第三話 初手反吐は定石
眼前に人生最推しのキャラクターがいた。
しかもゲームや設定資料集では見ること叶わない七歳児の姿で。
これは現実世界で勤勉に働き続けていた私へのご褒美なのかしら?
私は動揺のあまり阿呆なことを考える。
彼がいるだけであたりの空気が浄化され、咲く花たちも活気付いたように見える。金色の髪が光に反射して、後光が差しているように錯覚してしまう。
あまりの神々しさに私は無意識に膝をつき、手を合わせて拝んでいた。
「なんと美しい方でしょう」
私は言った。
「私は貴方以上に美しい方を生まれてこのかた見たことがない。貴方の美しさを何に喩えようか。四大公爵家が地下に隠し持つという伝説の秘宝も、外なる神々の所有物たる異界の花々も、隣人が信奉する美の精霊でさえ貴方の前では霞んでしまう」
言葉が滝の如く溢れてこぼれ出す。
「貴方の美しさはいくら賛美してもし足りない。神懸かり的存在、なんと貴い存在なのか。私の汚らわしき耳朶に貴方の麗しき名前を響かせてはもらえないものか」
ここまで言って私はようやく気がつく。
私が言ったの、こっちの世界のガチ貴族なお母様に暇さえあれば読み聞かせてもらった『ベルナール物語』の一説そのまんまじゃない。
『ベルナール物語』は『恋と邪悪な学園モノ。』の世界において、桃太郎と同じくらいポピュラーな物語だ。
私がペラリズムしていたのは、劇中に主人公ヤン・ベルナール公爵がヒロインのベルと初めて出会った際に発した愛の言葉である。
発言の引用元に察しがついた使用人は笑いを堪えている。
記憶が戻る前の私、真面目に七歳児してたから『ベルナール物語』が大好き過ぎて丸々物語暗記しましたからね。それが嬉しくて所構わず何度も何度も暗唱してましたもんね。それはそれは狂ったようにね。そりゃわかるわ。
羞恥のあまり顔が熱い。心音がうるさい。
アダム王子はピンときていないのか、首を傾げる。彼は膝を折り、わたしに目線を合わせて言った。
「僕の名前はアダム。アダム・フォン・シャルロワです」
彼のかんばせが私に迫る。女神のにこげよりもたおやかなまつ毛、碧玉を嵌め込んだようなまん丸の瞳、薄桃色に染まった唇の、あまりにも整い過ぎた造形に私は一種の恐ろしさを感じた。遅れて、彼が私の人生を狂わせる事実を思い出す。
アダムは破滅をもたらす男。
そのおぞましさとそれこそ天使のような容貌のギャップに私は気分が悪くなる。脂汗が止まらなくなり、胃がムカつき始め、口が乾く。朝食が喉元までせりあがってくる。
というかどうして私はこの世界にいるんだ? 現実世界の私はどうなった? なんで私がリリアになっているんだ?
疑問が、情報が頭の中でパンクする。私を見つめる男の忌まわしさによって、降って湧いた二十数年分の情報の嵐によって、顔面蒼白になった。
「ずっと前からあなたが好きですでもあなたがたの恋路を邪魔するつもりはないので殺さないでくださいお願いしますなんでもしますから」
そこまで言い切ると、私は吐き気を抑えることが出来なくなりアダム王子に向かって嘔吐してしまう。遠くから聞こえる悲鳴、私の吐瀉物で汚れたアダム王子の服。私は地面に倒れ伏し、そのまま気絶した。