聞かせる。迫りくる危機に対し、「元の世界に帰れば万事解決!」など妄言を吐く。事実、私は元の世界に帰ることを心の支えにしていた。
何がどうして、「お前は死んでいる」なぞと真実を伝えられようか。
一番苦しかったのは間違いなくテオだ。私に恨まれ、叱責を受けると理解しながらも私の安らかな生活のために秘密を抱え続けた。たったひとりで。
テオはずっと私の良き使用人でいてくれた。彼の誠心に応えられていないのは私だ。
私はベッドの脇に飾られた花瓶を叩き落とす。花瓶は砕け、花と水が散乱する。
「なにより許せないのは!」
私は顔を覆う。
「自分が死んだ事実にいっぱいいっぱいになって、アレッキーオ君の死を心から悲しめていない私自身よ」
手で顔を覆おうとも、両手から涙がこぼれ落ちる。聞くに耐えない泣き声を上げてしまう。
「どこまでいっても自分本位ね。反吐が出る」
どこからか『嘲笑が聞こえた』気がした。ここには私とテオしかいないのに。
テオが私を抱きしめる。励ますように頭を撫で背をさする。
「優しくしないで。私はあなたの主人に相応しくない。あなたを傷つけるばかり」
「……ぼくが知っている情報を可能な限り開示します」
テオはそっと囁く。私を強く抱きしめたまま離そうとしない。
「ぼくたちの居場所に、オールドマン家に帰りましょう。この学園は、リリアお嬢様のお心を惑わすものがあまりにも多い」




