第四話〖秋山対局所〗
【一】
「ああああとどれくらいで着くんですかい?」
ケイマはアルマジロのように背中を丸め、口元を押さえながら言った。
「城門前までかぁ? このままの速度で突っ走ったら、二十分後くらいには着く計算やなぁ」
助手席に座っているギンガは、呑気に腕を頭のうしろに回して、座席にドカッともたれかかる。
「ににに二十分もかかるんですかい!」
「気分が悪そうだね。乗り物酔い?」
カイザはソワソワしながら窓の外を見ていたが、ケイマの異変に気づいて視線を車内に戻した。
「くくく車と船だけは苦手なんだよう」
「ペガサスには乗れるのに、車はダメなんて変だね」
「そそそそういう体質なんだ。カカカカイザこそ、平気なのかよ?」
「自動車に乗せてもらうのは初めてだけど、大丈夫みたいだよ」
「ううううぐっ」
青い顔をしてグッタリと横になるケイマ。
「おいケイマァ。あと五分くらいしたら、いったん車ァとめて降りれるらしいでぇ。よかったやんけ。それまでガマンできへんのやったら、窓ォ開けて吐いたらええで」
座席のシートに膝をついて、後部座席に上半身を乗り出すギンガ。急ブレーキをかけたらすっ飛びそうな体勢だ。
カイザがケイマの面倒をみている間、ギンガは隣の運転手と話をしていた。どうやら外町と瓦礫ノ園の間に新しい対局所ができたらしく、そこで休憩するようだ。
ギンガは兵頭対局所の副所長として、将来のライバルを視察する予定だった。
「がががガマンするぜい。ギギギギンガ姉さんの前で、恥ずかしい姿は見せられねぇ」
「見せてもええんで。はよ楽になれや」
ギンガはケイマの肩を掴んでガタガタと前後に揺らす。
「ううううっぷ」
込み上げてくる液体を飲み込むケイマ。
「こうやって揺らすと、酔いがマシになるらしいで」
「ええええ、そうなんですかい。知らなかったぜい」
「真に受けちゃダメだ。ウソに決まっているだろ。ギンガも、そのへんでやめてあげなよ」
見かねたカイザが止めに入る。
「おおおおではギンガ姉さんに肩をさすってもらえるだけでも幸せだぜい」
「いや、さすってないから! ガンガン揺らしまくっているから!」
そうこうしているうちに、例の対局所に到着した。看板には『秋山対局所』と書いてある。
カイザたちは車から降りて外の空気を吸い込んだ。
「おおおおではもう動けねぇ。ここで休ませてもらうぜい」
ケイマはなんとか持ちこたえたが、車外に出るなりダウンした。
「ねえ、ギンガ。秋山対局所は最近できたみたいだけど、今回の大会に参加しているクリエイターがいるんでしょ?」
「せやで。ここからも二人、選ばれとるはずや。あんたらのライバルやな」
「中に入っても大丈夫かな?」
「『営業中』って書いとるやん。ええに決まっとるやんけ。行くでぇ!」
大会の予選期間中、対局所は休業する。いっせいに休業させるわけにはいかないので、予選は順番におこなわれることになっている。
兵頭対局所の予選期間は、今日と昨日の二日間だった。秋山対局所はそれよりも早くに終わっていたようだ。だから、今日は営業中のはずだった。
「だけど、なんか物静かだよ?」
カイザは妙な予感がして、ドアの前に立ち止まった。
「ホンマやなぁ。どないしたんやろぉ? まあ、とりあえず入ってみたれ」
ギンガは秋山対局所のドアに手をかける。
【二】
「遅いですぅ。うちの代表者なら、自家製自動車で先に行ってしまいましたよぉ。先に来た使いの者には引き返させたので、もう合流はムリですぅ。あなたたちも早く都へ戻ったほうがいいですよぉ!」
薄暗い室内。明かりもつけずに、女がひとり立っていた。
カイザとギンガが秋山対局所に入るなり、女がいきなり話しかけてきた。両手を腰に当て、背中を軽く反り返らせて仁王立ちしている。
ゆっくりねっとりとした独特のしゃべり方に、奇妙な語尾。クリエイターは変人しかいないのだろうか。
カイザは女を観察した。
クリーム色の髪に、ひし形シルエットのショートボブ。頭には大きめの黒いリボン。カイザは最初、巨大な黒いガが頭のてっぺんにとまっているように見間違えてギョッとした。
首から上はまだまともなほうだったが、下は彼女の喋り方と同じく、どこかネジが抜けたような奇妙なスタイルだ。上半身はキャミソール一丁、下半身はなぜか黒いオムツ一丁。
身長は低めで、ずんどう体型。おまけに童顔。だが声を聞く限りでは、どうも見た目よりかなり年上のようだ。
「勘違いしとるようやけど、あてらは兵頭対局所のもんや。都のお迎えさんなら、外で待機しとるでぇ。お嬢ちゃん、ここの所員? ちっちゃいのによう頑張んばっとるやん。うちの所長みたいで可愛ええなぁ」
ギンガにしては丁寧に説明をして、黒オムツ女の頭をなでようとした。そういえば以前、ギンガは背の低い子が好きだとカミングアウトしていた。
「もう、誰がちっちゃいですかぁ。怒りますよぉ。こう見えてもあたし、二十一歳。成人ですよぉ。それに、あたしはこの対局所の所長なんですぅ」
黒オムツ女はギンガの手を振り払い、部屋の明かりをつけに行った。
「ウソやろ⋯⋯。あてより七つも年上やったんか」
ギンガは黒オムツ女がアユムと同年代の幼女だと思い込んでいたので、すっかり面食らっていた。
部屋の照明がついた。
壁一面に棚が並んでいて、よくわからない幾何学的立体図形の造形物が陳列されていた。材質は様々で、紙に粘土に石やら木やら、樹脂、ガラス、金属と、ありとあらゆる種類がある。
机には緑色の正方形マットが敷かれていて、麻雀牌が転がっている。
カイザは麻雀のルールを知らないが、三人か四人で遊ぶゲームだということはわかっていた。薄暗い部屋で、ひとりで何をしていたのだろうか。まったく意味不明だ。
「あれぇ、ナゴミちゃん? 先に都へ行ったはずじゃなかったのぉ? 車から落っこちて帰って来たのぉ?」
黒オムツ女はカイザの顔を見るなり、グイグイ近づいてきた。
「僕はナゴミちゃんじゃないよ。人違いじゃないかな」
カイザは引きつった笑みを浮かべながら言った。
「あらぁ? ホントですぅ。ごめんなさい、よく見ると髪の毛の色もちょっと違うし、声もぜんぜん似ていないですぅ」
黒オムツ女はカイザの顔をまじまじと見つめ、間違いを認めた。
「しかもこいつ、実は男やで」
ギンガがすかさず補足する。今度は黒オムツ女が面食らう番だった。
「僕は覇田カイザ。兵頭対局所の代表選手だよ」
「たしかに、男の子の声ですぅ。それにしても、少し離れて見たらナゴミちゃんにそっくりですよぉ。あ、ナゴミちゃんというのは、うちの代表選手ですぅ」
黒オムツ女はカイザの顔をじっと見つめる。
その所作がギンガと初めて会ったときと似ていたので、カイザは少し複雑な気分になった。高ランクのクリエイターはみんなどこかおかしい。
「カイザ君、男の子でしたかぁ。お人形さんみたいですねぇ。実験台一号のナゴミちゃんよりきれいですよぉ。実験台二号になってくれませんかぁ?」
目を輝かせる黒オムツ女。
「じ、実験台?」
カイザは硬直した。
「あんまり、うちの所員にちょっかい出さんといてやぁ」
ギンガはカイザの背後からがっしり肩をつかみ、黒オムツ女の挙動を制した。
「あらら、それは残念ですぅ」
黒オムツ女は悔しそうに引き下がった。
「っていうか、あんたのところの代表選手ふたりは先に行ったんやろぉ? あんたもはよ行ったらんとアカンのちゃうんかぁ? お迎さんが外で待っとるでぇ」
「うちはもう、代表選手の登録を先に済ませているんですぅ。だから、あたしは当日まで外町に行く必要はないんですよぉ」
「そういうことかいな。ほんなら、あてから監査役に言うといたるわ」
「助かりますぅ」
ぺこりとお辞儀をした。
【三】
「⋯⋯ちょっと待ちぃや。あんたのところの代表選手、自家製自動車に乗って外町まで行ったんかぁ?」
「そうですよぉ」
「自家『用』じゃなくて、自家『製』かいな」
「うちの代表選手は、ふたりとも人工物系のエターナルクリエイターなんですぅ。作り出した本人が、ナゴミちゃんを乗せて、二人で先に行っちゃいましたよぉ。あたしはわけあって、しばらくの間は都から一歩でも遠くにいたいので、対局所に残ったというわけですぅ。それに、そもそも座席がふたつしかない特殊な車だったので、乗りたくても乗せてもらえませよぉ、ぐすん」
黒オムツ女は、実験台に逃げられた悲しみを打ち明ける。
「おいおい、★×3ランクのクリエイターが、どうやって自動車一台をクリエイトすんねん? ★×5ランク以上やないとムリやろぉ。あんたの代表選手、クリエイターランクをごまかしてへんかぁ?」
「一台まるごとクリエイトしたとは言っていませんよぉ。パーツレベルでクリエイトして、自分の手で作り出したんですぅ」
新時代以降、自動車を製造するほどの技術力は失われてしまった。クリエイションではなく、本物の自動車が走っているという話はギンガも聞いたことがない。ただひとりの人物を除いて。
旧時代の科学知識や技術は、そのほとんどが忘れ去られた。だが、個人的に旧時代を研究して、かつての栄光を復活させようとしている者たちがいる。そういった者たちが集まって生まれた組織がある。その名も、『Q2機関』。
「もしかしてやけど、そのふたり乗り自動車を自分で作ったとかいう奴、Q2機関の機島タクミとちゃう?」
「あら、タクミちゃんとお知り合いだったのですかぁ?」
「まあなぁ、知り合いみたいなもんや。そんなヘンタイ的な技術力を持っとる奴なんか、国内にはあいつくらいしかおらへんわ。っていうか、あてがタクミを引き入れたんや」
ギンガは片眼鏡のズレを直しながら言った。
「タクミちゃんをQ2機関に引き入れたお方ですかぁ? ということは、あなたが機関の創設者、ギンガちゃんですねぇ! タクミちゃんから話は聞いていましたよぉ」
友だちの友だちを見つけて、喜ぶ黒オムツ女。
「せやけど、最近は機関からちょっと離れとるんや。今のあては、兵頭対局所の副所長、白銀ギンガや」
「あたしも、今は秋山対局所の所長、秋山アキラですぅ」
「ちょっと待てや。あての聞き間違いかぁ? 秋山なんて苗字は別に珍しいことあらへんし、そんなわけあらへんやろと思うてスルーしとったけど。まさかあんた、『下摂津七人衆』の⋯⋯」
ギンガは再度、片眼鏡のズレを直した。
「うふふ、ここは都ではないので、向こうでの役職は関係ないですよぉ。今は外町からも離れた小さな対局所の、しがない所長なのですぅ」
下摂津七人衆。この国の王、覇道テイトクの腹心にして、都で最大の権力者。その一角、秋山アキラは不敵な笑みを浮かべた。
「どういうことなの?」
何も知らないカイザは、無邪気に説明を要求した。
ギンガは説明しながら、自分の頭を整理した。
アキラは都の人間に飽き飽きしていた。自分のことをもてはやすばかりで、心にもない言葉ばかりを発する人たち。人が多くて、ゴミゴミした都。
そんなところから一刻も早く逃げ出したくて、アキラはしばらく休養の許可を得た。都から離れたところでこっそりと対局所を開いて、ひとり静かに休んでいた。
ギンガが設立したQ2機関のメンバー、機島タクミ。男性のような名前だが、女性だそうだ。新時代では、性別の見分けがつかないような名前が流行している。
タクミは★×3ランクでそこそこのクリエイターだったが、あるときから実力が伸び悩んでいた。このままでは、次の大会で予選通過すらできないかもしれない。
そんなとき、新たに作られた秋山対局所のうわさをどこからか嗅ぎつけた。秋山対局所は一応看板こそ出しているものの、実態のない名前だけの対局所だ。タクミはそれを利用したらしい。
クリエイターは、それぞれ自分の行きつけの対局所を登録することができる。大規模な公式大会が開かれる場合、登録している対局所から予選に参加する決まりになっている。
ちなみに、別の対局所と二重に登録している場合、見つかれば失格となる。
秋山対局所に登録されているクリエイターは、アキラの「実験台」であるナゴミという名の少女と、タクミのふたりのみ。何もしなくとも予選を通過できたというわけだ。