楽観主義者と悲観主義者
良いことの様に思われている「楽観主義」ははたして正しいのか?
「楽観主義者」
と聞くと、一般的にはいいことのように聞こえる。
いや、聞こえなくてはいけないし、聞かないといけない。
楽観主義者こそ明るく前向きで充実した毎日を過ごしている。
楽観主義者は良運に恵まれる。
楽観主義こそ正しい。
というほとんど強迫観念のような社会通念になっていることを考えると、ひねくれ方に定評のある私としては、一つ反論をしてやろうと思う。
かくいう「私は誇り高い悲観主義者」だ。
しかし、自分が悲観主義者であることを表立って言う勇気のある人、または顰蹙を買うのに抵抗が無い人
(私♡)はなかなかいない。
「暗い」「鬱陶しい「忌々しい」などのレッテルはすぐ貼られる。
一方で自称、楽観主義者の人たちは
「暗い気分になるから、悲観的な人とは付き合いたくない」
とか
「負のオーラをもらって自分のツキが落ちるから嫌だ」
とか「あんまり損得で考えるなよ!」と思うこと多々の発言をして下さる。
しかし悲観主義者からしてみたら、これはほとんどオカルトだと思ってる。
「楽観的に過ごしていたら良い運が巡ってくる」などには科学的根拠がないからだ。
むしろ科学的に言えば、人間は基本的に悲観主義らしい。
「敵が攻めてくるかもしれないから見張りを立てよう」
「飢饉が起こるかもしれないから食料を貯蔵しよう」
「けがをするかもしれないから気を付けよう」
こうやって常に最悪の状態を考える悲観主義者でなければ、人類は生き残ってこれたわけがない。
「根拠のない楽観主義はただの無責任にすぎない」
これを痛感したのが、今朝、整体に行った時の事。
先生の部屋には、よくある「前向きになると幸せになる」とか「楽観主義は幸運を呼ぶ」系のオカルト本がずらりと並び、またか・・・と私は脱力した。それでも
「先生は楽観主義なんですね♡」
と声をかけると、返ってきたのは意外な言葉だった。
「うん。楽観主義はいいことではないけどね。そうしてる」
私があまりに ? な顔をしていたのだろう。
気づいたらしい先生が
「僕はもう勤めもやめたし、この院が潰れたら首を吊るしかなくなる。明るく考えないと心がもたないんだ。だから前向きに努力していくんだ」
驚くと同時に、ああこの人は真の楽観主義者、無責任でない楽観主義者だなと思った。
決して嫌なことから目をそらさず、それでも前向きに考える楽観主義者。
そして自分のような悲観主義者は、首を吊る心配がない等ある意味恵まれているからこそ、悪い状況も考える余裕があるのだなと思った。
今日もまた「私は楽観主義者♡」と楽しそうに過ごす人たちに「負のオーラ製造機」扱いされる私だが、そんな彼女たちの顔は本当の笑顔なのか?キラキラした瞳は涙がたまっているのではないのか?明るい笑い声は引きつっていないか?
そんなことを考えながら、これからも余裕のある間は「誇り高い悲観主義者」として生きていく私だ。