第六話〖悩みのとき〗
【一】で時代名や国名、王の名前が色々明らかになります。特に覚える必要はありませんので、気軽にお読みください。
【一】
世紀末の最後の七年、科学文明を極めた人類は、霊子という新たな素粒子を発見した。人間の魂や幽霊、神々や天使、悪魔の存在を科学的に認め、霊界の仕組みを解き明した。産業革命や情報革命以来の新たな技術革新が起こり、人類はかつてないほどの富を得た。
だが、最後のクリスマスの夜、天からカードの雨が振り、ひとつの時代が終わりを告げる。神々や天使、悪魔、妖怪、幽霊、怪物、幻想生物など、人が考えうるありとあらゆるものがカードから次々に飛び出した。大地や天空や海を司る神々が力をひと振るいするだけで、地球レベルで地形や気候がメチャクチャになった。
世界中でオーロラが観測された。
猛烈な嵐が吹き荒れた。
各地の火山が噴火した。
地震や津波が多発した。
海面が上昇し、陸地の多くが失われた。
幾億幾兆もの怪物どもが人間を襲い、肉体や霊体を食らった。
旧日本では、北海道が「尻尾」の「胴体」で分断され、房総半島は島になり、旧琵琶湖の大増水で本州を二分する海峡になった。東京、名古屋、京都、大阪などの主要都市はことごとく水没し、沖縄諸島も海の底に消えた。
こうして、百億人の世界人口は約百分の一に減少した。霊力を使い切った怪物たちは、カードの中で眠りについた。その後の時代を、新時代という。
新時代。人類の苦難はまだ終わったわけではなかった。最初の約二十年を『混沌時代』という。文明は逆行し、原始人さながらの生活を余儀なくされた。幾多の困難、逆境、試練の中、臨死体験を経て特殊能力に目覚める者がいた。それがカードクリエイターだ。
クリエイターがあらわれたことにより、次の二十年『群雄時代』の火ぶたが切られた。なお、クリエイターの発生時期や人数は地域によってまちまちなので、二十年区分はあくまで目安にすぎない。
荒廃した世界の中で、強大な力を持った一部のクリエイターは、崇められ、また恐れられた。非覚醒者を束ね、導き、守り、あるいは支配、管理、監視し、小国をつくった。こうして各地の有力クリエイターは我こそはと名乗りを上げ、近隣諸国と果てしない争いを繰り広げた。当時、★×4ランク以上のクリエイターは数千万人にひとりしか存在せず、国富の源泉、復興の要、あるいは歩く軍事力として扱われた。
各地の英傑はより強い英傑に倒され、やがて地域をまとめあげる「王」があらわれる。『王権時代』の幕開けだ。これもまた地域によってまちまちで、極東では王権時代のはじまりは十四年前だとされる。ちなみに「王」という名前はあくまで便宜上の呼び名で、実際に王として即位しているとは限らない。
現在、極東では数十人の王と、王の候補者が君臨している。統一が進む中、下摂津ノ國は極東でもっとも小さな国になった。
旧大阪府は元々海抜が低く、北部と南部のごく一部を残して琵琶海峡に飲み込まれた。北部は川によって上摂津と下摂津に分断された。川を琵琶海峡の一部とするならば、下摂津ノ國は琵琶海峡に浮かぶ中洲島だともいえる。この小さな中洲島が、極東最小の国、下摂津ノ國の全支配領域だ。支配者の名前を覇道テイトクという。
下摂津は南北の二大国にはさまれ、いつ滅んでもおかしくない状況だ。十四年の長きにわたって国土を維持できたのは、テイトクのたぐいまれなるカリスマ性、外交能力、そして彼の特異な能力によるところが大きい。
北は『山城ノ國』。王の名は御璽羅川ホウギョク。★×6ランクのクリエイターだ。ホウギョクは『上摂津ノ國』と『丹波ノ國』を吸収し、近畿北部を統一した。次の一手として、下摂津ノ國への侵攻を計画していた。
南は伊勢ノ國。王の名は幽城レイオウ。これまた★×6ランクのクリエイターだ。レイオウは『大和ノ國』と『紀伊ノ國』を吸収し、近畿南部を統一した。九年前、海峡を越えて下摂津ノ國の東部へ実際に侵攻。死者の園が戦場になった。が、征服に失敗。レイオウの権威は地に落ちた。
属国の大和ノ國に造反され、逆に属国にされてしまった。指導者は、彗星のごとくあらわれた天才クリエイター、わずか十七歳の少女、斑鳩イルカだ。イルカは大和ノ國の若き女王になり、下摂津ノ國と同盟を結ぶ。
【二】
瓦礫ノ園、東のはずれ。昨日、一夜にして小さな対局所があらわれた。★×5ランク程度の建築系クリエイターが、都から派遣されてクリエイトしたのだろう。
瓦礫ノ園の子どもたちのほとんどは、対局所というものを見たことがなかった。丈夫なコンクリート構造に、ガラスのドア。旧時代風の洒落た外観。表には「兵頭対局所」の看板が掲げてあり、非覚醒者でも自由に出入りできた。
白銀ギンガは瓦礫ノ園を自分の足で歩きまわり、あちこちで兵頭対局所の宣伝をした。白札の交換取引ならどこよりもお得だと触れ回り、カードハンターたちを対局所に誘導した。
再利用可能な廃材やら白札やら拾い集めたものは、週に一度、外町の廃品回収業者がまとめて引き取りに来ていた。だがこれからは、毎日、白札に限り兵頭対局所で交換してもらえる。しかも、今までよりも良心的な価格設定で。カードハンターたちは沸き立った。
カイザ組でも、新しい対局所のうわさで持ち切りだった。夕方、いつものようにココナの家に集合すると、メンバーが口々に対局所のことを話していた。すでに何人かが視察してきたようだ。取り分の分配を終えると、メンバーはいっせいに対局所へ向かった。
カイザとココナは取り残された。
「ねえ、カイザ。わたしに隠しごとしていない?」
「なんの話だよ?」
「とぼけないで。今日の昼、女の人と会ったでしょう」
「のぞき見していたのか」
「あの人とどういう関係なのよ?」
「初対面だよ。対局所の副所長なんだって」
「どうして秘密にしていたのよ?」
「秘密にしていたわけじゃないさ。言う必要がなかっただけだ」
「ふーん。どんな話をしたの?」
「別に、なにも。向こうが絡んできたんだよ。僕が拾ったカードを自分のものだって言い張るもんだから、ちょっと揉めたのさ」
「で、カードをあげちゃったのね」
「鬱陶しい女だったよ。あんなのは相手にするだけ無駄さ」
カードハンター同士でも、カードの取り合いや縄張り争いはしょっちゅうだ。カイザは、そういった争いには関わらないようにしてきた。
「優しいのね」
「優しいからあげたわけじゃないぞ。可愛い女の子だったからでもない」
「可愛いかったの?」
「全然。ココナのほうが可愛いよ。しかもあの泥棒猫、性格もキツそうだし」
「へえ、わたしのこと、可愛いと思ってくれているんだ」
「もちろんだとも」
「お世辞ありがとう」
「お世辞じゃないよ」
「わたしだって、髪を整えて、きれいな服に身を包めば可愛いくなれるのにな。だけど、そんな余裕はないもんね」
ココナはワンピースの切れた紐を指でもてあそんだ。
「ごめんよ。カイザ組の利益がもっとあがれば、ココナにもお洒落させてあげられるんだけど」
「カイザのせいじゃないわ」
「全部、リーダーである僕の責任だよ。カイザ組は、今は上手くいっているけど、いつまでもつかわからない」
「カードハンターじゃあダメだっていうこと?」
「そうだね。なにか別の方法を考えなくちゃいけない」
「別の方法ってまさか、カードクリエイターになりたいの?」
「いや、それはないよ」
旧科学文明は滅び、クリエイターとしての実力だけがよりどころになった新時代。だが、実力主義の群雄時代は終わり、いまや血統主義の王権時代の真っ只中だ。クリエイターを養成するのにも時間や労力がかかる。実力あるクリエイターの子はやはり実力があるのではないか、という期待から血統主義に拍車がかかった。
親が非覚醒者の場合、子どもはカードチェスのルールすら誰にも教えてもらえず、永遠に覚醒できないのだ。
「わたしたちは昔からずっとカードハンターをやって生きてきたのよ。たとえ見下されても、この仕事に誇りを持っているわ。カードハンターがダメなんて、軽々しく言ってほしくないわ」
「そういうことじゃないんだ。僕だって、ココナの気持ちはわかる。だけど、いつかカードハンターだけでは稼げなくなるかもしれないんだ。前よりカードの収穫量が減っている。このままで、全部取り尽くされてしまうと思う」
カードハンターが白札を供給し、クリエイターが実益を生み出す。これが世界の現状だ。クリエイターは無から白札をクリエイトすることもできなくはない。だが、無からの白札クリエイトは、すでに存在するカードの実体化に比べて霊力の消費が激しい。カードハンターに任せたほうが手っ取り早く、より低コストで済むのだ。
クリエイターの中には、カードハンターを汚い仕事だとして差別する者もいる。だが、カードハンターがいなくなれば、困るのはクリエイターだ。
「対局所に行けば、白札の交換取引がお得にできるようだね」
メンバーから聞いた情報だ。カイザはみんなのリーダーとして振る舞っていた。だが、白札の取引に関しては年下の子どもたちのほうが相場をよく知っている。カイザは自分で取引したことがなく、全部母がやっていた。
「だけど、カイザのお母さんはクリエイター嫌いなんでしょう?」
カイザは母によって、なるべくクリエイターから遠ざけられて育てられた。クリエイターは怖い人ばかりだと言われ、カードチェスをやってはいけないと約束させられた。
「ココナもクリエイターは嫌い?」
ココナはクリエイターに家族を殺された過去があ る。クリエイターを憎んでいたとしてもおかしくはない。
「わたしはそういう偏見が嫌いなの。一部を見て全部だと判断したくない」
ココナ自身もカードハンターとして差別されてきた経験があるからこその言葉だ。
「とりあえず、対局所がどんなところなのか見に行きたい。見たらとっとと帰る。あの泥棒猫にまた会いたくないからね」
カイザの中では、ギンガの印象は最悪だった。ギンガは外まわり担当だが、帰ってきたときに鉢合わせする可能性もある。
「本当にうわさどおりの対局所なのか。僕が自分の目で確かめてみたいんだ」
カイザは今まで一度も母に逆らったことがなかった。だが今日、内緒で対局所を見に行くことを決意した。
「わたしも一緒に行っていい?」
「足の怪我が治ってからね」
「ええー、行きたいな!」
ココナはカイザの腰に抱きついた。カイザはココナの頭をなでてやり、その隙に引っペがして逃げた。
「また今度ね。今日は自分ひとりで行きたいんだ」
「ぷぅ、わかったわよ」
ココナは唇をアヒルのように突き出し、渋々、カイザの言うことを受け入れた。
「対局所がうわさどおりの場所だったら、次から本格的に白札の交換取引をするよ。そのときは、ココナも一緒に行こうね!」
【三】
カイザはひとりで対局所に行った。建物内部の壁は全面が本棚になっていて、多種多様な本がびっしりと並んでいた。誰でも自由に読んでいいという旨の説明書きがされている。
「こらこら、横入りはいけないのら~」
カード交換取引の長い列。所員らしき幼い女の子が、ピンクのショートヘアを揺らして、客に手際よく対応している。前髪を上げてちょんまげのように束ね、おでこを見せている。ほっぺはリンゴのように赤い。可愛らしい女の子だ。
「いらっしゃいませなのら!」
女の子の胸元に、「兵頭対局所所長、兵頭アユム」と書かれた札がとめられていた。
「あ、所員じゃないんだ」
「えっへん、あゆちゃんはこう見えても所長なのら」
「それは失礼。アユムちゃんは偉いねえ」
カイザはアユムの頭をなでた。
「素敵なお兄ちゃんに褒められちゃったのら~」
頬を染めて恥ずかしがるアユム。
「僕は覇田カイザ。よろしくね、所長さん」
「よろしくなのら」
アユムはぺこりとお辞儀をした。
「アユムちゃーん、早く来て」
最前列に並んでいた客が、アユムを呼んでいる。
「はいはーい、すぐ戻るのら~」
アユムは店のカタログをカイザに渡し、カウンターへと走り去った。
カイザは分厚いカタログをパラパラとめくってみた。食料品や衣類、日用雑貨などが写真つきで載っている。写真の下には商品の説明文と、交換ポイントが記されていた。ページの下には「三日以内にお届けします」と書かれている。
交換ポイントは、その商品を交換するのに必要なカードの枚数だ。カードは希少度に応じて価値が変わる。☆×0から☆×9まで十段階あり、白抜きの星がひとつ増えるごとに、価値は十倍になる。
白札は新時代の共通貨幣だ。通常の紙幣や硬貨では、いくらでもクリエイションを使った偽造ができてしまう。そのため、貨幣価値を維持することができない。また、地域によってクリエイターの種類に偏りがあり、ある地域では高価なものでも、別の地域では安価の場合もある。クリエイターにとって必要不可欠な白札は、資源でもあり、同時に貨幣でもあるのだ。
国の中心には都がある。都には多様なタイプのクリエイターが住んでいて、各々が得意なものをクリエイトすることで成り立っている。カードハンターは、白札と引き換えに都からクリエイションを送ってもらって生活している。
カイザは兵頭対局所のカタログを見て、さまざまな品物の相場を覚えた。交換取引の列に並んでいるカードハンターたちは皆、カタログを手にあれこれ議論している。一部例外もあるようだが、ほとんどの品物は、外町の回収業者に託すよりもここで交換取引したほうがお得らしい。
ここはカードの交換取引、貸し出し、預け入れの窓口がある部屋だ。先に進むと、奥の部屋へ続くドアがあった。ドアには「対局室。ご自由にお入りください」と書かれた張り紙が貼ってある。
「ちょっとだけ、のぞいてみようかな」
カイザはドアを開け、一歩踏み出した。