第二十六話〖変容〗
【一】
十日目の明け方。暴風雨は治まったが、いまだ小雨が降りやまない。この調子では、三日後あたり、また大雨になるだろう。
「カイザ、カイザ」
ルミナはうわごとを口走り、カイザの手を握った。
「ごめん、母さん。デッキの調整をしないと」
手を解き、背を向ける。
何度もカイザを呼ぶ声が聞こえたが、応じなかった。
「僕は勝たなきゃいけないんだ。勝たなきゃ意味がないんだ。勝てば、すべてが報われる」
カイザの精神的は、じわじわとむしばまれてゆく。
日が昇ると、ルミナを残して対局所へ走った。
仕事にはもう慣れた。ギンガの下で働くのはストレスがたまるが、コツを掴めば問題ない。ギンガのケチでせっかちな性格を理解して、合わせてやれば良いのだ。
カイザは時間を忘れて働いた。ふと気づけば、半日が過ぎていた。
仕事を終えると、外は晴天だった。今日こそココナに会いに行ける。
「いや、やめておこう。ココナにはいつでも会えるさ」
今日もまた、裏対局室へ。なぜだか、高額の賭博対局に熱中したい気分だった。
ケイマとの対局では、三勝二敗。昨日より黒星がひとつ増えたが、辛うじて暫定二位をキープできた。
高額の賭博対局だったので、カイザは冷や汗をかかされた。ケイマとは実力が同程度。大負けすることはないと見越しての挑戦だった。
その後、ほかの裏クリエイターの元へ行って、超高額の賭博対局を持ちかけた。身を投げるような、魂を削るような、極限の戦い。昨日と同じ二十九連勝を達成する。
カイザは霊力感知能力を鍛えていた。すでに、相手に近づくだけでレベルを正確に把握できる。感知能力だけでいえば、とっくにギンガを上回っていた。ギンガの場合は、直接接触が必要だからだ。
その能力を活用し、なるべく格下を選んで対局した。だから連勝できたのだ。
みるみる裏クリエイターらしい目付きに変わってゆくカイザ。兵頭対局所の裏対局室内において、ジャイ男に次ぐ実力者として認識されるようになった。
「豪運のカイザ」の名前が売れるごとに、カイザの中でカードチェスに対する認識が変わってゆく。もはや、カードチェスは稼ぐ手段、カードは単なる道具としか見れなくなっていた。
対局を終え、フリーの状態。次の相手を探していると、偶然、ジャイ男と目が合った。カイザはとっさに目をそらした。
(今はダメだ。今挑んでも、負けは確実。それじゃあ昨日と同じになる。僕は勝たなきゃいけないんだ。逃げるわけじゃない。実力をつけたら、また対局するさ。そのときは必ず勝ってやる。勝って、力を示してやる。予選までの辛抱だ)
ジャイ男はカイザの様子に異変を覚え、声をかけようとした。だが、別の裏クリエイターに先を越されてしまう。声を出すのが少し遅かった。
声の主は、カイザの連勝記録を聞きつけ、打ち破ろうとする挑戦者だ。それほど強そうではない。
カイザは勝てる確率が高そうと判断し、対局前にレートを釣り上げた。そして、あっさり勝利。三十連勝を達成した。
「やーっぱりビビって逃げとるやんけ、カイザァ。あんたの強みは、格上相手でもビビらず挑むところやねんでぇ。こりゃあ、賭博対局の闇に飲まれよったな」
ギンガはうしろからカイザを観察していた。
【二】
「おらカイザァ、ケイマァ。あんたら手ェ空いてるんやったら、ちょっとこっち来いやぁ」
ギンガは手招きしてカイザとケイマを呼び寄せた。
「なんだよ、舌巻いて喋るのやめてくれないかな」
「ねねね姉さん、なんですかい?」
「だから、姉さんっちゅう言い方やめぇ」
悪い顔でにやりと笑うギンガ。相変わらず対人距離がおかしく、グイグイと顔を近づけてふたりに耳打ちした。
「所内予選まであと四日や。そこであんたら覇田アンド前田には、あてが特別に指導したるわ。特訓や!」
カイザとケイマにより大きな負荷をかけ、鍛え上げる作戦だ。
「覇田アンド前田って、漫才コンビみたいに言うのやめてくれないかな」
カイザは嫌な予感がしてのけぞった。
「ととと特訓ですかい?」
ケイマはなぜだか嬉しそうだ。
「せや、特訓や。あんたらはもっと格上に挑まんとあかん。同レベルの奴とじゃれ合っとる場合やあらへんでぇ」
「実力の近いライバルと戦ったほうがいいんじゃないの? 昨日と言っていることが真逆じゃないか。ホント、ギンガは気分屋だな」
「うるさい、黙らっしゃい! 昨日は昨日、今日は今日や、バカイザァ」
「バ、バカイザだって!」
カイザの闘志が一気に燃え上がる。
「ぐぐぐ具体的には、どんな特訓をするんですかい?」
「ええ質問や、ボケイマァ」
「ボボボボケイマ?」
「おうよ。あんたらふたり、順番にあてと対局しやがれ!」
絶不調時、ギンガは★×3ランクに降格した。だが、昨日の朝には★×4ランクまで回復している。今日は裏対局室で二日ぶりに対局し、そこそこの戦績を収めていた。
カイザとケイマにとって、ギンガは遥か格上の強敵だ。カイザは十日前にデッキを賭けて対局し、負けをさらした。さらに、その後も練習で何度か手合わせしたが、ことごとく敗れている。
ケイマもまだ、ギンガに勝ったことはない。
「言っておくけど、もうギンガとは賭けないからね」
真剣な表情で断りを入れておく。
「せやな、カイザはさんざん辛酸なめとるもんなぁ」
一方のギンガはというと、ふざけきったような顔でカイザをあおり倒す。
カイザはすでに負債を返し終えているが、デッキの所有権は奪われたままだ。ギンガとは絶対に賭博対局をしたくなかった。
「ほんなら、別のモンを賭けようや」
「別のもの?」
「おうよ、名誉を賭けるんや」
ギンガは一呼吸すると、早口で説明し始めた。
「カイザは知らんやろうけど、実は、親札にも副カード名をつけれるねん」
副カード名とは、第二のカード名だ。対局の進行に影響せず、クリエイターが各々自由に名づけられる。称号、役職、通り名、あだ名、二つ名など、なんでも好きにつけてよい。
実は、通常のカードだけでなく、親札にも副カード名をつけることができた。
たとえば、ギンガなら「鬼の副所長」、アユムなら「仏の所長」、ケイマなら「加賀の暴れ馬」、カイザなら「豪運のカイザ」。クリエイターとしての通り名をそのまま副カード名として採用することが多い。
「ただし、西本州のほとんどの国では、親札に副カード名をつけて対局したらあかんっちゅう取り決めがあるんや。つけてええんは、『公式対局』のときだけ。ヘンテコな決まりやろぉ?」
「へえ、そうなんだ」
「ひひひ東本州では自由だぜい」
国が認定した対局所から代表を選び、優勝を決める大会を『公式大会』という。そして、公式大会時の対局、もしくは公式の場でおこなわれるプロクリエイター同士の対局が『公式対局』だ。
西本州はクリエイター養成理論が遅れている。今は東側に追いつきつつあるが、プロクリエイターの数はまだまだ少ない。
その昔、西でも東でも、裏クリエイターは社会をかき乱す存在として排斥されていた。危険物系クリエイションの製造、流通に関わる裏組織関係者ばかりだとして、どこの国でも無条件に死刑が言い渡されてきた。
とはいえ、すべての裏クリエイターが裏組織関係者とは言いきれない。むしろ、身内でひっそりと賭博対局を楽しむだけの者が多数派だ。
古来より、賭博は生産性がない行為だと思われてきた。だが、新時代では必ずしもそうとは限らない。対局を繰り返すうちにランクが上がり、生産性のある能力に目覚めた者もいる。プロクリエイターに転身した者もいる。
現在、東本州では「今日の裏クリエイターは明日のプロクリエイター」という認識が広まっている。その余波は、少しずつだが西側にも伝わりつつあった。
下摂津ノ國では、裏クリエイターは死刑と法律で定められている。昔は苛烈な裏クリエイター狩りがあったという。
だが近年、法律はすでに形骸化している。賄賂さえ支払えば裏対局室は容認され、前科さえなければ公式大会にも出場できる。
支配者側は裏クリエイターを管理するため、むしろその存在を容認する方針にシフトさせた。
古い法律は、条文はそのままに役割だけを変化させた。つまり、「裏クリエイターたちがなにか悪事を働いた場合、いつでもしょっぴいて死刑にできるぞ」という脅しだ。
昔から、親札の副カード名といえば、裏クリエイターの通り名というイメージがあった。
今も昔も、裏クリエイターたちは、自らこぞって個性的な通り名を触れてまわり、目立とうとする生き物だ。対局の際は、必ず親札の副カード名枠に自らの通り名を書き込む習慣があった。
親札に副カード名をつけただけで、裏クリエイターと疑われた。ついには、公式対局以外では親札に副カード名をつけてはいけないという奇妙な法律が成立してしまったのだ。
そういうわけで、西本州のほとんどの国では、今でも昔の法律や習慣が残っている。
「さあて、肝心の賭けるモンやけど⋯⋯。あてに負けた奴は、公式対局時、あてが決めた副カード名を親札につけて戦ってもらうでぇ」
「ギンガが決めた副カード名?」
「おうよ。もちろん、さっき言った『バカイザ』と『ボケイマ』や!」
「なにそれ、ダサっ!」
あまりのくだらなさに、カイザは苦笑いした。
【三】
「僕はまだ、やるとは言っていないぞ」
「ほーん、やらんのかぁ? 負けるんが怖いんかぁ?」
「そういうあおりには乗らないよ」
「そうかぁ、カイザはやらんのかぁ。まあ、ザコやからしゃあないわなぁ」
「ぐぬぬ」
カイザは悔しさを噛み締めつつも、反論するだけ無駄だとして言葉を飲み込んだ。
「それはそうとして。客観的事実としてやなぁ、なんや言うても★×3ランクのあんたらより、★×4ランクのあてのほうが強いんは確実なんや。せやから、ランク差分だけ、そっちの点数を増やしたるわ」
「それでもやらないって言ったら?」
「それでも負けるんは確実やもんなぁ」
「うっ!」
「せやから、あらかじめ救済措置を設けといたる。今度の所内予選でカイザとケイマが当たったとき、勝ったほうが不名誉なあだ名を解除できるっていうんはどうやぁ? どっちかひとりは必ず助かるってわけや」
「それって結局、僕とケイマの戦いになるじゃないか」
「その前に、あてに勝てたら問題あらへんやん」
「たしかに、そりゃそうだけどさ。じゃあ、もしもギンガが負けたらどうするんだよ?」
「ほーん、あてに勝つ気なんかぁ? 勝ったら、なんでも言うことを聞いたるわ」
ギンガは大見得を切って、片眼鏡のズレを直した。
「ななななんでも言うことを聞くんですかい、姉さんが!」
ケイマが横で顔を真っ赤にしている。
「おうよ、二言はあらへん。やるかぁ?」
「ややややりますぜい!」
「よしきた、さすがケイマや!」
ギンガとケイマはハイタッチした。
「さーて、カイザァ。あんたはどうするんやぁ? ライバルはやるぅ言うとるみたいやでぇ」
ギンガはしたり顔でカイザを見下ろした。
「くっそう、やればいいんだろ、やれば!」
結局、口車に乗せられてしまった。
「人を『バカイザ』なんて呼びやがって! ギンガが負けたら、『ホワイトシルバーギャラクシー姉さん』って呼んでやるからな」
「うっわぁー、壊滅的なネーミングセンスやなぁ。さすがバカイザ!」
カイザとケイマは、順番にギンガと対局した。ケイマ対ギンガ、ギンガ圧勝。カイザ対ギンガ、ギンガ圧勝。
「一応、これは特訓なんや。二戦でも、三戦でも相手したるでぇ、バカイザァ、ボケイマァ」
ギンガは交互にふたりを相手にした。
カイザとケイマはプレイスタイルが異なるとはいえ、三戦目あたりから飽きてくる。両者に三勝したところで、疲れを理由に休もうとする。
「ほら、早く立ってよ。もう一局、勝負だ!」
「うるさいなぁ、あてはもう飽き⋯⋯いや、疲れたんや。せやから、今日の特訓は終わりや!」
「さっき、何戦でも相手するって言ったじゃないか」
カイザはギンガを壁際に追い込み、無理やり対局空間へ連れ込もうとする。
「そんなん言うとらんわい。あては、二戦でも、三戦でもって言うたんや。三回負けたら終わりや。ザコは帰れや、しっしっ」
手で追い払う仕草をした。
「ねねね姉さんも疲れているみてえだし、お開きにしようぜ、カイザ」
「ふーん、なるほど。ケイマって、いつもギンガの味方をするよね?」
「そそそ、そそそそんなことはないぜい」
いつもよりどもりがひどい。
「まったく、ケイマはあんなクズで鬼畜でワガママな女のどこがいいんだか。理解に苦しむよ」
「おーい、目ェの真ん前に本人おるねんけどぉ。っていうかカイザ、あんた母親の看病しなあかんのやろぉ? ホンマにそろそろ帰る時間やで」
「カカカカイザの母親は病気なのか?」
「そうなんだ、実は母さんは霊毒病にかかって⋯⋯」
カイザはケイマに事情を説明した。
「そそそそうだったのかい。ははは母親は大切にしないといけないぞ。いいい生きている間しか、孝行はできないんだからな」
「父親とは対立しているくせに、母親は大切なのかよ」
「よよよ余計なお世話だぜい」
「そうだね、お互いさまだよ」
強烈な皮肉を残して、カイザは帰り支度をした。
裏対局室は夕方から朝まで開いている。本当は、カイザは朝までずっと対局していたかった。だが、そうできない事情がある。
壊滅的なネーミングセンス(ブーメラン)