第二十三話 夏の約束、主従の誓い
「ジョンおじいさん。私です。リリアです」
私はしゃがみ込み、ジョンおじいさんの名が刻まれた墓石に語りかける。テオと掃除した甲斐あってお墓の周囲には雑草ひとつ生えていない。
「テオも、メアリアンも、屋敷のみんなも元気です」
私は目を閉じ、合掌する。
木々のさざめきが耳朶を打つ。テオが供えた白薔薇の甘やかな香りが鼻腔をくすぐる。
私が学園へ入学して一年が過ぎた。とうとう『恋と邪悪な学園モノ。』の本編が始まる年になったのだ。
一つ年下のイヴは今年学園へ入学し、攻略対象たちと夢のような恋愛をする。ゲームのシナリオ通りであれば、私は今年破滅を迎える。それも婚約者か従者の手によって。
ジョンおじいさん。見ていてください。
私は心内でジョンおじいさんに宣誓する。
私は絶対に破滅なんかしません。
「どうか見守っていてください」
目を開き、もう一度墓石に刻まれた文字を目で追う。私は振り返り、うしろに控えていたテオへ声をかけた。
「……ありがとう、テオ。ジョンおじいさんに挨拶できた」
テオは涼やかな目元をほころばせる。
子供の頃は下ろしていた黒髪もオールバックで固め、彼の浅黒い肌はエキゾチックで蠱惑的な印象を見るものへ与える。テオは生命力あふれる偉丈夫へと成長していた。
「午後には迎えの馬車が参ります。慌ただしいですが参りましょう」
私たちは小径を歩き出す。この霊園はよく手入れされたお墓が多く、故人を偲ぶ人々のあたたかな想いを感じる。
「……ねぇ、テオって必ず白い薔薇をお供えするじゃない。ジョンおじいさんって白薔薇好きだったの?」
『恋と邪悪な学園モノ。』の設定よりも上背が伸びたテオを見上げながらたずねた。
「……はい。彼は白薔薇を、その生涯をかけて愛していました」
「そうだったんだ」
私とテオが砂利と雑草を踏みしめる音だけが霊園に響く。
「私ね、テオが来る前ジョンおじいさんに白薔薇全部引っこ抜いて赤薔薇に植え替えろ! ってとんでもないわがままを言ったの」
「伺っております」
「最低よね」
「……おかげで、彼の時は動き出した」
「テオ?」
「どうか、お気になさらず」
子供の頃より言葉数が減った彼の真意を掴むのはむつかしい。
それでも彼の雰囲気が以前よりはるかに柔らかく感じるのは、瞳の輝きが変わったせいだ。彼の行動ひとつひとつからあたたかな敬愛の念を感じるからだ。
テオに付き添われながら、私は霊園を後にした。
*
「お嬢様! 荷物の積み込み終わりました! 忘れ物はないですか?」
「ある! メアリアン、あなたよ」
「ついに私のことも学園へ連れて行ってくださるんですね!」
私とメアリアンは屋敷の扉の前で、手を取り合って戯れる。
「冗談抜きで私もついていきたいです。間近でお嬢様の成長を見守りたい……」
「私もメアリアンと一緒にいたいわ」
「……もう私がテオの代わりに学園へ行きましょうか? 男装したらわかりませんって」
私たちのやりとりに御者の青年も苦笑していた。
私とテオはこの馬車に揺られ、船に乗り継いで学園へと向かう。四日程かかる、それなりにハードな道なりだ。そろそろ出立しないといけない時刻であるのに、テオがなかなか屋敷から出てこない。
メアリアンは私を抱きしめる。
「次お嬢様が帰ってくるのが夏の長期休暇ですよね? そうしたらみんなで海に行きませんか? もちろんアダム王子も一緒に。テオも、まぁ特別に連れて行ってあげましょう。
みんなで冷たい海で泳ぐんです。泳がなくっても足を海水に晒して涼みましょう。海水で冷やした夏の果実を食べて、果実の種を誰が遠くまで飛ばせるか勝負するんです。私、絶対テオのあんちくしょうに負けませんから。お嬢様、見ていてくださいね。
暑い日があんまり続いたらお屋敷でずっと読書しているのもいいかもしれません。文字を読めるのが楽しくて仕方ないんです。ふたりで徹夜して読み耽りましょう。
読書に疲れたらシエスタして。手作りお菓子をふたりで食べて。
お嬢様とやりたいことがいっぱいいっぱいあるんです。早く帰ってきてくださいね」
テオのバッドエンドルートに進むと、夏の長期休暇前に私は暗殺される。破滅してしまえばメアリアンの約束も果たせない。
「うん。約束する。必ず帰ってくるわ」
私はメアリアンを強く抱きすくめる。働き者の、大好きなメアリアンのかおりがした。
「リリア様、お待たせしました」
慌てた様子でテオが屋敷から現れた。
「遅い! お嬢様をお待たせするとは何事ですか!」
メアリアンは頬を膨らませてテオに抗議する。
「面目ない」
テオはどこか気もそぞろだった。
時間も押しているので私はテオの手を取り、馬車に乗り込んだ。メアリアンは馬車の窓に顔をくっつけるようにして私たちに声をかける。
「テオ、お嬢様をお願い」
「あぁ」
「お嬢様、テオはかなりぽんつこなところがあるので面倒見てあげてくださいね」
「えぇ。メアリアンも元気でね」
メアリアンは数歩うしろに下がり、それを合図に御者が鞭打つ。ゆっくりと馬車は加速していく。
メアリアンは眩しい笑顔を浮かべながら、手を振って私たちを見送ってくれた。
「お嬢様! テオ! どうかお元気で! 楽しい学園生活をお送りください!」
*
馬車は揺れる。
私は今日何度目か分からない深呼吸を繰り返す。奇妙な興奮が私を包んでいた。心臓がでたらめに鳴る。体が火照り、いてもたってもいられない。考えがまとまらない。
ついに、私はイヴに会うのだ。
馬車は揺れる。
ふと、メアリアンと別れた後テオと一度も口をきいていないことを思い出す。
感情が顔に出てきてしまっていたのだろうか。テオに心労をかけていないだろうか。必要以上に気を使わせてしまっていたら申し訳ない。
正面に座るテオの顔を見やる。彼は心ここに在らずの状態で、ぼんやりと窓の外を眺めていた。顔は血の気が引き、時折唇を神経質に震わせている。
「テオ」
私は声をかけるとテオは我に返ったように琥珀色の目を見開く。
「失礼いたしました」
「大丈夫?」
「はい」
テオは俯き顔を手で覆う。こんなに憔悴した彼を見るのは初めてだ。
「屋敷を出る直前に、旦那様とお話をいたしました」
テオは両手で前髪をかきあげなから言った。
「お父様と!? お父様いらっしゃったの? 娘に会いもしないってどういうこと?」
座席のクッションを叩いて不平を漏らす。テオは糸が切れた人形のように馬車の背もたれに体を預けていた。
「私だってお父様と色々話したかったのに……。イヴのこととかイヴのこととか!」
声を発した途端にその言葉が腐り落ち、馬車の中で沈殿して空気を濁らせるような感覚があった。
馬車は揺れる。
「なにもかも、無駄なことに思えるのです」
テオが消え入りそうな声でぼやいた。
「良かれとして行動したことの全てが。悪いように悪いように転がり落ちて、全てが裏目に出て」
テオは沈んだ顔で、抑揚の欠いた言葉を吐き続ける。
「降りかかる最悪の結末を知っていながら、己の無能さ故に退けるどころか、より深みに溺れてしまった。なんて蒙昧で、怠惰で」
言葉を待たず、私は正面に座るテオを抱きしめた。
テオが自暴自棄な発言をするに至った過程を知らない。だが、彼の発言には私の破滅の運命が深く関わっている。それくらいは私でもわかる。
「……ねぇ、テオ。子供の頃の約束、覚えてる?」
私は彼の髪を撫でてやる。テオは黙りこくったまま、微動だにしない。
「私、あなたを守るわ。どんな無理と無茶を重ねても。だから大丈夫。大丈夫よ。
いままでの全部が無駄だったなんて悲しいこと、言わないで。私がなんとかしてみせるから」
私は努めて明るい声色で言う。あまりの白々しさに自分でも驚く。自分でもテオを守り切れるか自信がないのだ、嘘っぽく響くであろう。それでも私はテオにそう伝えてやらねばならなかった。
テオは息を飲み、すがるように強い力で私を抱きしめた。彼の息遣いが聞こえる。
「覚えております、覚えておりますとも。リリアお嬢様をお守りいたします。必ず、必ず……」
痛々しいほど切実な声色でテオは言う。彼の首筋の匂いがした。彼の体温を感じた。彼の心音が聞こえた。
馬車は揺れる。
「……失礼いたしました。取り乱してしまいました」
「謝ることじゃないわ」
テオの腕の力が緩む。私は両手で彼の顔を包み、改めて顔を見やる。
小さな頃はつぶらで愛らしかった金色の瞳は切れ長の一重に変わり、男性らしい精悍な顔つきとなった。
私は彼の両頬をつねり、上下左右好き放題にこねくり回す。
「……リリアお嬢様、どうかおやめください」
「あんなに小さかったボウヤが、おっきくなったわね」
「リリアお嬢様も美しくなられた」
「女の口説き方まで覚えて」
私たちは視線を合わせ、微笑み合う。
馬車は揺れる。学園へ向かって。




