第七話〖対局室〗
【一】
対局室は、カードチェスに興じる子どもたちでにぎわっていた。大人もちらほら混じっている。ルールを互いに教えあっているようだ。カイザ組のメンバーも数人見つけた。
部屋の雰囲気は、前の受付ルームとは大きく異なっていた。奥の壁の上のほうには、額縁に入った営業許可証。下摂津の王、覇道テイトクの名前が添えられている。ドアの裏には「所員募集中」の張り紙が貼ってあった。それから、三台が連結した横長の対局用テーブルが四列。満席だ。壁面はトレーディングカード用のショーケースで全面を覆われている。
ショーケースに飾られているのは白札ではなく、ちゃんと名前やイラストがついたカードチェスのカードだ。カードはたくさんの種類があり、下段のラベルに交換ポイントが掲示されている。
カイザはしばらくショーケースを眺めた。ひと通り鑑賞し終えると、うしろに立って練習対局を観戦した。
「うーむ、投了だ」
向かいに座る大人の男性が、手札をテーブルに置いて肩をがっくり落とした。
「やったー、これで二連勝だ!」
勝者の女の子がガッツポーズをした。
「あ、カイザお兄ちゃんも来ていたんだね!」
女の子が振り返り、カイザに話しかけてた。名前はユウ。つい先月、カイザ組に加わった新メンバーだ。
「この人にルールを教えてもらったの。カードチェス、楽しいよ」
ユウにルールを教えた人は、さっき負けた男性だ。男性も数時間前にルールを覚えたばかりだった。どうやら実力はすでにユウのほうが上らしい。子どもは覚えるのが早い。
「ユウちゃんは強いねえ」
カイザはアユムにやったようにユウの頭をなでてやった。
「てへへ、あたし、才能あるんだって。このままクリエイターデビューしちゃったら、どうしよう」
こめかみをポリポリかいて照れ隠し。
「カイザお兄ちゃんも対局しようよ」
ユウは借り物のデッキをカイザに押しつけた。
「僕はいいよ。うしろで見てるから」
「そんなこと言わずに、カイザお兄ちゃんもやろうよ」
カイザはユウに手を引かれ、気づけばイスに座っていた。
「ちょっ、ちょっと待ってよ」
「いいからいいから!」
ユウはカイザの横に座り、カードチェスのルールを説明した。
「えっと、まずこのデッキのテーマはうんぬんかんぬんで、コンセプトはかくかくしかじかで、戦略はごにょごにょ……」
さまざまな専門用語を飛ばすユウ。昨日まで初心者だったとは思えないほどだ。
「ごめん、何言ってるのかわからないや」
「てへへ。あたし、自分が対局するのは上手いけど、人に説明するのは下手なんだよね」
「横で見ていたからルールはある程度把握したよ。でもやっぱり、今日はやめておこうかな。早く帰らないといけないんだ」
カイザは席を立った。自分の白札収集用カードケースを持ち、きびすを返した。ドアに手を伸ばす。ドアノブに手が触れる直前、向こう側から勢いよく押しつけられた。
「たーっだいまぁ! 無事帰ったでぇ。一日中歩き回ったさかい、足フラフラやわ。あぁ、しんどぉ」
カイザが一番顔を合わせたくない相手の声だった。
【二】
カイザはドアに頭を打ちつけ、カードケースを床に落とした。衝撃でふたが外れて、数枚の白札がパラパラと散る。しゃがんで白札を拾うカイザ。
「あ、ギンちゃんが帰ってきたー!」
「おかえりなさい」
「ギンガさん、おつかれさまです」
観戦中の人は振り返り、対局中の人は手をとめ、ギンガに言葉をかけた。
「おおきにおおきに、ありがとうさん。みんな、来てくれてありがとうなぁ」
ギンガは雑にドアを閉め、対局所に身を押し込めた。
「おっと、スマンなぁ。前に人がおるとは思わへんかってん」
ドアをぶつけたことに気づいたギンガは、慌てて膝をつき、一緒に白札を拾う。
「あららぁ? あんたは昼間に出会った――」
「カイザだよ」
露骨に嫌そうな顔をするカイザ。
ギンガは意に介さず、遠慮もなく顔をのぞき込んで確認した。片眼鏡のレンズが砂ぼこりで汚れている。
「お、アタリやわ。ついにあんたも、カードチェスデビューしたんやなぁ」
「していないよ」
カイザは顔を背け、カードケースを持って立ち上がった。
「なんや、せっかく対局室まで来たのに対局せんと帰るんかぁ?」
「観戦していたんだよ。じゃあね、さようなら」
「ちょいちょい、待ちぃや。忘れものやでぇ」
ギンガは一枚の白札を人差し指と中指の先ではさみ、カイザの胸に突き出した。長い指。爪が水色に輝いている。
「今回は泥棒しないんだね」
受け取りざまに皮肉を交えた。
「人聞き悪いなぁ。あれはホンマにあてが先に見つけたんや。落としものゆうのは嘘やけど」
「やっぱり嘘じゃないか。落ちている白札は先に拾った人のものなんだよ。それが瓦礫ノ園でのルールさ」
「へえ、そういうルールがあったんか。それは悪かったなぁ。ほんならあとで返したるわい」
「もういいよ。帰る」
カイザは対局室を出た。
「カイザお兄ちゃん、本当に帰っちゃうの?」
「ユウちゃん、また明日ね」
振り返って手を振った。
【三】
勢い任せに帰ったものの、あとになって後悔した。しょんぼり歩く帰り道。
「ギンガに悪いことしちゃったかな。僕がちゃんと説明したら、ギンガもちゃんと謝ってくれた。カードを返そうとしてくれた。それなのに、きつい言い方をしてしまった」
それでも母の顔がちらつき、カイザは対局所へ戻る気にはなれなかった。カイザは母に、ありのままに話すと決めていた。交換取引の相場を確かめに行っただけで、カードチェスはやっていない。やましいことは何もない。それでも少し気が引けたが、嘘はつけない性格だった。
「おかえりなさい、カイザ。今日は遅かったわね」
ルミナは床から半身を出し、息子の帰りをねぎらった。
「ただいま、母さん。今日はちょっと、寄り道をしてきたから遅くなったんだよ」
「寄り道?」
「あとで話すよ。大事な話があるんだ」
二人で夕食を済ませてから、カイザは対局所での出来事をありのままに話した。正座で顔をつき合せ、正直に受け答えをするカイザ。
「だから本当に、カードチェスはやっていないよ!」
「ええ、それはわかったわ。お母さんは、カイザのことを信じているのよ」
ルミナはかすれた声で言った。顔がやつれているのは病気のせいだけではない。
「だけど、もう行っちゃだめよ。カードの管理は今までどおり母さんがやるわ。対局所に行く必要はありません」
「そんなぁ、どうしてさ? 白札は対局所で交換取引したほうがお得なんだよ。みんなやっているよ」
「みんなやっていても関係ありません」
「僕よりも年下の子だって、ひとりで交換取引しているんだよ。どうして僕だけダメなのさ」
「ダメだと言ったらダメなのよ! 母さんの言うことが聞けないの?」
「新しい生き方を学ばないと、どんどん取り残されてしまうよ。今までみたいに束でまとめて叩き売られていたら、損するばかりだよ。このままじゃ、貧しさから抜け出せない。母さんの病気も治せない」
「そっか、母さんのこと心配してくれているのね。迷惑をかけさせてごめんね。優しい子に育ってくれて、母さんはうれしいわ。だけど、カイザは気にしなくていいの。これはどうしようもないことなのよ」
ルミナはカイザを抱き寄せ、瞳に涙を浮かべた。
「そんな、迷惑なんかじゃないさ。僕は母さんが大好きだよ。だけど……」
ルミナの腕を振り払い、言葉を続けた。
「今日からカードの管理は」
カイザは生まれてはじめて、母に逆らった。自分の信念をはっきりと示した。
「僕がやる!」