第十五話 急転
「リリア、私の可愛いリリア。今日は君に贈り物があるんだ。どうか受け取ってくれないか?」
家庭教師の先生が休暇を終えて数週間過ぎた頃、久々にお父様が屋敷に戻ってきた。
書斎に呼びつけられた私は、お父様から差し出されたものを受け取る。お父様から渡されたのはずっしりと重い短剣だった。鞘は華美ではないものの刺繍が施されており、柄の部分は滑り止めの加工がなされていた。
「お父様、あの……」
「可愛い君に最高にカッコいいお父様からのプレゼントだよ。ベルナール領で買ったんだ。ほら、光を当ててよくよくみてご覧。鞘の部分に宝石のルビィが埋め込まれている。ルビィは持ち主を守護し困難を切り開く石だという。これから先オールドマン家を背負って立つ君にぴったりなアイテムだ。もちろん、タガー本来の役割にも耐えうる逸品さ。
これを肌身離さず持ち歩くんだよ、いいね?」
「そうではなく、お父様がプレゼントをくださるのは何か疚しいことがある時ばかりですよね?」
お父様はわざとらしいくらい体をギクリと震わせる。栗色の独眼が白々しく宙を泳ぐ。お父様ももう三十二歳になるが、妙に子供じみているところがある。
「お父様。何かあったのですね?」
私が語気を強めて再度尋ねると、お父様は諦めたようにため息をついた。
「レオン・ベルナール大公は知っているね? 四大貴族が一角、ベルナール家の現当主であり君の婚約者である第六王子アダム・フォン・シャルロワ様の後見人だ。その威光は国王にも勝とも劣らず、影の王とも揶揄されている。
そのベルナール大公に数日前、命じられたんだ」
お父様は言葉を区切り、私から顔を背ける。ユーモラスに感情を吐露していた栗色の瞳が隠れ、グロテスクなまでに無機質な黒い眼帯が露出する。
「バダブの民の使用人を解雇にしろと。テオを、この屋敷から追い出せと」
えっ、と言ったっきり私は言葉が続かなくなった。お父様が何を言っているのか理解できなかった。
「私にとっても寝耳に水だったよ。彼が後ろ盾になってくれると確信していたからテオを雇ったのだけれどね。味方に背中を刺されたようなもんさ。そんなんだからあいつはモテないんだ」
「どうしてベルナール大公はそんな……。言い方は悪いですが、テオは一介の使用人に過ぎません。わざわざ名指しで解雇命令を出すなんてにわかに信じ難いです」
「この話がややこしいのはね、ベルナール大公の命令に一定の合理性があるせいなんだ」
お父様は私に向き直り、手でそっと私の髪を梳きながら言った。
「九年前までバダブの民と八年に及ぶ泥沼の戦争をしていたことを知っているかい?」
「……つい先日、家庭教師から習いました。ホイストン辺境伯の嫡子がバダブの青年に殺されたことをきっかけに勃発したと」
「うん、教科書通りだ。それなりに勉強しているみたいだね。
バダブの民への怨嗟の声は今もなお果てない。バダブの民と働いているだけで後ろ指を刺される世相なんだ。とある子爵は使用人にバダブの民の少女を雇ったら、怒れる民衆に屋敷を放火されたそうだ」
「そんな……!」
「まぁ、これは極端な例だ。間違いなく言えることは、バダブの民のテオを雇い続ければ民衆の恨みを買う。家の沽券にも関わる。世話人として見過ごせなかったんだろう、解雇命令も行き過ぎとはいえ妥当な判断さ。
私の研究を知らないわけじゃないだろうに、異界への布石になるとあれほど……。やっぱり戦場上がりはイカれてやがる、『血塗れの嫉妬卿』ベルナールめ」
お父様は自身の眼帯を抑える。私はお父様に食い下がる。
「ベルナール大公の支持がなくとも、どうにかテオを守れませんか?」
「はっきり言おう。とてもじゃないけど私ひとりの手腕でテオを守り切るだなんて無理だ。
それに、ベルナール領は我が国の食糧庫とも言われている。下手にベルナール大公を刺激したくない。彼の機嫌を損ねれば我らの領地の人民が干からびてしまう」
私はそれきり何も言えなくて、胃がキリキリして、それでも何か言わないといけなくて、嘔吐するように言葉を吐き出した。
「……お父様、どうか、お父様の力で、テオをお守りください。彼は私にとって、大切な……」
お父様は私を見据え、寂しそうに微笑んだ。
「私の可愛いリリア、申し訳ないがこれは決定事項なんだ」




