side 白金の堕天使 01
ーーボンッ
そんな音が私たち以外誰もいない鉄格子の中に響きました。
その瞬間、油断していたのか背中に何かがぶつかり、地面に顔からぶつかりました。
……痛いです。
黒髪の吸血鬼以外ないと思いますが。
私がゆっくり、頭だけ振り向くと……
また裸の吸血鬼が私の上でうつ伏せに伸し掛るようにいました。
この吸血鬼は露出狂という魔物なのでしょうか?
そして先ほど落下した時に頭でも打ったのかピクリとも動かず、あの開き直り過ぎている喧しい口も、今は閉じられていることから察するに気絶したのでしょう。
本っ当に人騒がせで迷惑な人ですね。
……ざまぁです。
ですが呆れていたのは一瞬だけ。
即席で作った私の髪に【拘束】の言霊を込めて出来た、十分すぎるほどの拘束具が無残にも千切れて、吸い込まれそうな黒の上に舞っていたからです。
「……あっあなたなんでっ!?絶対に解けないはず、なの、に……」
……あれ?
どう、してでしょう?
私の口からは、これ以上言葉が出てきませんでした。
喉に何かが詰まったような、不思議で、少し息が苦しい感覚を、私はーー
ーー知らない。
「エレセリア様っ!?大丈夫ですかっ!それに、こんなに涙を零して……やり過ぎてしまいましたよね。申し訳ありません。今、回復魔法を掛けますから!」
シャルロットさんが慌ててあの雪のように白い肢体に走る赤い糸の跡に淡い白の光を当てていきます。
するとものの数秒で跡は消え、またあの白だけが占める綺麗な身体に戻りました……?
……綺麗?
あの、吸血鬼が?
確かに見目は私やシャルロットさんに劣らず良い方ですし、一般的に見ても美しいと評価される方なのでしょう。
ですが何故今私は綺麗だと思ったのでしょうか?
この人の裸なら不可抗力で見せられまくっていたのに。
……分かりません。
まだ私が天使として未熟だという証拠ですね。
…いえ!前向きに考えていきましょう!
偶然とはいえ生まれたばかりの新米天使の私に後輩ができたんですからね!
見本となるように、清く正しい道を歩んでいかなければ!
「あっ…」
「え?」
シャルロットさんが空中を見て唖然としています。
どこかの吸血鬼がよく見せる呆け顔というものですね。
多分、シャルロットさんも綺麗です。
でも、さっきとは違って、あくまでも客観的に見て、です。
…じゃあ、あれはいったい……?
「天使様!あれを…」
私が再びおかしな考察に没頭しようと腕を組み直した時、思考を遮るようにシャルロットさんの声が私を呼びました。
そこにはーー
〜エレセリア・アレキサンドライト〜
ミッション2内容:未完成な状態の天使シエルを教育して生存本能と心とはどのようなものか教え旅のお供にせよ(隷属)
残り時間:花の月、処刑実行日の夜まで
クリア状況:生存本能:0%/心:怒り・愛おしみ(種類問わず残り三つ)
「……へ?」
どういうこと、なんですか?
怒り……分かります。
未だに意識を取り戻さず人の上でグースカ寝てる吸血鬼への感情のことですよね。
でも愛おしみとは?
何に対して……?
……っ!?
顔が、熱いです。
私は鈍感じゃないです。
でも、これはこの吸血鬼に魅了を掛けられた影響が残っているだけであって!
実際に吸血してきた吸血鬼に恋をして結婚したという例も数百件ありますし、暴走した状態であった上に魅了の掛け方も知らない子供の吸血鬼ですし、きっとこれは何かの間違いで!
嘘です……こんなの、まるで私が、これにーー
ーー恋をしているみたいじゃないですかーー
「そんなの認めませんっ!」
「えっ!?とっ、でしたら、私一人でエレセリア様に上掛けを着させて頂きますね」
……へ?
着させ……っ!!
そうです!あれはまだ裸で!私の上に布越しでも分かる柔らかい……
私は天使で、こんなはしたない、ことをして、
「そんなこと不潔ですっ!」
「ええっ!?」
……はっ!
私としたことが、こんな淫行をして……天使なのに!!
駄目です。
天使の十戒を破るなんて事したら、堕天してしまいますっ!
すると突然額に冷たいものが触れて私を危ない道から救い出してくれました。
一体何が……
「あの、天使様。お顔色が悪いようですが、大丈夫ですか……?」
額に触れていたのはシャルロットさんの手でした。
でも、ドキドキはしません。
あっ、そうですよ!
簡単に確かめる方法があるじゃないですか!
「……あの、一体天使様は何を「今は真剣なんです!」……申し訳ありません」
シャルロットさんには後で謝ります。
だから、今だけは許してください。
私は吸血鬼の手を取り、自分の核にあてました。
人間も恋をすると鼓動が早くなると言いますから、天使でいう心臓にあたる核に触れられれば直ぐに分かります!
……異常は、なしです!!
「よかった、でずぅ……」
「天使様!?どこか負傷しているのですか?!早く傷を見せてください!」
「ちがっ、違うんでずうぅ……グズッ」
私としたことが、安堵と緊迫感からの開放感でつい涙が出て……
でもシャルロットさんが「チリ紙は確か…」と言いながらドレスのポケットからチリ紙を出してくれました。
無自覚で早くも天使の力を使いこなすとは、流石ですシャルロットさん。
*****
私たち天使は魔法を使うことに長けており、何時間にも及ぶ肉弾戦も可能な、信仰と恐怖の象徴と呼ばれる種族です。
でも何より人々に恐れられるのは、これらが理由ではありません。
天使でも、その左胸の中で鼓動する核を完全に破壊されれば死に絶え、卑しき心を持つ者たちの獲物になってしまいます。
天使の核は強力な力を秘めた半永久機関ですから、例えばゴーレムの核にすれば最恐の兵器となるので、今いる帝国やその他大国は皆こぞって欲しがります。
他にも、天使を仕留めて核を完全に復元できれば、誰でも一秒とかからず巨万の富を差し出されます。
では何故人々は天使を狩らないのか?
それが、さっきの答えになる【言霊】の力です。
【言霊】は太古に失われた、魔法の元に当たる【魔術】です。
今でも魔術は使われていますが、当時とは比にならないと、女神様が教えて下さいました。
昔の魔術が太陽だとして、今の魔術はリンゴの大きさにも満たないと言っていました。
それで【言霊】がどれほどの威力かというと、
……口にした言葉が実際に現象として起きます。
流石に女神様や先輩天使相手、魔力がない空間では発動できませんが、威力は侮れません。
まぁ、発動した者が望んでいなければ不発に終わるのですが。
そして、あの吸血鬼を気絶させたのも【言霊】のおかげです。
正直びっくりしました。
【言霊】を使っていないとはいえ、天使の私に匹敵するかそれ以上の戦闘能力を持っているなんて、初めてでしたから。
……こほん、話が逸れました。
先ほどシャルロットさんは「チリ紙は確か…」と口にしました。
つまり、チリ紙を求めたので、無からチリ紙を生み出したのです。
本当に、驚きました。
私は数十年かかったのに……
まあ、天使の力は並大抵の事では打ち破れないということです。
……私はなんで分かりきったことを考えていたのでしょうか…?
*****
「天使様!エレセリア様が!」
「……よーうやく、起きましたか」
緑色のコートを着た黒いのがようやくムクリと起き、やっと解放されました。
そして、
「汝、シエル。我が魔力を枷とし、今ここに隷属の刻印を刻む」
「はい?」
ーージュッ
隷属の刻印なんて、何を今更……と言おうとした瞬間、吸血鬼が私の首に口づけを落とし、首筋に感じたことのないほどの激痛が走ります。
「いっ!?……たぃ」
「エレセリア様!?天使様に何をしてーー」
「シャルロット・アナクフィス」
「っ!?……ダメですっ!目を見ちゃーー」
「は、い」
あぁ、遅かった。
私たちはこの吸血鬼に気を許してしまっていた。
紅色に光るあの眼、きっと魅了のしかたを覚えてしまったんですね。
まだ、私たちは隷属されてはいなかったんですね。
きっとシャルロットさんも、隷属されてしまう…
…それは、私が許さない……!
しかし、私の予想は全く違う結果になりました。
「汝、シャルロット・アナクフィス」
牢屋の群れにひどく澄んだ声が響き渡ります。
「我が身とこの命、次の新月までは預け、汝と加護の契約を交わす」
吸血鬼はいつか天界で見たように跪き、シャルロットさんの手の甲に口づけを落としました。
もうわけが分からないです……
でも、唯一分かるのはーー
「今度こそ、守り抜くと誓おう」
吸血鬼が大粒の涙を零しながら、真っ直ぐとシャルロットさんを見ていたことだけです。