第二十七話〖停滞〗
【一】
十一日目。予選まで残り三日。黒い雲が停滞している。気分が滅入るような曇り空だった。
その日も、ココナに会う予定を見送った。これで三度目になる。
対ケイマ戦、二勝三敗。今日は三勝ならず。白星がひとつ減り、ケイマに追い上げられた。
対ギンガ戦、三連敗。ギンガは不調の谷を超えてからというもの、日に日に強さを取り戻してゆく。
それにしても、ギンガの回復速度は異常だった。
本人いわく、通常は不調期の谷底から好調期の頂点に達するまで、約二週間を必要とする。それから、また二週間をかけて谷底へ沈んでゆく。計一ヶ月のサイクルだ。
にも関わらず、このままのペースで回復していったら、あと数日足らずで絶好調に到達してしまうだろう。
三日前の絶不調では、かつてないほどに魂のバランスが崩れた。霊力が急激に落ち込み、翌日から急激に回復した。ギンガの霊力および精神状態は、回復期にありながらも不安定な状態だといえる。
口数が多くなり、始終ハイテンションなギンガ。アユムがふらっと様子を見に来たときは、性懲りもなく所長の座を巡って対局を挑んでいた。
カイザとケイマも調子に乗ってアユムに対局を申し込んだ。ふたりとも、一点もとれずに敗北した。
カイザの戦績は落ちる一方だった。格下相手には圧倒的な力を発揮しても、アユムには瞬殺され、ギンガにもまるで歯が立たず。ジャイ男にはあと数歩届かず、ケイマにも遅れをとりつつある。
予選参加予定者の総合勝率は、ジャイ男がトップをキープ、次位がケイマ。カイザは三番手だが、四番手以下も強敵ぞろい。もはや、三番手を維持することもさえも危うい状況だ。
「おかしいな、今日は不調かな?」
「これがホンマの実力っちゅうこっちゃ。ここ三日間が好調すぎたんや。今日はケイマにも負けとるし、このままやったら予選敗退コースやなぁ。もっと修行対局で自分を追い込んでいかんと、成長できへんでぇ。負けたら『バカイザ』のまんまや。デッキも解体、母親も助けられへん。頑張れ頑張れぇ、死ぬ気になれば、なんでもできるわ!」
ギンガは早口で追い込みをかけた。後半は単なる脅しでしかないが、良かれと思ってやったことだった。
先人たちは過酷な環境の中で、死を意識することで能力を得たのだ。この程度でくじけるようなら、成長は見込めない。
「勝たなきゃ、僕は勝たなきゃいけないんだ。勝ちさえすれば、すべてが許される」
ゾンビのようにうめき声をあげ、裏対局室をさまよい歩く。
はたして、ギンガのやり方は逆効果だった。
カイザはますます勝ちにこだわるようになり、容易に負けられなくなった。勝ちを意識するほど勝てなくなり、負けまいとしてもがくほど負け込んでゆく。ずぶずぶと沼に沈んでいった。
感知能力で事前に相手のレベルを探っておいて、勝てる見込みのある相手としか戦わなくなった。ジャイ男のほうから申し込まれたときは素直に対局した。だが、自分からは挑まない。
現実から目をそむけるように、カイザはますます「超」高レートの賭博対局にのめり込んでゆく。元カードハンターのカイザからすれば、命がけともいえる大勝負だった。
王族出身のケイマ、対局所副所長を務めるギンガ、裏クリエイター歴の長いジャイ男からすれば、「超」がつくほどではなかった。とはいえ、それなりの高レートであることは間違いない。
カイザは稼いだ。稼ぎまくった。だが、成長はしていない。停滞していた。
一方、ケイマは素直に訓練を重ね、順調に伸びていった。ふたりの差は開くばかり。カイザはますます焦りを募らせる。
【二】
十二日目。予選まで残り二日。
昼食時後、カイザはアユムに呼び止められた。所長室に連れられ、イスに座って向かい合う。ギンガにデッキを奪われたあの日以来のシチュエーションだ。
「かいざちゃん、ちょっと話があるのら」
「どうしたの、アユムちゃん?」
「ぎんちゃんから特訓を受けているって聞いたのら。どう、順調~?」
「うーん、まあまあかな」
適当にお茶を濁す。
カイザは、ギンガがわざわざ自分の時間を削ってくれているのを知っていた。対局の相手だけでなく、カードチェスのことを色々教えてもらっている。
ギンガが良かれと思ってやっていることだ。今回ばかりは悪者にするわけにはいかない。
もしもギンガのことを悪く言われたら、全力でかばうつもりでいた。
「あんまり無理をしちゃいけないのら」
「ありがとうね。だけど、僕は大丈夫だよ」
「だとしても、たまには息抜きも大切なのら。そういえば、かいざちゃんは所員になってから、ここちゃんに会っていないんじゃないの~?」
「さすが所長、所員のことはなんでも把握しているんだね」
ユウや、そのほか元カイザ組出身の所員から聞いたのだろう。アユムの情報収集能力は侮れない。
アユムは所員とのコミュニケーションを大切にし、所員全員の人間関係を掌握していた。どんな話でも聞き逃さず、おまけに記憶力も抜群だ。
「今日、窓口でここちゃんと会ったのら」
「え、ココナが対局所に来ていたの?」
カイザは窓口担当ではないので、来客者に関してはほとんどなにも知らなかった。
「なにをしに来たかは、あゆちゃんの口からは言えないよ~」
知り合いといえども、個人情報は教えられない。
「知りたかったら、かいざちゃんが自分で会いに行って、教えてもらうといいのら。ここちゃん、かいざちゃんにとっても会いたがっていたよ~」
「ココナは寂しがり屋だからね。僕がカイザ組のリーダーだった頃も、ベッタリくっついて離れなかったんだよ」
送別会の最後、ココナは大人ぶった態度でカイザを見送った。それなのに、今さらになって寂しくなったのだろうか。
カイザはふと、ココナのことを思い出した。毎日賭博対局や特訓に明け暮れ、カイザ組のことをすっかり忘れていた。
今ごろ、ココナはなにをしているのだろうか。カイザ組に残ったメンバーは元気だろうか。紫のデッキケースを握りながら、カイザを慕ってくれた仲間に想いを馳せる。
「ちなみに、カイザちゃんは所内予選の開催場所がどこか知っている~?」
「え、地上階にある一般向け対局室じゃないの?」
まさか、裏対局室のはずはない。
「違うよ~。予選はクリエイトスペースを使うのら」
「なるほど、あの広場で実寸大の霊子映像を展開して戦うのか。観戦サイドが盛り上がりそうだね」
「その通りなのら。誰でも観戦できるから、当日はここちゃんを呼んでもいいよ~」
「わかったよ。ココナが見ていてくれると、頑張れる気がする」
カイザはアユムの提案を好意的に受け取った。
「そうだ、所長にひとつお願いあるんだ」
ふと、思いついたことを口にした。
「急に改まってどうしたの~?」
アユムは可愛らしく首をかしげた。ピンクの髪が揺れる。
「僕はもっと頑張りたい。どうしても大会に出場しなくちゃいけないからね。だから、対局時間を増やす方法をずっと考えていたんだけど」
「かいざちゃん、それってつまり」
アユムはカイザの意図を察した。
「家から通うのをやめて、しばらく所員寮で暮らしたいんだ。ひと部屋貸してほしいんだけど、空いているかな?」
「それは別に構わないのら」
「ありがとう、所長。家賃は先に渡しておくよ」
カイザは賭博対局で稼いだ白札の束を取り出した。
「いつもみたいに、アユムちゃんって呼んでほしいのら」
「ごめんごめん、アユムちゃん」
「それからひとつ、条件があるのら」
「条件って?」
「かいざちゃんは、かいざちゃんママと一緒に暮らさなきゃいけないのら」
「寮に連れてきてもいいの?」
「当然なのら」
「ありがとう、アユムちゃん」
ふたりは顔を見合わせてにっこり笑った。
その裏で、アユムは別のことを感じていた。もしも、母親を寮に連れてきてはいけないと言っていたら、カイザはどうするつもりだったのだろう。
「かいざちゃん⋯⋯」
アユムはカイザのうしろ姿を見送った。誰かが見ているところでは常に笑顔を貼りつけているが、今は懸念の雲がかかった表情だった。
カイザは「仏の所長」たるアユムの忠告を聞き入れなかった。
今日もまたココナには会いに行かず、裏対局室へ下りてゆく。仏の顔も三度までというが、これでもう四度目になる。
恒例の対ケイマ戦。一勝三敗。またひとつ白星が減った。
対ギンガ戦。やはり三連敗。
その日の戦績はいまひとつだった。
【三】
十三日目。不吉な黒雲が天を隠していた。
早朝。アユムから借りた車椅子にルミナを乗せる。背負えるだけの荷物を背負い、所員寮へ向かった。
明日は予選だ。予選が終わったら、本格的に引越しの準備をおこなう。といっても、カイザの家に大したものなどないのだが。まずは勝たなければならない。話はそれからだ。
昨日、ユウに相談して、大会が終わるまでルミナの看病を代わってもらうことになっていた。その間、カイザは裏対局室で朝まで特訓に集中できる。
カイザ組メンバーはみんなルミナを知っていた。昔、ルミナに色々お世話になった子もいる。ユウもそのひとりだった。
昼ごろから小雨が降り始めた。小雨は次第に、大雨へと変わった。風も吹きだした。大嵐になった。
その日、上摂津と下摂津を分かつ「川」が氾濫した。混迷時代の琵琶湖大増水ほどではなくとも、凄まじい大災害であることは間違いない。
瓦礫ノ園の半分が沈んだ。カイザの家は流された。近隣の家も同様だった。金子ココナ、行方不明。生死さえも不明。そのほか、カイザ組メンバーも同様だった。
カイザはすべてを失った。