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第二十九話 死ねばいいのに

 学園は本国から離れた孤島にある。島には街はおろか、学園に関連する建物以外は存在しない。船は週に一度程度しか来ない。積荷のほとんどは食料である。生徒たちの興味をそそる刺激的なものはない。


 端的に言って、学園の生徒たちは娯楽に飢えている。生徒たちにとって最大の楽しみは他人のゴシップだ。

 誰それが惚れた腫れたで大騒ぎ。いつも自分以外の誰かに目を向け勝手に心配妄想し、他人事にかまけ、真に向き合うべきシリアスな問題から目を逸らす。

 

 私とアダム王子の不仲、アダム王子とイヴの急接近が話題にならないはずがなかった。

 生徒の中にアダム王子とイヴがキスしている姿を見た者がいたそうだ。私がテオに支えられて蹌蹌踉踉と廊下を歩く姿を見たんだそうな。

 寄宿舎で、休み時間、授業中すら好奇の目を四方八方から浴びせられた。


「あら見て、リリア・オールドマン様ですわ」「婚約者にこっぴどく振られたんですって?」「まぁあんなに慕っていらしたのにおいたわしいですこと!」「やっぱりアダム王子とリリア様は別々に行動なさってるわ。噂は本当なのね」「アダム王子の隣を歩くあの女は誰?」「アダム王子、幸せそう! やっぱりリリア様と一緒にいるのが苦痛だったのね!」「当然だわ、リリア様は性格がひんまがってると評判ですもの」「高慢ちきな公爵令嬢様に飽いたのね」「アダム王子は平民の野蛮な子の方が好みなのね!」「平民はベッドでも野良犬のように騒ぎ立てるんでしょう?」「アダム王子も数寄者ね」「リリア様がバダブの民と不貞を働いたのでしょう?」「バダブの民に禍ツ力で操られたのかしらん」「どちらにせよ、数寄者同士の下品な王族と公爵令嬢様ね」


「ある意味、お似合いなんじゃない?」


 耳に入り込んでくる噂話。誰かとすれ違う度に嘲笑を浴びせられる。

 私たちは生徒の「おもちゃ」になってしまった。


  *


 アダム王子とイヴがキスをした数日後。私とテオは疲弊していた。

 連日の刺すような視線と根も葉もない下卑た噂を聞くでもなく聞かされる。アダム王子たちとはあの日以来会っていない。アダム王子とイヴの関係は良好らしく、見てる方が恥ずかしくなるくらいの熱愛っぷりなんだそうだ。勝手に耳へ入ってきた。


 昼休み、私とテオは本校舎の空き教室で息を潜めていた。一階の食堂は人目がありすぎる。東館にはアダム王子とイヴがいる。季節柄多数の生徒が外でランチを取っている。

 埃臭い、机や椅子が乱雑に積まれ放置された空き教室が、衆目に晒されない安全地帯になっていた。

 この空き教室は日の光も入らない。薄暗い部屋で私とテオは床に直接座り込み、ぴたりと肩を寄せ合いながらひたすら時間が過ぎるのを待っていた。


「……そろそろ、生徒の波も引いた頃でしょう。購買部でお昼を買って参ります」

「私が行く。テオはここで待ってて。それか、二人で行きましょう」


 立ち上がろうとするテオにしがみつく。


「それはなりません。リリアお嬢様がつまらない思いをしてしまう」

「ひとりにしないで」

「すぐ戻ります」

「テオは戻って来てくれる?」


 テオは寂しい目をしながらうなずいた。彼は私の髪を梳いたのち、急ぎ足で教室を出て行く。

 私は目を閉じ、体操座りで丸くなる。壁掛け時計の針の音だけが響く。


 この学校で頼れる人間がもはやテオしかいない。テオも私に依存されて閉口しているだろうに申し訳ない。

 テオだって普通の学生生活を送りたかったはずだ。それなのにいつも私の世話ばかり。普通に勉強して、普通に友人を作って、普通に恋愛をしたかったはずだ。心の中で罪悪感がとぐろを巻く。

 それでも私はテオがいないともう立っていられないくらい打ちのめされていた。テオとほんの少し離れるだけでも私にとっては苦痛だった。私にはテオが必要だった。


 なんの先触れもなく教室の扉が開く。テオが帰ってきたと思い顔をあげると、見知らぬ男子生徒がいた。じゃがいものような造形の、お世辞にも美形とは言えない子だった。彼の目はどこかうつろで、鼻息が荒い。彼は教室の扉を閉め、鍵をかけた。


 心が騒いで私は立ち上がろうとするが、いつの間にか眼前に男子生徒の顔があった。体は床に押し付けられていた。彼の顔は脂まみれでニキビが酷い。髪にはフケがこびりついている。

 彼からは腐った油とコーヒー、それから納豆を混ぜ合わせたような体臭がした。頭部、背中に鈍い痛みを感じる。私は彼を押しのけようとするが、手足が抑えられていた。


 私はようやく目の前の男に組み伏せられたという事実を知る。


 叫び声を上げたかったが、声が出ない。男子生徒が私の頬を平手打ちする。視界の端に星が飛ぶ。恐怖と嫌悪で体が強張り力が出ない。

 力任せに男子生徒が私の制服を引きちぎる。助けてと叫びたかった。必死に抗うが私に覆いかぶさる男子生徒の体はあまりにも重く、びくともしない。再び男子生徒が私の頬を平手打ちした。頭が持っていかれるかと思うくらいの衝撃。涙がにじむ。男子生徒の荒い息遣いが気色悪かった。

 男子生徒が私の首筋をべろりと舐めた。悪寒が走る。抵抗しても無駄だと悟ってしまった。

 視界が霞んでいく。男子生徒に体を触られる度にその部位が腐っていくように思われる。


 私は最愛の人に愛されず、赤の他人から後ろ指をさして嗤われて、カビ臭い寂れた場所で名前も知らない男の慰み者になるのか。


 死んでしまいたい。


 ガラスが割れる音がした。振動と共にけたたましい音が教室に響く。男子生徒は振り返る。


「お客さーん、すんません。うちの店、お触り厳禁なんで。そういうの、他所でやってもらえないっすか?」


 聞き覚えのある声だったが、誰の声であるかはわからなかった。男子生徒は泡を食ったように逃げ出した。

 私は引きちぎられた服を手でおさえながら、体を起こす。床には蹴破られ曲がり歪んだ扉が転がっていた。


「……あんた、ばかじゃないっすか? 俺、言いましたよね。あんたを狙ってるあほがいるって」


 教室の入り口には体操着姿のアレッキーオがいた。震えて声も出せない私を一瞥すると彼は舌打ちし、めんどくさそうに近づいてくる。


「これでも着てください。惚れてもいない女のはだけた姿なんて、グロ以外のなにもんでもないんで」


 そう言って彼が腰に巻いていた長袖の体操着を私の頭に被せてくる。私がなにもできずにいると、無理矢理アレッキーオが服を着せてくる。


「あんた、赤ん坊じゃねぇんですから自分でどうにかしてくださいよ……。あぁ手間のかかる! つか、汗臭いとか文句言ったら女であろうとぶっ飛ばしますかんね」


 嗅ぎ慣れない他人のにおいがした。アレッキーオの体操着は大きく、腕はぶかぶか、胴は尻の辺りまであった。

 感謝を伝えたかった。助けてくれたことに礼をしなければとは思った。だが声はかすれてなにも言うことができなかった。涙がこぼれそうだった。


 アレッキーオは参ったように頭をかき、私の手首を掴んだ。


「リリア様。ちょっと授業サボってデートしません?」


  *



 アレッキーオに連れられてきたのは、寄宿舎のさらに北側にある小さな池だった。私は一言も口をきけないまま木に寄りかかって座り、アレッキーオも池に向かって石切りをしている。


 どのくらい時間が過ぎただろう。


「……俺、昔からどーしようもねぇことが起こると、こうやって水に石投げるんっすよ」


 アレッキーオが石切りをしながら言った。


「最初は母親に犯された時かなぁ。ほら、俺って目も眩むくらいのイケメンじゃないっすか。母親さえも魅了しちゃった、的な。

 気持ち悪くて気持ち悪くて、でもガキにゃ逃げ場所なんてなくて。裏山の池にひとり逃げてさ。めちゃくちゃ腹立てて。石、池にぶん投げたら深く沈んで。深くて暗い水底に沈んでいく石を見てたらなんか心が落ち着いた気になって。それからです。こうやって、石投げて、沈む姿を嬉々として見て」


 ここに連れて来られるまで、アレッキーオと私は顔も合わせなかった。今もなお、彼は私に背を向けている。


「俺のクソ親父、昔っから浪費癖が酷くて。いつも屋敷は火の車。いつ没落してもおかしくないくらい貧窮してて。

 そんなさなかです。あんたにぶん殴られて、ベルナール大公経由ですげえ額の示談金もらったの。俺や親父が一生かけても稼ぎきれないくらいの大金です。上手くいけば家も持ち直せたかもしれねぇのにさぁ。

 半年しないうちに、その大金親父がひとりで使い込んじまって。ばかじゃねぇかって。

 一度覚えた贅沢って忘れられないもんです。クソ親父、そっからますます金に執着するようになって。

 ほら、俺って曲がりなりにもコンスタンティーノの遠縁でしょ? 血は悪かないわけだ。しかも俺、イケメンじゃねっすか。クソ親父、金欲しさに金持ちの平民やら貴族やらに俺のこと売り飛ばすようになったんすよ。種馬かよって。まあ種馬だったわけなんすけど」


 過去を語るアレッキーオの声は底抜けに明るい。彼がどんな表情をしているかわからない。


「この学園に俺が入学した理由もなんとなく察したでしょ? 親父がさぁ、あんた落として来いって。既成事実でもなんでも作ってあんたを落とせって。そしたらまた金が転がり込んでくると思ってる。またあの生活ができると思ってる」


 石を投げ疲れたのか、アレッキーオはその場に座り込み天を仰いだ。


「死ねばいいのに」


 聞いたこともない低い声でアレッキーオがつぶやいた。


「俺のことを種としか見ない女共も、意趣返しで孕み袋として扱ったら激昂した女共も、俺を犯し続ける母親も、俺を売り続けるクソ親父も、俺の家をぶち壊したあんたも、みんな、みんなだ。

 ……この間もあんたにお茶会で謝られた時、ぶっ殺してやろうかと思った。人の気も知らないで、一方的に謝ってきてさぁ。あんたの感情オナニーに付き合わされた俺の気持ちを少しでも考えたことがあります? いい迷惑だ、胸糞悪い!

 あんた、本当いい気味ですよ。心底惚れ抜いた男に裏切られて。挙句、男にいいようにされそうになって。傑作だ!」


 乾いた声で彼は笑う。私は立ち上がり、アレッキーオへ近づく。


「罵声でも浴びせる気ですかい? いいですよ、あんたにゃその権利がある!」


 私は彼の背後に立つ。


「……どうして私を助けてくれたの?」


 アレッキーオは答えない。


「私に忠告してくれたのはどうして? なんで目も当てられないくらい弱っていた私に服を貸してくれたの? どうして過去の話をしてくれたの? 死んで欲しいくらい憎い私とどうして関わろうとするの? どうしてお父様の指示通り私を口説いてきたの?」


 彼は答えない。


「アレッキーオ君、自分の言動が矛盾していることに気付いてる?

 どんなに悪様に言ってもあなたの言葉から家族への深い愛情が滲み出てる。救いようがないと思いつつも、見捨てられなくて自分を台無しにしてでも守ろうとしている。

 私を口説く時だってそう。わざとデメリットを挙げ連ねて、私を遠ざけようとしている。でもお父様の約束も反故にできなくて、下手なプロポーズを続けてるの?

 助けてくれたのも、想いのない相手と無理矢理する行為の虚しさを知っていたから? 過去を語ってくれたのも私を慰めるため?」

「知った風に語らないでもらえないっすか? 殺したくなる」

「……アレッキーオ君。どうして泣いてるの?」


 私は彼の隣に座り、流れ続ける彼の涙を拭う。


「ねぇ、アレッキーオ君。見て。さっきまで震えが止まらなかったのに、すっかり落ち着いた。助けてくれてありがとう。あなたが来るまで生きた心地がしなかった。びっくりするくらい、あなたの行動ひとつひとつに救われてるの。なんべんでもありがとうって伝えたい」


 アレッキーオは池から目を離さず、涙を流し続ける。


「……知っていたんです。あんたが悪いわけじゃないって。元を辿れば俺がテオさんに暴言を吐いたからいけなかったんだ。俺がどうしようもなくばかだったせいだって。

 それに、俺の家は壊れてた。ベルナール大公から大金をもらおうがもらうまいが、関係なかった。遅かれ早かれ、うちの家は終わってたんだ。

 でも生きるためにはあんたを憎まなきゃ、やってらんなかった。あんたへの殺意と憎悪で現実から逃げて、逃げた先にも地獄しかなくて、またあんたを憎んで……」

「ねぇ、アレッキーオ君」


 私はアレッキーオをそっと抱きしめた。


「根っからのお人好しで、優しいあなたが好き。悲しい思いをたくさんしてきたからこそ、他の人に優しくできるあなたが好きよ」


 アレッキーオは私の腕を掴む。私は構わず続ける。


「あなたは怒るでしょうけど、言わせてちょうだい。あなたと会って話せて、あなたの優しさに触れることができてよかった。心の一番弱い部分を見せてくれてありがとう。アレッキーオ君、大好きよ」


 彼の呼吸が荒くなり、嗚咽を上げる。私が借りている体操着のそではあっという間に湿っていく。

 涙も止まり、鼻水も流れなくなった頃。彼は目を真っ赤に腫らしながら、いつもの人懐っこい笑顔を浮かべた。


「……うん。やっぱり、俺リリア様が嫌いです」

「そう? 関係ないわ。私はあなたが好き」


 私とアレッキーオは笑い合う。

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