第二十二話〖荒れた部屋〗
【一】
アユムは何事もなかったかのように裏対局室を去った。裏対局室は副所長の領域だ。基本、所長は裏対局室にほとんど立ち入らず、長居もしない。
カイザはアユムに同行し、所員寮へ移動した。最上階はアユムとギンガの専用ルームで、それより下は平所員の部屋だ。車椅子で眠りこけているギンガを運び、包帯の拘束をほどいてベッドに寝かせる。
「じっとしていたら、可愛いのになあ」
ギンガの寝顔をしみじみと眺める。
「あんなに荒れたぎんちゃんは見たことがないのら」
「なにが原因だっなのかな?」
「それは分からないのら。かいざちゃんは、あゆちゃんみたいな静かな女の子が好き?」
「自分で言っちゃうのか」
「冗談なのら」
アユムは歯を見せて笑った。
「今日のことで、ぎんちゃんのことが怖くなった?」
「いや。怖がるのが普通の反応なんだろうけど、不思議とそうでもなかったんだよね」
「かいざちゃんも変わり者だね~」
「どうかな? ギンガと出会った頃は、いけ好かない女だと思ったよ。デッキを奪われて、負債を背負わされて、いつか絶対鼻を明かしてやると誓ったさ。ギンガは僕よりカードチェスが上手くて、頭も良くて、立場も上で、背も高くて、力でも勝てなかった。同い年なのに、僕よりもずっと強い女の子なんだと思っていた。だけど⋯⋯」
「だけど?」
「今日、思ったんだ。ギンガは強いふりをしているけれど、本当はすごく弱いんじゃないかって」
カイザはスヤスヤ眠るギンガの頬に触れた。
「ぎんちゃんは強がり屋さんなのら。ひとりで生きていけるようなふりをしているけれど、本当はひとりでは生きていけない子なんだよ~。ぎんちゃんはあゆちゃんの世話役なのに、逆にあゆちゃんがいつも面倒を見ているのら」
「七歳児に面倒を見られるのは情けないね」
「ぎんちゃんには、あゆちゃんがついていないとダメなのら」
「本人が聞いていたら、逆だと言い張って怒りそうだけど」
アユムはギンガが眠っている隙に部屋を片付けてあげた。
ギンガの部屋は汚かった。家具の扉や引き出しは開けっぱなし、服は脱ぎっぱなし。部屋の一角だけほかと雰囲気が異なり、普段は着ないフェミニン系の服がきれいに畳んであった。
テーブルはカードの束で占拠されていた。カードは塔のように積み上げられ、今にもバランスが崩れて倒れそうだ。塔の下には、不完全なデッキの残骸。試行錯誤の痕跡が残っている。
「おや、このカードはなんだろう?」
一枚だけ束から離して別に置いているカードを見つけた。〔パートナーシップ〕というカード名の技札だ。
ギンガと緑髪の女の子が並んだイラスト枠。イメージをイラスト化する能力を利用した写真のようなものだろう。副カード名の欄に「最強コンビ」と書いてある。
何年か前にイラストクリエイトされたのだろう。ギンガは今より少し背が低い。それに、まだ視力が良かったらしく、片眼鏡をつけていない。
緑の子は小柄だが大人びていて、四白眼で目つきは凶悪。笑った口の間から、ギザギザの歯が見えている。長い爪が特徴的だ。
「ぎんちゃんの、昔の相棒ちゃんなのら」
アユムは静かに告げた。
ギンガはこの相棒を捨てて極東を巡り歩き、アユムという新しい相棒に出会ったらしい。
「この子、裏組織の関係者だよね?」
「たぶん、そうなのら。あゆちゃんは会ったことがないから知らないけどね~。ぎんちゃんはあまり語りたがらないから、詮索はしないのら」
今、緑の子がなにをしているかは分からない。生きているのか、死んでいるのかさえも不明だ。彼女はギンガのことをどう思っているのか、あるいはギンガが彼女のことをどう思っているのか。
ギンガはなにも語らないし、アユムも聞き出そうとはしない。
【二】
帰り道。
途中でユウとすれ違い、手を振った。仕事終わりにココナの家へ行ってきた帰りらしい。
ユウもカイザも、カードハンターを辞めてからずっとココナとは疎遠だった。ユウは久しぶりにみんなの元へ訪れ、近況報告をした。今日の仕打ちのことで、ココナに泣きついて来たのだろうか。ユウの目が赤く腫れている。
「じゃあね、カイザお兄ちゃん」
「所員としては、ユウちゃんのほうが先輩だけどね。じゃあね、また明日」
カイザはユウとアユムに別れを告げ、ひとりで裏対局室へ戻った。
「そういえば、カイザ組を離れてからココナとはもう全然会っていないなあ。ココナも会いたがっているみたいだし、明日あたり、顔を出してみようかな」
今日行こうとも考えたが、やめた。カイザは裏対局室でカードチェスをすることを選んだ。
負債がなくなったことで心理的な抵抗が消えたのか、賭博対局に身を投じた。カイザは絶好調だった。昨日までの実力が嘘のように白星を上げた。
裏クリエイターたちはカイザの急成長に注目し、こぞってカイザの勝ちに白札を賭けた。
カイザは元手ゼロからリスクを背負って賭博対局をした。敗北すれば、再び負債を抱えることになる。
なんとか対局に勝利したカイザは、希少度の高い白札を帯で束ねたものを手に入れた。
カードには、☆×0から☆×9まで十段階の希少度がある。星がひとつ増えるごとにカードの価値は十倍に跳ね上がる。カードそのものの素材としての価値評価であり、カードの内容とは無関係だ。
名前やイラストがついたカードのほうが白札よりも総合的な価値は高くなる。だが、白札には二度と戻せない。
相応のランクに達したクリエイターなら、誰でも好きなカードを作り出すことができるが、クリエイションとなると話が違う。クリエイターごとに実体化できるものが異なるのだ。
クリエイションを作り出す際、元手になるカードの希少度はクリエイションの質に影響しない。カードはカード、クリエイションはクリエイションだ。
だから、クリエイト時に使用する白札は最低希少度の☆×0で十分。希少度が高い白札は、束にして通貨として利用される。
カードクリエイトによって希少度の高い白札を生み出すこともできなくもない。とはいえ、そもそも白札のクリエイト自体が非効率な行為だ。しかも希少度の高いものとなれば、尋常ではない霊力を消費することになる。
そういうわけで、新時代では希少度の高い白札が通貨として流通しているのだ。
「やっぱり僕はツイている!」
カイザは獲得した白札の束を元手に、さらに賭博対局に興じた。連勝に次ぐ連勝。裏対局室に「豪運のカイザ」という異名が知れ渡った。
「たくさん稼いだことだし、明日はココナになにか持っていってあげよう。洋服をプレゼントしたら喜ぶかな?」
【三】
ギンガはベッドから飛び起きた。黄色い空の下、乱れた服のまま外へ駆け出す。
カイザは裏対局室から家へ帰る途中だった。偶然、ギンガを目撃した。
「待ってよ、ギンガ!」
カイザは息を切らした。
相手はやたら歩幅が広く、足も速い。全速力を出しても捕まえられなかった。
たどり着いたのは、瓦礫ノ園。カイザにとっては馴染みの場所だ。ギンガの姿を見失ったものの、すぐに見つけ出せる自信があった。カイザはゆっくり落ち着いて尾行することにした。
周囲は一面ゴミの山。日は暮れかかり、誰もいない。近隣のカードハンターたちは、すでに引き上げて家へ帰ったようだ。
ギンガはその場で座り込み、むせび泣いていた。
「ごめん、ひとりになりたかったんだね。だけど、放っておけなくて」
カイザはうしろからそっと近づいた。
「おう、カイザかぁ。かまへんでぇ。変なところを見せてもうたなぁ」
「隣、いいかな?」
「ええで。はよ、こっちに来て座りぃ」
目をこすって手招きした。
「じゃあ、失礼するよ」
左側にちょこんと腰を下ろす。
「今日のあて、酷かったやろ? ホンマにすまんかったなぁ」
「なにかあったの?」
「なんもあらへん。久々にデカい波が来ただけや」
「自分ではどうしようもなかったんだよね?」
「なんや、非難するんとちゃうんかい」
「しないよ」
「あんまり優しくせんといて。あてが悪いねんから」
ギンガはそっぽを向いた。
カイザの側からは左耳の欠けた部分がよく見えた。今日の乱闘騒ぎで裂け目が広がり、血がにじんでいる。
「昼間、ささいなミスで所員を怒鳴ってもうた。あてだって間違えることはあるのになぁ。あとでアユムにめっちゃ怒られたわ」
「人の上に立つ人間としては最悪だね」
「分かっとるがな。急に辛辣な返しでビビるわ」
バツが悪そうな顔で振り返り、カイザの肩をベシベシ叩く。
「カイザの友だちにも酷いことを言うてもうた」
「ユウのことだね」
「あの子、あてが原因で辞めるんちゃうやろか?」
「ユウなら大丈夫だよ」
「ホンマにぃ? ホンマに大丈夫なん?」
ギンガは唐突に声を出して泣いた。さっき泣き止んだはずなのに、また涙がこぼれる。カイザに寄りかかり、胸に顔をうずめた。
カイザは黙って受け止め、背中をさする。ギンガは十五分ほど延々と泣き続けた。しばらくすると泣きやみ、沈黙の時間が訪れた。互いの息づかいだけが聞こえる。
成り行きで抱きしめ合った状態のままだった。カイザは恥ずかしくなり、立ち上がろうとしてモゾモゾした。動いた拍子に、頭に柔らかい感触を受けた。
「ごめん、わざとじゃないんだけど」
「もう今さらやし、なんも言うことはあらへんわ」
呆れ気味のギンガ。
「胸の片っ方を失ったんは、あての自業自得やったんや。心臓をえぐり取られへんかっただけ、まだ運が良かったほうやでぇ」
「たしか、元相棒に殺されかけたんでしょ?」
カイザは、ギンガの部屋にあった〔パートナーシップ〕のカードを思い出した。イラスト枠に描かれていた緑の子は、ギンガの元相棒だったらしい。
「かわいそうとか言われるんが、一番腹立つねん」
「気持ちは分かるよ。僕もカードハンター時代、同情されるのは嫌だったもん」
「左目の視力は、できれば回復したいかなぁ。片眼鏡も面倒やし」
「僕は似合っていると思うよ」
「もう、あてのトレードマークになってしもうとるからなぁ」
今日はトレードマークなし。カイザはギンガの左目をまじまじと見つめた。レンズを通さずに見たのは初めてだ。
「せやけど、目ェ以外は生活に支障あらへんし、このままでええかなって思うとるねん」
「前にも言っていたもんね。このままのほうが自分らしいって。僕も賛成だよ。なんというか、左右のアンバランスな感じがギンガらしくて、すごく格好いい」
「褒めとるんかそれ? 今、適当に取ってつけたやろ?」
「違うってば。本当に思っているから言ったんだよ。普段は格好いいけど、今日は可愛かったよ」
カイザは慌てて取り繕った。
その表情を見て、ギンガはにやっと笑う。
「あんたには負けるけどな。なぁ、カイザちゃーん!」
ギンガはカイザの髪をくしゃくしゃにした。
立ち上がっても地面に届きそうなほど長い紫の髪。顔立ちも女性的で、カイザはよく女の子と間違われた。カイザ自身はそのことを嫌がっていたが、そのわりには髪を切りたがらない。
「うるさいなあ。可愛いって言うな!」
カイザは構わずやり返した。髪はすでに乱れているので、一切遠慮しない。
ふたりは地面に寝転がり、じゃれ合った。髪同様、服もすでに汚れているので気にしない。
突然、大きな音がした。ゴミ山が崩れる音だった。ふたりは同時に振り返った。
空からペガサスが降りてきた。天使のような白い翼に、キリンのような黄色いボディ。リミテッドクリエイションだ。
小太りの少年がペガサスからひょいと飛び降りた。
「おおおお久しぶりです、おギン姉さん!」
少年は噛みながらも大声を張り上げた。今日の空に似た黄色い髪と瞳。ギンガの知り合いのようだ。
どうやら、少年はギンガに好意を持っているらしい。カイザは一発で見抜いてしまった。