表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

17/59

第十七話 私なりの最善手

 私が歪な笑顔であいさつをするとアダム王子の目から涙が溢れる。


「ごめんなさい、ごめんなさい。僕のせいで、僕の後見人が、ベルナール大公が……」


 あなたは関係ない。大丈夫、どうか気にしないで。


 私の口は意志通りに動いてくれなくて、何かを口にした途端涙がこぼれそうで、ただ首を横に振ることしかできない。

 アダム王子は私の隣に腰掛け、ぐずぐすと泣きながら私がきつく握りしめていた拳を両手でそっと覆った。


「僕、きっと言います。おっかないけど、ベルナール大公に。バダブの執事の人をクビにしないように。彼はいい人です。僕も、彼にベリーティを淹れてもらいました。おいしくて、好きだったんです。彼は一生懸命です。だから、クビにしていい理由なんてこれっぽっちもないと、伝えます。必ず伝えます」


 舌っ足らずながらも私を励ますアダム王子の姿に心打たれる。


 彼は変わった。


 自分の考えを言葉にしてくれるようになった。言葉遣いこそ幼いが、しっかり自分の頭で考えたのだと明確にわかる語り口で話してくれることが増えた。


 自身の言動を変えるのは、相当な苦労があったことだろう。痛みだって伴うことがあったと思う。


 目の前の少年が良くも悪くも自己変革を起こしている。彼が努力して変わろうとしているのに、私だけうじうじ悩んで一歩も踏み出せないままでいいのだろうか?


 ふと元の世界にいた頃を思い出す。ゲームの中のアダム王子は友人関係でこじれた時、優しい言葉で私の心を守ってくれた。高校の進路で悩んだ時、爽やかな笑顔で背中を押してくれた。

 私はハンカチを取り出し、アダム王子の涙を拭う。

 

 あの頃も、今も。

 いつだってアダム王子は臆病な私を奮い立たせてくれる。


 ありがとう、と小さくつぶやく。アダム王子の耳には届いていない様子だった。私は彼へ話しかける。


「アダム王子。お願いがあります」


  *


 小川を越え、森を抜け、町を通り抜けた先の先にベルナール大公の屋敷はある。豪奢で堅牢な造りの邸宅はなるほど、ベルナール大公の栄華を端的に言い表している。私はアダム王子の馬車に乗りこの屋敷を訪れていた。


 アダム王子に手を引かれながら屋敷の広過ぎる回廊を歩いている。オールドマン家から出立した時は一番高い位置にあった太陽も傾いて、緻密な意匠が施された廊下の敷物を赤く染め上げ始めていた。


 私は何度目かの深呼吸をする。アダム王子は何度も立ち止まって私が歩き出すのを待ち続けてくれる。

 アダム王子は重厚な黒い扉の前で立ち止まった。


「書斎です。ここに、ベルナール大公が」

「ありがとうございました。あとはもう、大丈夫です。ベルナール大公とお話して参ります」


 私はアダム王子と握っていた手を振り解く。

 金色のドアノブは年季が入っており、妙な威圧感がある。ドアノブに伸ばす手が震えている。手汗が溢れて止まらない。

 私がためらっているとアダム王子が心配そうに隣に寄り添ってくれる。


「僕も、ついていきます。だから……」

「お気遣い恐れ入ります。ですが、結構です。アダム王子にまで迷惑がかかると事ですから」


 なおもアダム王子は目を潤ませ、食い下がるように私を見つめてくる。私は一歩アダム王子から離れ、彼と対峙して言う。


「ここまで案内してくださったこと、心から感謝しております。だからこそ、あなたに迷惑をおかけしたくないんです。ここからは私ひとりで行きます。私の勝手な都合で心苦しい限りですが、決してついてこないでください」


 アダム王子は酸素の足りなくなった魚のように口をぱくぱくと動かす。彼は心臓のあたりを握りしめている。


「もし、ついて来られるのならば、私はアダム王子のことを大嫌いになります。だからどうか、お戻りください。申し訳ございません」


 アダム王子の目が大きく開かれる。私の発言が相当応えたようで彼は俯いてしまう。

 しょげている彼の様子は見ているだけで心が折れそうになる。だが、勝つ確率が低い賭けに彼を巻き込むわけにはいかない。

 アダム王子を抱きしめる。これが彼との別れになるかもしれない。

 私はドアノブに手をかけ、できる限りきれいな笑顔を浮かべる。


「さようなら、アダム王子」


 私は恭しくノックをし、返事を待って重い扉の中に体を滑り込ませる。私が扉を閉める音が書斎に重々しく響く。


 壁の全面が本棚で、窮屈に詰め込まれた本が持ち主の知性と財力を雄弁に語る。存在感がありながらもシンプルなビューローで忙しなく動いていた万年筆が止まる。


「おや、闖入者か」


 黒髪を生真面目にセットした壮年の男性が私をまじまじと観察する。目に入る全てを睨み殺さんとするかのような鋭い眼光、彼の体から滲み出る威圧的なオーラが私の足を竦ませる。

 私は確信する。


 この人が、ベルナール大公だ。


「事前の文もなく私の仕事場に現れるとは良い度胸だ。私がレオン・ベルナールと知っての狼藉か」


 彼の後に控えている老年の執事も厳しい眼差しで私を見ている。

 私は生唾を飲み込む。今すぐに逃げ出して家のベッドに潜り込みたい。恐怖のあまり言葉が出ない。


 私は目をつむり、テオの控えめな笑顔を思い浮かべる。口元を抑えて上品に笑う彼を思い出す。何もせずに彼を失うのなんて真っ平ごめんだ。


 頭の悪い私が必死になって捻り出した打開策。成功すればテオはそのまま屋敷にいてくれる。失敗したら私は貴族の身分を剥奪され、最悪オールドマン家は没落する。

 思えば後悔ばかり。みなに文字を教えることも、再就職先も斡旋してあげることができなかった。私はどうしようもなく無能だ。


「突然の訪問、深くお詫び申し上げます。私はアーサー・オールドマンの娘、リリア・オールドマンでございます。本日はオールドマン家の娘ではなく、ただのリリアとして参りました」

「貴様がそのつもりでも、私はそうと捉えん」

「家に絶縁状を置いて参りました。今の私はまことの意味でただのリリアです」


 ベルナール大公の瞳が僅かに揺れる。

 オールドマン家に、使用人のみなに降りかかる迷惑が最低限で済むよう、私はお父様の机に絶縁状を置いてきていたのだ。


「なるほど。……して、ただのリリアよ。用向きはなんだ。見ての通り仕事中なのだが」


 リリア・オールドマンは未来を変えられなければ十六歳で死ぬ運命にある。それが少し前倒しになるだけ。今やらなければ一生後悔する。大丈夫、大丈夫だと私は私に言い聞かせる。

 ひとつ深呼吸。そして満腔の想いを乗せて宣言した。


「本日は我が使用人テオの解雇命令を撤回して頂きたく、直談判に伺いました!」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ