第三話〖一の目サイコロ〗
【一】
「おおお落ち込んでいるらしいって、さっきリヒト先輩から聞いたぜい。げげげ元気出してくれよう」
ケイマはジャイ男の部屋に入るなり、いきなり説得にとりかかった。相変わらず、人の話を聞かず自分のペースで話を進めようとする。
「なあに、お前さんに負けたくらいで落ち込みやせんわい。わしを誰だと思っておるんじゃい」
ケイマの心配をよそに、ジャイ男は部屋の真ん中でドンとあぐらをかいた。
カイザとケイマは、ジャイ男と向かい合うように座った。
カイザが見たところ、ジャイ男はあまり元気そうではなかった。空元気でごまかしているようだ。
「ながらく裏クリエイターをやってきたが、お前さんのような若いもんに負けたのは久し振りじゃい。じゃが、勝負なんてもんは、勝つときもあれば負けるときもある。負けたからといって、いちいち落ち込んでいられんわい。うぬぼれてはいかんぞう、若造め」
ジャイ男はケイマを一喝した。
「だけど、なんだか顔色が悪いよ」
カイザはジャイ男の表情が一瞬だけ変化したのを見逃さなかった。
「ええええ、そうなんですかい? じゃじゃじゃじゃあやっぱり、落ち込んでいるってわけですかい」
ケイマは人の表情や顔色を見るのが苦手だった。落ち込んでいないというジャイ男の言葉を真に受けていた。
ジャイ男は急に背を向けると、奥に片付けていた物をなにやらゴソゴソ取り出してきた。
「この前から小さなひび割れができて、気になっておったんじゃい。それがさっき、いきなり弾けるように割れたんじゃい」
ジャイ男は、真っ二つに割れた器を床に置いた。サイコロを受ける器として使っていた、あのどんぶり鉢だ。
「何十年も愛用してきた、わしの相棒じゃい。対局のときでも、いつも肌身離さず持っておった」
「まさか、裏クリエイターを辞める気なの?」
悪い予感がして、カイザは思わず口走ってしまった。
「ええええ、辞める気なんですかい? どどどどんぶり鉢が割れたくらいで、辞めるなんてもったいないですぜい。せせせ接着剤で付けて直せばいいじゃないですかい。ななななんなら、おでが都で新しい器を探してきやすぜい!」
空気の読めない発言だが、ケイマなりの優しさがにじみ出ていた。
「すまんのう。気持ちはありがたいが、その申し出は断らせてもらうぞい。新しい器は必要ない。相棒は、こいつのほかにはおらんのじゃい」
ジャイ男はどんぶり鉢の破片を手に取り、話しかけるように言葉をつむいだ。
ケイマの思いやりは空回りに終わる。
「こいつは、そこいらにあるクリエイションとは勝手が違う。昔、わしの友人が自分の手で作ったものなんじゃい。その友人は何年も前に死んじまったわい。だから、こいつは形見なんじゃい。それがどうしたことか。久し振りに若いもんに負けたと思えば、その直後に真っ二つになりやがったんじやい。これも天からのメッセージかもしれんわい。わしにはそう思えて仕方がないんじゃい」
「そそそそ、そんな⋯⋯」
下を向くケイマ。
一方、カイザは顔を上げてにやりと笑う。
「ケイマ、ジャイ男の口からまだ『辞める』という単語なんて一言も出ていないぞ」
「おや、勘が鋭いのう。カイザの言う通りじゃい。辞めるとは言っておらん。しばらく休養すると言おうとしたところだったんじゃい」
「そそそそれじゃあ、おでの思い過ごしだったのか。休養が終わったら、また復帰するんですね! ななななんだ、心配して損したぜい」
ケイマの顔がぱっと明るくなった。
「相変わらず、そそっかしい奴じゃい。人の話は最後まで聞くもんじゃい。ところで、今さら言うのもなんだが――」
ジャイ男はふところからこっそりと二枚の白札を取り出した。
【二】
「ふたりとも、予選通過おめでとう!」
ジャイ男はふたりを温かく祝福した。
「あああありがとうございやす!」
気持ちが高まり、立ち上がってガッツポーズを決めるケイマ。
「⋯⋯あ、ありがとう」
一方、今度はカイザの顔が暗くなった。
「なんじゃい、カイザは元気がないのう」
「きゅきゅきゅ急にどうしたんだよ、カイザ? こここ今度はカイザに落ち込み病がうつったのか?」
「僕は、本戦に参加するほどの実力はないのかもしれない。予選を突破できたのは、運が良かっただけなんだ」
カイザはどんぶり鉢の破片を拾い、手のひらに転がした。
「ななな何言っているんだ。げげげ現にカイザは予選決勝でリヒト先輩を倒して、自分の実力で本戦参加権を勝ち取ったじゃねえかよ。運なんかじゃねえ、実力だろ」
「そうじゃい、ケイマの言う通りじゃい」
「でも、僕は一度だってジャイ男に勝てた試しがない。今だから言うけど、裏対局室でジャイ男と目が合ったとき、僕は思わず目を逸らしちゃったんだ。あの日は賭博対局で連勝中だった。ジャイ男と戦えば負けるってわかっていたから、わざと別の人と戦って、ジャイ男と当たらないようにしたんだ。僕は逃げたんだ」
「一週間以上も前の話じゃい。過去は過去じゃい」
「違うよ。実際、本番の試合でジャイ男と戦ったとき、やっぱり僕は負けたじゃないか」
予選の予選で、カイザは一戦目でいきなりジャイ男と当たり、そして敗れた。そのあと、なんとかほかの選手に二勝して予選の予選は勝ち上がれた。以降、ジャイ男とは対局していない。
もしも今ここでもう一度対局したら、カイザはまた負けるかもしれない。カイザはジャイ男に勝つ自信がなかった。
「ケイマは僕にできないことを、本番でいきなり成し遂げたんだ。もしも、僕が決勝でジャイ男と当たっていたら、僕は予選敗退で終わっていた。本戦に参加するのにふさわしいのは、本当は僕なんかじゃなくて、ジャイ男のほうなんだ」
トーナメント表が少しズレていたら、未来は変わっていただろう。カイザの手のひらに乗った破片のように、叩き壊されていたのはカイザのほうかもしれなかった。
「⋯⋯だったらカイザ、お前さんは運が良かったから予選を通過できたとでも思っておるのかい?」
ジャイ男は眉間にしわを寄せた。
「そうかもね」
カイザは破片を元の場所に戻した。
「取り消すんじゃい。その言葉は、お前さんに負けた者たちへの侮辱にあたるぞい」
「え?」
破片のように鋭い視線に貫かれたカイザ。こんな顔をするジャイ男を見たことがなかった。
「お前さんが決勝で倒したリヒトは、そんなに弱かったかい? リヒトを含め、予選でお前さんが倒した相手は、みんなそれなりの実力者だったぞい。彼らを実力で倒したのは、お前さんじゃい。だから、自分を卑下するのはよさんかい。お前さんは実力で勝ち取ったんじゃい。もっと自分に自信を持つんじゃい。そして、負けた者たちの想いを背負って本戦に挑んで来い、カイザ!」
「ででででめぇはいつもネガティブすぎるんだよ。こここ細けぇこたぁ気にすんな。どどどどーんと胸を張って都へ乗り込もうぜい!」
ケイマは自分の胸をドンと叩いた。
「ありがとう、ジャイ男、ケイマ。僕はゼッタイ優勝するよ!」
「ゆゆゆ優勝するのはおでだぜい。ででででめぇは準優勝だ」
「いいや、優勝するのは僕だね」
「おおおおでだ」
「僕だ」
「おおおおで!」
「僕!」
すっかり気分を入れ替えたカイザは、いつものように目から火花を散らしてケイマと張り合った。
「まあまあ、おふたりさんよ。ともかく予選通過おめでとう。これはわしからのプレゼントじゃい。優勝祈願のお守りとして受け取ってくれい」
ジャイ男は隠し持っていた二枚の白札をスッと取り出し、霊力を込めた。手のひらが霊光で輝き、次の瞬間には白札がサイコロに変わった。
一個は紫色で、もう一個は黄色だ。
「あああありがとうございやす、ジャイ男先輩!」
「だけどこのサイコロ、何か変だよ」
カイザはサイコロに違和感を覚え、手に取って確かめる。サイコロは六面全部が一の目だった。
「何回振っても一の目しか出ない、『一の目サイコロ』じゃい」
「ようするに、イカサマサイコロだよね」
「使う用ではないぞい。お守りだと言っただろう。これを振れば、いつでも一の目が出る。いつでも一番、優勝祈願サイコロじゃい」
「おおおおお、スゴいぜい!」
ケイマは黄色いサイコロを手に取り、目を輝かせながら何度も振った。
「やれやれ。博徒はすぐ縁起の良し悪しにこだわるよね。あとゲンを担ぎたがる」
カイザは冷めた目で紫のサイコロを眺めた。
「その通り、しょせんはくだらないおまじない。こいつは単なるお守りじゃい。持っているからと言って、必ず勝てるとは限らん。すがってはいかんぞい。勝敗を分けるのは、いつでも自分自身の力じゃい。くれぐれも、気をゆるめんようにな。サイコロは、都に行けんかったわしの代わりとして持っていってくれよい」
「そうだよね。結局、最後は自分の実力なんだよね。自分の力がどこまで通用するのか、都へ行って確かめたい。ありがとう。じゃあもらっていくね!」
カイザは紫のサイコロをデッキケースの中に入れた。
「その意気じゃい。わしのぶんまで、都で存分に暴れ回ってこい!」
ジャイ男はカイザとケイマの肩を叩いた。
「いいいいや、さすがに暴れ回るのはよしたほうがいいぜい」
大真面目な顔で、的外れな受け答えをするケイマ。
「ものの例えさ。本当に暴れ回るわけじゃないからね」
「ななななんだ、それを早く言ってくれよな」
「あ、そういえば、外でギンガが待っているんだった。早く行かないと、置いていかれちゃうよ!」
カイザとケイマはジャイ男に礼を言ってから部屋を出た。
【三】
「えらい遅いやんけ。どんだけ準備に時間かかっとんねん、ケイマァ。カイザも、見に行ってから何分経っとんねん。ミイラ取りがミイラになってもうとるやんけ。あては待ちすぎて退屈死するところやったでぇ」
先に車に乗っていたギンガは、補助席と窓から身を乗り出して大声で叫んだ。
「はよ乗れはよ乗れ、出発するでぇ!」
「すいません、裏クリエイター寮の先輩たちにあいさつをして回っていたんですよ、ギンガ姉さん」
「そんなに急かさなくたっていいだろ、ギンガはいつもせっかちすぎるんだよ」
カイザとケイマは車の前まで走り、後部座席に乗り込んだ。
「うるさいなぁ。『時はカネなり』っちゅう旧時代のことわざを知らんのかぁ? 時間は白札と同じくらい大事やねん。人生の時間は限られとるんや。一分一秒でもムダにはできへんわ。急かして何が悪いんや。『急かすは正義、焦らすは悪』や!」
早口でまくし立てるギンガ。今日一日、ずっとこの調子だ。
ギンガに急かされるようにして自動車が発進した。
「そんなことわざないだろ」
「あてが今、作ったんや」
「知らないよ。旧時代のことわざなら、『急いては事を仕損じる』とか『急がば回れ』っていうのもあるよね」
「あての辞書にはないわ」
くだらない言い合いをするカイザとギンガ。
ケイマは横でうらやましそうに見ていた。
「都までは、この一本道を真っ直ぐや。三十分くらいで到着するで。せやけど、今日は都の中には入られへん。門の前で手続きして、外町に泊まるでぇ」
都全体を囲む城壁の内側にあるのが城下町で、城壁の外側に広がっているのが外町だ。
外町には無数の対局所が乱立していて、様々なクリエイターが活動している激戦区らしい。
「本戦は十三日後や。それまで『兵頭対局所本店』でお世話になるでぇ」
「たしか、アユムちゃんのお父さんが経営している対局所だったよね?」
「そういうこっちゃ。外町には、あての知り合いもようけおるから、今度、手合わせしたらええ。大会本戦でぶつかることになる、あんたらのライバルたちや。ええ勉強になるでぇ」
カイザは兵頭対局所に出入りするクリエイター以外と対局したことがなかった。別の対局所へ行ったこともない。
期待と不安に胸を膨らませながら、まだ見ぬ敵や都の景色に想いを馳せる。
今回は、ジャイ男がじゃいじゃい言って、カイザがウジウジして、ギンガがセカセカしているだけで、気付けば一話ぶん書き終えていました⋯⋯。