第十一話 破滅の使者と長い長いおしゃべり
翌日。私は物陰に隠れながらテオの仕事ぶりを眺めていた。
メアリアンと話した夜のこと、私はベッドに包まりながらつらつらと考えた。
メアリアンや屋敷の人たちの考えも共感できる。テオに偏見を抱くことも仕方ないことだと思う。
それはそれ、である。
人を生まれで差別する考えに私は与しない。幸いなことに私はまだバダブの民に対する根深い偏見を持っていない。お父様が禍ツ力などという恐ろしい力を持った者をわざわざ雇用するなど考え難い。よしんば怪しげな力を持っているなら解雇してしまえばいい。そうすれば破滅を回避できる。
彼を見極めようと意を固くした。
意を固くしたのはいいが、どんな方法でテオを見極めればいいか分からない。
とりあえず彼と話してみようと思い、翌朝テオを探し回る。テオは既に仕事を始めていた。
声をかけて仕事の邪魔をするのも忍びない。かといってじっと見られていても仕事がやりにくいだろう。どうしていいかわからず、こっそりと隠れて彼の仕事の様子を伺うことにした。
今テオは脚立に乗って窓拭きをしている。
一体何時くらいから働いているのだろう。眠くはないのかしらん。彼はまだ十歳だ。遊びたい盛りではないだろうか。
テオと対峙する前は死の恐怖に怯えていたが、生身の彼を見ていると色々思うところが出てきてしまう。
親はどうしたのだろう。今まで何をしていたんだろう。ちゃんとご飯を食べているのだろうか。服から伸びる腕は枝のように細い。
「リリアお嬢様。何をしていらっしゃるのですか」
私はギクリと体を強張らせる。テオは冷めた目でこちらを見ていた。バレてしまっている。
「いつから気づいていたの……?」
「リリアお嬢様が廊下をうろうろしたあと、忍び足で壺の影に隠れたあたりから」
最初からである。
テオは掃除道具を脇へ置き、私に近づいて折り目正しくお辞儀をした。
「初めまして。先週からこの屋敷で働かせてもらっているテオと申します」
なんなら口を聞いたのも初めてである。
私は慌てて頭を下げる。
「初めまして! えっーと、リリア・オールドマンといいます!」
「存じ上げております」
テオは一度言葉を切り、改めて口を開く。
「どうしてぼくを監視していらっしゃったのですか?」
私は目を泳がせる。素直に「将来テオに殺される」「怖くてたまらないから仲良くなりたい」「でも仲良くなる方法がわからない」「だから観察してた」「ついでに異界に繋がる虚のことも教えてくれたらなって」「えへっ」と言うのが下策なのは私でもわかる。
今更ながら仲良くなろうとして相手を黙って観察するのは明らかにミステイクではないのか。そんなんだからこの世界で友人らしい友人が作れていないのだ。
セルフ反省会を脳内で始めているとテオが再び話し出す。
「お伝えしておきますが、ぼくには禍ツ力なるものを使えません。証明することは能いませんが、純然たる真実です。偉大なる精霊、我らの祖である火の大精霊に誓います。どうか信じてください」
テオの口からストイックフレーズのように、つるつるつるつる言葉が出てくる。淀みなく、まるで使い慣らされた言葉のように。
「ぼくには魔なる力を実行するすべがございません。異界へ繋がる虚を発現させることもできません。虚がなんなのかもよくわかっていないのです。あなた方に危害をつもりは毛頭もございません。どうかぼくを憐み、お目こぼしを。どうかここで働かせてください」
そしてテオは再び頭を下げる。効率化された、システマティックな動きだった。事実、彼は何度もこの言葉を言ってきたのだろう。今までの仕事場で、私用の場で。何度も何度もこう言った発言をしなければいけない場面があったのだろう。
私の手は自然とテオに伸び、彼の頭を撫でていた。
「今まで大変な苦労をしてきたのね」
ぽろりと言葉がこぼれ落ち、そこでようやく自分の行動を冷静に俯瞰する。感情を映さなかったテオの瞳が大きく見開き、私をまじまじと見ていた。
私はなんてことをしているんだ!
私は急いでテオの頭から手を離す。
「知ったような口をきいてすみませんでした!」
私は勢いよく頭を下げる。
「……いえ。どうか、謝らないでください」
テオの言葉に動揺が表れていた。彼は撫でられた髪をそのままにぽつぽつと言う。
「初めてでしたので。そのようなことを言われたのは。非常に驚いています。……でも、どうしてぼくを監視されていたのですか?」
「……えっと、その。あなたと話してみたくて。仲良くなりたくて。でも仕事中だったから声をかけるタイミングがわからなくって。それで、物陰に隠れて……」
「左様ですか……」
テオは呆然と私を見つめている。結局素直に話してしまった私は恥ずかしくて、彼と目を合わせられない。
「仕事の邪魔はしないわ。お願い、今日一緒にいてもいい? なんなら手伝うから」
「いえ、お手伝いは結構です」
テオは梯子と掃除用具を抱えて歩き出す。
「次はどこの掃除?」
「大広間です。ところでリリアお嬢様、今日は家庭教師が来る日ではなかったのですか?」
「家庭教師の先生は今日から一ヶ月の長期休暇。課題は山ほど出されたけど、今日やる分は昨日やっておいたわ。……ねぇ、本当に手伝わなくて大丈夫? 脚立の足押さえよっか?」
「お気遣い痛み入ります。ですが結構です」
「そう? ……ちなみにいつもはどんな仕事をしているの?」
「まだお屋敷に来て日が浅いので、大したことは。窓拭きと落ち葉拾い、雑草抜き、靴磨きくらいです。このお屋敷は広いので、これだけで一日が終わってしまいます」
「大変なお仕事ね」
「仕事ですから」
私たちは沈黙を挟みながら会話を続ける。会話の間もテオは熱心に仕事に打ち込んでいた。
「遊びたいって思ったりはしないの?」
「そんなこと考えているいとまもありませんでした」
「ご両親は?」
「父は戦争で。母はバダブの民を憎む人が投げた石が頭に当たって、そのまま」
「……聞いてごめんなさい」
「事実を述べただけですので」
私は泥だらけになったバケツの水を捨てに行き、新しい水を井戸から汲み上げる。テオはあまりいい顔をしなかったが礼を言ってくれた。
「そうだ、お昼はどうするの?」
「皆さんが食べ終わってからいただく予定です。……ぼくがいるとみなさん、落ち着かないようですので」
「じゃあ私と一緒に食べましょうよ」
「いえ、ですから……」
「お願い! 一緒に食べて?」
テオは渋々首肯する。掃除用具をとりあえず片付け、私は彼の手を取る。手を握られたことに彼は驚いていた。私たちはふたりでジョンおじいさんのいる庭へ向かう。ジョンおじいさんは花の剪定を行っていた。
「ジョンおじいさん。今日はふたりなの。いい?」
ジョンおじいさんは私たちを一瞥すると背を向けて去っていった。
「いいって。行きましょう」
「ジョンさん、いいとは言ってませんでしたよ」
「ダメだったらはっきり口にする人よ。大丈夫」
私たちは屋敷の調理場に入る。いつもの場所から私は鉄瓶を取り出した。調味料棚の、背伸びしないと届かない場所にある紅茶箱を取る。
料理長は遠巻きに私たちを見ていた。
「……ぼくは外で待っていましょうか?」
「ダメよ。ジョンおじいさんとご飯の時は必ず紅茶を準備する決まりになってるんだから」
私は鉄瓶に水を入れ、火にくべる。
「温度は大切よ。紅茶の味が決まると言っても過言ではないのだから……」
「はぁ」
生返事をするテオと一緒に、火の番をする。私はテオに紅茶のなんたるかを講釈垂れながら、タイミングを見計らって私は鉄瓶を火からあげる。
「完璧ね! ……いけない。茶葉入れ忘れてた」
「えっ」
「まぁ紅茶なんて色付いてていい感じの匂いしてればいいのよ」
「はぁ」
使用人たちに奇異の目で見られながら、紆余曲折を経て紅茶ができる。今日は三人分の紅茶なので持ち歩くのも一苦労である。
「ぼくが運びましょうか?」
「ダメよ! 重いし、万が一こぼしてあなたが火傷でもしたらどうするの?」
「……あなたが火傷したらぼくの責任になります。せめて、交代交代で持ちませんか?」
流石に庭まで一息で運ぶことが出来なくて、私はテオに一度鉄瓶を預けた。そのままテオは目的地まで重い鉄瓶を運んでくれた。
「変わりばんこで運ぶって約束したのに」
「一度交代したではありませんか」
「とんだ詭弁ね」
私たちが着くころには、青銅のテーブルにジョンおじいさんがサンドイッチを並べていた。
「よかったわねテオ! 今日はイチジクのジャムサンドもあるわ。贅沢よ!」
「そうなのですか? ……この場に、本当にぼくがいていいのですか?」
「なにを今更。サンドイッチも三人分、紅茶も三人分よ。あなたがいなくちゃダメ」
テオは惚けたような顔で頷いた。私たちは三人で食卓を囲む。
「ほらテオ、私の分のサンドイッチあげるわ。あなた若いんだからちゃんと食べて肉をつけないと」
「ぼくはリリアお嬢様より年上ですが……」
私とジョンおじいさんは自分のサンドイッチをテオに分け与える。テオは遠慮がちではあるがそれらを平らげる。あまり会話はないが、落ち着いた時間だった。
食事の後片付けが終わるとすぐにテオは仕事の続きに取り掛かる。ほどよくお腹の膨れた八歳児の私の体は睡眠を要求し始めた。
「……リリアお嬢様。午睡を取られては」
「いや。今日はテオといるって決めたんだから」
「……使用人部屋に掃除用具を忘れてきました。次は客間を掃除する予定ですので先にソファに腰掛けてお待ち下さい」
私は朦朧としながら頷き、ひとり客間の広いソファに座る。客間のソファは滑らかな手触りの生地で布張りされていて、座ると沈み込むくらいに柔らかい。私は一息つき、少しだけ目を閉じる。
彼が異界に繋がる虚のことを何も知らないのはとても残念だったが、まぁ仕方ない。
テオは、やはりゲーム通り真面目に業務に当たる仕事人だ。
素っ気ないが仕事中であるにも関わらず話に付き合ってくれるし、面倒見が良い。もちろん、雇用主だから丁重に扱ってくれるだけというのもあるとは思うが。
テオに殺されるかもしれないという恐怖心より、彼に対する緩やかな好意の方が増してきている。
こんな優しい人に私は殺されるのか。
テオだけではない。アダム王子だってそうだ。
私は言いようのない感情に苛まれる。
一緒にお菓子を食べ、同じ本を音読し、ごっこ遊びをするアダム王子が、くしゃくしゃな笑顔の増えた彼が、私を殺すのか。
誰かが私に何かをかけてくれる。その暖かさから毛布をかけられたのだと遅れて気づく。その誰かは私の頭を撫でてくれた。その手は心を安らげるような不思議な力を持っていて、私の意識は遠くへ飛んでいった。
 




