第二十四話 破滅と出会った日
『恋と邪悪な学園モノ。』の導入部は以下の通りである。
イヴは入学式で学園の由来等を校長に語られた後、攻略対象たち全員と出会う。
アダム王子は西塔付近の木陰で昼寝をしており、初対面の主人公イヴに起こされた彼は寝ぼけながらも愛らしい笑顔を浮かべる。
ゲームでは耽美かつきらびやかな一枚絵でこのシーンを描写しており、この絵を跪拝できただけでも『恋と邪悪な学園モノ。』の定価6800円(税別)の価値がある。
ちなみにテオとイヴは食堂で出会う。特待生枠で入学したイヴをゲームの悪役令嬢リリアは疎み、妬んでいた。恥をかかせてやろうと、生徒が集まった食堂で主人公を罵倒するのだ。テオはそんなリリアの背後に控えていた。
彼もちゃんと公式から一枚絵が提供されていたが、肩と腕のバランスがおかしかったり右手と左手の作画が逆だったりした。
とにもかくにも、その出会いをきっかけに彼らはイヴに恋をするのだ。
ここで私は思い立つ。
そもそも出会わなければラブがロマンスしないのでは?
恋とは人間関係の一形態。接点がなければ関係も何もない。出会わなければ愛は生まれない。
ゲームのリリアはアダム王子、テオそれぞれの恋路を邪魔したために破滅する。
逆手に取れば、二人がイヴに恋慕しなければ危機的状況が起こらないのでは? ゲームでの出会いイベントさえ起こさないよう暗躍すれば万事解決なのでは?
元の世界に戻るどころかおめおめと学園へ入学してしまった私が弄する、苦し紛れの奸計謀略。
幼少のみぎりは「恋する若い子たちを応援する!」なぞと息巻いていたが、学園入学後、日に日に迫り来る死の恐怖を目前に悠長なことを言ってられなくなってきた。
ちなみにテオは「リリアお嬢様のお考えも理解できます。しかしながら作戦の舞台は絶海の孤島に設立された学園。島と言っても端から端まで歩くのに半日もかからないような小さな島です。同じ校舎で勉学に励み、挙句の果て全生徒が同じ寄宿舎で寝食を共にする。生徒は五十人弱。以上の条件から、特定の人物と関わらないように立ち回るのはまずむつかしいかと」とのたまっていた。
ごもっともである。テオは正しい。だが、指をくわえて無為に過ごすことは今の私にとって最も耐えがたい行動である。私は出会いイベントそのものが起こらないよう、画策することにした。
テオは渋い顔をしつつも、私に協力してくれる。
*
「アダム王子は東館の談話室に待機させたし……。テオ、お昼ご飯は確保できた?」
「こちらに」
テオの腕には園内の購買部で買ったであろう惣菜パンや焼き菓子がある。熾烈な購買戦線で勝ち残って一番人気のパンをしっかりもぎ取ってきてくれるあたり、流石テオである。
「ありがとうテオ。私も半分持つからちょうだい。
あとは私たちが食堂に近づかなければ、アダム王子とテオの出会いイベントは起きないはずよ」
私たちは目立たぬよう二階校舎を足早に歩く。廊下は生徒たちでごった返していた。入学式後の軽いミィーティングが終わり、食料を求めてみなうごうごしてる。
「テオ、迷子になっちゃだめよ。ほら、手貸して」
「リリア様、そちらは寄宿舎通路です。どうして御身自ら迷子になろうとなさるのですか」
校内にひしめく若人たちの雑談、歓談、笑い声。生徒たちはみな一様に浮き足立っていた。
「まぁまぁまぁ! わたくしにぶつかってくるだなんて、平民風情が良い度胸してますわね!」
背後から聞こえた女子生徒の怒声で廊下の空気が凍りつく。自然と誰もが会話を止めて女子生徒へ目を向ける。
「謝罪なさい。今なら寛大なるわたくしが全てを許して差し上げますわ」
女子生徒の高圧的な声に気圧され、誰もが黙りこくる。かく言う私も女子生徒の声にびびって歩くのをやめ、廊下の隅で息を潜めている。女子生徒が恐ろしくて振り返ることもできない。叱られている子を思うといたたまれない。
「早く謝罪しろと言っているのですわ! こののろま!」
女子生徒の声が廊下中に響く。彼女の言っていることは何も間違っていない。謝罪を求めているだけだ。
面倒事に関わりたくないと一部の生徒は足音を極力立てないようにしながら立ち去っていく。賢い選択だ。
「……ごめんなさい。謝罪が遅れてしまいました」
抑制のきいた穏やかな声を耳にしたとたん、怖気がした。聞き慣れた、何度も何度も耳にした子の声だ。
「あら、あなたもしかして……。イヴね? 平民でありながら一番の成績で入学したという……。
マナーがなっていないんじゃなくて? 勉学だけできても、人間としてダメね。わたくしとともに来なさい。躾けて差し上げますわ」
女子生徒は鼻を鳴らす。
私を庇うようにして立っていたテオがそっと耳打ちしてくる。
「行きましょう。関わらない方がいい」
テオの言う通りだ。テオはいつだって正しい選択をする。ここで去れば確実にイヴと関わらなくて済む。計画がつつがなく進む。私は頷き、一歩踏み出す。
『また』見殺しにするのか。
テオに誘導されながら、私はそっと振り返る。
金の美しい巻き毛を持った少女が威風堂々と仁王立ちしていた。おそらく、彼女が先ほどから声を上げている女子生徒だろう。背中しか見えないが貴族らしい雅な佇まいだ。制服を見るに新入生であるらしい。
彼女の影に、亜麻色の髪を結えた女の子がいた。眉を困ったように下げ、小さく微笑むイヴがいた。
「テオ、ごめん」
テオの制止を振り切り、私は踵を返す。思い切り足音を立てながら彼女らに近づく。心臓が暴れ回って言うことを聞かない。
場を乱してしまうだけかもしれない。余計なお世話だと怒られるかもしれない。
自分より年下の子が傷ついている姿を見たくないのだ。放っておくことなどできないのだ。
彼女らの間に割って立つ。イヴは闖入者に驚いた様子だった。金髪の女子生徒は私に胡乱げな目を向けてくる。
介入したはいいものの何も考えていなかった。頭は真っ白だ。額から汗が吹き出してくる。
どうすればこの場が収まる? この金髪の子の自尊心を傷つけない形で終わらせるには? とりあえずイヴを連れ出して、そのあとは? イヴと関わらない予定だったのに、自ら首を突っ込んでしまった。私はなんと愚かなのだろう。
私は混乱していた。
「なんですの、あなた! 上級生だとはいえ、無作法者にはこのバイオレット・ホイストン、容赦しませんことよ!」
金髪のこの発言で、いっぱいいっぱいだった私の何かが振り切れる。
「私がいぢめるの……」
考えるより先に口が回る。言葉が溢れて止まらない。頭がカッカして頬が熱い。この状態に覚えがあった。
「この子は、私がいぢめるのよ!」
ベルナール大公と初めて会った時とおんなじだ。
*
「全くお前さんときたら」
ティーカップ片手にベルナール大公はため息をつく。
「普段は少し頭の回りが鈍いだけの令嬢なのに、追い詰められると予想もできないことをしでかす。輪をかけて頭の回りが悪くなる」
九歳の時、コンスタンティーノ公爵の遠縁にあたるクソでガキを殴り飛ばした後のことだ。オールドマン家のお茶会でベルナール大公はこう諭した。
「慌てるな。落ち着け。深呼吸しろ。周囲をうかがえ。もし暴走しそうになったら、我が不肖の弟子テオを頼れ。アレはいつだってお前さんのそばにいる」
へこんでいる私を見て、ベルナール大公は苦笑いを浮かべる。ベルナール大公は戸惑いながらも荒々しく私の頭をなでた。
「……反省したな? それで十分だ。今回の話はこれっきり。その辛気臭い顔をやめろ。ほら、笑え。世話の焼ける御令嬢様だ……」
*
何をやっているんだろう。
私がやりたかったことはこんなことじゃないはずだ。
「私を差し置いてこの子をいぢめるだなんて、私許しません! 今後この子を罵倒する時は私に許可を取ってからになさい! というかいぢめるのやめなさい!」
私は何を言っているんだ?
私ならできたはずだ。だって私は少なくとも元の世界で二十年は生きて、こちらの世界でも生まれ落ちてから十六年は過ぎている。合算すればいい年のおばさんだ。
もっとスマートに、カッコいい大人の模範みたいに場を丸く納めて、みんな笑顔になっていたはずだ。どうして。
「はいこのお話おしまい! 解散! 帰って! 散会! みんなご飯食べてきて!」
どうしてこんなことに。
叫び過ぎて喉が痛い。酸素が足りない。派手にむせる。私の荒い息遣いだけが廊下に響く。生徒たちの視線が痛く顔を上げることができない。
「……勘違いなさっているようですが、わたくしは学友と交友を深めようとしただけですわ。あなたのような下賤な考えで行動をしておりませんの。お分かり?」
冷え冷えとした声色に思わず女子生徒へ目を向ける。女子生徒のまなじりはつり上がり、金の髪が逆立って見える。
「そも、あなたは誰なのかしらん? 何を思って人の会話にしゃしゃり出たのか知りませんが、あなたの出る幕ではありませんわ。すっこんでなさいこの無礼者が!」
女子生徒の鋭い正論が心に深々と刺さる。彼女に威圧され、言葉が続かない。
私がまごついていると、誰かがそっと手を握ってくれた。イヴだった。
彼女は真剣な表情で私を見据えていた。荒ぶっていた感情が静まっていく。イヴの綺麗な灰色の瞳が私を捉えて離さない。
イヴは私に向かってひとつ頷いた。不思議なことに、彼女が何をしようとしているのかそれだけで理解できた。
私も頷き、彼女の手を握り返す。
「その通りね。無礼者はここで退散するとするわ」
イヴがでたらめな方向を指差しあっ、と言った。女子生徒が気を取られた一瞬の隙をつき、私たちは走り出した。
テオの脇を抜け、生徒たちの間を潜り抜ける。背後からお待ちなさい! という怒声が聞こえた。
「どっちに逃げればいいかしら?」
イヴが私にたずねる。
「こっち!」
私はイヴの手を引き階段まで走るが、階段は芋洗い状態。私たちが通り抜けられそうにない。思わず立ちすくむ。怒気を孕んだ足音が聞こえてくる。今度はイヴが私の手を引いた。
ねぇ、とイヴは開け放たれた窓を指差した。風がふきすさび、新鮮な空気を校内に運んでいる。ここは二階だ。
うん、と私は頷きもう一度イヴの手を強く握る。私たちは助走をつけて窓から飛び出した。
一瞬の浮遊感。のちに抗い難い重力が私たちを襲う。
既視感があった。
胃がひっくり返るような激しい恐怖心。テオの悲鳴。地面が眼前に迫る。眼球が痛む。そのまま足から着地。足裏、ふくらはぎ、膝、太もも、腰に衝撃が走る。
死ななかった! 危なかった! 若い体でよかった! あと十も歳を取っていたら痛みだけじゃ済まなかった!
体を折り、えもいえぬ痛みに苦しんでいるとイヴが手を強く引いてくる。イヴは言った。
「次はどこ?」
私は顔を上げ、イヴに手を引かれながら走り出す。
「あっち!」
私はとっさにアダム王子のいない西塔を指差す。ちらりと背後を振り返る。憤怒のあまり顔を真っ赤にしている女子生徒が、顔面蒼白のテオが、驚愕の表情を浮かべる生徒たちが、窓越しに私たちを見つめていた。
走りながらくすり、とイヴが笑う。何が面白いのか分からない。彼女が笑ったことが妙に嬉しくて、なんだか急に笑いがこみ上げてきて、私は声を上げて笑う。つられてイヴも笑い出す。
誰もが困惑する中、私たちの笑い声が校舎に響いた。




