第二十二話 終わりの始まり
次の日、顔中に青痣やら切り傷やらをこさえたお父様が帰ってきた。曰く、「ベルナール大公に勝った!」とのこと。
お父様にイヴのことや異界についてたずねた。お父様は知らぬ存ぜぬを繰り返し、何も教えてくれなかった。
アダム王子とオールドマン家の書庫で失踪者についての書物を紐解く。
少なく見積もっても毎年数万人の失踪者がおり、そのほとんどが死体すら見つからないというにわかに信じられない事実が淡々とつづられていた。推定される人口を鑑みても目を見張る数字である。
人民の失踪が相次いでいることから労働者不足が深刻化し、人攫いや人身売買などが蔓延る遠因となっているらしい。
「僕は第六王子です。きっと王位に着くことは叶わないでしょう」
アダム王子は私に言った。
「王家の中で一番自由で危険なことにも挑戦できる立場にいるのも僕です。僕は、人々が消えてしまう謎を解き明かしたい。大切な人とずっと一緒に暮らせる、そんな世界を作りたいんです。それが僕の願いです。それが僕の野望です」
アダム王子は頬を紅潮させ、輝きに満ちた目を私に向けている。私はそっとアダム王子に寄り添った。
「私もあなたのとなりでその野望を応援したい。……許していただけますか?」
私の発言にアダム王子は唇を尖らせた。
「リリア様は僕の婚約者なんだから、となりにいて当然でしょう」
バダブの民の間で異界についての口承などがあったかテオにたずねる。
「異界に関する知識はタブー視されていましたので、あまり。……ですが、母から少しだけ。異界には人智を超えた存在がいると。異界は常に現実と隣り合わせで存在していて、薄い壁一枚隔てた先に異界があると教えられました」
時は過ぎる。
「リリアお嬢様、あなた様が歌っていらっしゃる歌は何というのですか?」
テオが私にたずねる。
「……。元の世界にあった歌よ。『ポルノグラフィティ』っていうアーティスト……音楽家たちの歌なんだけど」
テオは何度かぽるの、と呟き私に控えめな笑顔を見せた。
「差し支えなければ、ぼくにお聞かせ願えないでしょうか?」
「私、歌なんてヘタクソよ」
「いいえ、そんなことありません。それにぼくはリリアお嬢様が歌っている姿が好きなのです。楽しそうに歌っているあなた様を見たいのです。何度でも、いくらでも」
アダム王子が今まで以上に会いに来てくれるようになった。まれに、ベルナール大公もアダム王子に同伴してオールドマンの屋敷を訪れるようになった。三人でお茶会をしながら過ごす時間は、私にとってかけがえのないものになった。
巡り合わせが悪く、お父様とベルナール大公が屋敷で鉢合わせると所構わず殴り合いと罵り合いを始めた。私とアダム王子は慣れた。
テオが私の歌う『ポルノグラフィティ』の歌を少しずつ覚え始めた。
アダム王子の背が私を抜かした。テオはますます背が伸びた。
勉強会にテオだけでなく、メアリアンも参加してくれるようになった。
テオが剣術の稽古を始めた。どうやら才能があるらしい。
ジョンおじいさんに花の名前を教えてもらう。花の違いがわからず苦心する。
九歳の時、お呼ばれしたお茶会でテオの悪口を言ったクソなガキ様を私が殴り飛ばして大問題となる。クソなガキボーイは四大貴族コンスタンティーノ公爵の遠縁にあたる子であり、『恋と邪悪な学園モノ。』の攻略対象であった。
一番私を叱り散らかしたベルナール大公が、最も私の尻拭いのために奔走してくれた。
「ごめんなさい、レオンおじさま。私、やっぱりアダム王子の婚約者に相応しくないわよね」
私のために睡眠時間と神経をすり減らしてコンスタンティーノ公爵と折衝しているベルナール大公に謝罪する。私は彼をレオンおじさまと呼ぶようになっていた。
「まったくだ。お前さんはじゃじゃ馬が過ぎる。リリアが王妃になったと想像するだけでゾッとする」
ベルナール大公は私の頭をなでる。彼は私のことをリリアと呼ぶようになっていた。ベルナール大公は私の前髪を整えて、瞳をのぞき見ていたずらっぽく笑った。
「お前さんはアダムの手に余るな。私の妻にでもなるか?」
不覚にもときめいてしまったことをうっかりお父様の前で漏らしてしまう。お父様は「可愛いリリアは誰にもやらん!」と猿叫を上げながらベルナール邸へ殴り込みに行った。お父様はそのまま数ヶ月帰ってこなかった。
私は他の家が主催するお茶会出禁になった。
メアリアンの第二十四回緊急婚活会議が開催された。
テオの誕生日に銀の懐中時計を贈る。
「テオ、なにかの時はその時計売り払うのよ。それなりのお金にはなるから」
テオは控えめに笑った。
「参りました。リリアお嬢様といると宝物ばかりが増えてしまいます」
季節はめぐる。
アダム王子が馬に乗れるようになった。そのうち私を乗せてくれるという。馬の話をするアダム王子は楽しそうで微笑ましかった。
テオと処刑回避のための会議を行う。私の案の粗をテオは悉く指摘し、「やはりイヴという女を殺すしかないのでは?」などのたまい始める。打開案は見つけられない。
ジョンおじいさんが私に薔薇の花冠を編んでくれた。
テオの鼻歌に合わせて私は『ポルノグラフィティ』の「うたかた」を歌った。テオもいつのまにか歌を覚えて、一緒に歌うようになっていた。
アダム王子の馬に乗せてもらった。目線が驚くほど高くなり、視界が開く。妙な高揚感があった。風が心地よい。アダム王子が誇らしげだった。
メアリアンとテオが談笑していた。
テオが歌える曲が増えていった。
「ネオメロドラマティック」「サウダージ」「ジョバイロ」「mugen」「瞳の奥をのぞかせて」「THE DAY」「ヴィンテージ」。
ふたりでハミングすることが増えた。テオは歌も上手い。
私が歌えない曲も増えた。「シスター」の二番を忘れて歌えないことがショックだった。
もう二度と『ポルノグラフィティ』の歌声を聴くことができないのだ、と確信に近い予感があった。涙があふれそうになる。歌声を聞きたかった。親友に会いたかった。元の世界の父母に会いたかった。元の世界に帰りたかった。
悲しすぎて眠れない夜には、テオが熱い熱いミルクを淹れてくれた。
時は刻まれる。
アダム王子とテオがふたりで話合う姿を見るようになる。
「ねぇ、テオはどうして私の話を信じてくれたの?」
破滅回避会議のたび疑問に思っていたことを口にする。
「……『魔眼』のオールドマン家ですから。師の家の書庫にもそれらしき文献がありました。ある者は茫洋たる未来を見通し、ある者は……記憶を、過去を見るという」
私の隣に座っていたテオは妙に歯切れ悪く言う。
テオは剣術の手ほどきを受けるため、定期的にベルナール邸へ赴くようになっていた。テオはベルナール大公を師と仰いだ。
「……それに。自分より小さな子が心底怯えながら、涙目になりながら信じてくれと言っているんです。そんな子を見たら、信じると言わずにはいられないじゃないですか」
「……やっぱり、テオったら信じていなかったのね」
「信じる努力はしています」
私はテオに寄りかかる。
「テオ。ありがとう」
テオは柔らかに微笑んだ。
「……やはりイヴという女を始末するより他はないのでは?」
「それはダメ!」
お父様の書庫で読書をしていると奇妙な本を見つける。表紙と内容が一致していないのだ。似たような本を二十冊近く見つけた。
本の内容は禍ツ力とバダブの民に関する伝承、そして異界についての研究をまとめたものだった。ついに見つけた手がかり。
私は書庫へ篭るようになる。
十二歳の誕生日プレゼントにアダム王子とテオが『ポルノグラフィティ』の「うたかた」を演奏してくれた。原曲と異なっていたが、懐かしさのあまりに泣きそうになる。
お父様もふたりに感化されて自作の曲を演奏した。お父様は戦時中『戦場の音楽家』と呼ばれていたらしい。この名前をつけた人は皮肉屋か、よっぽど性格がネジくれている。
屋敷のほとんどの者が文字を読めるようになった。
ジョンおじいさんが亡くなった。
庭園の世話をテオがするようになった。
私はサンドイッチを用意し、紅茶を淹れ、薔薇園で昼食を食べる。
「やっぱり味気ないわね。そう思わない?」
そう言ってジョンおじいさんに話かけようとしている私がいる。
例の表紙と内容が合致しない本全てを読んだ。私が調べていた異界とは、口にするのもおぞましいような神々が住まう暗闇の世界であり、最奥には奇妙なかおりを放つ奇妙な花が咲いているらしい。
私の元いた世界のことではなかった。
元の世界へ戻る最後の手がかりすら失った。
ジョンおじいさんがいない屋敷に慣れない。
時は流れていく。
何ひとつ事を成せないまま。
アダム王子が遠駆けに連れて行ってくれた。テオも随伴してくれた。木陰で三人、のんびりとお茶会をした。
メアリアンとお忍びで街へショッピングに行く。お揃いの金の髪留めを購入し、私の宝物のひとつになる。
テオとハミングしているとメアリアンが独創的な踊りで加わってくる。私もどじょうすくいで対抗する。テオは口元を抑えて笑う。
「人に好意を向けられることが怖い」
私の肩に頭を預けたアダム王子がぼやく。
「僕の容姿を美の神にたとえたり、僕を聖人と呼ぶ人がいるけど、僕はそんなに優れた人間じゃない。そう言って寄ってきた人たちは本当の僕を知って失望して去っていくんだ。失望されるのが怖い。散々僕を持ち上げた人たちが、僕の本性を知って敵意を持って貶めるのが怖い。怖いんだ。僕は身の丈に合わない好意を押しつけられることが怖い。愛されることが恐ろしい。
ねぇリリア、僕の言っていることわかるかい?」
アダム王子は私のことをリリアと呼ぶようになっていた。私は彼の髪を梳いてやる。
「ねぇ、アダム王子」
「なぁに?」
「私、あなたのこと愛していますよ」
「……やっぱりリリアには僕の言ってることわからないんだ」
文句を言いつつも、アダム王子は晴れやかな笑顔を浮かべていた。
アダム王子の身長がまた伸びた。最近は私の頭を顎置きに使うようになった。
テオの身長もますます伸びた。アダム王子は悔しそうだった。
「リリアお嬢様、今も元の世界に戻りたいとお考えですか?」
テオにそう聞かれて、私は何も答えられなかった。
十四歳の時、学園に入学したくないあまり家出を目論んだがアダム王子とお父様になだめすかされ計画は頓挫した。
テオに最近アダム王子とベタベタし過ぎだと注意を受ける。
「だいたい、移動するにしたってアダム王子が後ろから抱きついたままでというのはおかしいでしょう。椅子に座るのだって一人掛けのところにおふたりで座る。椅子がかわいそうです。まだ結婚はしていないのですから、清廉潔白な交際を心がけてください」
話の半分を聞き流していることがバレてより説教が長引く。
テオが同学年の学生として学園へ入学することを知る。筆記試験、口頭試問で歴代最高の成績を叩き出したそうだ。
「テオが学園に行くなら私もついていきます!」
メアリアンが地団駄を踏む。
「ねぇメアリアン、従者は連れて行っちゃいけないのよ? 気持ちはありがたいけど、決まりは決まりだから」
「そんなの、オールドマン家の圧力とかなんかでどうにかなりますよね!? 学園の設立にもオールドマン家は相当な寄付金を送ったって話ですしコネとかでどうにかできますよ! どうにかしてくださいお嬢様! お嬢様がいないオールドマン家なんて具のないサンドイッチみたいなもんですよぅ」
「いい加減にしろ、メアリアン」
テオが鋭い声を上げる。
「リリアお嬢様を困らせるのも大概にしろ。見苦しいぞ」
それでも収まらないメアリアンをテオとふたりで説得する。
改めて書庫にあった奇妙な本を読み返す。
禍ツ力という人智を超えた力を使う場合には異界に繋がる『扉』を開く必要があった。神懸かり的な力を得ようと多くの者が研究に没頭したが、人為的に『扉』を開閉できた者は誰一人としていないそうだ。
バダブの民は大精霊の加護により禍ツ力への耐性があり、異界の神々も彼らを忌避しているという。
世間一般ではバダブの民が異界の神々を盲信し、故に異形の神から愛され禍ツ力を用いたとされている。世間に流布している言説と、本の内容が食い違っているのだ。
私はテオにこれらのこと全てを話し、彼にアドバイスを求めた。テオは顎に手を添え、静かにぼやく。
「恐らく、装丁が差し替えられているのは処分が叶わないこの本の存在を隠すため。書庫に本が置いてあったのも、この夥しい蔵書の中にあればこの本を見つけられまいと考えたからでしょう。でも誰が、何のために? なぜ異界に関する知識をここまで秘匿する必要があるのでしょうか?」
入学の前日、アダム王子がオールドマンの屋敷を訪れる。
「リリア、緊張してるの?」
「えぇ、明日入学すると考えただけで胃がギュッとします」
「意外だなぁ」
アダム王子は顔をくしゃくしゃにして笑う。
「大丈夫だよ。だって僕がいて、テオがいて、君がいる。きっと楽しい学園生活になるよ」
*
テオが銀の懐中時計で時間を確認していた。
「リリアお嬢様、時間です。参りましょう」
「入学! ついにこの日がきてしまった! ははっ、いいでしょう! 腹でもなんでも括ってやるわよおばか野郎!」
「リリアお嬢様、顔が野盗のそれです」
「主人公イヴが入学するのは一年遅れの来年! それまでに元の世界に戻るなり上手いことやればこう、どうにかなってほしいわ!」
「テオ、リリアはさっきからなんの話をしているの?」
「さぁ。わたくしめにはわかりかねますが、アダム王子が気にされることではないかと」
私は学園の入り口に仁王立ちして宣誓する。
「さぁ、どんと来なさいイヴ! 破滅の運命なんてねじ曲げてやる!」
ここまで読んでくださりありがとうございた。
第一部完結となります。
感想ブクマ評価、よろしくお願いします。




